夢と夢と夢から覚めた夢「最近つきあい悪くない?」
二限の授業が終わるチャイムが鳴り響いて、いそいそと机の上に広げていた筆記具やらを片付けていたら隣に座っていた友人がじとりとした目でこちらを見てきた。三限は元々授業を入れていないし、お昼ご飯を食べてのんびりとしようと思っていたのに、これでは席を立つに立てない。
「これまで恋なんて興味ありません、て子がハマっちゃうとこうなるのねえ」
「なに、いきなり。別に興味がなかったわけじゃないよ……」
本当に人をなんだと思っているのだ。前々から好みの相手が見付かっていないだけだと言っておいたはずなのに。いや、彼女達からしたらそんな理由で全く恋愛をしていない私は珍しい存在なのだったか。
「確かに顔はいい方だと思うけどさあ。そんなにツボだったわけ?」
主語がない。なくても何を言いたいかわかるけれど。顔がいい方だなんて失礼な。いや、他に彼と親しくなりたいと言い出す人が出てきたらちょっと寂しくなるし、今のままでいいのかな。最終的には誰かと幸せになってほしいと思うけれど、今すぐでなくてもいいだろう。せめて私がこの大学を卒業するまでは少しでも長く声を聞いて、姿を眺めていたい。そのためには彼と親しくなりたいと思う人は少ない方が私にとって都合がいい。
「恋は盲目ってやつかね~」
なんだかんだ楽しそうだ。私は別に彼女達にエンタメを提供するつもりはないのだけれどな。そんなことより早く大学を出たいのだけれど。
「そろそろ一か月だっけ。名前くらいは聞いた?」
そう言われるまで私は彼の名前を知らないのだと気付かなかった。自分と、家族全員がエオルゼアで名乗っていた名前だったものだから、勝手に彼もそうなのだと思い込んでいた。なんていうことだろう。
「……いいの、知らなくても」
衝撃の事実に気付かせてくれた友人に感謝しつつも私は彼女たちが望まないであろう回答をした。そう、たとえ彼がルカという名前でなくても私は別にかまわない。言い方は悪いけれど、どうでもいいのだ。
今の彼の名前がどんな名前であれ、彼は私が遠い世界で愛した『ルカ・ソルカ』その人であることに変わりはない。それだけでじゅうぶん。
「なに、実は知り合いだったりするの?」
あまりにも私の答えが自身の想像とかけ離れていたのか、彼女は不思議そうな顔をした。彼女の想像は当たらずとも遠からずといったところだろうか。とはいえ、まさか「前世の恋人なの」だなんて言えるわけがない。そんなことを言おうものなら色々心配されてしまうに違いない。
「知り合いになりたいとか恋人になりたいとか思ってないからいいの」
改めて言えば友人たちは信じられないという表情で私のことをまじまじと見つめてきた。そんなにおかしなことじゃないと思うのだけれど。誰だってテレビの向こうにいる俳優さんの恋人になりたいと思ったりしないだろう。それと似たようなものなのだが。
「私もう行くね。お昼ご飯食べ損ねちゃうの嫌だし」
そんなことは起こらないだろうが、あの店はあまり席数が多いわけではないし、あまり遅くなれば昼食にありつくのが遅れる。それは出来れば避けたい。なによりそれだけルカくんの姿を見る時間が減ってしまう。
彼女たちの言い分はちゃんと聞いたし、私の考えも伝えたし。もういいだろう。それなのに。まだ机の上にまだ残っていた消しゴムを取り上げられた。返してほしい。
「今日は何が何でも一緒にお昼ご飯食べるわよ!」
「ええ……」
「私もまたオネッドのケーキ食べたいしね~」
上機嫌でそういうとスカートを翻し教室の出入り口へと向かった。私の消しゴムを持ったまま。今日は静かにあの店で時を過ごすのは諦めるしかないらしい。そもそもテーブル席は今から向かって空いているだろうか。
水曜日の十二時十五分。一月ほど前からの姿を見せるようになった一人の女性は毎週この時間に必ずやって来ていた。この店で食事を食べるのは週に二回。水曜日と金曜日で、金曜日は朝からやって来てモーニングを食べてから登校しているようだ。他の曜日に顔を出すことももちろんあるが、常に午後。ケーキセットを注文して一時間程で帰っていく。
それが彼女のここでの過ごし方。この一か月ですっかり覚えてしまった。今日は水曜日。つまり十二時十五分にやってきて、ここで昼食を食べる日だ。ちなみに今日のランチメニューは暑くなってきたので特製の冷製パスタ。彼女は初めて食べるメニューだが、きっと気に入ってくれるだろう。
