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    hakataheikitai

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    hakataheikitai

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    新刊の冒頭

    Enchain1.鍵のかかった部屋


    「お父さん、部屋に何を隠しているの?」
     さりげなさを意識しながら、冬美は父に問うた。久々に夕飯を共にする席に相応しい話題かどうかは、この際あまり問題ではなかった。
    「隠す?」
     父は義手を器用に使って、煮崩れかけたじゃが芋を箸で掴む。
    「書斎に鍵が」
     扉には立派な南京錠がつけられていて、冬美は驚いた。この家には他に誰も住んでいないのに。
     来客があるとしたら自分か母、元サイドキックか、末弟の焦凍もありえなくはないが頻繁ではない。
     ああ、そういえばもう一人、最近は見ないけれど、元公安委員会会長のホークスと。
    「貴重品をあの部屋に移したんだ。防犯のためだ」
     この家にそんなに重要なものが置かれていただろうか。だが、自分が知らないだけなのかもしれない。引退して久しいとはいえ、一時はこの国のNo.1だった男だ。
    「そうなんだ」
     ひとまずこれ以上は踏み込まないことにした。というより、踏み込む勇気がなかった。
     だから、話題を今度連れて来る予定の婚約者についてに変えることにした。
    「お父さんのことは話してあるけど、お願いだから怖がらせないでね」
    「そんなことはせん」
     そう言うが、父の表情は複雑そうだった。娘を嫁に出す辛さは、いくら不撓不屈のエンデヴァーといえども世の父親と同じ感覚らしい。
    「不安だなあ」
    「冷にも言われた」
     以前は顔を合わすこともできないほど父に怯えていた母が、そんな軽口を叩けるようになったなんて、すごいことだと冬美はしみじみ思う。
    それなのに、何でみんなバラバラなんだろう、とも。
     長兄の燈矢が亡くなり、轟の家はひとつのピリオドを迎えた。死は究極の贖罪となりえた。以前より世間の風当たりは弱まり、父に至っては強個性の子供との向き合い方、虐待の連鎖を止める、といったような講演依頼が舞い込むようになった。
     初めは固辞していたようだが、周囲の説得により、何件か受けるようになり、それが好評を博して様々な依頼が増えた。無償で行っていたのが、数が増え過ぎたので有料にし、それでも依頼は後を絶たなかった。
     あまり身体の無理が効かないので、可能な範囲で、だができる限り無理をして、父は全国に講演をしに出向いていた。最近は少し無理をしすぎたと言って、数をセーブしているらしい。
     介助要らずとなった父のもとを、母は去ることにした。冬美は何となく、母はこのまま父と暮らすのではないかと思っていたが、彼女は「一度、独りで生活してみたい」と希望した。今まで一人暮らしをしたことがないので、やってみたいのだと。父も弟も、賛成した。反対したのは冬美ただ一人だった。
     家族は良い方向に向かっているのに、それとは裏腹に、みんなバラバラになっていくような気がした。
