「スターに会いたいクレイジーな奴」 風呂も済ませて寝ようとしたのに問題が発生した。クレイジーダイヤモンドをベッドの上に正座させて、仗助も向かい合わせで同じ体勢になる。
ひと回り大きなスタンドと膝を突き合わせて見つめ合った。ぎし、とベッドがひとり分の体重で軋んでいる。
「なんかよお……、気のせいって思いたいんだけどよお〜〜。最近、おれの言うこと聞かねえよな?」
「……」
返事はない。当たり前だ、喋れないスタンドだから。それでも精神は繋がっているのでなんとなく分かる。少し反抗していることが。
「おい、クレイジーダイヤモンド。戻れ、おれん中に」
「……」
戻ってこない。正座したまま、その丸い目でじっと見つめてくるだけ。
ついさっき横になって眠ろうとしたら、体から勝手に飛び出してきたスタンド。そして命令に従おうとしない。これは大問題だ。
「おい、こら……。戻れって言ってんのよ、おれはよお。聞こえてんだろぉ〜〜?」
「……」
無言のまま、ぷいっと横を向いてしまった。こんなことは初めてだ。その澄ました横顔ときたら。
表情のないスタンドだから外見は大人しく見えるが、心が繋がっているから分かる。これはふてぶてしい態度だと。さすがにカチンときてベッドに片膝を突く格好で詰め寄った。
「戻れッつってんだろうがよお、こらぁーッ!」
つい怒鳴ってしまった。胸ぐらを掴もうとしたがベッドから浮き上がっていく。
「あっ、てめぇっ!」
宙に浮いて逃げるなんて卑怯だ。腕を伸ばしても届かない。捕まえられない相手に歯軋りしていると、そのまま部屋を出ていこうとする。
「えっ? お、おいおいっ、こら!」
壁も何も関係なく進んでいくから慌ててドアを開けてついていった。というより、ついていくしかない。射程距離は二メートル。踏ん張って留まりたいがスタンドのパワーに生身で勝てるわけがなかった。
クレイジーダイヤモンドに引っ張られるように階段を降りて玄関を出る。靴を拾い上げて、くそうっ、と歩きながら片方ずつ履いた。
「待てコラァッ、言うこと聞けっつってんだろおがよっ、どこ行くんだよッ!」
体の中に戻る気はないらしい。宙を浮いて飛んでいく相棒に走ってついていく。スタンドが暴走するなんて今までなかったのに。
全く操作出来ない。怒りの底に打ちのめされたような感情がある。絶対に裏切らない自分の分身だと思っていたのに、唇を噛んで追いかけるしかないなんて。
そして向かっている方向には心当たりがあって、だんだん顔が引き攣ってきた。まさかこれって、まさか。
「おい待て、待てよクレイジーダイヤモンド! お前、まさかッ」
その予想は当たっていた。杜王グランドホテルのロビーを通過してエレベーターに乗って到着したのは。
「……すっ、スンマセンッ、ほんっとスンマセン! おれじゃあないんスよ、ほんとにおれじゃあねえよお〜〜〜ッ」
情けない声を上げながら分厚い胸板に顔を埋めていた。突然の来訪者、突然の奇行。承太郎は両手を白いスラックスのポケットに入れたまま身動きもせず立っている。
大木にしがみつくカブトムシのように背中に腕を回した。承太郎はいつものコートを着ていない。手のひらの下は黒いタートルネックだ。その中に入っている体の肉感をしっかりと感じ取ってしまう。
「ううぅ…」
情けない、こんな縋りつき方。しかも額が喉仏に当たっているので、せっかく決めた前髪のセットがぐにゃりと曲がって無様だ。
「承太郎さぁん! なんとかしてくれよおぉお〜〜っ!」
「そう言われてもな……」
珍しく帽子を脱いで寛いでいたのか、その顔を持ち上げて頭上を見上げていた。クレイジーダイヤモンドがスタープラチナに抱きついている。頬と頬をくっつける距離感で。
さすがにその体勢になるのはダメだと踏ん張ったので、胸板にぐりぐりと顔を押し付ける形になった。それでもとんでもないことだ。全身の毛穴から嫌な汗が吹き出して顔が蒼ざめる。
「おれがやってんじゃあねえよ! こいつが言うこと聞かねえからよおっ」
