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    tamasiro64_55

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    tamasiro64_55

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    天上楽土の、(途中)弟が生まれたと同時に俺は番を手に入れた。

    天竜人。それは天に座す人ならざる存在。神そのもの。
    そんな種族に生まれ、優しく美しい母、穏やかで博識な父に育まれ、神として生きる。そんな生に不満などあるものではない。
    無い筈であるのに何か足りない、欠けた様に感じていたことに気付いたのはその二年後、己の弟が生まれた事によってその空虚さを知った。
    「ドフィ、貴方の弟よ」
     穏やかに、嫋やかに、母が微笑む。腕の中に小さな小さな、生まれたばかりの赤子を抱えて。
     ほにゃほにゃと泣くその姿は、己と同じ神に座す天竜人とは思えない。
     だが、これは己のものだ。己が待ち望んでいたものなのだ。
    「守ってあげてね、ロシナンテを」
     ね、お兄ちゃん、と柔らかな口調で告げられる。弟。己のたった一人の弟。だが、それだけではないと、本能が叫んでいた。
    「ロシ、ナンテ……」
     ロシナンテ、ロシィ、貴種である己の同種。そして、これは、この弟は、己の「番」であるのだ。
    「ロシィ……ロシィ!」
     母の腕の中で猫の子の様に鳴き続ける弟を母から譲り受け、己の腕の中に閉じ込める。
     己の、アルファである己の運命の番。父も、母も、いまだ気付いていないだろうが、己には理解できた。アルファであり、「運命の番」である己には。
     生まれたばかりで性分化もまだ済んでいない弟ではあるが、己は齢二つで運命を手に入れたのだ。
    「俺の、ロシィ!」
     柔らかな頬に己の頬を摺り寄せれば、父母は微笑ましそうに笑っていた。
     己が手に入れた重大さに何も気付かず、優しい子だ、と笑っていた。

    ※※※

     男女という性の外、第二の性というものが存在していた。
    一つはアルファ。支配者と言われるにふさわしい存在。高いカリスマ性や地位を持ち、性別など関係なく孕ませることが可能な種。
    もう一つはベータ。所謂中間種。人口の大多数を占める。
    そして最後にアルファ。繁殖に特化した性。アルファ、ベータ関係なく、精を注がれればたとえ男であろうと孕むことが可能な種。それ故、孕み袋と見下される事もあり、未だ根深い差別が存在する生き辛い種でもある。
     ドフラミンゴはアルファとして生まれた。誇り高い天竜人という貴種であるとともに、成功が約束されたも同然のアルファ種なのだ。
    そう、ドフラミンゴの将来は約束されたも同然。その筈であった。
    父が、天竜人という種を捨てる迄はドフラミンゴの将来は薔薇色の未来が約束されていたのだ。そう、父は捨てたのだ。身分を。ひいては家族をも捨てたのだとドフラミンゴが悟るまで、あともう数年の時間を要した。
    「私達は人間になるんだよ、ドフィ」
     人間になる、そう父は言うけれど、ドフラミンゴはその意味が理解できない。
     だって、自分は天竜人という神で、その中でも一握りのアルファ性を持つのだから。それが人間になる?父は何を言っているのだろうか。下々民たる人間と、神たる自分。それは決してイコールにはならないのに。
     そんなドフラミンゴの内心を知らないのか、父はにこにこと嬉しそうに笑っている。
    「家族四人で慎ましく暮らすんだ」

