どこへともなく私の歩は勝手に進む。
どこでもいいどこかへ行きたい。
そうして気がついたときには夢の森に足を踏み入れていた。
倒れ込めば頬に冷たい雪の感触。冷たい。気持ちいい。
甘い香りに乱されて思考がまとまらない。
それでいい。もう考えることも飽きた。
私は死に場所を探していたのだ。自分がどうしてこんな北に来てしまったのか、目的をようやく思い出す。
そうだ。
夢の森で穏やかな幻を見て、石になりたい。そう思ったのだ。
目を閉じて呼吸すらもお仕舞いにしようとしたとき。
「おい。あんた、大丈夫か?」
少し高めのボーイソプラノが鼓膜を震わせる。子供? こんなところに?
私はうっすらと目を開け、あたりを見回した。
そして鮮やかに輝くシトリンと視線が合う。瞬きをするそれはあまりにも眩しかった。
何かを言おうとしたけれども、言葉にはならず吐息だけが口から漏れる。
「生きてるな。おーい。寝ちゃダメだぞ」
小さな手が私の頬を幾度も叩く。寝てはならない? そうだ。寝たら石になってしまう。しかしそれでいいのだと私はまた目を閉じた。
「そいつはここに死にに来たんでしょ。放っておけよな」
今度は別の声が聞こえてくる。彼の言っていることは正しい。
「オーエン」
オーエン? 今、オーエンと言ったのか。ああ、なるほど。
子供が誰なのかも分かった。
少し前から北の魔法使いのオーエンは人形使いと呼ばれるようになった。赤い髪の子供の人形を連れているからそう呼ばれている。
夢の森はオーエンのテリトリーだ。
どうして私は彼、彼等に遭遇することを考慮していなかったのだろう。
でも、彼なら私を石にしてくれるに違いない。
目を閉じたまま腕を伸ばす。
そこにいるなら止めを刺してほしい。
しかし私の手を掴んだのは少し冷たい無機質さを感じさせる子供の手だった。
「こんなとこに来ちゃだめだ。あんたは助ける」
たすける。
「ちょっと。勝手なことを言わないで」
そいつは死にたがってるんだからさっさと石にしてしまえばいいとオーエンが言う。
「やだ」
「やだ、じゃないんだけど。だいたいお前は」
私を置いてきぼりにして、なぜか言い争いが始まってしまった。
はやく楽にしてくれと叫びたかったが、私には声を発する体力すらも残ってはいない。
しばらくして、呪文を唱える声が聞こえた。
私の意識はそこで途切れた。
――――
偶然、手に入れた魔法使い向けの新聞を握りしめて俺はオーエンの元に向かう。
「なあなあ、これ見てくれよ」
ソファで甘いホットチョコレートを飲んでいるオーエンが面倒くさそうにこちらに視線をよこした。
「なに? くだらないことなら怒るよ」
「くだらなくない」
そうして新聞の記事を見せる。そこにはとある魔法使いが寄せた短い文章が載っていた。
オーエンがそれを横目に見て、くだらないと呟く。
「俺にとってはくだらなくない。あと、お前ちゃんと読んだのか?」
オーエンの膝に乗り上げて記事を指差して押し付ければ、すごい顔をしていた。そんな顔をするほどでもないと思うが。
そこに書いてあるのは少し前に夢の森で出会った魔法使いのことだった。
あの魔法使いは夢の森を最期の地として来たのだろうことは分かっていたが、俺はやっぱり助けたかった。
だって死んだらそこで終わりだ。でも、生きていればもしかしたら良いことがあるかもしれない。俺はそう信じて生きていきたいし、ほかの誰かにもそう思って生きていてほしいから。
だから俺はオーエンにあいつを助けてほしいと願った。見ず知らずの他人にそこまでするなんて意味不明だしさすが騎士様だねなんて言われたが、なんだかんだ俺の我が儘を聞いてくれる。
「オーエン。ありがとうな」
なんだかんだこいつもいいとこあるよな。性格は相変わらず最悪だけど。
ちなみに俺の我が儘を聞いてくれるのはヒースクリフ曰く、俺に甘いからだそうだけど、本当かな。そんなに甘やかしてくれてるとは思えないけど。端から見るとそうらしい。
「感謝されることはしてないよ。ああ、そうだ。あのときのお前のお願いを聞いてやったお礼を貰ってない気がする」
「え? あのあとにネロにお菓子を作ってくれるようにって頼んだじゃないか」
あれがお礼なんだと思っていたが、どうやらそうではなかったみたいだ。おかしいな?
「お前が僕に直接なにかしてくれたわけじゃないだろ?」
うわ。鼻で笑われた。たしかにそれはそうだ。お菓子を作ったのはネロだから、俺は直接的にはお礼をしていない、のか? いや、そうか。そうなのかもしれない?
首を傾げているとオーエンが頭を撫でてくる。
「子供扱いするな」
頭上に置かれた手を払おうと手を伸ばしたら、オーエンに捕まれてしまった。
「ふふ。今はお子ちゃまじゃない」
この人形の体は厄災で魂が砕けてしまった俺の魂の欠片の容れ物として作られた。俺の魔道具の剣を核にしてオーエンが作ったらしい。ちょっと記憶があやふやだから実は俺はよく知らない。
詳しいことを知っているのはオーエン以外には、協力したアーサー、オズ、フィガロあたりだ。
見た目が子供なのは分かっているが、中身は大人だからオーエンの発言は認めたくはない。
「子供じゃない」
「魂が欠けてるし、その姿に精神が引っ張られているから、今のお前は子供なんだよ」
オーエンが顎を掴む。わりと容赦がないのでけっこう痛い。
「……子供だと思ってるならちょっとは手加減してくれ。いたい」
「あ、認めた」
「違う。認めてない」
しばらく不毛な言い合いが続いた。このやり取りも1日1回にした方がいい気がしてくる。今度、オーエンにそう伝えよう。
思考を巡らせていたら、オーエンの顔が近づいてきてお菓子屋さんの中みたいなお砂糖たっぷりのケーキのような匂いが鼻をかすめた。次に唇へ落とされたキスは暖かく、心地よさに俺は目を閉じる。
触れるだけの口付けを何度か繰り返してオーエンは離れていった。
「大人みたいに扱ってあげたよ」
にやにやと実に愉しそうに笑うオーエンを睨む。
さっきのキスが〝大人〟のキスじゃないことを分かりきっているくせにそんなことを言うのは本当に性格が悪い。
「……性格わる…………」
「ありがとう」
褒めてないと溜め息まじりに言えば、知ってるとオーエンが無邪気な顔で笑った。