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    uuu_riko

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    uuu_riko

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    10月スパークのアツム夢本冒頭。以前支部に載せてたやつの一部を修正したもの。陽キャ嫌いの漫画家夢主とアツムが最終的にくっつく話

    線引きができない話(仮)『目標と自己肯定感が高くないと、最高のプレーはできません』

     勿論反省も踏まえてですが、とモニターの向こう側にいる男性が付け足した。

     春先というにはまだ少し肌寒く、時折吹く風が頬を刺激する、そんな季節。就職と自己都合の理由で地方からの引っ越しが終わり、水野たまきは新しい家電を迎えるべく、都会で知らない者はいない名前の家電量販店に来ていた。実は地元では一件も店舗が展開されていないのだが、何故こうも大手家電量販店には『カメラ』と名がつくのだろうか。風の音以上にざわめく人の声と足音、それを軽快なBGMを聞き流しながら、水野はぼんやりとテレビコーナーの前で立ち止まっていた。

     実家を巣立ってからは大学の学生寮、卒業からの就職、一身上の都合による転職、転職、そしてまた転職。たまに引っ越しを挟み、また転職。多くはアルバイトや派遣社員としての勤務だが、面接へ向かうたびに思うのは、『次よりもいい暮らしをしよう』である。社会人経験を経て数年、水野はようやく『ここ』まで辿り着くことができた。
    冷蔵庫にドラム式洗濯機、炊飯器に電子レンジ。以前から興味があった家電メーカーへあれやこれやと手を伸ばし、店に来てから約一時間で数十万があっという間に消えた。まだ貯金に余裕があるとはいえ何とも悲しいものではある。しかし新生活という興奮材料で脳内にアドレナリンが放出されまくりの今、顔には出さないものの水野は今を非常に楽しんでいるのである。

     様々な家電を入手したのち、三種の神器の一つであるテレビコーナーの前まで立ち寄った。新生活のための家電一式を揃えるということで、なんとなく、だ。ただ、実をいうと水野の新居に既にテレビはある。別に古いわけでも画面が小さすぎるわけでもなく、そして画質が悪いわけでもない。知人からのプレゼントで二年ほど一緒に暮らしていた無機物ではあるが、他の家電を一気に買い替えようとしている中、テレビだけ買い換えないのはあまりしっくりこない。今の『仕事』に力を入れすぎたのもあるが、趣味や無駄遣いをしてこなかったおかげで、貯金はまだ十分に余裕がある。さて、どうしたものかと。

     ──そんな時だった。
     いかにも金持ちが買いそうな、且つ、家電量販店にならどこにでも置いてある特大の液晶パネルから、スポーツ選手らしきインタビューが流れてきたのだ。大量のフラッシュがたかれており、顔を向けなくても僅かに視界に光が断続的に入ってくる。

    「……自己肯定感」

     カメラとマイクを向けられて喋る《彼》の言葉に、水野はつい反応してしまった。バックには沢山のスポンサーがついているのだろう、いくつもの企業の名前が書かれた巨大なボードが見える。明らかに人のよさそうな──余所行きの顔をしているその男に対し、何故だか胸のあたりがむかむかしてきた。

     液晶の前でそんな想いを抱きながら立ち止まっていると、買い悩んでいるように見えたのか、店員が声をかけてきた。大迫力で映画を見るならこのサイズがおすすめですよ!と。誰がこんなデカいテレビを家に置くのだ、と水野は心の中で悪態をつきながら「あ、結構です」と不器用にかわしてきたのが三日前の話だ。


         ◇・◇・◇


     水野たまきという人間は、イラストと漫画制作──所謂作家という職業で生計を立てている。基本的に自宅で行える、今話題の在宅ワーク職業の一つなのだが、デバイスを変えればカフェなどでも仕事を進めることができる。因みに彼女自身は九割前者だ。何故なら動きたくない騒がしいのが無理着替えるのが面倒──つまりは出不精な人間なのだ。しかし残りの一割は、気まぐれだったり気分転換をしたいという意思があったり、自宅にいると作業用として流していたアニメや動画配信サイトのアーカイブを延々と視界に入れ続けてしまうことを避けたいという気持ちで、喫茶店へ出向くこともある。iPadとほんの僅かな自尊心を連れて。