「暴走してんのか?」
「た、たぶん……。お、おぉ?」
ぐぐ、と体が男から離れていく。背中に回していた腕が解けた。視線を上に向ければ、スタープラチナに正面から両腕を押さえられ、顔の横でバンザイをしている姿になっている。
「おぉ、すげえ……」
同じパワー系だからそう変わらないはずだが、本気を出せば押さえ込まれるということか。とりあえず50センチほどの距離は空けられたのでほっとした。
まだ腕や顔に男の体温が残っている。いい匂いがしたのは香水に違いない。喋るたびに喉仏が動く感触も額の皮膚が覚えていた。
今更だが胸がドキドキしてくる。遠くから見ているだけの憧れの男に密着してしまったという事実に。
「いつからだ?」
「えっ?」
いろんなことをぼおっと反芻していたので聞き逃した。上を向いていた視線がゆっくりと降りてくる。
「いつからこうなってんだ、って聞いたんだぜ」
「あ、あーっ、はい、ええと」
やべえ、ちょっと近すぎる。親しくはしているが、こんな50センチの距離で話したことなんてない。後ろに下がりたいが足が動かなかった。下を向いてカーペットを見るしかない。
「え、え〜と、ここ3日ぐらいッスね……。なぁんかちっちゃい反抗心を感じてたけどよお、さっき寝ようとしたら勝手に出てきて…。戻らなくなったと思ったら外に出てよお……」
そしてここに来てスタープラチナに飛び付いた。そっとカーペットから視線を上に向ければ、押さえられていた手を振り払っている。
「あっ、てめぇコラッ!」
そしてまたスタープラチナに抱きついていた。うぐぐっ、と両足に力を入れてカーペットを踏み締める。50センチが20センチになったがなんとか持ちこたえた。
「……相変わらずパワーがすげえな」
「感心してねぇで! スタープラチナ下げてくれよっ」
「一応やってるぜ? でもこいつの力がつえぇから…」
顎でしゃくった先には、両腕でぎゅうぎゅうとスタープラチナを締め上げているクレイジーダイヤモンドが。二人とも無表情だから分からないが、承太郎が少し首を触って眉をしかめた。
「あ、あああっ、スンマセン! 苦しいっスよねッ? おい離れろ、離れろってえっ!」
「……おい、戻れ、スタープラチナ」
僅かに喉が苦しそうな声だ。下半身は承太郎の中に入っているのに首から上で抱きついているクレイジーダイヤモンドが邪魔をしている。
そんなつもりはないのに危害を加えているなんて。それも尊敬してやまない承太郎を。首に巻きつく見えないものを外そうとする指の動きに、顔をぐしゃりと歪ませた。
やめろ、やめてくれよ。絶対にそんなことしちゃあいけねえんだよ。うう、と目の中が熱くなって潤んでくる。
なぜ言うことを聞かないのか、どうして承太郎を苦しめるのか。自分の手がそうしていることに腹が立って分身に叫んだ。
「クレイジーダイヤモンド! やめろっつってんだろうがよお! てめぇ、嫌いになんぞっ!」
瞬間、丸い目が振り向いた。表情がないはずなのにその瞳が揺れたような気がする。しまった、と口元を押さえた。今おれ、とんでもないことを。
拘束する腕の力が抜けたのか、スタープラチナが戻っていく。けれどまだ腕は首に巻き付いていたので、そのままクレイジーダイヤモンドも。
「ああぁあっ!」
「……おい、待てこら」
承太郎の低い声を最後に二体のスタンドが消えた。しん、と空気が静かになる。あまりにも静かすぎて空調の音が聞こえるほどだ。しばらく見つめ合ってしまったが、先に目を逸らしたのは承太郎の方だった。
「やれやれ、だぜ……」
「うっ、うわああああっ! ちょ、なに? えっ、なんで? なんで承太郎さんの中に戻るんだよっ、おおい!」
ためらう暇などなく逞しい二つの胸に両手を置いた。意外と柔らかい。そして耳を押し付ける。
服を通してどくどくと心臓の音が聞こえてきた。妙に速くて大きい。あれ、と目を丸くする。
「承太郎さん、なんか病気っスか?」
「……あぁ?」
「いやっ、それよりも!」
