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    ー 第一部 開幕 ー
    【薄明の月】
    #芸術家は2度_薄明の月
    参加作品

    ジョン・ドゥはありのままの夢を見るか123『ジョン・ドゥはありのままの夢を見るか』

    1 先ほどまで清々しいほど真っ青な表情を見せていた空が急に曇っていく。怪しいか、と思っていたのもつかの間。ぽつぽつと、レンガ造りの道に水滴が染み、土の香りが空気に色濃く広がっていく。
     ヘルムート・エーベルは辺りを見渡し、屋根のある場所へ逃げ込んだ。バタバタと、トタン板に雨粒の当たる音が次第に激しくなる。通り雨か、と見当をつけながら軽く肩を払う。シャッターの下りているのを良いことに雨宿りすることにした。
     行き交う人も慌ただしく店に飛び込み、ヘルムートと同じように雨宿りをしているようだった。
     画材を入れたバッグを気にしながら、ヘルムートは空を見上げる。
     ごつ、とヘルムートの隣に重い音がする。
    ―――――あなたにとって藝術とは何ですか?
     ヘルムートは咄嗟に振り向いた。そこにはヘルムートと同じように肩を酷く濡らしたサラリーマンの男や、急に降られた事に文句を言う学生がいるばかりだった。
    ざあ、と、激しい雨が地面を叩いている。

    「雨、大丈夫でしたか?」
    「はい、激しい通り雨でしたが、すぐに止みましたし……玲華さんの方は何事も?」
    「私は外に出ていなかったもので」
    「それは良かったです」
     御縁から差し出されたタオルを受け取って、ヘルムートは画材バッグを拭き、雨に少し降られた自分の顔や肩を押さえるようにして濡れた肌を拭う。
     広めのダイニングのテーブルを借りて、筆やら絵の具やらを並べ一点一点を念入りにチェックし始める。御縁は彼のその様子を見ながらやかんを火にかけ、慣れた手つきでお茶の準備をし始めた。
     今日は御縁玲華と決めた、月に一度行われる「ヘルムートの共鳴者探しの報告会」である。

    2 ヘルムートと御縁の関係は、ちょうど、彼女が大学受験を控えた頃に始まった。彼女が通っていた学校の美術準備室に、たまたま放置されていた『パン』の絵画。それに彼女が興味を持ち、調べ、触れていたところの顕現だった。
     過去の芸術家の魂(ジョン・ドゥ)の再来である顕現。この事象を起こせるのはそれらの魂と強く響き合う素質を持つ“共鳴者”のみ。結果として、御縁はヘルムートをこの世に顕現させ、“共鳴者”としての才覚を発揮したのである。
     しかし、彼女は目の前に現れたヘルムートの存在を文字通り持て余した。あれよあれよと決まっていくヘルムートの所在や今後、環境の急激な変化。それは、受験期を目前にした彼女に少なからず疲弊をもたらしたことだろうと、ヘルムートは思っている。
    本来であれば、顕現者はそのまま共鳴者になる事も多いがようだが、人としても、芸術家としても未熟で未来ある彼女を自分の願い如きに縛り付けるのはヘルムートの本意では無い。
     だから、当時、疲れている様子の御縁に、ヘルムートは自分から切り出したのだ。
    「御縁玲華さん、よろしければ、私の共鳴者探しを手伝っていただけませんか」
    3 しゅお、と湯が沸き始めヤカンが鳴く。ハッと、ヘルムートはキッチンへ顔を上げた。御縁がちょうどティーポットとカップを2つ分用意していたところだった。
    「あの、お構いなく」
    「雨に当たったなら温かいものを飲むのが1番です」
    「……ありがとうございます」
    「いえ」
     彼女の譲らなさ、というのはここ1年で学んでいる。断ったところで茶も相手の気遣いも無碍にするだけだ。ヘルムートは大人しく席に座り、テーブルの上に広げていた画材を一度カバンに戻す。片付けをしながら、ヘルムートは茶の準備をする彼女を横目で見た。
     彼女は見た目の儚げな印象よりも非常に芯のしっかりした女性だった。それは彼女の作品、芸術への拘りを見ていれば自然と納得のいくものだとヘルムートは思っている。画面の静かさとは裏腹に、荒々しいながらも大胆な筆使いは彼女の気質を如実に示すものなのだろう。
     そっと、ヘルムートの前に出されたのはミルクティーだった。
