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    おすし(半額)

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    おすし(半額)

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    平和な夜の一幕、だいぶ前に呟いていた「羽を見せ合う」というネタから。
    当社比で結構イチャついてるかもしれない。

    君が纏うは交歓の色 ふと、何かに呼ばれるように目を開ける。遠くでは夜を生きる虫たちの声が絶えず鳴っているが、不思議と静かな夜に感じた。
     眠気の糸を手放すには惜しくて、少し寝乱れたシーツに足の裏を滑らせる。薄目の視界にうつる暗闇と月明かりのコントラストが眩しく、そのままの体勢で何度かのまばたきをゆっくりと繰り返した。窓枠の形に切り取られた白と黒のふちは人のかたちがくっ付いて歪んでいる。
     首をわずかに傾けると、想像どおり、出窓に浅く腰掛けている男の背が見えた。眠りの浅い男が、夜が明けるまでずっと寝台の上にいることはそう多くはない。それを実際に確かめることができるかどうかは五分五分だった。気が緩んでいると言えばそうなのかもしれないが、わざわざ咎める者はいない。
     男はおそらく衣擦れの音でロイドが目を覚ましたことに気付いているだろう。それでも淡い輪郭の向こうにいる男は月を見上げたままで振り返ることはなかった。

     幾度となく繰り返しているであろう、男の数少ない趣味とも言える夜空を眺める行為が何時どんな理由ではじまったのか、ロイドは想像でしか知らない。が、そこに付随している感情について、つまり何を考えているのかについてはだいたいの想像がつく。
     昔に比べれば随分と自罰的な発言は減ったように思うが、彼の根幹は何も変わっていないように思う。ただ償うのなら生きていてもできると言ったことを受け取ってくれているだけで。
     だからロイドは、そんな彼の姿を見つけられた時には声をかけずにはいられない。
    「昔」
     寝起きの声は少し掠れていた。その小さな音を拾った男、クラトスは律儀に体を捻って振り向く。
    「初めて天使を見た時、羽があると生活が大変そうだなって思ったんだ。結局そんなことなかったけど」
     広い背を見てふと思ったことをぽつぽつと並べていく。言ってしまえばくだらないような話も無碍にされた記憶はない。
    「でも天使にも色々あって……マナの羽って言うのかな、そっちは……本当に綺麗でさ、悪いことばっかりじゃないかもしれないって、今となってはそんなことも思うようになった」
     今でも鮮明に思い出せるのは幼馴染が背負っていた夜明けよりも濃い紅紫色、はじめてクラトスが目の前に立ちはだかった時の高い空のような蒼色。それから──手が届かなかった夕焼けの橙と、違う道を歩んだ虹色。
     無機質な輝きではないと思えるようになったのはいつからだっただろうか。そちらはもう思い出せない。
     そして蒼色を背負う男は今ここにいて、今や自分も同じものを持っている。遠くまで歩んできたのだと実感するのももう何度目か。