胸の音がするだけで何も気配がない。そもそも皮膚の上からスタンドを探れるはずはないのだが、あまりのことに必死だった。
「おおいっ、クレイジーダイヤモンド! おいっ!」
「……仗助」
拳を作って胸を何度もノックした。必死で力加減が出来ない。さすがに、おい、と手首を掴まれる。
「落ち着け、ちゃんと中にいる。消えちゃいねえ」
「でもよお!」
「あと……、ちょっと言いにくいんだが…」
珍しく言葉の切れが悪い。なんスかっ、と睨んだが視界が潤んでいる。長年の相棒が、自分の分身が消えたのだから感情が昂っていた。
落ち着け、ともう一度繰り返した承太郎が、ため息混じりで教えてくれたことは。
「……泣いてるぜ?」
「えっ」
「嫌われたって…、泣いてる」
さあっと血の気が頭から足元まで急降下した。耳鳴りがしてくる。くらくらする。承太郎の胸に顔を埋めて、おおいっ、と呼んだ。
「嘘だって、嘘おぉッ! 嫌いになんかなんねえよ、何があってもずっと一緒じゃあねえかよ!」
ダメだ、泣きそうだ。もう16なんだからそんなカッコ悪いことは出来ない。ぐっと喉で嗚咽を噛み殺すが鼻水が垂れてしまった。黒い服を遠慮なく汚してしまう。
「戻れよっ、戻れって!」
「仗助……」
そっと肩に大きな手が置かれた。ずっとポケットに入っていた無愛想な手なのに、少しの痛みも衝撃も与えないような触り方で。
「泣くな。……くそ、おんなじ顔しやがって」
「泣いてねぇしッ!」
ひくっ、と喉を鳴らしながら顔を上げる。鼻水を右手の甲で拭って、じょうだろうざぁん、と声を出す。
「返せよおおぉっ、返してくれよぉ、おれのだぞ、おいっ……」
「分かってる、すぐ追い出すから。……ちっ、てめえら中でも外でも泣くんじゃあねえ、やかましいぜ」
眉間に皺が寄っている。だが次の瞬間、睨むように鋭かった緑色の目が僅かに見開かれた。んっ、と仗助の青い目も。今なにか、唇に。
「……ッ」
縋り付いていた胸元から飛び退く。両手で口元を押さえて青ざめていた顔を一気に赤くした。
「え、なに、あんた今、何したっ?」
「おれじゃあねえ……」
苦いものを噛んだかのように呻いた承太郎も右手で口を押さえている。
「だ、って、いま」
触れた、唇に何か。少し固いけれど温かいものが。それは承太郎も感じたらしく、くそ、と舌打ちしていた。
「スタープラチナが勝手に……」
「な、中で何やってんスかっ?」
「やかましい、てめぇが泣くからっ」
「あっ、うわあっ!」
今度は両手で自分の体を抱きしめるように腕を掴む。胸や腹がぞわぞわする。何か這い回っている。指先だ、いや、手のひらか。とにかく触っている。
「承太郎さんっ!」
「おれじゃあねえ……ッ」
「いやいやいやっ、あんただよっ! あんたの分身だろうがよおっ! うわ、うわわっ」
脇腹を撫でられて腰がびくりと反る。さっきまでぞわぞわしていたが、今はぞくぞくしていた。
唇も体もこんなふうに触られるのは初めてなのに。しかも承太郎だ。密かに憧れてそっと見つめていた男に。まさかスタンド同士の接触で間接的になんて、そんな。
どうせなら、そうだよ、どうせならもっと丁寧に、もっとちゃんと触って欲しいのに。
「最低だぜっ、こんなの!」
「……っ」
ぎちり、と睨まれる。それから盛大な舌打ちの音が。いつも冷静な大人の行動を取る承太郎なのにこんな態度は初めて見た。
「スタープラチナ……、出てこい」
感情を全て薙ぎ払ったような口調。同時に背後からスタンドが現れた。
その右腕がクレイジーダイヤモンドの腰に回っている。二体の密着した姿に、仗助は首まで真っ赤になってここから逃げ出したくなった。
「も、戻ってこい! こっちだぜ、おいっ」
ちらりと視線で伺ってくる。スタープラチナにくっついたままだから体が承太郎に引き寄せられる。随分と不機嫌そうな男の方へと。
部屋に入ってすぐ抱きついたときは大丈夫だったが、今度は殴られそうな雰囲気だ。まずい、と踏み止まりながらスタンドを見上げる。
「嫌いなんかじゃあねえよ! 当たり前だろ、そんなの。おれの大事な分身だぜ? なあ、戻ってこいよ、ごめん。……ごめんな」