     そんな彼女も現在は絶不調、つまるところ絶賛スランプ中である。例えば、野球選手なら一時的に上手くボールが投げられず、歌手なら一時的にいつも通りの音程が取れなくなるという。水野の場合、『うまく線が引けない』状態にある。大ピンチであった。他の人間であれば、この世の終わりの様な絶望を味わっている者もいるだろう。水野もこれまでも何度か経験しているが、今回だけは違う。いつもなら「まあ描けるっちゃ描ける」と、絶望するどころか無理やり腕を動かせし、下唇の皮を歯で嚙み切って遊んでいたりしていたのだが──ラフ(下書きの下書き)すら上手くかけなくなってしまったのだ。別に死ぬわけではないとはいえ、これには下唇もいつも以上に噛んで荒れさせる他なかった。

     下唇の状態異常はさておき、引っ越しから三日が経過した。環境の変化からなのか様々なことがうまいこと調子が出ない。とくに『線が引けない』こと。昨日まで仲良しだったクラスメイトが翌日急にそっけなくなったような。人間、出会いと別れがつきものだが、水野としては一生付き合っていく仲なのだ。何とか利き手には機嫌を直してほしい、と心から願う。

    「……それでもせんといけん、だるいでなあ」

     誰に放ったたわけでもない、訛りのある独り言がふかふかの枕に消えていく。
     ……沈黙。

     諦めがついたのか、水野はぼさぼさの髪を梳き、誰に見られても不快感を与えない程度の軽装へ着替え、新居であるマンションを出た。お気に入りの喫茶店のモーニングが待っている。

     店へ到着すると、二人用の席へ通された。注文は事前に決めていたので、ブレンドコーヒーとモーニングのセットを店員へ伝えた。ふわふわのパン、香りづけのバター、そしてちょっぴり舌の根を刺激してくれるコーヒー。朝からコーヒー一杯でこんなにも素敵な朝食を食べられるのは、とても素晴らしいことだと思う。さくふわのパンをぺろりと平らげ、コーヒー以外の皿を下げてもらうと、水野はiPadを取り出し、描画アプリを起動した。

     時刻は十時三十分頃。来店から1時間ほど経つだろうか、カップの中身がほとんどなくなりかけていた。店内も少し混み始めてきたが、水野はもう少し居座るつもりである。さも気が付いていない素振りでコーヒーをおかわりすべく、呼出ボタンを押したのだ、が。

    「相席、ですか」

     モーニングセットを希望している客が、何組か外で並んでいるらしい。店内をサッと見渡せば、いくつか座れる席がある。そこも含め、水野の向かいの席にも案内したいのだろう。

     え、普通に嫌なんですけど。
     と、喉まででかかった言葉をぎゅっと飲み込み、「あ、はい、どうぞ」と愛想笑いで対応したのが、今後の運命を変えることになろうとは誰が予想できるだろうか。

    「すみません、お邪魔します~」

     きんぱつグラサンの おとこが しょうぶを しかけてきた! ▼
     一瞬だがそういうテロップが見えてしまったのは、恐らく引越し疲れとスランプによるストレスが原因だろう。何故、よりによって、この席にこのタイプ(見た目)の人間を連れてきたのか。もしかして水野の見た目が文句を言ってこないような人間だとでも思ったのか。生憎こんな男を注文した覚えはない。

     男は水野の正面に着席すると、店員に注文を伝えずスマホを触りだした。液晶に指を滑らせ微かに聞こえるコロコロカチャカチャという音に、ドラゴンと宝石がテーマのパズルゲームをプレイしていることが分かる。しかしいつまで経っても男は呼出ボタンを押そうとしない。

    「注文、しないんですか?」

     水野は思わず声をかけてしまった。
     一度、瞬き。下方向へ向けられていた視線が、ゆっくりと水野へ向けられる、が。

    「ああ、外で待っとる間に済ませてんねん。春先やからってまだ冷えるしせっかく食べに来てくれたのにスミマセン~ってなあ。いや、あの店員さんめっちゃ良い人やったわ。しかしえらい待つんやな、ここ。昼のマクドみたいやん。散歩ついでに入っただけやけどまあ適当になんか食べて帰ろか、な……って俺めっちゃタメ口で喋っとる!? 嘘ォ! わざとちゃうねん!」