     とはいえ、冬美とて夏雄のように新しく家庭を築こうとしているのだし、人のことを言えた義理ではない。離れていても家族なことに変わりはないが、一度ぐらいはみんなで揃って過ごしてみたかったな、という未練はある。
     父は独り、この広い家に残った。冬美はなるべくこまめに訪れるようにしていたが、父が外出していることも多くなったので、いつしか頻度が落ちて、今日は約半年ぶりの来訪だ。先日訪れた際は、父が不在だった。
     そうしたら、書斎に見慣れない鍵がかかっていた。どういう心境の変化だろうと不思議に思うのも無理はない。講演も抑えているし、具合でも悪いのかと心配になるのは娘心というものだ。
     だが、見たところ食事もしっかり摂っていて、顔色も以前よりよく見える。纏う雰囲気もより一層柔らかい。冬美の婚約者の話をした時だけ、強張ってしまったが。
    「結婚したら、近くに住もうかと思ってるの。何かあったらすぐに来れるように」
     母の家もここからそう遠くはないから、ちょうど中間あたりで見つけられたらいい。
     そうすれば焦凍も帰って来やすいし、いつかは夏雄のところも来てくれるようになれば、賑やかになるかもしれない。
     だが、父はそんな冬美の考えに難を示す。
    「気遣いは不要だ。お前は、お前の家庭を大事にしろ」
     優しくも毅然とした口調だった。もちろん嫁入りする娘のことを想ってのことだろうけれど。
     父は少しも思わないのだろうか。もう一度家族をやり直したい、とは。
    「でも、心配な気持ちもわかってよ。こんな広い家に独りきりで、身体も心配だし」
    「独りではない。―――いや、ひとり住まいだが、キドウやバーニンもよく来るし、ホークスも」
    「……ホークスさんは最近来てないでしょ?どこにいるのかもわからないのに」
     父の顔が明らかに曇った。この話題はやはり、避けるべきだったかもしれない。
     冬美が父を心配する大きな要因のひとつは、ホークスの不在にあった。
     彼はヒーロー時代から献身的に父と、自分たち家族をも支えてくれていた。公安委員会会長となってからも忙しい合間を縫っては父に会いに来てくれていた。
     燈矢が亡くなった時も傍にいて、諸々の葬儀の手配をしたり、週刊誌やネット記者といった下衆な外野を追い払ったり、家族共々支え、見守ってくれる大きな存在だったのだ。
     その彼が、公安委員会会長を辞職した。せざるを得なかった、と言った方が正しいのかもしれない。
     前々から批難する声はあった。原因はヒーロー時代に無抵抗のヴィランを殺害し、公安直下で様々なきな臭い任務に携わっていた過去にあった。大戦を経て多くの民衆は擁護的だったが、一部ではホークスを公安委員会会長に据えることに反対する声も少なくはなかった。人殺しを公職に就けていいのか、と。
     だからちょっとしたことで炎上し、その度にどこからか、ホークスがトゥワイスを殺した映像がネット上に湧いて出た。何も知らない人々は、その動画だけを見て恐れおののいた。声は徐々に大きくなり、ヒーローたちの活動にまで影響が出るようになった。
     遂に襲撃事件にまで発展し、身の安全の確保と世間の声を鑑みて、ホークスは退いた。その後就任したのはヒーロー実績のない人間だった。
    「とにかく心配なの」
     誤魔化すように味噌汁を一口啜る。父もそれに倣う。
    「ありがとう。俺は大丈夫だ」
     そう言う父の口元には、今まで見たことのないような、穏やかな微笑が浮かぶ。
     確かに心配しすぎなのかもしれない、と冬美は思った。










