クリスマスケーキにかかった白砂糖みたいな匂いがする店だ。インスタグラムで話題♡狎鴎亭ロデオ駅付近カフェに入店して一秒、ドンシクはジェイの肉屋や田舎の食堂が恋しくなった。後ろをついてきたジュウォンが「二名です」と若い女性の店員に告げる。
「あーっ! パパ~!」
と異国の絵本の中身みたいな真っ白い店の奥から飛び出してきたのは、これまたウエディングブーケじみた色合いの制服に包まれたイ・ミンジョン――ちょっと前までの彼女の名前はカン・ミンジョンで、だけど色々あってイ・ドンシクと養子縁組をして名字が変わった。「ドンシクさん、ミンジョンを自分とおんなじ名字にしたいわけ?」と言った彼女は最近このカフェに勤めはじめて、授業参観よろしく見学にやってきたドンシクとジュウォンなのだった。
「なにがパパだ!」
「パパがいやならお父さん? ドンシクお父さま、今日は来てくれてありがとね」
ミンジョンはドンシクの腕の内側に、自分の腕をすべりこませて悪戯に笑う。
「ジュウォンさんも、来てくれてありがとう」
「いえ。こちらの暮らしにはなれましたか? 住まいには問題ありませんか」
「あんな素敵なマンションに暮らして、不満なんてあるわけないよ」
いまでは屈託ない笑顔を見せる彼女にマニャンから離れたいと相談を受けたとき、渡りに船、こちらも諸々の事情で異動になったジュウォンがソウルの高級マンションを遊ばせていた。彼は「保証金が溜まるまでなら、住んでもらっても構いませんよ」とミンジョンに提案し、彼女のソウル暮らしはスタートした。
「ねえ、パパのボーイフレンドがお金持ちって最高だね。私の彼氏じゃないのは残念だけど」
格好よくてお金持ちで頭のいいエリートのジュウォンさんが、どうして私じゃなくてタダのおじさんのドンシクさんを選んじゃうのー? なんでなんで! と騒ぐミンジョンに五歳児だったころの彼女を思い出したのはもうどれぐらい前だっけ。ドンシクはミンジョンの後ろ髪を見ながら考えた。いまより五センチは短かったはず。
案内された四角い二人掛けのテーブル席には、薄ピンクのクロスがかけられている。
「カフェタイムは、パフェがおすすめだよ。ベリーパフェ」
「パフェ? コーヒーだけでいい」
「ドンシクさん。どうせいつもおばさんの食堂とか、ジェイの店みたいな夢のない場所ばっかり選んでるんでしょう。あ~、ジュウォンさんが可哀想。まだ若いのにドンシクさんの趣味に合わせてばっかりいるんだから。たまにはパフェぐらい一緒に食べるべきなんだよ」
「いえ。僕が店を選ぶこともありますから」
「そうだよ。俺が絶対行かない肩の凝る店に連行されてる」
「ですがドンシクさん。せっかくですから。コーヒーだけじゃなく何か頼みましょう」
「ほら、ジュウォンさんは分かってる。コーヒーだけじゃ席代にならないんだから。じゃあパフェとコーヒー2つずつで。ご注文ありがとうございまーす」
店内は若い男女がほとんどを占めていて、ベージュのさっぱりとしたスーツのジュウォンは店内のムードにマッチしている。特に女性客の目を惹いている彼は最近オーラが柔らかくなったという噂で、スキャンダルを経ても以前に増してよくモテていた。当人はイ・ドンシク以外に興味がないのでたまにブーイングをくらう。ドンシクはやわらかい着慣れたシャツにコットンのパンツ、スニーカーの普段通りの着こなしで、傍からみればアンバランスな二人組に映りそうだった。
席は白い枠の窓に面していて、晴れた外からほどよい陽射しが差し込んで、テラス席のある凝った緑の庭が見渡せた。トイプードルを連れた客がパンケーキを食べている。清楚なうすいブルーのワンピース。
「分かってはいたが、肌がむずむずする店だ」
「凝った世界観の店内ですね。ドンシクさんはさながら、異世界に迷い込んだ人のようです」
「間違ってないな。居心地悪いよ。あなたのせいで注目も浴びてるし……ちょっとトイレに行ってくる……トイレの場所はどこなんだ」
「玄関の右手奥にありましたよ」
「迷いそうな店内」
ひとり残ったジュウォンがぽつんとテーブル中央のほんの小さな一輪挿しを眺めていると、ミンジョンが背後からパフェを運んできた。
「お待たせしました。ドンシクさんは?」
「お手洗いに」
「逃げ出しちゃったの?」
テーブルに置かれたパフェの頂上には焦げ目のついたメレンゲがたっぷりと乗り、イチゴと数種のベリーが飾られ、アイスクリームが色とりどりに層をなしている。バニラビーンズ、キャラメル、ダークチョコレート。底に敷かれたチョコチップクッキー。無駄に背の高いパフェグラスに応じた銀の長い匙。ブレンドコーヒーを頼んだはずが運ばれてきたカプチーノの、白いマグカップの太い持ち手のまろやかな曲線。
「もしかすると、ハンさんも未来の私のパパになるかもしれないんだよね」
「はい?」
「ドンシクさんと、いつか結婚できるようになったりしたら。プロポーズしてくれるでしょ?」
ミンジョンはテーブルに角砂糖の入った陶器を並べた。
「……はい。そうですね、もちろん」
「ちっちゃいころ、ドンシクさんと結婚するのは私だって思ってたのに。親子になっちゃったんだもんね。だけどドンシクさんの幸せを応援する気分って、思ってたよりすごく良いよ」
「でしたらお父さんを、僕がもらっても?」
「私の許可なんて必要? まあ仕方ないから、祝ってあげるけど。ジュウォンさんの知らないドンシクさんのこと、私はたくさん知ってるし。小さいころはいっぱい抱っこして貰ったし、キスしたことだってあるんだから。いまはあんなふうだけど、昔はたくさん、甘やかして貰ったんだよ」
「僕だって、ずいぶん甘やかされてます」
「ジュウォンさんよりぜったいに、私の方が甘やかされてたんだから」
それだけは負けないんだもん、と言った彼女の華奢な指先で、ネイルアートのホログラムが輝いている。
「驚きだ。トイレまでメルヘンだった。異世界のままだった」
ドンシクが猫背になって帰ってきた。
「そうでしょ? トイレの写真もインスタで人気」
「トイレの写真が? インスタグラムは理解に苦しむ世界だな」
さっさと食べて、こんな店からは早く出ないと。席に座ったドンシクが口にしたパフェの一口目はやや甘すぎて、アイスクリームが冷たく溶けて、そういえば昔彼女とパフェを食べに行ったっけ――と、自宅の白い写真立てに飾ったちいちゃなミンジョンを思い出す。