     マシンガンを撃ち込まれてたような感覚だった。
     男は僅かな焦りを打ち消すように、ワハハと少し大げさに笑っている。初対面の人間にこんなペラペラ喋る人間が居るのだろうか。……否、もしかするとこれが大阪の特徴かもしれない、と水野は無理やり納得した。

    「いやほんっっっまにわざとちゃうから!」

     男はとにかく声が大きかった。頼むから静かにしてくれ、と水野が心で念じるも、それは全く届かない。他の客よりも身体が大きいので、ちょっとの動作が大振りに見えて仕方がない。随分と慣れた様子で顔の前に手を合わせると、小さく首をかしげて「聞いてる?」と顔を覗かせている。若干声のボリュームは落としてはいるのだが、それは可愛いと思ってやっているのだろうか。今を時めくアイドルがすれば黄色い歓声が出るような、それを。

     そんな男を一瞥し、水野は目線を手元の液晶へ下げ「あ、はい」とぶっきらぼうに答える。男の姿は視界には入っていないが、少し不服そうな顔をしている──ような気がする。

    気を取り直し、ペンシルを握る手に力を込めた時だ。男が注文したであろうモーニングセットが到着した。真っ黒なサングラスを外すと、サッと黒縁眼鏡を装着した。

    「グラサンやとよお見えんし」

    と、独り言を言いながら。
    時刻は十時四十五分頃、朝食とも昼食とも言えない微妙なタイミングである。食事が始まればそちらに意識が行くだろうと、水野はわずかに肩の力を抜いた。

    「いただきまあす」
    「あち」
    「もうちょい冷ました方がええか」
    「お、めっちゃふわふわやん」
    「玉子ペースト舐めとったわ、うま」
    「野菜もシャキっとしとるなあ」
    「え、この豆頼んでへんけど。サービス?」

     口を閉じたら死ぬのだろうか、が率直な感想である。
     ペンを持ってから数分が経過したが、男は何かを口に運ぶたびにコメントを残している。水野はというと、作業のために頭を少し下げているのだが、前髪とタブレットの淵の間から男の指の動きが僅かだが見えてしまっている。カップの底が浮いたかと思えばすぐに机に戻り、集めのトーストを半分に割く指先や、玉子ペーストとサラダをつつくフォーク。それらの動きが全て副音声付きで耳に入ってくるのだ。一般人なら情報量が多すぎて正気を保てられるかどうか。──もしかしたら大阪府民はそうでないかもしれないが。

     最後の豆菓子への疑問は誰への問いかけなのだろうか、明らかに水野へ向けられたものではないことは確かである。
     すると水野の視界ににゅっ、と僅かにごつごつした指が豆菓子付きで入ってきた。

    「気分ちゃうし、あんたにやるわ」
    「──は、」

     突然のことで、思わず僅かに顔を視線を上げてしまった。するとそこには、まるで悪戯が成功した子供のような、何とも無邪気な顔の男がこちらを真っ直ぐに見ていた。

    「やっとこっち見た。何で無視すんねん」
    「……もしかして今まで話しかけてたんですか」
    「自分以外に誰がおるん」

     警戒を含んだ問いに、男はフッフ、と独特な笑いをこぼしながら、そろそろ適温になって来たであろうコーヒーを一口飲んで続けた。

    「せっかく相席になったんやから、楽しくご飯食べようや」
    「《相席》、間違いじゃありませんか。生憎ここはアルコールは出ませんよ」

     それに私の食事は既に終えていますし。そう答えると、男は目を真ん丸にして、そして少し間を置いてから水野へ問いかけた。

    「え、そういうところ行ったことあるん?見えんわ」
    「いや知識としてあるだけですけど。それにさっきから馴れ馴れしい感じで喋るのやめてくれませんか」
    「ええやん別に」
    「良くないです」