    「玲華さんは、芸術とはなんだと思われますか」
    「何(なに)、ですか?」
    「問われた気がしたのです」
     誰かも分からないところから不意に尋ねられたのです。ヘルムートが混ざりきっていない紅茶とミルクの波紋を見つめる。
    「改めて考えたことはありませんでした」
    「ヘルムートさん、息をするようにいつも芸術活動に励んでますものね」
    「芸術……芸術の言葉の捉え方も、日本では昔から様々に議論が及んでいるものだと伺っています」
    「そうですね。芸術、というものは海外から輸入した言語ですから」
     御縁は自分の分にミルクを入れ、そこに少しばかりのシナモンを加えて掻き回す。湯気が立ちのぼるカップの先に細い指が添えられ、ゆっくりと息をふきかけながら縁に唇が当てられた。
    「元々、海外で培われた“Art”に相当する言葉が日本にはありませんでした。当時の……えっと、明治時代だったかな。日本にとって、“美”の多くは自然や生活に溶け込んでいるもので、純粋な内面や表現したいことの“art”、“create”を受容するには切り離しようにも離せなかった……実際、芸術を議論した記録には経済活動や社会活動、手工業と呼ばれるものも含まれていたそうです……全て講義の受け売りですけど」
    「そうですね……東雲さんや櫟さんといった、文豪、作家と呼ばれる人達の作品が芸術作品として現代に残っている感覚は、私にはいまいち理解し得ないものがあります」
    「そうなんですか?」
    「彼らの芸術性を否定する訳ではありませんが、あれらは私にとってはやはり読み物の域を出ません。例えば、本の装丁デザインに自分の趣向を凝らすのであれば、芸術と言われても頷けますが、しかしそれは中身を考慮する見方ではない」
    「問われているのはそういった社会的な定義や国語的な定義では無いと思いますが……見解として面白いですね」
    「そうですか?」
    「国の文化や育ってきた環境で言葉の解釈が異なってくるっていうのを実感します」
     御縁の喉がこくりと動く。その言葉に一瞬ヘルムートは目を瞬かせたが、それもそうか、とすぐに納得した。この世界についての理解を深めるために、御縁が残していた教科書などを貸して貰ったのだが、自分の知っている歴史の大方は第四次世界大戦後の荒廃時になくなってしまったのだという。芸術、というものを介して国の様々な物を国民の創作性で賄っている現実は、ヘルムートにとってありえないに等しい世界である。
     芸術という、自己も他者も曖昧な価値観における物差しを社会基盤とする事の危うさは学のないヘルムートでも分かるからなおさらだ。
     想像もしてみなかった世界だ、とヘルムートは今更ながら思う。極端な話、この世界では、芸術だけに絞れば、そこに必要なものは文化や言語の下地ではなく、創作された個人の世界をどのように受容し批評し、社会や生活に落とし込んでいくかが問われるのだろう。
    「その中で、自分の芸術を、どのように定めて行くか」
    「簡単な話、自分が芸術というものをどのように捉えているのか、という事だと思います」
    「そうですね……」
     ヘルムートは改めて考える。己にとっての芸術とは何であるか。カップの中のミルクティーが揺れる。
    「自分や他者を知るため、でしょうか」
    「自分は、なんとなく分かりますが、他者を知るため……?」
    「はい。……私は、味覚というものに乏しく、一人で食事をとるとそれが顕著に出ます。幼い頃、食感だけが私の食事を構成するものでした。今は食事を楽しめていますが、当時は苦痛で仕方なかった」
    「そう、なんですか」
     御縁は目を大きく見開かせた。ヘルムートはそれに首を傾げるも、話を続ける。
    「それで、パンの味が分からない人間が地面に木の棒で描くパンを、他者は美味しそうだとか、美味しいだとか言うのです。不思議でしょう」
    「それは……そうですね」
    「絵に描いているパンを実際に食べているわけではないのに……当時の時代を思えば、子供の落書きでさえも美味しそうに見えて仕方ないのかもしれませんが……そう、だから、当時の私はパンを描いていて、それがルーティンとなり、アイデンティティになりました。他人がどうして私のパンの味を知っているのに、私は自分の描くパンの味を理解できないのか、と」