    ※※※

     ドフラミンゴは地に降りて、初めて靴が汚れる事を知った。
     ドフラミンゴは地に降りて、初めて腹が減る事を知った。
     ドフラミンゴは地に降りて、初めて打たれると痛い事を知った。
    ドフラミンゴは地に降りて、初めて無力感というものを知った。
    ドフラミンゴは地に降りて、初めて生きる事が辛いのだと知った。
    何故俺がこんな目に合わなければいけないのかと怒りを覚える日々。そんな日々の中、癒しは己の番であるロシナンテだけだった。
    己が不満を抱えているのだ、それは同じ天から降り立った弟も同じであるはずだ、兄としてのプライドと、アルファとして、番を守ろうとする本能が悲鳴を上げる。
    ロシィ、ロシナンテ、俺の弟。俺の番。
    その体は未だ幼く、オメガとしての精も未だ目覚めていない故に自覚は薄い様だが「運命」というものは非常に強力だ。
    ほっそりとした首筋は頼りなくはかなげで、俺が守ってやらねばならない存在なのだと強く示しているが、同時にその魅力的な項に噛み付いて、名実ともに俺のものなのだと主張してしまいたくなる。少なくとも、そうしてしまえばロシナンテが俺以外の有象無象に番にされてしまう危険性は無くなるだろう。
    だが、まだ幼く、未成熟な体に歯を立て、証のその身に刻んでも、何の意味もない事は分かっていた。天の国で神として座していた頃はそれでも構わなかった。只弟の成長を見守っていればそれだけで己は妻を得られたのだが、地に堕ちた今、そんな悠長にしている暇はなかった。食う事すら碌に出来ず、元々細い体は益々やせ衰えていく。そんな姿を見て、アルファの本能が悲鳴を上げ、この身を苛む。
    巣を作り、子を育むのがオメガだ。そして、その巣を守るのがアルファである己の役目。それが果たされない現状に身を置くのはドフラミンゴにとって不本意でならない。
    「兄上……」
    「ロシィ」
     兄の険悪な雰囲気を察したのかロシナンテのいっそう細くなった腕がドフラミンゴの腰元に回される。
     小さく儚い、己の番。己の運命。蝶よ花よと称えられ、乳母日傘で育てられるはずだったというのに。碌な食事も取れず、ふくふくと柔らかで、薔薇色の頬っぺたはすっかりと窶れ幽鬼染みている。
     父はダメだ、ただ項垂れるだけで頼りにならない。母も駄目だ、慣れぬ環境に身を置いたせいか、すっかりと体を壊し、ベッドから起き上がれる日が日に日に少なくなっている。だから己がどうにかしなければいけないのだ。
    「大丈夫だ、ロシナンテ」
     不安そうな弟の身体を抱き寄せる。ぎゅう、と抱き締めたのならば折れてしまいそうな細い体を恐る恐ると。
    「俺がついている」
     そうだ、この弟には、番であるロシナンテには己がいるのだから。愛しい弟には父でも母でもなく、この己、ドフラミンゴしかいないのだから。

     ※※※

    生まれ始めて残飯を漁った。
    生まれて初めて嘔吐しながらそれを詰め込んだ。
     弟をこんな手段でしか食わせてやれないなど、臍を噛むような思いを味わいながら、それでもドフラミンゴは生きた。天竜人への恨みすべてををたった四人の一家へ肩代わりさせ、留飲を下げようとする街の住民達からの暴力に曝されながら。それを思えば、死んでしまった母は幾分か楽だったに違いないのではないだろうか。
     母の死を悲しく思う前に、そう考えてしまう程度に、ドフラミンゴは暴力を受けて来た。同じ様な目に合って尚、素直に母の死を悲しみ、悼む弟の慟哭の方が余程ドフラミンゴの心を揺さぶった。
     可哀想なロシー、まだたったの六つだというのに、母を失うなんて、恐ろしく、悲しいだろう。
     ドフラミンゴとて未だ十にも満たない年齢だというのに、不思議とそんな事ばかり浮かんでくるのだ。
     母の遺体に縋りつく弟の腹はくちているだろうか、住民達によって甚振られた傷口は膿んでいないだろうか、体に合っていない、襤褸切れと化した衣類は寒くないだろうか。それらが解消されてようやくドフラミンゴは母の死を悼めるのだ。それは番を得たアルファの本能。己のオメガが十全である、それがアルファの幸せなのだから。
    「兄上……兄上ぇ……」
     母上が、母上が、と咽び泣く愛しい弟の姿に胸が痛む。
    「ロシナンテ……」
     呆然と母の遺体を棒立ちで見詰めている父を放って、可哀想な程泣きじゃくる弟の傍らに駆け寄り抱き締める。温かい人肌に安心したのか、それともオメガの性に目覚めていないロシナンテも本能で、自分の運命を察しているのか、幾分か泣き声が落ち着いていく。
     ヒック、ヒックと上がる小さな泣き声と共に震える体を抱き締める。細く、小さな体を、未だドフラミンゴは力強く抱き締める事はない。
    「大丈夫、大丈夫だロシナンテ」
     鼻先で長い前髪を掻き分け、小さな額に口付ける。母が冷たい肉の塊になる前に、何度も己達にしてくれたような優しい口付けを。
    「お前には俺がいる」
     俺だけが、居る、という言葉はドフラミンゴの口内で溶かされ、飲み込まれていった。その代わりとばかりに何度も何度もロシナンテに口付ける。額だけではなく、瘦せた頬や首筋へ。
    「うぅ……あに、うぇ……ッ」
    「そう……俺がいるからな、ロシィ」
     ドフラミンゴの脳裏から父も、母も消えていた事に、ついぞ気付く事はなく、何度も何度もロシナンテに口付けていた。