     毒にも薬にもならない雑談を案外クラトスが嫌っている様子は無く、こちらを見ていた凪いだ瞳と目が合った。
    「マナの翼は完全な天使の象徴でもある」
     いくばくかの眠気を振り切ったロイドがのそりと上半身を起こすのと同時にクラトスが立ち上がった。
     そう広くはない部屋の中、そのまま青白い光に背を向けてゆったりと時間をかけてこちらに歩いてくる。ベッドの上に座り込んでいるロイドの姿を認めては一度ふっと目を細めて、それからまた背を向けてベッドの縁へ腰掛けた。
     一人には広く二人には狭い寝台が軋む。元はもっと狭く、一度新調しているのだが現時点で更に改造する予定はない。
    「翼の色はその者が生まれ持ったマナの色だ。また遺伝の影響もあるとされている。エルフやハーフエルフであれば視覚化されずとも多少知覚できるらしいが、我々には難しい」
     平坦な声が紡ぐ言葉の内容は雑談というよりもまるで授業のようだが、彼が語る内容はなかなかに興味深くはある。この状況でロイドには無関係な知識をひけらかすような男ではない。
     シーツの上を膝をついてにじり寄って、すぐそこにある背に片方の手のひらをぺたりと乗せた。寝間着一枚越しの厚みのある父の背はゆるやかに上下している。──天使といえども生きている。
     そのクラトスはというと特に何か言及するでもなくロイドの好きにさせておくようだった。この男のこんな無防備な背中を見られるのはある種の特権なのかもしれない。背後に立つなと忠告されたのも昔のことだ。
    「ちゃんと考えたことなかったけど……俺のは父さんと同じ色ってことになるのか?」
     眠気で薄くもやのかかったままの頭に浮かんだのはそんな純粋な疑問だった。対してクラトスは軽く悩むそぶりを見せてから、
    「百パーセントそうだとは言い切れないが、近しいものではあるのだろう。これ以上は専門外だ」
    そう肩をすくめた。へえ、とロイドの軽い相槌を受けて、それ以上は何も言わなかった。
    ──まあ、そうだよな。マナとか正直実感できたことほとんどないし。
     なんとなくクラトスの背中に触れていた手を下ろして、かわりにぐっと額を押し付けた。何故、と問われることはなかったが、問われたところで理由は一つだけだった。そんな気分だったのだ。
    「昔は……あんまり好きじゃなかったけど。今は嫌いじゃないよ」
     なにが、とまでは口にすることはできなかった。それこそ口説き文句のようで。ただそれでもクラトスにはじゅうぶん伝わったのか、そうか、と一言答えるのみだった。その表情は見えない。

     あの輝きを背負ったひとはいつも手の届かないところへ行ってしまいそうなひとばかりだった。かつては幼馴染の少女の手を掴んでいるので精一杯だったが、ようやく同じ場所に立てている。もう追いかけるだけでいなくても良いから好ましく思えるようになれたのだ──と、そこまで素面で言葉にできるほどの度胸はない。

     ゆるやかな呼吸を数度繰り返して、いっそこのまま目を閉じてしまおうかとロイドが思案したころ、タイミングを図っていたかのように、あるいはそれまで躊躇していたように、低い声がわずかに鼓膜を揺らす。
    「私は、あの日彗星に降り立ったおまえの背の輝きを、いちばん美しいと思った」
     その内容は予想だにしなかったもので、ロイドは一瞬のあいだ息を詰まらせてしまった。
    「…………、あの時は……そんなこと」
    「激しい困惑の中でも見惚れていた己がいることを認めざるを得なかった。もう一度目にした時には、そう確信した」
     単純に、驚いた。自分が言いたかったようなことをさも当然のように言ってのけてしまう男に。こみ上げる感情に少し胸をつかれる。おそらくは照れくさいだけなのだが。
    「……なんで。あんたのだって、ほとんど同じだろ」
     ぐりぐりと額を押し付けながら、あからさまな照れ隠しを口にした。本当は別にどうしても理由が必要なことだとは思えなかったし、なによりも自分を棚に上げておいての言いぐさだったが、クラトスはふっとちいさく笑って、
    「なぜだろうな」
    分かっているのかいないのか、という答えを呟いた。