     半年前、ホークス公安委員会会長退任



    「納得がいかない」
     轟炎司は憤っていた。当事者であるホークスよりも、ずっと。
    「まあまあ、仕方ないですよ。収拾つかなくなっちゃったんで」
     ヘラっと笑うホークスの、顔の右半分と右手には未だに包帯が巻かれている。一か月ほど前に受けた襲撃の傷痕だ。
    「もうちょっとやりたいことがあったんですけど、優秀な人が後任なので、何とかなりそうです」
    「お前よりも有能な人間だとは思えん」
     かつて、ヒーロー時代に荼毘が仕向けた策略は、きっと父である炎司を攻撃するのが最大の目的だったはずだ。実際、炎司に向けられた目は暫くの間厳しいものだった。
     だが荼毘―――燈矢が息を引き取ってからは風向きが変わった。
     なのにどうして、ホークスはずっと許されないのだろう。
    「公職っていうのは基本的に嫌われるんです」
     まるで炎司の考えを読んだかのようにホークスが言う。
    「それから、やっぱりイメージですよ。エンデヴァーさん」
     あっけらかんとした口ぶりは、まるで他人事だ。きっと今第三者が見れば、炎司の方が落ち込んで見えるだろう。
    「俺は不遜で生意気で強引なので、政治家の先生たちに嫌われてる。だから、怖ぁい何かが働いたんでしょう。俺ってばクリーンすぎてスキャンダルも何にも出てこないので、昔のことを叩くしかなかったんでしょうけど」
     ホークスの斬新なアイデアと実行力とスピードによって、ヒーロー業界はかなり改善されたが、それによって不利益を被る人間もいた。そういう奴らは自分の利益を失うのを何より嫌う。ホークスといえども、潰されたというわけか。
    「だから、お前を殺してもいいと?」
     炎司はまだ新鮮にあの時の怒りを発動させられる。腸が煮えくり返るとは正にあのことだ。
    それは、苛烈を極めていたヒーロー時代にも経験したことのない憤怒だった。
     ホークスは肩を竦めて見せた。そういうわけじゃないですけどとでも言いたげな表情で。
    一か月前、ホークスは駐車場に一人でいるところを襲われた。誰かにプライベートな電話を架けていたと本人は言っている。
     犯人は女性で、酸のような液体を扱う個性の持ち主だったらしい。恐らくホークスの過激なアンチだろう。振り向いたところを顔の右半分目掛けて酸を噴射された。負傷しながらも取り押さえた際に抵抗を受けて右手にも火傷を負った。犯人はその場で死んだ。自らの個性を過度に自身に向けて使用した、自殺であった。
     被疑者死亡という後味の悪い結末に加え、要人の警護もまともにできない杜撰さと、世間から向けられ続ける自業自得だという批判に、炎司は耐えかねた。
     ホークスを護るための公安の対処は、十分とは言えない。病院の場所を聞き出して乗り込み、病室にいた公安職員に怒鳴って抗議を唱えた。
    「どういうことなんだ!!何故こいつがこんな目に遭う!?」
     最近ではお目にかかれなかったエンデヴァーの威圧感と怒声に、職員たちは皆怯えて縮こまった。
    彼らに当たっても仕方がないと理解しつつも、止まれなかった。
     ホークスだから大丈夫だろう。何があっても、彼は自力で乗り越える。これまでもそうしてきたのだから、今回も同じだろう。
     そう思っているのが手に取るようにわかった。誰も彼を本気で気にかけてはいない。
    「落ち着いてくださいエンデヴァーさん。今、警護体制の見直しを」
    「それを考えるのはお前の仕事ではない!」
     ホークスは病室でもノートパソコンを開いて仕事を続けていた。絶対安静状態だろうに、もはや彼自身も少しネジが外れているようだ。
     ここは異常だ。
     少しは平和になったと勘違いしていた。確かに世間的にはそうかもしれない。
     だが、今目の前に広がる現状はどうだ。矢面に立ったホークスの身体が、皮膚が、顔が、至る所が傷付いている。それなのに、誰も何も、手を打とうともせずに、ホークスは白痴か何かのように仕事をしている。
    「お前が、どうしてまた傷付かねばならんのだ」
     あの時負った火傷の痕が、やっと薄くなってきたばかりだったのに。
     ホークスは視線で人払いをして、病室には二人きりになった。炎司は涙を堪えることができない。どうにも涙もろくなったことは認めざるを得なかった。
    「どうしてあなたがそんなに怒るんですか」
     咎めるでも責めるでもない口調で、ホークスは単なる疑問を疑問として炎司に投げかけた。