    ※※※

     辛く苦しい生活であったが、それでもドフラミンゴは弟と共に生き延びていた。最初は住民達の暴力に怯えるだけだったが、最近は上手く逃げられる術も得た。だがドフラミンゴよりも幼く、ドジっ子であるロシナンテは兄の助けがなければ逃げきる事は難しい。
     ロシナンテは兄に迷惑をかける事を気にし、兄に庇われた為にできた傷を手当しながらしきりに謝罪を繰り返した。ごめんなさい、と弟が弱弱しく謝る度に、ドフラミンゴはその言葉を出さざるを得なくなった原因を憎まずにはいられなかった。
    「兄上、痛い? 痛いよね……」
     恐る恐る触れて来る柔らかな手はドフラミンゴに痛みより微笑ましさを与えた。
    「大丈夫だ、ロシィ。それよりお前は大丈夫か?」
     ドフラミンゴが負った傷は決して浅い物ではないが、深い物でもない。出血もとうに止まっている。肌にべったりと付着し、黒く変色しつつある血の跡は気持ちのいい物ではないが、この痛みを己の番が味わっていた方が余程不快だ。そんなドフラミンゴの想いを知らないロシナンテは目に見える程動揺している。与えられる暴虐には慣れたというのに、兄が傷つく事には未だ慣れようとしない弟の純粋さに、サングラス越しに笑みを向ける。その笑みがロシナンテの琴線に触れたのか、それとも碌に水すら手に入れにくい現状の所為か、弟は傷口に舌先を伸ばし、恐る恐るとそれに触れた。乾いた血の跡を唾液で湿らせ、ザリザリとこそげ落とすと、もう修復し始めている傷口に唇で優しく触れた。
     まるで祈りの様に柔らかく触れられて、ドフラミンゴは今すぐこの愛しい弟の項を噛んでしまいたくなる。
    「早く良くなりますように」
     おまじない、そう言って笑う弟の笑みは母に似ていた。穏やかで、嫋やかで、そして儚い笑み。本来であればその笑みに郷愁や憐憫を感じるのかもしれない。だがドフラミンゴがその時感じた物は、弟への情欲。やはりこいつは、ロシナンテは己のオメガなのだという確信。
    「ロシー……ロシナンテ……」
     この身に抱える欲を全て、この愛しいオメガに叩き付けたい。そしてそれを受け止めさせたい。凶暴なまでの想いがドフラミンゴの幼い体を駆け巡る。
     俺のロシナンテ、俺だけのロシナンテ!!父も母も、誰にも分け与える事は許されない、俺だけの愛しいオメガ。こんなにも愛しくて仕方ない存在がいるなんて、運命というものは恐ろしい。だが、この運命と出会えない事の方がもっと恐ろしい。
     溢れそうになる欲を抑えつけ、出来るだけ優しく、ありったけの理性を総動員して、触れるだけの優しい口付けをその唇へ落とした。
    「? 兄上? 僕其処怪我してないよ?」
    口付けの意味すら理解していない弟の微笑ましさに苦笑を溢す余裕もない。だが、キラキラとした瞳で、構ってもらえてうれしいと目で語る弟にこの情欲をぶつけるのは早いだろう。まだ。だが弟が、ロシナンテが。オメガとして成熟舌の名束、この凶暴的なまでの猛りを注ぎ込んでも文句はないだろう。自分は、優しい兄であり、夫でもあるのあから耐えてやろうではないか、この時は。
     だから、母の様に儚くなる事は許さない。その為にロシナンテは守らなければならないのだ、ドフラミンゴ以外の何物からも。
     舌を侵入させる事を我慢して、何度も何度も触れるだけの口付けを落とす。くすぐったそうに身を捩られても逃がさず、何度も。
    「んふふ、なぁに? 兄上」
     クフクフと笑うロシナンテは心底可愛らしく、愛おしい。弟だから可愛いのか、番だから愛おしいのか。その答えはきっと、省が言える事はないだろう。だがそれが何だというのだろうか。だって、この愛しくてたまらない弟は己のモノなのだから。
     それが運命なのだから。
     それだけが、ドフラミンゴの中で、輝かしい光を煌めき放っていた。