     ──自分で見るのとは、やっぱり違うんだろうか。新たな疑問がロイドの胸中に浮上する。今でこそ慣れてある程度自由に天使の力を扱えるようになったが、そもそも滅多に使うことはないし、そんな時にわざわざ自分の背をまじまじと見ることはなかった。
    (減るもんでもないし)
     そう自分に言い訳をしながら目を伏せて、いちど深呼吸をする。長く息をついて、ぐっと左手を握る。
     一連の動作を感じ取ったクラトスが振り向くよりも前に、夜の影と弱く青白い光を裂いて蒼い燐光が現れる。今まではどうしても必要に駆られた時と慣れるために特訓していた時以外に使ったことはなかった。狭い屋内で大きく動かすのは憚られて、遠慮がちにゆらりと揺れたそれを、振り向いたクラトスの目が追った。
    「──ロイド?」
    「……父さんがそんなに言うから気になったんだよ」
     顔を上げると、そこにある横顔は影の中で光を放つ異物によって少しばかり照らされていた。わずかに見開かれた鳶色の瞳が燐光を受けてきらめく。
     自分で首を捻って背後の光を見てみても、感動を覚えることはない。ベッドの上では窮屈で、思い切ってシーツの上から床の木目の上へと降り立った。ひんやりとした木の感触が素足に直接伝わってきて、夜の空気を感じる。クラトスはずっとロイドの動作を目で追っている。
     ひたひたと数回の足音を立てて、床に映った四角い窓枠の形の中に足を踏み入れた。むき出しの爪先が青白く照らされるのが目に入る。変わらず背後から感じる視線を振り切って、独特な力加減で自分の背負う光を軽く前へ傾けると、月光を遮って蒼い光のかたまりが視界に映る。高い空の色。──やはり自分ではよくわからない。
    「そんな特別なもんじゃないと思うけど」
     翼の形にはある程度の個人差はあるらしいが、それもこのひとは今まで何人もの天使を見てきたことだろうし、そんな違いは些細なものだろうに、と思えてしまう。
     一体何がこのひとを惹きつけているのだろう。自分のことだというのにロイドには思い当たるようなことが何もない。答えを求めるようにクラトスのほうへ体半分振り返ると、彼はわずかにベッドを軋ませて立ち上がるところだった。
    「私にとっては特別だということだ。……あの日のことを覚えているか」
     そのまま歩み寄ってくる男をぼんやりと見上げる。コントラストの強い光が表情を照らして、前髪と睫毛がそのうえに影をつくっている。問いかけに対して、ああ、と返事をしても、その目はずっと自分の背後に向けられていて、視線が絡まることはない。
    「忘れようとしたって無理だよ。俺の人生でいちばん緊張したんだから」
     緊張というならばそれこそ世界を救うよりも、と冗談を言える空気ではないのでその思いは口の中で飲み込んでおく。
    「でも……あの時、父さんを苦しめたのは俺だ。だから、あまり良く思っていないんじゃないかって、ずっと思ってた」
     忘れたくても忘れられない。いつも冷静沈着で、時に厳しく時に優しかった思い出の中のひとの表情が、長い時を経て困惑と怒りと、それから絶望のようなもので塗り重ねられた瞬間。それを見てしまった時、ロイドは初めて後悔をしそうになって────食いしばった。それでも諦めきれなかったのだから。
    「ただ再会を喜ぶには、私たちの間に空いた時間は長すぎたのだ。目の前のおまえに憤っていたわけではない」
    「そう、なのかもしれないけど」
     優しい手のひらにそっと肩を押されて、またクラトスに背を向ける形になった。爪先が月明かりの中から影のほうへはみ出す。
    「私にとっては、それと同じくらい救いでもあったというだけだ。時空を飛び越えてきたおまえの姿が」
     そう語る声はあの時の絶望を欠片も感じさせないほど穏やかなものだった。そんな声で、そんなことを言われては何も言い返しようがない。狡いひとだ。

     ほう、と恍惚の溜息が聞こえたと思えば突然背中に手がふれて、身が竦んだ。薄布越しに肩甲骨のあたりを硬い指でなぞられると肌が粟立ちそうになる。状況から察するにただ翼の始点がそのあたりだからというだけで、他意はないのだろうが。──そういえば先程は自分も同じようなことをしたのだった。
     くすぐったかったが、あえて目を伏せて暗闇の中で指先の感覚に身を任せた。慈しむような手つきを享受しながら、無意識に乾いた下唇を嘗めた。
     半歩ぶんしか空いていない距離と触れられている手にどれほどの意味が込められているのかは曖昧に推し量ることしかできない。だが、
    「綺麗だ」
    吐息混じりに耳朶をくすぐっていった声色に込められたものが全てのように思えた。
     返事のかわりに吐き出した息は少し震えていた。とろりと甘さの滲んだ声にはまだ慣れない。このひとは自分がどんな声色をしているのか本当に分かっているのだろうか。自分の翼についてなんて、なんとも思ったことはなかったが……このひとがそう言うのなら、という気がしてしまう。
     それに、自分が背負うものがクラトスと同じ色をしているというのは、目に見えない繋がりを持っているようで悪い気分はしない。ロイドにとってはたとえ本人が何と言おうと父親の存在は誇りでもある。

