無題 ただ、その横顔が綺麗だと思ったから。本当に、それだけ。
見開かれた赤銅の瞳からは、怒りとは少し違う困惑の色が見て取れた。
いたずらに触れ合った唇からは伝わった体温が落ち始め、射す陽を遮るように近付いた顔も、いまでは相手の匂いすら微かな距離に戻っていた。
「あは、変な顔」
「……ふむ、どうやら僕は君の評価を見誤っていたようだ」
「あっ、ちょっと。ごめんって、行かないでよ」
誤魔化すように紡いだ言葉は余りにも不誠実だった。男の僕からみても端正な顔立ちだと言うのに、思い切り顰められた眉からは明らかに不快の文字が顔に現れていて、思わずふ、と笑みが零れてしまう。
そんなふざけた態度の僕にさらに気分を悪くしたのか、反された踵が僕とは反対の方向に歩き出してしまわないように、僕は慌てて彼の手首を掴んだ。このまま逃がしてしまわないように、と口から出た薄っぺらい謝罪は、数センチも彼の心を動かせていないようで、固く結ばれた唇からは呆れたような溜息が漏れ出ていた。
「……何故こんなことをしたのか、弁明をするのであれば聞いてやろう」
「え? 口が寂しかったからだけど」
「はぁ、零点以下だな」
もう話すことは無い、と再び逆方向に歩き出す、自分とは合わないペースの歩幅に早足になりながら慌てて弁解をする。
いくらカンパニーの監視下に置かれた協力関係であると言えど、この堅物教授からの印象を下げてしまったら今後の仕事にも支障が出るし、僕の恋路も行く道がなくなってしまう。
「君だって、口が寂しくなることくらいあるだろ」
立ち止まって零すように弁明した言葉としては、余りにも稚拙で幼気な物言いだった。言い訳にしたって、もっといい選択肢があっただろう。
それに、口が寂しかったからなんて嘘はとうにバレているし、でも僕の口から君の横顔が綺麗だったから、なんて言う資格もない。
自身の奇特な色をした極彩の瞳は、どこを捉えればいいのかわからず所在なげに揺れてしまう。
「君は、口が寂しくなったら誰とでもキスをするのか」
とても即物的な、刺々しい物言いにひやり、と汗が滲んだ。
そんなわけないだろ、と否定したかった。だけど否定してしまったら、それってつまり君のことが好きですって言っているようなものだろう。
廊下の脇で立ち止まった僕に、道を引き返して歩み寄る。その優しさが滲むような立ち振る舞いは、いつみても天才になれない所以のように思える。それを彼に伝えたら今度こそ本当にどこかに行ってしまって、二度と顔を合わせてくれなさそうだけど。
「してたら、どうする?」
指先でコインを遊ぶような、そんな感覚で言葉を口にする。
試してみたかったんじゃない。教授が僕に突然キスをされて、なにを思うのか。それが気になってしまっただけだった。
無言の間を埋めるように距離を詰めて、彼の瞳を覗き込む。
「答えになってない。それと、質問に質問で返すのはやめろ」
「ふふ、ごめんごめん」