ノラアシュ短編まとめ①振り返ることもないだろうから
「⋯⋯話を、したいんです。ノーランド様と、ちゃんと」
アッシュの声は静かに響いた。
夜明け前の薄明かりの中、寝台の端に座る彼の肩は、かすかに震えていた。
だが、返ってきたのは沈黙だった。
ノーランドは背を向けたまま、シャツの袖を通している。無言のまま、いつものように、冷ややかにその場を離れようとしていた。
「⋯⋯聞いてくれないんですね」
アッシュが絞るように呟いた。
「どうして、振り返ってくれないんですか。俺のことなんて、どうでもいいんですか」
ノーランドの背は止まった。だが振り返りはしない。
ただ、わずかに首を傾けただけだった。
「どうでもよければ、抱いたりはしない」
それはひどく冷たい声で、そして、どこか残酷な優しさを帯びていた。
「あなたは、俺が求めた時じゃなくて、自分が欲しくなった時だけ、振り返るんですね」
アッシュの目に、痛みが滲む。唇を噛んで、視線を落とした。
「抱かれている時だけ、あなたがこちらを向いてくれるから、⋯⋯だから、俺、何度もそれを許してしまった。
けど⋯⋯もう、限界なんです」
布団を掴むアッシュの指先が、ぎゅっと白くなる。
「言葉がほしいんです、ノーランド様。
触れるだけじゃなくて、あなたの気持ちが、ちゃんとほしいんです」
ノーランドは沈黙したままだった。長い沈黙の果てに、足音がゆっくりと近づく。
次の瞬間、アッシュの腕が強く引かれた。抱き寄せられる。肌の熱が、喉元にかすかに触れる。
「言葉よりも手の方が、確かだからな。⋯⋯それでも、聞きたいのか?」
ノーランドが低く呟いた。
「言葉なんて、間違えれば全部壊す。お前が消えてしまいそうで、私は言葉を選べない」
「それでも⋯⋯それでも、聞きたいんです。俺に振り返って、あなたの声で言ってほしい」
ようやく、ノーランドの手がアッシュの頬に触れた。
ぎこちなくも、迷いのない動きだった。
それは欲を満たすためではなく、確かめるようにそっと触れる――撫でるための仕草だった。
「私はずっと眠れなかった。⋯⋯だが、お前の呼吸が隣にあるだけで、深く落ちていける」
振り返るその眼差しに、確かな痛みと、祈りのような温もりがあった。
アッシュは泣きそうな顔で微笑んだ。
「やっと⋯⋯やっと、振り返ってくれましたね」
-END-
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ここから始まる
体の傷が癒え、ようやく下山した。
他人に知られてはならない関係。
言葉少なに扉を閉めた瞬間、安堵の吐息が重なる。
ノーランドが囁くように唇を寄せ、アッシュも静かに応える。
新しい暮らしが、今──ここから始まる。
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お前が沈んだ海に告ぐ
憎んで、愛して、許せなくて、それでも抱かれた夜があった。
ニコルを殺したお前を、なぜまだ探してる?
……答えをくれよ、海。
あの日、お前と落ちた海は、
今も冷たいままだ。
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たった一分でいい
「話が──」
「必要ない」
問答無用に奪われた唇。
抵抗も願いも、熱に溺れてかき消される。
言葉なんていらないと告げるように、ノーランドは抱き潰してくる。
一分でいい、この人の本心が欲しいのに。
俺はまた、奪われるだけだ。
たった一分でいい
「話を、したいだけなのに」
「⋯⋯ノーランド様今日は、少しだけでも話を⋯⋯」
「これ以上、話す必要があるか?」
低く落ちた声が、逃げ場を塞ぐようにアッシュを縫い留めた。次の瞬間、唇を奪われる。
痛いほど強く、容赦などどこにもない。
「っ⋯⋯!ま、待って⋯⋯俺は⋯⋯」
口を離す間もなく、舌が押し込まれ、言葉ごと飲み込まれる。
息すら奪われ、アッシュは涙を滲ませながらノーランドの腕の中に沈んだ。
——話をしたかっただけなのに。
ほんの一言でいい、あなたの本音が欲しかったのに。
なのに、どうして。こんなふうにされて、心は諦められない。
「悔しい⋯⋯貴方のそういうところが、俺を駄目にする」
「なら、黙って私に堕ちろ。言葉より⋯⋯身体のほうが、素直だ」
アッシュは反論できなかった。
唇も、喉も、心すらも、彼に占領されていた。
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惚れたほうが負け
「お前に惚れた時点で、私の負けだな」
ノーランドはアッシュの手を引き寄せ、優しく口づけを落とした。
アッシュは微笑んで答える。
「じゃあ、俺も負けだな。でも、こんなに幸せなら負けてもいい」
二人の愛は言葉より深く、静かに繋がっていく。
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