     嫌悪感から話すスピードが速くなる感覚を覚えたが、コミュ障が口ごもっているだけに過ぎない。間髪入れずに拒絶すると男の口が止まり、僅かにムッとした表情になった。少し前まで楽しくご飯を食べよう、と言っていたのはどこの誰だったか。可能であればそのまま喋らないでいてほしい、と水野は今日で何度目かの願いを心の中で念じた。

     iPadの画面の上に置かれた豆菓子を机の脇に寄せ、水野は再び顔と目線を下げペンを動かす。ペンシル──もとい腕を無理矢理に走らせ、適当な人間の形になる《元》をいくつか作っていく。何となく全身やバストアップの直立や側面を描いてみるものの、軸となる線をなかなか上手く引くことができない。やはりスランプはそう易々と脱出できるものではないらしい。
     ため息がひとつ出たところで。

    「何してんの?」
    「……」
    「それって絵描いてるん?」
    「…………」
    「見―してー」

     なあなあ、と首を傾げながら男が交渉してくる。ひとまず無視を決め込むも、画面の縁に男の指がかかったのでペン先で少し強めに突いて引っ込ませる。「何すんじゃ」と文句が聞こえた気がしたが、それでも水野は無視を続けるつもりだった。

    「上手あ‼ プロが描いてるみたいやん!」

     ──隣から男の声が聞こえてくるまでは。

    「ちょっと、」
    「へえー、こんなんなるんや。あ、これYouTubeで見たことあるわ。レイヤーってやつ」

     そうして水野が二度瞬きをする間には、手元からiPad本体が消えていた。そう、するりと男に奪い取られたのである。流石にこの行動には水野も冷や汗をかいた。もし、とそんな焦りと不安を抱えた。男は特に何も問題に思っていないようで、返す素振りが見られない。

    「か、返してください。それ、冗談じゃ済まないです」
    「うんうん、気が向いたら」
    「それ絶対に返ってこないやつでは、──っ!」

     と、言い終えたその時、見事にフラグが回収された。


         ◇・◇・◇


    「本当にすみませんでした」

     それまで流暢な関西弁で喋っていたはずのその男は、今や水野の斜め後ろでしおらしくしている。関西弁鉛の人間が急に標準語で喋ることでこんなにも気味悪く感じたのは、水野の人生でそう何回もないかもしれない。発音も関西のそれが混じっているので、ちょっぴりおかしなことになっている。

     沢山の喋り声と足音、そして軽快なBGM。そう、二人は駅前にある某家電量販店へと訪れていた──iPadを購入するために。

     水野のiPadは見事、斜め後ろに立つこの男によって《うっかり手を滑らせて落とされてしまった》。液晶はひび割れ、画面の半分が緑色のノイズに覆われてしまい、ついには電源ボタンも何を押しても反応しない。つまりはご臨終である。
    悲鳴とはいかないが思わず出てしまった「あ…」というか細い落胆の声に、水野は自分で発声しておきながらも驚いた。こんな声が出たのか、と。そんな彼女の様子に、男は流石に狼狽えた。弁償する、なんぼ、と今にも泣きだしそうな顔の男の発言を、水野は聞き逃さなかった。言質である。しかし、まさか家電一式を買いそろえるため数日前に訪れたこの場所へ、再度訪れることになるなど誰が予想できただろうか。

    「──あのほんまに、」
    「もういいですから。私が、もう少し社交的な態度で居られたら、未然に防げたのかもしれませんし。いますよね、心と体が比例して成長していない人間」
    「それ遠回しに俺のことディスってる?」

     いや別に、と小さく返事をし、水野はエスカレーターへ足を踏み出した。自分のことを言っただけなのだが、何か気に障っただろうか。
     少しムッとした表情に変わったのを後頭部で感じながら、地下一階のPC用品エリアに到達した。

     すると水野は男を置いて真っ直ぐAppleショップへと突き進む。店内を知り尽くしているわけではなかったが、天井から吊り下がっている案内板や床に敷かれている矢印等をサッと確認し、とにかく速足で日曜日の人混みをかいくぐった。後ろから「え、ちょお、早⁉」と声が聞こえてくるが、気に留めることはない。