美味しいと思ってくれた時に顔を綻ばせるのを見るのが好きだった。自分が作ったメニューではないけれど、自分が師事しているマスターの料理を美味しく食べているということはきっといつか自分の作った料理もあんな風に食べて貰えるに違いない。
それなのに。時計の長針は五を指そうとしているのに、店のドアベルが鳴ることはない。気温の変動に体調を崩してしまったのだろうか。まさか道中で事故にでもあったとか。救急車が通らないか外の様子を見に行こうとしたら、後ろから必死に笑いをこらえる声が聞こえてきた。
「ルカくん、少し落ち着いたらどうだい」
声の主はここのマスターだった。まだ三十代前半に見えるが、脱サラをしてこの店を始めたといことだから、実際はそれなりの年齢らしい。一度年齢を尋ねたことがあるけれど、笑顔でかわされたので、以降は年齢については一切口にしないようにしている。
「小さな子供じゃないんだし、大丈夫だよ。それに必ずうちに来ると決まっているわけじゃないし、他の店を利用しようと思ったのかもそれない」
そうだ、彼女は小さな子供じゃないんだ。つい勘違いをしてしまう。何故なんて考えるまでもない。夢のせいだ。元々幼い頃から繰り返し見ている不思議な夢。
そこは到底この世界のどこにも存在場所に思えた。緑が生い茂り空は広く高い。文明はそこそこだが、機械の類いがないわけではない。そんな不思議な世界を自分は冒険者として、駆けていた。何故か頭の上に兎の耳があったのは解せないが、他にも猫の耳やしっぽ、ライオンそっくりな種族もいたから、まあそういうものなのだろう。そういえば猫にはしっぽもあるのにどうして兎にはなかったのか改めて考えてみると不思議だ。進化の途中で不要だと退化したのだろうけれど。
自分のことはどうでもいい。そんな不思議な世界の夢を見るのはこれまで月に一度あるかないか程度だったのだ。幼い頃はもう少し頻繁に見ていたが、最近は本当に少なくなっていた。それなのにここ最近毎日のように見る。異常だと言っていいだろう。
おまけに最近見る夢には常に小さな女の子が登場していて。その女の子が彼女にそっくりなのだ。いや、成人女性に対し小さな女の子に似ているなんて言ったら失礼なのかもしれないが。似ているのだ。
自分の腰までしかない身長の彼女はそれでも成人女性らしく、自分は小さな彼女をとても大切に思っていて。むしろ夢の中の自分に過保護にも程があると言いたいくらいには大事にしていた。あれはもう囲っていたと言ってもいいレベルじゃなかろうか。そんなつもりは決してないのはわかるのだが。彼女自身も別に嫌がっていたわけではないし問題はないはずだ。無体を強いるわけでもない、ただ穏やかな時間を共に過ごしていただけだ。時折「それはやりすぎではないのか」と言いたくなる時もあったが、彼女は嬉しそうにずっと自分のそばで笑っているのだからどんどんエスカレートしていったのもやむを得ない。
そうじゃない。そうじゃないんだ。どうしてそんな夢を見ているのか、しかも最近店に通ってくれている女性とあの小さな女の子を重ねてしまうのか。それが問題なんだ。彼女があんな風に小さければなんて思ったこと一度もない。そんな趣味はない。ない筈だ。まさか自分が意識していないだけでそうだったのだろうか。そんなことはないと思いたいのだが。誰にもそんなこと言えない。
ぐるぐると思考は巡り、ドアベルが小さくなる音が聞こえて現実に戻ってこられた。危なかった。考えている間にマスターに話しかけられていなかっただろうか。自信がない。
ドアの向こうにいつもの彼女の姿を認めて安堵すると共に先ほどまでの己の思考と、思い出してしまった夢の内容は胸の内に押し込んで、しっかり蓋をしめた。いつも通りにお客様に対する顔を作れているだろうか。少しだけ不安に思いながら、彼女に笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ」
「あの、テーブル席まだ空いてますか」
どうやら今日は一人ではないらしい。なるほど、彼女の後ろに好奇心いっぱいといった顔をした友人らしき女性が三人いる。確か初めて彼女がここに来た時に一緒だった面々だ。あの時も色々と問われて少し困ったのだ。今日は変に話しかけられることがないように祈ろう。下手なことを問われたらボロが出そうで怖い。
「大丈夫ですよ。今お水をお持ちしますね」
窓際のテーブル席を示し彼女たちがそちらに向かうのを確認してから、四人分の水を用意してもらうためカウンターの向こうでこちらを見ながらにやにやしているマスターに声を掛けた。