最後は俯いてしまった。また瞼の奥が熱くなってきたから。まさかクレイジーダイヤモンドが離れていくなんて考えもしなかった。体のどこかに穴が空いたようだ。そこをひゅーひゅーと風が通って穴を削り取り、更に大きくしていく。
ごめん、と繰り返した後はもう何も言えなくなる。誰も何も物音すらしない静けさが数秒続いて、それから。
「……っ」
ふわりと体の中に温かさがやってきた。そして心の奥のどこか、隠し部屋みたいな場所から、ごめんね仗助、と聞こえた気がする。
「お、おお、うおお! 戻った!」
ぽこ、ぽこ、と穴が塞がれていく。満面の笑みで顔を上げれば、真顔で目の光を暗くした男がそこにいた。
「そいつは良かったな……。もう帰れ」
「えっ、あの」
「中に入ってきたから分かったぜ。そいつはスタープラチナが好きみてえだ。スタンドにも感情があるらしいな」
「すっ」
好き。なんだそれ、なんだそれ。思わず両手を胸の上に当てる。中にしまい込んだスタンドはすっかり大人しくなっていた。
「でも仗助がおれのことを避けてるから……、なかなかこいつに会えなくて、それで暴走したらしいぜ」
「……」
何を言っているんだろう。避けているってなんだ。考えがまとまらなくて言葉が出てこない。その様子を見たのか、長いため息を吐き出していた。
「まあ、スタンド同士の仲がいいならそれでいいんじゃあねえか。おら、帰れ。もう大人しくなったみてえだからな」
「承太郎さっ……」
背中を押されてドアまで誘導される。そして廊下に押し出された。
「承太郎さんっ、おれっ…!」
「……最低なことをして悪かった」
珍しく視線を落としてそんなことを言う。それを聞いて初めて、怒っているわけではないと理解した。
だが問答無用でドアを閉められる。自動で鍵が掛かるオートロックだ。もう外から開けられない。
「じょっ、承太郎さんっ、違うんス、違うんスよ、おれっ……」
何度もドアを叩いたが開かれることはない。ああぁ、と額を押し付けることしか出来なかった。
「何やってんだ、おれ……」
クレイジーダイヤモンドにも承太郎にも、大切な二人にひどいことばかり言っている。胸に手を置いて、おい、と分身に呼びかけた。
「好きって、お前、そんな……」
スタンドに感情なんてあるのだろうか。もしかして、と心臓がどくりと脈打つ。
尊敬と名の付いた箱。その蓋が僅かに動く。中に入っているものがずるりと出てきそうになって慌てて首を振った。
「承太郎さんっ…!」
ドア一枚向こうの人。クレイジーダイヤモンドが行動したように、強引に会いに行けたらいいのに。
そうだ、と思い出す。このスタンドは承太郎の中に入った。だからスタープラチナが好きだとバレた。ならば、承太郎の心の奥も覗いてきたのではないか。
「おいっ、クレイジーダイヤモンド! 承太郎さんになんて言えばいいか教えてくれよ、なあ、見てきたんだろっ?」
この状況をどうやって切り抜ければいいのか教えて欲しい。最低だと言ったことも謝らなければ。
スタンドを呼び出そうとしたとき、がちゃ、とドアが開いた。眉間の皺が取れていない厳しい顔付きの男がいる。
「……知りてえのか? おれの心ん中ってやつを」
「う、……うス、はい!」
入れ、と体を引いてスペースを開けてくれた。踏み込んでいいのだろうか、このカーペットの床に。だが、心の中でクレイジーダイヤモンドが喜んでいる。またスタープラチナに会えることを。
ためらいも変な意地もない、素直な精神体。ごくりと仗助は喉を鳴らした。
固い廊下から柔らかいカーペットの室内へと足を踏み入れる。ドアを閉めた途端、スタンドがまた勝手に体から飛び出した。
「あっ、こらっ……!」
承太郎の中からもスタープラチナが現れて強く抱き合っている。ぴくりと男の頬が引き攣った。
「う、あの、す、すんません……」
もう何度目の謝罪だろうか。抱擁する精神体の下で、二人はお互いに相手の出方を待っていた。
end.