パンプキンボムにまつわるアレコレ【パンプキンボムの由来】
遠い異国の地で豊穣を祝う祭りに使われていたというカボチャの置物。その昔はカブで作られていたのだが、すぐに腐ってしまい見た目が悪くなってしまっていた。今日では日持ちのする丈夫なカボチャで作られるようになっている。カボチャの目と口はくり抜かれ、不気味な笑顔で祭りを見守る。
祭りでは、生きている者たちには悪霊が寄り付かないように、あの世にいる先祖が無事にこの世にたどり着くようにと、祈りを込めてカボチャの中で一晩中ろうそくを灯した。目が爛々と光り、割けた口からも光が漏れる。
そうなると子どもたちは気味悪がり、カボチャの方が化け物扱いされていく。
ある日、運悪く質の悪いろうそくを使用したカボチャが吹き飛んだ。
またもや化け物の仕業か、となり、カボチャはますます気味悪がられる。
楽しいはずの祭りが恐ろしいものになってしまうと危惧した者が、逆に盛大に吹き飛ばしてやろうと火薬を詰めてみた。
今度はドッカンドッカンと爆発が起き、それが派手で面白いと評判になった。
今ではすっかりその地方の名物になり、土産物屋にも置かれるようになった。
「そんなバカな?」
ホークアイは図書館で思わず声に出してしまった。
神獣について調べようとフォルセナの図書館にきたはずなのだが、ふと目に止まった一冊の本。
「パンプキンボムの歴史」と題された古い本。
パンプキンボム愛用者としては読んでいかなくてはいけないという謎の使命感からページを捲ってみると、なんとも怪しい記述が並ぶ。
【パンプキンボムの収穫】
今ではすっかりおなじみになったパンプキンボムであるが、その昔はカボチャは育て、収穫した後、火薬を詰めるといった工程で作られていた。火薬を詰めるという作業は繊細な技術が求められる。多すぎず、少なすぎず、絶妙な量と詰め方が要求される。火薬の配合は、ほんの一握りの人間しか知らない。それぞれの秘伝のレシピとして代々受け継がれている。
一方で、もっと気軽に育てたい、広く知れ渡って欲しいという願いから、苦労の末に火薬込みで育てられる品種が出回るようになった。
だが、火薬を仕込む工程を省略できる代わりに、生長途中でたまに爆発してしまうという欠点が付け加えられた。衝撃に弱く、うっかり踏んでしまったときには、畑中にカボチャが散らばることとなる。一長一短である。
産地、生産者により、爆発、音、煙に違いがある。毎年品評会が行われるほど、品種改良が盛んだ。
ある地方では人生をかけて巨大パンプキンボムを育てるという者まで現れる。
爆発した後の破片がもったいないということで、食せる種類を作り上げた者もいる。煮て食すのがオススメだそうだ。シチューでもヨシ。
「いやいや、おかしいだろ? なんで火薬込みで育つんだ? 火薬ごと食べるのか?」
本にツッコんでも仕方がないのにせざるを得ない。読めば読むほど理解しがたいものがある。
【パンプキンボム品評会】
年に一度、開催される品評会では、爆発の美しさ、音の響き、煙の立ち方を評価する。
会場では、方方で盛大な爆発が起こり、飛び散った破片をかき集めて、美味なる料理も振る舞われる。一つも無駄にしないというパンプキンボムに優しい祭りとなっている。
毎年参加しているマイトーシ・サンカスルネンスキさん。
「この音を聞かないと、秋が来た感じがしません。ドッカンドッカン降り注ぐ破片を浴び、エールを煽るのが一番の楽しみです」
品評会常連のミナ・ミウリ=マクタネさん
「毎年、品評会のために育ててますが、今年が一番の出来でしてな。大きさ、形、色ともにそろってるんです。爆発の瞬間が楽しみですわい」
バタンとホークアイは本を閉じる。
読んでいるうちに本に引きずり込まれそうな感覚に陥る。今まで投げてきたカボチャの呪いというべきか。
はあ、と大きく息を吐く。字を追いすぎて疲れた目をほぐして、気分を改める。そうして、図書館の中に視線を巡らすと怪しげなチラシが貼ってあるのを見つけた。
『パンプキンボム祭り開催!』
「本当にあるんだ……」
与太話だと思っていたものが実在していたという衝撃。これは実際に見てみないといけない気もするし見てはいけないような気もする。
しかし、パンプキンボムよりももっと大きいカボチャに出会うとは、この日誰も想像していなかった。