    ※※※

     天から落ちたとて、傍に番がいるこの生活は不便ではあったが何とか生きていく事が出来た。アルファとは、そういう生き物なのかもしれない。己の番であるオメガさえ傍に居れば、それが何よりの幸になる。それは天竜人であっても変わらない。けれどそれは、砂上の楼閣でしかなかったのだ。
     いつものように食料を求め、住人達に見つからない様に
    「いたぞッ! 天竜人のガキだッ!」
    「っ! 逃げるぞロシーッ!」
    「あ、兄上、あっ!」
     片手に食料を持って、もう片手で弟の手を掴みその場から逃げ出そうとするが、石にでも足を取られたのか、走りだそうとした勢いのまま転んでしまったロシナンテを起き上がらせようとした瞬間、後頭部と衝撃が走った。
     どうやら挟み撃ちにあったようだと気付く事はなく、あまりの衝撃に意識が飛ぶ。
    「兄上ッ! 兄上―っ!」
     弟の、ロシナンテの悲鳴が耳を打つ。そんな声、上げさせたくなどないのに。それを止める術もなく、ドフラミンゴの意識は白んでいく。

    ※※※

    「……ぅ……」
    みゃあみゃあと、子猫の泣き声が聞こえる。みゃあみゃあと、どこか甘い癖に、寂しそうな声。迷子の様でもあった。
    こんな鳴き声の猫ならば、弟が気に入るかもしれない。こんな劣悪な環境に居るのだ、心の慰めになるかもしれない。そう考えながら重い瞼をこじ開ける。
    「ろ、シィ……?」
     酷く頭が痛く、その痛みで自分が一体何をされたのか思い出す。そして同時にロシナンテの存在を。今すぐ起き上がって弟を見付け出さなくてはならないというのに体が言う事を聞かない。だが、探す必要はなかった。弟は、ロシナンテは、ドフラミンゴのすぐそばに居るのだから。
    「ギャンッ!」
    「ハハッ! よく跳ねる、なっ!」
     まるで獣の様な叫び。それ故に気付くのが遅れた。
    「ろし、なん、て……?」
     ドフラミンゴの呆然とした呟きは、この場において誰の耳にも入らないらしい。それほどまでに、男たちは熱狂していた。
     ドフラミンゴの最愛の弟を嬲る事に。
     ぽぉん、と跳ねる体をドフラミンゴは呆然とした気持ちで見詰めた。ぽぉん、ぽぉん、と、鞠のように跳ねる度に、げぅっ!ぎゃんっ!と、獣染みた叫びが上がる。今すぐこの下民どもから弟を救い出さねばならないというのに、先程受けた一撃は未だ重くドフラミンゴの身体を苛んでいる。だが、そんな事はどうでもいいのだと、必死で足に力を籠める。
     早く、早く、早くっ!早くロシナンテを助け出さなければ!兄として、アルファとして!そう痛い程本能が叫んでいるというのに、身体だけが言う事を聞いてくれない。
    「ぐ、ぅ……ッ」
     唇を噛みしめ、薄汚い地面に爪を立てる。爪先に鋭い痛みが走るが、今はそれもどこか遠く感じた。
     そんなドフラミンゴの様子に気付かないまま、男たちはなおヒートアップしていく。
     ロシナンテがげほりとひび割れた唇から血を吐きながら地にリバウンドすると、男たちは何を思ったのか目配せすると、今度は蹴りつけるのではなく、胸元を掴み引きずり上げた。
    「ぅ、うぅ……」
    「なぁ、こいつよぉ……」
    「あ、あぁ」
     ごくん、と、男たちの生唾を飲む音がいやに響いた。嫌な予感が脳裏に走る。不穏な予感にドフラミンゴの体に鳥肌が浮かんだ。