     傷付いているのは彼であるはずなのに、何故か炎司を慈しむような瞳を向ける。どうしてそんな顔ができるのか、炎司には到底、理解できない。
    「お前が大事だからだ」
     心の底から出た答えだった。
     ホークスが大事だ。多くの人間にとっても、ホークスという男が大事であることは当然なのだが、もしもホークスが仕事も何もできなくなったとしても、変わらず自分にとって大事な存在であり続けるだろう。
     だが炎司の答えを聞いても、ホークスは完全には理解できていなさそうだった。
     それはわかったけど、それにしたって何故そこまで怒る必要があるのか、という点において、ホークスは恐らく腑に落ちていない。
    「ありがとうございます」
     乾いた響きの感謝の言葉を述べた後は、淡々とこの後の対策について話すだけだった。
     そして炎司には何も知らされないまま、会長職を辞することに決まったという事後報告を受け、現在に至る。
    「あの時、素っ気ない態度になっちゃったのは、本当にうまく理解できなかったからなんです。あなたが俺の為にあんなに怒って、泣いてくれるのがどうしてなのかって」
    ごめんなさい、とホークスは謝罪を付け加えた。
    「でも嬉しかった。嘘みたいに」
     炎司とて、理解できているとは言い難い。何故あれほどまでに感情が動かされ、みっともなく当事者の前で泣いたりしたのか。だが自身の言動に対して全て理解できている人間などいるのだろうか。人間は感情の生き物だ。理論理屈なんて激情の前には塵芥と化す。
     大事な人間が、目の前で傷付いている。手を差し伸べない道理がない。例え振り払われたとしても。
    「ありがとうございます。やっぱりあなたは俺のヒーローや」
     やっぱり、とはどういう意味なのだろう。助けてもらった覚えはあれど、助けた覚えはない。
     時折ホークスはそういったニュアンスの発言をするのだが、炎司には毎回ピンと来ないのだった。
    「それで、……どうするんだ、これから」
     炎司が目下最も気になるのは、ホークスの行先だ。ある日突然ふらっと消えてしまいそうに思えて仕方がなかった。
     ホークスは眉を寄せて顎に手をやり、うーん、と考える素振りをする。
    「ひとまず落ち着くまでは身を潜めて静養するといいって言われました。まあ、ベタに海外とかで長期滞在でもしてこいってことなんでしょうけど……俺、特に行きたい国とか場所もこれといってなくって。国内で雲隠れするにも宛がないし、どうしたもんかなと考え中です」
     確かにセオリー通りで行けば、ホークスの顔が指さない海外のどこかで休暇を取るのがいいだろう。
     とはいえ本人にその気がないのなら、諸々の手配も億劫なだけだ。こいつが安全に身を隠せる場所なんて、どこに……。
    「俺の家に来るか」
     そんな誘いをかけるつもりなど、炎司には毛頭なかったはずだった。
     寧ろ自分の口から出たその提案に、炎司自身が一番驚いた。
     だが、もしかすると最も合理的ではないか。事情を知っている人間の庇護下で羽根を休めるのが最も安全で、簡単だ。
     今慌てて列挙した理由は、全て建前である。
    ――――――ホークスを繋ぎ止めておけるかもしれない。
     そんな醜く自分勝手な願望が、炎司を突き動かした。彼自身望んでいたことに、今の今まで気づきもしなかったのに。
    「はは、……」
     ホークスは炎司の申し出を、一瞬で冗談ではないと悟って、軽薄な笑いを引っ込めた。
     それはさすがにまずいですって、と嗜められるだろうと炎司は予想していた。そうしたら、さっきの建前上の理由を並べてみようと考えていた。
     だがホークスの答えは、予想とは違っていた。
    「いいんですか?本当に」
     最後通告のようにも聞こえた。
     これ以上踏み込んで、本当に良いのか?
     本当に、これまで通りでいられると思うか?
     そう受け取ってしまうのは、己の中に根差していた静かで深い執着心に気付いたからだろうか。
     ホークスの黄金色の瞳も、不安げに揺らいでいた。いつも確信に満ちているホークスが、炎司の手を取ることを躊躇い、と同時に全て捨ててもいいという彼自身の欲動に翻弄されていた。
    「ああ。……俺はいい」
     それが全ての引き金だった。
     ホークスは小さく何度もうなずいた。まるで自分に言い聞かせているように。
     これまでのヒーローとしての二人の尊く強い関係性は、この時、完全に終焉した。



    つづく
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