お姫様抱っこしたくて仕方ない嫉妬しい千切の話
「おい!今日の試合の!!あれ!なんだよ!!」
家に帰るなり、愛する人に大きな声で怒鳴られ、俺は呆気に取られる。ここはまだ玄関で、靴を脱いですらいない。10cm高い位置で仁王立ちしている恋人は、荷物を受け取ってくれる気配もない。
「なんだったんだって、聞いてるんだよ」
正面から押され、ドアに体がぶつかる。近づいてきた千切にいわゆる顎クイをされ、俯かせていた視線を無理やり上げさせられる。千切は怒りを隠そうともせず、俺を睨んでいる。
「あれって言われても、わかんねぇ」
目を逸らしたいけれど、手は塞がっているしドアと千切に挟まれて体を動かすことが出来ない。
今日一日を振り返ってみても、千切に謝罪しなくてはいけないような反省点は思い当たらない。ホームでの試合、満員御礼、自分の所属するチームカラーが過半数を占めるスタジアム。点こそ決められなかったものの、2アシストは褒められても良いのではないだろうか。よしよししてくれとは言わない。けれども、よく頑張ったな、くらいは言ってもらえると思って家に帰ってきたというのに。
「なぁ、マジでわかんねぇの?俺がこんなに怒ることなんて、一つしかないだろ」
胸がグジグジと痛む。本当は、心当たりがある。
「ベタベタペタペタ他人に触られやがって」
千切はどうも、人が俺に触るのをよく思わないようなのだ。女でも、男でも。ブルーロック時代の仲の良いメンバーなら、まだオッケーらしい。たとえば蜂楽当たりがジャレ付いてきても、むしろ微笑ましそうに目を細めてこちらを眺めていたりする。けれども、大抵の人間はアウトだ。部位や状況にもよるようだけれど、本人が制御できなくなるほど千切は怒り狂う。その日の夜はすごく虐められる。きっと今夜も眠らせてもらえない。胃がどんどん重くなる。
「悪かった」
俺をいつも慕ってくれているその後輩は、ゴールポストにボールを押し込んだことを確認するや否やこちらを振り返り、まっすぐ俺の方に走ってきた。俺は腕を広げる。千切判定、ハグはセーフだから。しかしあろうことかそいつは、
「お姫様抱っこされてたなぁ?なぁ?」
ぶつかる寸前、あいつは少し屈んで視界から消えた。次の瞬間、俺を横抱きにして、クルクルと廻り始めたのだ。俺よりも体格の小さい、しかもかなり年下の後輩が俺をお姫様抱っこでフィールドを駆け回るゴールパフォーマンスに、サポーターたちは湧きに沸いていた。相手チームのサポーターからも笑いが起こっているようだった。会場全体が楽しそうにしているというのに、後輩の腕の中、あの場でただ一人俺だけが冷や汗をかいて青ざめていた。カメラの向こう側、テレビの画面越しにこの光景を見ているであろう恋人を想像して。
「俺の、俺だけのお姫様なのに……!」
「……俺はヒーローだ、千切」
意味のない訂正をする。というかもう俺の言葉なんて聞こえていなさそう。
「千切?」
千切がブツブツと何事か呟く。
「千切ー千切お嬢様ー、お嬢?ってうお!!」
次の瞬間、重力が消えたような錯覚。この感覚は数時間前に感じたばかりの、
「ちぎ!!ちぎり!!!やめろ!降ろせ!!」
本日2回目のお姫様抱っこだった。
「やめろ!千切!!」
「落ちたくなかったらしっかり捕まっておけよ」
千切はそのまま部屋の奥へと進んでいく。急いで荷物を廊下に落とすが、その時に本当に落とされそうになったため、慌てて千切にしがみついた。俺の首すじに、千切の吐息がかかって、勝手に体がびくつく。それを面白がって、千切が徒に耳を噛んできた。もう早く寝室につけ!なんっでこの家は無駄に広いんだ!!心の中で、それこそ無駄な絶叫を繰り返す。
寝室の引き戸を、千切は簡単に開けた。なんで寝室だけ引き戸なんだろう?とずっと疑問だった。多分こういう時のために引き戸にしたんだ。千切は。
てっきりベッドに投げられると思ったのに、さっさと投げてくれと思ったのに、千切はベッドの前まで来ても俺を抱えたままだった。
「ち、千切?」
「一刻も早く下ろしてほしいって考えてるんだろ」
それはそうだろ。
「俺の足が心配だから?」
俺は小さく頷く。震えているだけのように見えたかも。部屋、真っ暗だし。
「俺が何度抱っこしたいって言っても、嫌がるくせに」
「当たり前だろ!?俺みたいなでかい男、どれだけ足に負担かかると思ってるんだ!それにこんなこと、なんの意味もな、」
喋っている途中で「よっ」と片手で抱え直される。千切は空いた片手を使ってリモコンを取り、部屋のあかりを点けた。この綺麗な見た目でこんなに力持ちって、もはや詐欺だ。じゃなくて、
「それに、こんなことに、なんの意味もないだろう?」
女の子扱いしたいなら、そういう相手を選べよ、とは絶対口から出せない。けれども、もしかしたらいつか言ってしまうかも。女の子と幸せになってくれ、って。無理。辛い。
「意味なら、ある」
千切の顔を見る。うわ、顔ちっかい!顔ちっさ!顔がいい!
「こんなに可愛いお前を、こんなに近くで見れる。しかも俺の足を心配して、頭の中俺のことでいっぱいなんだろ?」
最高、と言って笑う。千切は俺の頬に頬ずりしてくれる。あ、機嫌直ったっぽい。
「もう絶対誰にも触らせないって約束するなら、下ろしてやるよ」
絶対、は無理だな。そもそもサッカーをやっている限り、体が接触することを避けられるわけがない。と思いつつ、頷く。何回も首を縦に振る。
「いい子だ」っておでこにキスをして、静かにベッドに降ろされた。
「今日の試合、すごく良かった」
「真っ先にそれを言えよ!不安になる!」
「お前がカッコよくて気分よかったのに、知らねぇやつにあんなこと許してるから」
「?千切、こないだあいつに会っただろ?一緒にサッカーしたし、飲みにも行った」
「そういうことじゃねぇよ!」
そういうことじゃねぇんだよなぁ……また千切の顔が曇り始めたから、機嫌を取るように慌てて千切の長い綺麗な髪をすく。
「お前は俺だけにそうしてればいいんだよ」
「暴君」
思わず笑ってしまう。千切が布団に乗り上げて、俺を押しつぶす。やば、軽くシャワー浴びただけだから。俺汗臭いかも。
「冗談じゃねぇんだよ。なぁ。俺だけ。お前に触れるのも、可愛い顔見せるのも、俺だけにしてくれ」
俺だけ、一緒にいて、どこにも行かないで、繰り返しながら俺を抱きしめてくる。
「俺で、よければ」
千切が笑っている。ずっと。そうだな。一緒に。お前が飽きるまで。