    「やめ……」
     思わず制止の声を上げるが、最早男たちの目にドフラミンゴの姿は映っていない。只、哀れがましいロシナンテの姿しか、男たちは見ていない。
    「へ、へへ……」
     下卑た笑いを溢しながら、男の手がロシナンテに向けられる。やけにべったりとした、獣欲染みた気配が弟に向けられている事に吐き気を催す。だがそんな己になど、欲に支配された男達が気が付く事はない。
    「くそっ、このガキ、妙にやべぇ匂いがしやがる……」
     ロシナンテの、白く細い項に、男の、唇が。その光景を目にした俺は、咄嗟に地面に転がる鉄パイプに手を伸ばす。ひしゃげ、妙な部分で折れたそれを男たちはドフラミンゴの頭部を叩き付けたのだろうが、そんな事を考える余裕などなかった。ただ、がむしゃらに、身体が動くまま拾い上げた鉄パイプを最愛の弟の体に群がる醜い獣の頭向かって横凪ぎに叩き付ける。
    「ぎゃっ!?」
    「な、て、テメェッ!?」
     ぐしゃっ、だか、ぼきっ、だとか音がしたが、気にせず握りしめたそれを叩き付ける。何度も、何度も。一瞬呆気に取られていた男だが、連れが何度も何度も打たれている間に冷静になった様で、ドフラミンゴを取り押さえようとするが、いつの間に緩めたのか、半端に脱いだズボンがその動きを阻害している。
    「下種が」
     振り向きざまその男にも鉄パイプを叩き付けてやる。ぐげ、と蛙の様な悲鳴を上げるが、溜飲が下がる気はしない。
     だから、荒ぶるままにそれを振りぬいた。何度も、何度も。最初はべきっ、とか、ゴキッ、とか聞こえていた固い音は、いつしかぐちゃぐちゃとした水音しか発しなくなる。
    「ひ、ひぃい……ッ!」
    それでもこの荒ぶった気持ちが落ち着く事はなく、苛立ちのまま今にも逃げ出そうとするも、腰が抜け、間抜けにも後退りをするしかない男に再び鉄パイプを向ける。
    「俺の、可愛い、弟、にっ!」
     ごきっ!ぼきっ!ゴッ!ぐちゅっ!
     一言一言区切りながら、低能でも理解できる様、頭に叩き付ける。
    「傷一つでも付けやがる奴を!」
     ぼきっ!鈍い音を立てながら、乾いた喉が張り裂けても構わないと叫ぶ。
    「俺は!許さねぇッ!!」
     何度も何度も、ぐちゃぐちゃとした薄汚い水音が立って尚、ドフラミンゴは鉄パイプを滅茶苦茶に振り下ろした。
    「このっ!俺がっ!!」
     何度も叩き付けた所為か、それとも元よりさび付いていた所為か、真ん中からパイプがボキリと割れる。それに構わず、これ幸いと鋭利になった断面をもう何も、叫び声どころか呻き声すら上げない男の顔面に突き刺した。
    「許さねぇんだっ!!」
     はぁはぁ、と荒い息を吐きながら、呼吸を整え、ロシナンテに視線を向ける。いくら激高していたとはいえ、心優しい弟を怖がらせてしまっただろうかと、ようやく理性が訴えかけるが、ロシナンテは気を失ったままのようだ。
    「ロシィ!」
     慌てて弟に駆け寄り、薄汚れた地面に膝を突くと倒れ伏すロシナンテを抱き起す。小さくて薄い体だが、それでもドフラミンゴも同様の身体つきの所為で抱え上げる事は出来ない。それでもふらつく体に鞭を打ち、よろよろと頼りない足取りで弟を支えると、家とも呼べないボロ小屋へ引きずっていく。