     ずんずんと効果音が聞こえそうなほどの勢いだったからか、いらっしゃいませと引き気味に挨拶をしてきた店員の横を通り抜け、目当ての商品の前で急ブレーキをかける。つい最近出たばかりの最新機種iPadの前だ。丁度良く近くにいた店員に素早く話しかける。

    「すみませんこれください」
    「え! あ、ありがとうございます!?」
    「ちょお待てえ! おま、速いんじゃ!」

     取引が完了されようとしたところで、例の男が文句を垂れながら遅れてやってきた。癖のある関西弁に、じとりとした視線をぶつける。──ふと、疑問に思った。水野は歩幅が決して大きい方ではない。先ほどは早歩きで移動していただけなのだが、同じスタート地点からゴールまで、こうもラグがあるものだろうか。……いや、まさかとは思うが。

    「迷子ですか」
    「ちゃうわ。お前がちっさすぎて見失ったんや。どんどん人混みん中に入りよって……!」

     本日は日曜日ということもあり、随分とにぎやかである。先ほど迷子のアナウンスが流れたほどなので、相当な混み具合であることがわかる。
     ……でもそんなに小さいか? せいぜい十五センチ位だろう。
     思っていたことは無意識に声に出ていたようで、頭上から「ハア?」と低い声が降ってきた。

    「俺、一八七センチ。お前、せいぜい一六〇センチ。二十センチ以上の差。分かる?」
    「片言で会話を続けると脳細胞が少しずつ死滅していくそうですよ」
    「うっそお⁉」
    「噓です」

     ぼそぼそとした声に対し後ろからやいのやいのと野次が飛んでくるが、水野は店員から製品の説明を聞くことにした。大事な相棒を破壊されたのだ、これくらいは許してほしいと思う。

     店員からバインダーを受け取ると、そこには諸々の契約書が挟まれていた。ざっと目を通し、以前購入した際とほとんど内容が変わりがないものである事を確認する。ところどころに丸印をつけ、男へバインダーを差し出した。

    「何やこれ?」
    「購入時の契約書です。壊れた時のサポートや、購入することに異議はないかとか。……あ、ここ。私が丸つけた所にだけサインお願いします」
    「え、俺が書いてええの?」
    「……購入者が書かないと意味がないですよね」
    「あ、うん」

     自分でも信じられないくらいの冷たい声が出た。単に呆れているだけなのだが。きょとんとして質問をしてきた男がすぐさましゅんと目を伏せた。
     男はさらさらとサインを済ませ、財布からクレジットカードを取り出し、バインダーと一緒に店員へ手渡す。少ししてからスタッフが紙袋と領収書を持って戻って来た。金額は特に確認していないが、返ってきた領収書を見て「オオ……」と嘆く男の声が隣から聞こえてくる。

    「すみません、買っていただいて」
    「絶対思ってへんわそれ」

     それは恐らく気のせいである。じとりと向けられる視線もお構いなしに、水野は新品のiPadが入った紙袋を愛おしそうに撫でた。事故で壊されたものだが、こうして無事弁償して貰ったので結果オーライという形である。これで二人の目標は達成された。

     ざわざわ──ざわり。
     地下もやはり店の一部であることに変わりはなく、沢山の喋り声と足音が大きくなってきた気がする。それにいち早く気が付いたのはこの男で。

    「……も、出よか。こんなとこ長く居るもんとちゃうで」

     男は胸元のショルダーバッグから小さく折りたたまれたハットを取り出し被った。水野には数万円分の事故と弁償を済ませたせいか、男に疲労が溜まっているかのように見えた。とん、と背中を押された水野は外に出るべく、男はその影を隠すように斜め後ろに立って混雑の中をゆっくりと進んだ。

     エスカレーターで地上へと進む──が、上手く進みたい方向へ行くことができない。地元ではそもそもこんなにも人がいるわけではないので休日の都会は恐ろしい、と改めて実感する。イオンやジャスコもこんな風に込み合ったことがあっただろうか(地元比)。

     それよりもどんどん違う方向へ向かって行っているように思えるのだが。まるで魚群の様な人の群れに自動的にフロアを流される中、天井から吊り下げられた案内板に《左折:ユニクロ/直進:連絡通路》と表記されているのが見えた。もしかしたら、と思うのと同じタイミングで、水野はぐいっと強めに腕を引っ張られ、人混みから抜け出た。

