声を聞くひと 自分の求める性が同性だと知ってから、彼はそれをもうずっと誰にも言わずにいた。言えなかった──というのもあるが、彼の周りの世界はもうそれでうまく回っていたので、乱すようなことはしたくなかった。
もちろん嘘はつかない。自分にも、他人にも。話題を振られれば答えるし、何だったら自分の好みを、言いすぎない範囲でうまく伝えてもいい。そうすれば、相手は相手の常識の中でうまく理解してくれる。核心に触れなければ、世界は案外生きやすい──彼は既に、そういう「処方箋」を手に入れていた。
それでもほんの少し、気負いや負い目のようなものはあった。だから彼は、早くに独り立ちしようと決めた。大学に進まず専門学校に入り、手に職をつけようと思ったのもそのためだ。──就職活動をしている間もその方針は変わらなかったし、実際にいくつか働き口の目処は立っていた。
ではなぜ、ロクハラのスカウトを承諾したのか。それは──彼が本質的には好奇心旺盛な質だったから、と言うしかない。その上、この選択は実際に彼の人生を変えた。
ロクハラでの生活に「処方箋」は要らなかった。何というか……言わずにいるのが馬鹿らしくなるほど、周囲の人々や地魂男児は開放的だったからだ。
ただ、今度は別の問題が生まれた。
もはや縁はないと切り捨てていた可能性。答え合わせになる感情を持ち合わせていないもの──恋。
ひょっとすると。初めて声聞士として地魂の声を聞き、彼の名を──越後、と呼んだ時から、その感情は育ち始めていたのかもしれない。それが今になって、自分の心の中に確かにあるとわかった。
──これは言わなくちゃならないことだ。言うべきことだ。だけどどうしても勇気が出なくて、その笑顔を見るだけで満足だって、心にごまかされる……。
代わりに彼は耳を澄ませ、その声を聞く。
「……師匠。聞いてほしいことがあるんス」