     今回はまだ二人、それも業腹ではあるが弟に夢中になり理性を失っていた男相手だからこうしてドフラミンゴでもどうにかできた。だが、一歩間違えれば己は子の最愛の番を目の前で掠め取られていたのだ。そう思うと腹に嫌なものが溜まっていく。どろりとした、殺意の波動。
    「下々民め……」
     下等で劣等な下々民が、天竜人、それもアルファである己の番を汚そうなど万死に値する。ぷんと香り始めてきた血の匂いがドフラミンゴの鼻孔を擽るが、異臭にしか感じられず眉を顰めた。
     最愛の弟、愛しのロシナンテ。己の番にはそんな匂いは似合わない。花々に囲まれ、微笑んでいる姿こそが一等似合うというのに。それをお問う音に与えてやれない己も又、苛立たしい。この苛立たしさをもっと男たちに与えてやればよかったと思いながら、ようやくたどり着いたボロ小屋に潜り込む。ここにはいい思い出など何もない。母の死に場所でさえあるのだ。だが下手に居場所を映したところで一家に安息の場などないのだ。
    だからドフラミンゴは、母の死体を受け止めていたシーツに弟の身体を横たえる。
    「ロシナンテ……」
     父は、母が死んでからはふらふらと街をうろついてみたり、時折母の墓所ともいえぬ粗末な墓場に足を運んでいるようだったが、ドフラミンゴにはそんな事を気にしている余裕はなかった。
     日々を生きる為に。そう、この弟と共に生きる為に、そんな些事を気にする余裕などないのだ。だが今日は本当に危なかった。
     未だ気を失う弟の柔らかだった髪を撫でながら息を吐く。可哀想に、天上に在った頃は柔らかでふわふわとした巻き毛は、今や血と泥に塗れ、束になっている。ひゅう、とドフラミンゴの喉が妙に掠れた音が立つ。小屋に充満する埃のせいだろう。
    「あに、うえ……?」
    「! 目が覚めたか!」
     痛い所はないか?と、ロシナンテの様子を気にしながら、深い怪我がないか目を配る。こて、と首を傾げる弟の可愛らしい仕草に目尻が下がりそうになるが、やはり怪我が気になる。痛みを与える箇所はないかと出来るだけ優しく体に触れる。
    「僕は、へいき。兄上、は?」
     たどたどしくも、健気に兄の様子を窺うロシナンテに、大丈夫だ、と返すが拭いきれない頭部の血痕に気付いたロシナンテの指先が伸びる。
    「痛そう……」
    「お前の方が痛そうだ」
    「僕は、どこも痛くないよ?」
     兄上が守ってくれたから、そういって微笑む弟の儚い様子にドフラミンゴの心は悲鳴を上げそうになる。
    「ロシナンテ……お前って奴は……」
     だがそれを表に出す事はない。弟に不安を与えたくないからだ。
    「兄上、いたいのいたいの、とんでけ」
    「フフ……フッフッフ……ロシィのおまじないのお陰で、兄上の痛みなんて飛んでっちまったぜ」
    「ほんと?」
     頭はまだじくじくと痛むし、鉄パイプを折れんばかりに握りしめ、叩き付けた所為で掌からは血が滲んでいたが、弟の可愛らしく稚い様子にそんな痛みは幻のように引いていく。
    「本当だ」
    「んっ!」
     可愛らしいロシナンテの、愛らしい姿に思わず頬をする寄せ、口付けた。同時に、男達の異様な雰囲気を思い出す。あの男たちはきっとベータであろう。アルファ同士であれば自然と理解できるし、オメガならば余計判別がつきやすい。そう、ベータであってもこの未成熟のオメガのフェロモンを感じ、ああも獣欲を振り乱したのだろう。腹立たしい事この上ない。
     この雌の雄は己だというのに、横から浚われ、貪られようとした怒りは次第と弟への情欲へ変質していく。