     一種の悔しさ、負けず嫌いだったかもしれない、とヘルムートは当時を振り返る。皆が楽しめているものを楽しめていない自分が異色で、周囲とのズレを自覚しながら過ごす毎日に少しずつ灰色が混ざり込んでいく恐怖のような、諦観のような感覚はジョン・ドゥとなった今でも言葉にし難い。
     興味本位から焦げ付いて固くなりすぎたパンの焦げを削って口に含んでみたこともあったが、口の中の水分を持って行かれ、砂を噛むような食感であった。
    「実際は目の前にどんなパンがあったところで、それぞれの人が思っているパンの味はその人それぞれの味でしかない、という事なのでしょうけれど、それに気づくのに随分と愚鈍でした」
     ミルクティーを口に含む。水よりも滑らかで、温かな液体が口内を湿らせる。こくりと喉を嚥下させれば、牛乳の油分が舌先から喉へ落ちていく。御縁から表情が読み取れず、ヘルムートは眉を下げた。彼女の今の表情は、言うなれば、困惑、だろうか。ヘルムートの舌先に少しばかり茶葉の渋みが広がる。
    「失礼、困らせるつもりはなかったのですが」
    「いいえ、えっと……すみません、咄嗟に言葉が出てこなくて」
    「再三言いますが、今は食事を楽しめています。味覚を舌で感じているわけではなく、視覚や聴覚で受け取っているようだと理解してからは特に」
     それを理解した瞬間の弊害も多少はあったが、これ以上の混乱を招くべきではないと、ヘルムートは言葉を句切った。
    「さ、最初に言って欲しかったな……何かできることがあったかもしれないのに」
    「お手を煩わせる程では。用意してくれる手間も、そこに込められた思いも気遣いも、このような会話も、食事の席でおこなわれる全てが私にとっては食事で喜ばしい事なので」
     貴女は貴女のままであることが私にとっては好ましい。そう伝えれば御縁は少し悩んだようだが頷いた。いつもの爽やかな甘さが空気に漂ったのをヘルムートは確認し、微笑みながら少しばかり温くなったカップを揺らす。かたりとカップを置いて、ヘルムートは御縁の目を見てから彼女のカップに視線を移す。御縁は促されるようにカップの中身に口を付けた。喉が渇いていたのか、三口ほど喉が動くのが見えた。
    「話を戻しますが、私にとって、芸術、というのは自分や他者を知る、理解するためのツールであり、表現の模索であり……ジョン・ドゥ、先立った芸術家としての意味を付け加えるのなら、本願でもある」
    「そういえば、ヘルムートさんからジョン・ドゥとしての願いのお話を深く伺ったことがありませんでしたね」
    「そうでしたか?」
    「そうですよ。私は、パンの芸術家ヘルムート・エーベルを知っていますが、貴方はあまり自分の事を話さないじゃないですか」
    「これは……失礼を。ですが、私も自分の事をどう伝えられているのか調べましたが、そのままですよ」
     ヘルムートは右手を左肘の下に持って行き腕を組む。左手を自身の顎に添えて彼女に微笑んだ。
    「私の描くパンが鑑賞者の餓えを満たすのであれば、それに越したことはない。飢餓感というのは、人間にとって大敵ですから……それが、扇動に使われる事になるとは思いもしませんでしたが。此度は正しく使われる事を望んでいる。ただ、それだけです」
     ただ、それだけ。生前の自分も、そう考えていたはずだ。だから、今の自分も、そう伝えている。……前線に居た、弾丸が飛び交う中にいた今際の自分が脳裏を掠めていく。熱を失っていく瞬間過ぎった考えは、常にパンを表現する事に貪欲だった自分とはいえ、こうして振り返る機会を得てしまった今、やはり異端であると認めざるを得なかった。
     思いにふけっていれば御縁は心配そうに覗き込んでくる。
     ヘルムートは視線をカップに落とす。冷めてしまったのか、とうに湯気は立たず、波打ってもいない。
     御縁は軽く柏手を打って、空気を変える。
    「本来の目的に立ち返りましょうか。共鳴者捜しのお話を」
    「ええ、そうですね。すみません」
    「いいえ、お気遣い無く。まず前回の発表の場でのお話なのですが……」
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