「夜が明ける前に帰ろう」「よお、親不孝もんども」
約束の刻を少々過ぎた頃、ようやく姿を現した見知った顔に特大のブーメランを投げてよこす。
「何それ自己紹介? …つーか夜に集まるのってワクワクすんね」
「は〜…ごめん、遅れた…っ、置いてかれてなくて良かった…!」
どっぷりと更け込んだ夜。見上げれば濃紺をぶちまけたような空と満天の星が広がっていた。街あかりの乏しい田舎ゆえ、嫌味なほど澄んで見える。
…見上げた星空を綺麗だ、そうだね、と。素直に言い合うには些か心に容量が足りていないのかもしれない。おそらく、二人も俺と同じだからここへ来た。詳細な内訳は違えど、胸に詰まらせた何かのせいでうまく息ができていないのだと、俺は思う。
通学路の途中、飽きるほど行き来した景色を少し逸れると、ことさら街灯の乏しい道にある停留所。最終はとっくに出ているからバスはもう来ない。
人が座っているのを見たことがない寂れたベンチの前で俺たち三人は静かに集った。各々が漕いできた自転車を止める。小さな荷物をカゴに詰めて、散歩でもするようなラフな格好に、ペラペラのビーチサンダルを装備して。
「バレたら捜索願とか出されんのかな」
「怒られるのは確定でしょ。目に浮かぶようだよ」
「帰んなら今のうちやぞ」
やっぱり帰る、二人がその言葉を口にするのを期待する自分も居た。もともと一人で無計画に思案していたはずが、思いがけずバカが二人が釣れてしまったからこうなっただけ。そう、元々は一人で訪れるはずが、思い詰めた顔のバカ二人が釣れてしまったのだ。
だから、もし暗闇を目の前に躊躇う心があるのならば、連れていきたくはないと思った。
しかし、雪宮も乙夜も、それ以上は何も言わない。再び自身が漕いできた自転車へと跨がると、こちらへ振り返る。
「早く行こう。俺、真夜中の海って見てみたかったんだよね」
「いちお〜海パン履いてきた。準備万端」
目指すのは、三人が通うガッコーとは真反対の方角にある海岸。これは乙夜の提案だ。自分達の足で行ける範囲で、何も考えなくても良さそうな場所。放課後の空き教室で候補を出し合った。
片道二時間と少しも、もうそろそろ佳境である。登り坂を立ち漕ぎで踏ん張る、息を切らしながらも三人の間で会話が途切れることはない。傾斜が下りに変わると、ペダルから足を離してブレーキをゆるく握りこんだ。仄かに磯の香りがする、この下り坂を終えた先は目的地である。
「ついたなぁ」
「ついちゃったね」
「居なくなったの、もうバレてたりして」
「バレてたっていいよ。…はぁ、古臭い匂いしなーい、深呼吸しとこ」
砂浜を嫌うことなく寝そべる乙夜を見下ろす。
「なあ、お前ら、これバレたらなんて弁解するん」
「君らにそそかされたって言う」
「その言い訳いいね。俺も使おうかな。烏も使っていいよ」
「三人仲良く同じ言い訳をか? きしょいわ〜」
大層な目的なんてものは何一つない。ただちょっとだけ、形を成さない、けれど確かにこの身を蝕む何かから逃げ出したくなってしまった。
日々の鬱屈、嫌な視線、言葉。この海辺にはどれも見当たらない。
*
一年前の春、俺はこの街に越してきた。親の都合で、仕方なく。生まれ育った土地が好きだったが、引っ越しは嫌だと駄々をこねるほど子どもでもない。しかし、成人するまでは親の都合に振り回されて続けなければいけないのもまた事実。
転校先のガッコーで友達はたくさんできた。穏やかな人間が多い印象を受けたし、面白いやつらも見つけた。
のどかな田舎ライフを思い描いていられたのも刹那の間のこと。ああ、うちの家と近所の人間とで揉めているんだろうな、と子どもながらにすぐに察しがついた。
それがまた、厄介な相手だというのは後から知る羽目になる。この辺一帯を仕切る地主の家とどうにも折り合いが悪いのだと知ったのは、何気なく乙夜と下らない話で盛り上がっていた放課後のこと。
いきなり乙夜の腕を掴んだのは、見知らぬ大人だった。乙夜は知ったふうだったが、驚いている様に異様さを感じ大人と会話を試みるも、俺のことは見えていないのかとばかりにシカトをこかれた。そうして乙夜を強く叱りつけた後、キツく俺を睨めつけてつかつかと彼の腕を引いてこの場を去って行ってしまったのだ。
親のいざこざというのは、時に関係の無い子どもにまで被害を及ぼす。よそもんの息子と地主の息子が仲が良いさまが気に食わない、そんな大人が存在するとは夢にも思わなかった。
「田舎はクソ、解散!」
「右に同じく〜」
「お二人さんは大変だァねえ」
「でた、ユッキーの他人事発言」
「だって俺にとっては他人事だし…」
雪宮はこんな熱帯夜にも関わらず、涼しそうな面持ちで佇んでいる。首と額には確かに汗が伝っているのに、どこか冷たさを感じさせられた。そんな彼は寝そべる乙夜の横に腰を降ろして、砂を手のひらいっぱいに握りしめる。すると、───正面に振りかぶったではないか。宙に舞った砂の粒は潮風で押し戻されて俺の目と鼻と口の中に異物感をもたらす。
「っぶ!? 向かい風じゃアホ!」
「あはは、ごめんごめん」
「溜まってんね、ユッキーも」
「そりゃあそうでしょ。そうじゃなかったら来てないよ、こんな所」
俺たちはお互いのことに深く踏み込んだりはしない。何となくだけれども、知ってしまったらコイツらを依存先にしてしまいそうな気がして。だから、ちょっとだけ、今だけ。肩を借りて寄りかかるような関係性が丁度いい。
「…大人になりたないなぁ、反面教師しか居らんわ」
「そう? 俺は早く大人になって、遠くで暮らしたいな」
海を眺めながら、漠然とした会話は続く。…ああ、これはガス抜きだ。閉鎖的な風潮が巣食う土地の臭い部分に充てられた、若い芽が腐らずにいるための。
「…アホらしくなってきた!」
「奇遇だね、俺も」
「海でも入る?」
「……せっかくやし入るか」
「ガチ? 冗談のつもりだったのに」
*
「烏、水怖いんじゃなかったの」
「手ェ離したら殺す」
気が付けば胸の上まで浸かっていた。磯の香りが濃い、水の音がうるさい。砂浜は少し遠い。
「んー、ぬるいね」
「冷たくはない」
段々と交わす言葉数が減ってゆく。ついには誰一人として口を開くのを辞めてしまった。掴んだ手のひらを強く握られて、離れないようにされているのだと分かる。右も左も、アホみたいな強さでぎゅうっと握られている。
「おい」
「ん?」
「どーしようもなく嫌気が差しても、一人でここ来たらアカンで」
「烏くんがそれ言うの?」
誰が言ったのか、同時に言い出したのか。家に着いた今ではもう思い出せない。