    「ロシナンテ……」
    「あ、あにうえ?」
     何をされるのか欠片も理解していないのだろう、異様な雰囲気すら察してもいないロシナンテはこてり、と今度は反対へ首を傾げる。それがいけなかった。細い、痛々しいほどに細い首筋が、ドフラミンゴの元に晒される。それに気付いた時ドフラミンゴはその首筋に歯を突き立てていた。
    「っ!」
    「はぁ……ロシナンテ……俺の、可愛い可愛い弟……」
     いや、歯を突き立てる、と言うよりは、柔く、甘く。獲物をじわじわと嬲る猫のように、柔らかに甘噛みしていたのだ。
    「あぅ、くすぐったいよ、んっ」
     幼くも、どこか淫靡な声に、ドフラミンゴは理性が溶かされていくような、不思議な感覚に襲われる。
    「可愛いロシナンテ……愛しいロシナンテ……」
     アルファとオメガ、それも運命の二人なのだ。未だ成熟の兆しすら見えぬとはいえ、それでも最愛のオメガが目の前で首筋を露わにし、微笑んでいるのだ。誰がドフラミンゴを止められようか。ストッパーになる様な父も、母もいないのだから。
     ちゅっ、ちゅっ、と甘噛みをしていた部分に唇を滑らせる。
    「ひゃっ!」
     触れて、舐めて、吸い付いて。ロシナンテの白い肌が、己が吸い付く度に色を変えていく様子は恐ろしい程ドフラミンゴを満たしていく。
    「きゃうッ!」
    「何だその鳴き声、可愛いな」
     犬猫の赤子でさえこんな庇護欲を誘う声を上げる事はないだろう。それに気を良くしたドフラミンゴは今度は首筋ではなく、項へと口付けていく。
     アルファとオメガが番になる術、それはオメガの項へアルファが噛み付くことで成立する。だがそれは、成熟し、ヒートを通し、フェロモンを放つようになれば成立する事であり、未成熟なロシナンテはヒートどころかオメガとしての自認すら薄い。そんなザマではドフラミンゴが噛み付いた所で番として成立する訳がないのだが、それでもこれは最早アルファとしての本能だ。
     愛しい雌を己のものにするという雄の本能。または、浚われかけた雌を己のものだと主張するマウンティング。
     ドフラミンゴは本能のまま、ロシナンテの項を唇で食む。何度も、何度も。
    「ぁ……? あ、あに、ぅ、え……? アッ」
     流石にオメガという性を得て、そこを刺激されれば、幼くとも何かしら感じ入るのだろう、声に熱が入り始める。
    「あぁ……噛んじまいてぇ……」
    「あ、あぅ、い、痛いのは、やぁッ」
     噛み付かれるという言葉に、痛みを想像したのか、艶々とした紅玉が潤む。
    「兄上が痛い事なんてするか? ん?」
    「……しない……」
    「だろう?」
     そう、愛しい相手に痛みなど誰が与えるものか。そんなものよりもっといいものをロシナンテには与えるのだ。この己が。そう、ドフラミンゴだけが、与えられるのだ。
    「大丈夫だロシナンテ」
     べろ、と長い舌でそこを舐め上げれば小さな体がドフラミンゴの腕の中で震える。可哀想で可愛らしい。こうしてオメガはアルファを誘うのだろうか。嗚呼、早く、ロシナンテが成長しますように。そんな願いを込めて、ドフラミンゴは再びロシナンテの項へと唇を寄せた。

    ※※※

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