20. 錫色 臥待月 触れあう「遅ぇ……」
現世での任務を終え、自身の屋敷に帰りついていた拳西は独りごちた。
時計をちらと見ると、午后六時を過ぎている。本来ならもう帰宅しているはずの恋人ーー修兵が一向に帰ってくる気配を見せないのは何事か。
今日は『瀞霊廷通信』の校了日であった。拳西の代わりに編集長業務を担っている修兵にとって修羅場であったに違いないが、締切は午后五時だったはず。それさえ過ぎてしまえばあとは印刷するのみなので、普段から働きすぎのきらいがある修兵は編集部員たちによってそうそうに帰宅させられるのがいつものことだった。
それなのに何故まだ帰宅していないのか。
吉良や松本と飲みに行くという話は聞いていないし、ここ数日多忙を極めていた修兵を誘うようなことは、少なくとも吉良はしないだろう。松本ならやりかねないが、それならそれで修兵から一報あるはずだ。こちらから連絡しようかとも考えたが、過保護であると思われるのも癪で、それはなんとなくはばかれた。
「た、ただいま帰りましたー……」
なにやら気まずそうなあいさつとともに、ガラガラと戸が引かれる音がする。
臥待の月出とともに帰ってきた修兵は、神妙な面持ちで居間へと顔を出した。
「よぉ、遅かったじゃねぇか」
「な、なんか怒ってます……?」
「別に」
「いやいやその物騒な霊圧は怒ってますよね!?」
「別にって言ってんだろうが」
「まぁとりあえず座れ」と声をかけると、修兵は卓袱台を挟んで拳西の正面に正座し背筋を伸ばした。
まるで怒られる前の子どものようにビクついている姿に思わず笑いそうになるが、それよりもだ。
「帰りが遅くなった理由は?」
「……阿散井に飲みに誘われまして」
「そっちか」
「え?」
「いや、なんでもねぇ。なんで連絡一つよこさなかったんだ」
心配したぞ、とは口には出さなかった。
それでも正しく読み取ったらしい修兵は、しかし拳西の予想に反して呆けた顔をしていた。
その様子になにかおかしい事でも言っただろうかと訝しんだ拳西を余所に、修兵がえっと……と切り出す。
「今日は帰ってこないだろうと思ったので」
連絡しなくてもいいかなーって、などと言ってのけた修兵の言葉に、拳西の眉がぴくりと動く。
「……どうしてそう思ったんだ」
自身の気が短い方であると自覚をしている拳西は、落ち着けと自分に言い聞かせ、声を低くして尋ねる。
「今日、俺の代わりに現世に行かれたじゃないすか」
「あぁ」
本来であれば九番隊隊長が就任するはずの編集長を拳西はずっと拒否し続けていて、その代わり校了前などは副隊長業務をすべて拳西が請け負うことでバランスを保っている。今日の現世での任務も、主に新人隊士の育成を目的とした虚退治で隊長直々に出向くようなものではなかった。しかし、何故それが帰ってこない理由になるのか。
「隊長は明日午後からの出勤でしたし、今晩は仮面の軍勢〈ヴァイザード〉の方々と過ごされるのだとばかり」
「……は?」
「せっかくの機会なのに、水を差すようで……皆さんのお邪魔になるかなと思って連絡しませんでした」
平然とした様子で弁明する修兵の目は、まるで向こうの方が優先されて当たり前だと言わんばかりで、錫色を曇らせることもなかった。
その目を見た拳西は、カッと頭に血が上るのを感じた。衝動に駆られるまま、卓袱台に拳を叩きつける。
「お前には俺がそんなに薄情に見えんのかよ!!」
かねてから拳西はずっと修兵の『そういうところ』に腹を据えかねていた。
修兵のなかに『六車拳西が自分のことを一番に想うはずがない』という前提があるのは付き合い始めてすぐに分かった。それは元来自己評価の低い修兵であるから、少しづつ慣れさせていけばいいと思っていた。しかし、まるで自分が修兵の事をなんとも思っていないかのように扱われるのは違うだろう。
「俺はお前と一緒に今晩を過ごしたいと思っていた……締切間近でずっと忙しかったしな。でもお前はそうは思ってなかったってことか」
つい責めるような口調になってしまったが、拳西にとってこれは本音であった。互いに恋仲であるはずなのに、想いの通じなさが焦れったくて仕方がなかった。
「違います」
ずっと口を閉じていた修兵は、真っ直ぐに否定した。じゃあなんでだ、と聞く前に修兵が続ける。
「拳西さんが俺のことを想ってくれているのはちゃんと分かってるんです」
でも、と言葉を区切る。伝わっているというなら、このもどかしさはなんなのか。
修兵がふわりと笑う。
「拳西さんは拳西さんのままでいてほしい。だからこそ、俺なんかが拳西さんの枷になるのは嫌なんです」