     背中のやわい感覚にそわそわと耐えていたが、とうとう耐えきれなくなって、妙な声を上げることになる前に身を翻した。
    「父さんばっかりずるいだろ?」
     そう言って爪先が触れそうな距離まで詰め寄ってじっと顔を覗き込むと、クラトスは瞬きののち、心得たとばかりに目を伏せる。そして次に瞼を持ち上げた時には、淡い輝きが現れる。
     背後の色に目を滑らせようとすると、その前に肩に手をかけられて、ぐっと引き寄せられていた。油断していたロイドは、うわ、と気の抜けた声をあげてしまったが、クラトスがそれに構う様子はなかった。これといって抵抗をしようとは思わなかったが、それにしても、めずらしいな、とロイドは思った。

     こういった接触をクラトスのほうから行ってくるのは、比較的稀なことと言えた。
     基本的にはこの男はロイドが望まないかぎり踏み込んでこないのが常だが、時折こうして接触してくることもあった。理由についてはこれまた推し量るほかないが、案外先程のロイドと同じように、そんな気分だったから、だったりするのかもしれない。いずれにせよ拒む理由は特になく、それならそれで、と身を任せることにした。

     肩に回された手が背骨をたどるように滑って、腰まで下ったところでぴったりと嵌まるように落ち着いた。その動きに任せていると空いていた距離はゼロになる。クラトスの長い前髪が自分の額にかかりそうな距離。はずれない視線、その目の中にはくゆる蒼色がずっとちらついている。
    「……そ、そこまで見るもんでもないだろ…………」
     至近距離で覗いても、視線は合っているようで合っていない。クラトスのあまりにも熱心な視線から逃れるように、目の前の肩に額を押し付けて自らの視界を閉ざした。ついでにと自分も行き場のなかった腕をクラトスの腰に回す。絞り出すようにしてかろうじて発した声がくぐもった。
    「……すまない。だがあの時の姿だけではなく、その後お前が倒れるまでのことも忘れられぬのだ」
     ほんの少しだけ感情が落ち込んだ声色でクラトスが呟く。その言葉が示すところと、ぐっと腰を抱える腕に力が込められた理由に心当たりのあるロイドには、安易に反論することはできない。
    「それは悪かったけど今は大丈夫だって」
    「わかっている」
     わずかに踵の浮いた体勢のまま、宥めるように広い背中を軽く叩くと、ようやくクラトスの腕が少しゆるんだ。
     ただそうしたかったから、という理由でロイドは自然とそんな行動をとったが、こういった近い触れ合いの時はだいたいの場合立場が逆で、なんだか新鮮だった。クラトスももしかしたらいつも無意識なのかもしれない。基本的には自分から望んで始まることなのでどちらでも構わないけれど。


     暫しそのまま寄り添っていて、どちらのものか分からない心音に飽きたころ、ゆるゆると顔を上げた。時折ゆったりと背を撫でていく指がこそばゆい。
     肩越しの視界には燃える蒼色が揺れている。今となっては多少見慣れたそれを、意趣返しにまじまじと眺める。クラトスも己の視線には気付いているだろうに、それを気にする様子は特にない。──自分ばかり無駄に照れているようで、少しだけ面白くない。
     それにしても。色のついた硝子のように透明な翼を眺める。確かにそこに存在するのに手に触れられずすり抜けていく、とくべつな天使の翼。鏡に映したように自分も背負っているもの。わずかに揺らめく輝きは、決して冷たく無機質なものではない。
     ──ああ、とロイドはようやく思い至る。これがマナの色だというのなら、これはクラトスの命の色だ。長い道の果てに、輝石の力はどうであれ、自分とともに人として生きてくれているひと。
     そう思えば確かにいとおしいものなのかもしれない、と初めてクラトスの熱視線の理由の一欠片を理解した。その色に触れられないかわりに、言葉にできなかったぶんの想いを抱きしめる両腕に込める。俺はこの色が好きだよ、と。