    「これ(群れ)全然ちがうとこ行くやつやん」

     息苦しさから解放され思わず大きく息をつくと、またしても頭上から声が降ってきた。

    「帰り電車ならこっちやで」

     腕とも肘とも言えないような箇所を大きな手で掴まれたまま、連行されるかのようにぐいぐいと本来の道へ引っ張られる。「御堂筋? 阪急? JR? まあ全部いったんこっちなんやけど」と矢継ぎ早に出てくる言葉に、うまく反応することができない。というよりそもそも話すスピードが速すぎる。この男が、という訳ではない、大阪に着いてから誰の話を聞いても映画やドラマ一・五倍速で流しているような感覚なのだ。ついていくことが難しい上に頑張って回答しようとするもその前に次の話題が始まってしまう。悲しいことに。

    「私、帰る方向教えましたっけ」
    「いやなんとなくやけど、合ってた?」

     一瞬だけ間が空いたことを狙って水質問を投げかけるも、何とも中途半端な回答が返ってきた。「あ、はい……まあ」とどもりながら水野も返した。

     それからまた歩き出す。男はこの家電量販店の迷宮マップを大まかに把握している様子だった。たまに小さな人の群れと衝突しそうになることもあったが、先ほどの窮屈な空間とは異なる開放的な道のりを歩いている。数時間前に人の大切なものをうっかりで破壊した人間も、真っ直ぐに歩くことができるのかと思うと、感動を覚えた。

     それにしてもいつまで水野の腕を握っているのだろうか。手ではなく腕であることにホッとしているのだが一体どういうつもりかと、左側に立つ男の顔を、水野は斜め下から目だけを動かして覗き見た。そういえばコメダにいた時、iPadを取り戻そうと水野はタブレットに手を伸ばしたのだが。その際、眼鏡の隙間から見えた素顔に何故か気後れしてしまい、思わず手を引っ込めてしまったのだ。思えば、今回の事故は半分は自分に非があるかもしれない。今見上げる顔も、何となく、見覚えのある──。

    「何?」

     そんなことを考えていると、ばちっと目が合ってしまった。

    「えっ」
    「盗み見すんなら請求すんで」
    「え、え」
    「いちおくまんえんになります~」

     左手を差し出しぶらぶらと手を揺らす様子に、水野はついに黙り込んだ。捕まれていた手をそっと振りほどく。この迷宮から出るまでの間、ずっとこの調子でうざ絡みをされるのかと思うと、じりじりと眉間に力が入っていくのを感じる。「あー……冗談」と気まずそうな声が聞こえた。

     テレビコーナーの付近まで来ると、男は前方を指差し「もうちょいやな」と出口があることを伝えた。これで無事お別れかと思うも、そういえば購入書類一式を手渡されていないことに気が付いた。

    「あの、書類とかって」
    「ん?」
    「さっき買った時の書類、貰ってもいいですか? 今後何かに使う可能性もありますし……」
    「あかん」

     驚いたのは、まさか拒否の言葉が出てきたことだった。先ほどの冗談の延長線の様な穏やかな声色で返ってきたことも含めて。

    「えっと」
    「あかんねん、その。一身上の都合っちゅうか」

     一身上の都合とはなんだ。それによく見ると目がキョロキョロと動いているし明らかに挙動不審である。
     ──怪しい。

    「……初対面で仕事の道具を壊されてその日のうちに弁償してくれた人の名前くらい覚えておこうかなと」
    「それはほんまにご迷惑をおかけしまして」

     自分自身の表情は分からないが、恐らく虫でも見るような目をしているのだと本人は思う。目の前の男は肩を落とし背を少し丸め、しょんぼりとしていた。
     適当なタイミングで話しかけたせいか、立ち止まったのは先日店員におすすめされた大画面の液晶テレビがずらりと並んでいる前だった。宣伝用なのか、同じような映像が何回かに和当たりループ再生されている。

