松井の服がいつもと違うことに気づく乱ちゃんの話 本丸の庭に面した廊下を奥に進むと、あるじの部屋のひとつ手前に事務部隊専用の仕事部屋がある。乱藤四郎はその前で立ち止まり、そっと様子を窺うように障子を開けた。
「こんにちはー…」
外の日差しと比べて薄暗く感じる部屋の中を見回す。向かって右側には事務部隊長の山姥切長義、正面には松井江、左側には乱の兄弟刀である博多藤四郎の姿があった。皆黙々と仕事をしていたようだ。乱の来訪に気づいた松井が顔をあげ、微笑みで迎えてくれる。安心した乱は、ステップを踏むように軽い足取りで部屋の中へと踏み入れた。兄の言いつけに従い、持ってきた書類の束を差し出す。
「松井さん、はいこれ、いち兄から」
「ありがとう」
松井が紙の束を受け取って、内容をさっと確認する。素早く一枚一枚めくっていくが、そのたびに笑顔がだんだんと薄れ、眉が下がっていく。その紙束全てが経費精算申請書であることを確認し、小さくため息を漏らした。
「多いね……」
「粟田口(うち)は人数が多いけん、しょうがなかろうもん」
横から口を挟んだ博多に対して、「それはそうだけれど…」と言いながら、松井はどこか納得いかない様子だ。軽く握った手を顎にあてて何か考えているようだ。乱はそんな松井の様子を見つめながら、思わず口を開いた。
「ねえ松井さん、袖のふりふりはどうしたの?」
松井の袖はもっとゆったりとした布で、袖口がひらひらしていた筈だ。襟元のデザインやボタンはいつもと同じようだが、袖は手首でボタンがしっかりと止まっている。よく見ると胸のあたりに縦に入った襞状の装飾も無い。
「それだ!!」
それまでずっと黙っていた山姥切長義が突然立ち上がり、大声を上げた。乱の問いに松井が答えるよりも速かった。部屋にいた全員が彼に注目する。
「今日の松井、どこか違和感があると思って朝からひっかかっていたんだ。やっと謎が解けた」
安堵したのか、長義が腰を下ろす。松井が視線を乱のほうに移した。
「これはね、豊前が貸してくれたんだ。僕のは血で汚れてしまったから……。襟とボタンがお揃いだから、パッと見わからないだろうって」
「ああ、確かにわからなかった」
長義が腕を組んで、うんうんと頷く。
「ボクはすぐにわかったよ。フリルがあるのと無いのは全然違うもん。松井さんの袖、可愛いなあっていつも見てたから」
乱が得意げに語っていると、背後に人影が現れた。乱の視界が一瞬で白くなる。白い布を被せられたのだった。
「誰がかわいいって?」
乱は被せられた布を振り払い、後ろを振り返った。見上げた先には、先ほど松井の話に出てきた豊前江が立っていた。松井にシャツを貸していることが理由なのかはわからないが、内番服を着ている。
乱は被せられていた布を手に取って見ると、端にはフリルがあった。豊前が取り上げるようにしてその布を掴み、松井へ差し出した。
「乾いたみてーだから持ってきた」
「ありがとう。えっと……ここで着替えればいいのか?」
豊前が言うなら仕方ないと言わんばかりに、松井が首元のリボンタイを緩め、一番上のボタンに手をかける。長義が慌てて止めた。
「待て!今着替えたら洗濯物がまた増えるぞ!今日はもうその彼シャツを着ておいたほうがいいんじゃないのか?」
「彼シャツ……?」
松井が静止して、着ているシャツをまじまじと見つめる。事務室にしばしの沈黙が落ちた。長義が「しまった」と思った時にはもう遅かった。松井の鼻から一筋の赤がしたたり、それは松井が着ている豊前のシャツの袖に落ち、容赦なく赤い染みを作った。