    「何か不都合でも?」
    「あんまり名前とか書いてるもんを渡すの、あかんねん。悪用とかされ──」
    「すると思います?」
    「思わへんけどお……」

     今までとは様子がおかしい男に、水野はやれやれと言わんばかりに鞄の中から名刺ケースを取り出し、その中の一枚を差し出した。同人イベントで作成したものを少し改良したもので、打ち合わせ等を行う際に初対面の人間に渡したりしている。営業職に就いている人間と比べるとそこまでの枚数は入っていないが。年に一度、渡すか渡さないかの程度である。担当編集からは「ガチャの星5ってことですね」と言われたが、そこまでのレアリティはないと思う。

    「《水野たまき》……イラストレーター兼漫画家、ポートフォリオ用QRコード、ご依頼はこちらから」
    「全部読み上げますか普通」
    「作家さんやったんか⁉ へえ~これペンネームってやつ⁉」

     お菓子をもらった子供のように目尻を下げにこにことしている様子に、思わずだが可愛らしさを感じてしまう。今日は朝から散々だったが、こういった営業もどきもたまにはいいかもしれないと水野は思う。誰だって感嘆の声をもらうと、気分がよくなるものだ。

    「いや本名です。別の名前考えるの面倒で」
    「ほな《たまちゃん》か」

     訂正、気分が悪い。誰がペットの様な愛称で呼んでいいと言ったのだ。
     ふうんそおか成る程な、と渡した名刺をじっくりと眺めた後、男は財布の中へしまい込んだ。大事なものでも入れたかのように、ぽんぽんと優しく撫でている。

    「名刺なあ、俺は生憎持ってへんけど……作家さんなら別にええか。書類とかはやっぱり渡せへんけど、なんか故障したら俺んとこ連絡してや」
    「えっと書類だけで」
    「メモするもんある?」
    「え……はい、メモアプリなら」
    「ほなそれ貸して」

     流されたような、気がする。喋るのも反応も遅い自分が悪かっただけか。
    直接打ち込むのだろうか、ん、と男は手を出してきた。それを察してメモアプリを開き、流れのままスマホを渡すと、

    「いや無防備すぎやろ、これ持っといて」

    と、男は財布を無理やり水野へ手渡した。喋りながら画面をタップしていく。

    「さては田舎から来た都会初心者さんやな。そのままパクられても知らんけど、他の奴にはやったらあかんよ……ほい」

     的確に当てられたことに、正直驚いた。もしかすると水野の今までの行動に、どこか田舎臭いものがあったかもしれない。
     スマホを受け取り画面を確認すると、メモアプリではなく何故かLINEのトーク画面へと変わっていた。トークの宛先は『MA』とイニシャルで表示されている。


     宮侑 みやあつむ
     よろしく!(*^-^*)


     少しもじもじしながら反応を待っている男へ、水野は勝手に送信されたメッセージ内容を読み上げた。

    「みや、あつむ」
    「フッフ」
    「……じゃあまた何かあればご連絡ください」
    「そうそうほなまたどこかでってオイ! そこめっちゃ驚くとこ!」

     ぺこりと頭を下げると、元気なノリツッコミが降ってきた。おおこれが本場のノリツッコミ。これには表情があまり動かない水野もわずかに口角を上げてしまう。

    「何笑ってん」

     ドスのきいた声が聞こえたのでスンと表情を元に戻した。男は困惑と戸惑いを混ぜたよくわからない顔で水野へ問いかける。

    「え、もっとなんか言うことないん? ほら!」
    「お疲れさまでした?」
    「きっつ……それほんまに言うてんの? 真面目なん? テレビとか見いひんの?」

     ついに男は眉間にしわを寄せ、ぎりぎりと歯ぎしりを始めた。大変申し訳ないのだが、水野には何を伝えたいのかが理解できなかった。

     水野自身は作家という肩書があるため先ほどの様な名刺を渡したが、目の前にいる男──宮侑は、水野の脳内データベースの検索にヒットしない。先ほどからの挙動とテレビを見ないのかという発言から、もしかして芸能人なのではないかと推測できる。
    真横に陳列されている液晶に、録画されたであろうニュース映像が流れ込む。気まずくなりつつも、それを誤魔化すためそれに目線を逸らしつつ水野は謝罪した。

    「すみません、私あんまりテレビ見なくて」
    「YouTube派なんです~ってか⁉ 最近の奴は地上波やなくて実況だの企画もんしか興味ないもんな──あ、」

    『目標と自己肯定感が高くないと、最高のプレーはできません』

     聞き覚えがあるフレーズに、水野は反射的に顔を液晶へ向けてしまった。画面の中で、スポーツ選手がインタビューを受けているところである。ツーブロックの金髪に、少し太めの黒い眉、そして記者からの質問に返す独特な関西弁。その人物は、まさしく先ほどまで自分と話をしていた男で。

    「ほら、これ、俺やで!」

     周りの雑音にかき消されないできる限りの小声で、宮侑は水野へと話しかける。
     テロップには《ベストセッター賞受賞! MSBY宮侑選手》と書かれている。そして何度か記者とトークを行った後、もう一度同じシーンが映し出された。

    『目標と自己肯定感が高くないと──』

    「これちょっと前に撮ったやつやねん。めっちゃ顔の映りええしいつものイケメン度が倍増っちゅーか、こんなん画質のええテレビに映ったら最高やんって気付いてな!」

     ここの店員高校ん時の後輩おるから流してやって頼んだんや。随分と昔のように懐かしみ、笑顔で語りかけてくる侑を、水野は直視できなかった。反応もできない、ただ、画面から聞こえてくる《宮侑選手》のインタビューを見るだけだった。

     ばくばくと跳ねる心臓を握りこぶしを作ることでそちらへ意識を逸らす。初めてあの喫茶店で会った時から苦手なタイプだとは思っていたが──まさかこんなにも苦手なタイプに当てはまる人間が目の前に現れようとは!
    「ビックリしたやろ! ここだけの話、あんまり連絡先教えたらあかんねん。黙っとってなあ、たまちゃん」

     画面からループして聞こえてくる宮侑のコメントが、さらに水野の心臓をきゅうと締め付けた。それがどうしても、自分の今のステータスと比較してしまう。スランプという状態異常があることも含めて。

     通常の人間ならスポーツ選手に出逢えば、その界隈に興味がなくても知人に自慢したくなるような気持になることだろう。ラッキー、嬉しい、こんなことってあるんだ。しかもこのイケメンに出逢ってしまったのなら尚更。
     ──陽キャの中でも更に有名人で前向き過ぎるコメントをしている男が今目の前にいる。

     画面の向こうだけだったなら、よかったのに。
     そんな侑を見ることができない。無意識に、目の前にいる何も失敗したことがないであろう男と自分を比べてしまった。先日胸に抱いたむかむかとした気持ちは恐らく、いやきっと出会う前から直感で思ってしまっていたのだ。

     この男が大嫌いだと。



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    uuu_riko

    PROGRESS10月スパークのアツム夢本冒頭。以前支部に載せてたやつの一部を修正したもの。陽キャ嫌いの漫画家夢主とアツムが最終的にくっつく話
    線引きができない話(仮)『目標と自己肯定感が高くないと、最高のプレーはできません』

     勿論反省も踏まえてですが、とモニターの向こう側にいる男性が付け足した。

     春先というにはまだ少し肌寒く、時折吹く風が頬を刺激する、そんな季節。就職と自己都合の理由で地方からの引っ越しが終わり、水野たまきは新しい家電を迎えるべく、都会で知らない者はいない名前の家電量販店に来ていた。実は地元では一件も店舗が展開されていないのだが、何故こうも大手家電量販店には『カメラ』と名がつくのだろうか。風の音以上にざわめく人の声と足音、それを軽快なBGMを聞き流しながら、水野はぼんやりとテレビコーナーの前で立ち止まっていた。

     実家を巣立ってからは大学の学生寮、卒業からの就職、一身上の都合による転職、転職、そしてまた転職。たまに引っ越しを挟み、また転職。多くはアルバイトや派遣社員としての勤務だが、面接へ向かうたびに思うのは、『次よりもいい暮らしをしよう』である。社会人経験を経て数年、水野はようやく『ここ』まで辿り着くことができた。
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