     彼の言う救いと奇跡に浸って二人して引っ付いていると時間を忘れそうになるが、白い月明かりが一瞬陰ったことで時間の流れというものを思い出した。ついでに、暗がりの中の少し乱れた寝床のことも。一旦置いてきた眠気は案外すぐそこにあるような気もする。
     ふっと肩の力を抜いて、深呼吸を一度する。そうすれば、不自然な光に照らされた室内に半分だけ静寂が戻る。もう半分はクラトス次第だったが、ロイドの様子を見てのことか、彼の背負う光もすぐに消えた。そう広くはない部屋に、モノクロに近い夜の色合いが戻ってくる。
     しばらく互いに言葉を発していなかったが、よくあることだった。ただ寄り添っているだけの心地良い沈黙はクラトスから教わったものだ。もう何かに急かされて走らなければならない、眠る暇もないような夜ではない今、それを享受しているのはきっと幸福なことだ。数えきれないほどの夜を過ごしてきた目の前のひとも同じであればいいと思う。
     おとがいをもちあげて、クラトスの前髪の奥の表情を覗き込んだ。影のなかから静かな視線がじっとこちらを見ている。その目の中に、今はもう見えない蒼色が一瞬ちらついたような気がした。昼間とは違う類の視線の熱にあてられている。
     それが自然であるように、さらにもうすこし踵を浮かせて、わずかに残った距離を自分から詰めた。掠めるようにくちづけると、微かな吐息ののちに啄むように返される。戯れのような触れ合いに浸るべく早々に目を閉じてしまう。こうして求めると、満足して余るくらいのものを返されるのが常になってしまっている。あまやかされている、と思う。
     目の前の腰に縋る手に自然と力がこもる。何度か角度を変えてから、熱が入りきってしまう前に、下唇をやわく食まれたのを最後にして顔を離した。一息をつくと、ぬるい戯れを続けた名残か、自分が思ったよりも吐いた息は熱っぽかった。
     視線を絡めたまま、クラトスはこちらの様子を窺っているように思えた。このままもっと深い触れ合いをすることもあるけれど、それよりも今はこのままもう一度眠ってしまいたい気分だった。月はまだ高く、夜明けまでには程遠い。
    「まだ寝足りないからさ……父さんも寝よう」
     緩められた腕の中をすり抜けて、背中からベッドに倒れ込んで転がった。ロイドを追って振り返った男を、腕に残った熱が夜闇に消えてしまう前に寝床へと誘う。もっとも、今夜のはじまりまで遡れば互いに元いた位置に戻るだけとも言える。クラトスは短く息をついてから、そうだな、と言って月明かりに背を向けた。


     暗がりの中で身を寄せると、ひやりとした空気の感覚をすぐに忘れてしまいそうになる。ひとの温度が心地良いものなのだと、彼が帰ってきてからというもの、何度も思い知らされている。凍えそうな荒野の夜とはもうしばらくの間ご無沙汰だ。もうあの身を切るような風の中に戻るのは難しいかもしれない。
     ぬくい体温と回された腕の重みを感じていると、一時手放していた眠気を再び掴むまでにそう時間はかからない。こどものようだったが、生きている、と感じられる体温をロイドは好ましく思っている。おそらくは隣の男も同じなのだと思う。
     暗闇の中で瞼を下ろす。瞼の裏に焼きついた、己と彼の命の色を噛み締める。ゆるやかに変化し続ける世界の中で、自分もクラトスもまだ生きている。一人では長い夜も、二人なら心穏やかなまま夜が明ける。
    ────おやすみ、また明日。






    ◇◇◇


     腕のなかの青年がふたたび眠りに落ちてからどれほどが経ったのか、目を開くと広がっている暗闇は夜明けまでの長い猶予を示している。

     少なくとも今のクラトスにとっては、これはただ遠い夜明けを待つだけの、色のない時間ではない。慈しむべき青年の鼓動を、生きている証を直接触れて感じられることのどれほど幸福なことか。己が全ての責任とともに今度こそ守り抜かねばならないと思っているもの。
     いつか己の手を引いた天使は、今はその煌めく翼も力強い瞳も伏せてただ穏やかな寝息を立てている。だが今はもう天使という存在に特別な意味などなく、彼の本質には何も変わりはない。未だ折れない理想を大切に抱いて歩み続けている、己の血と魂を分けた息子だった。
     役目を終えてすべてを清算することしか考えていなかった己が今なお生きている理由はロイドがそう望んだからに他ならない。償いを続けながら彼の幸福のために生きようと思ってしまうほど、彼の存在は大きかった。
     だからこそ、その命の色をいとおしいと思わないはずはなかった。
     もっとも滅多に目にすることはないが、今夜はたまたま彼の気紛れによってまみえることとなった。ゆるやかに上下する肩の向こう、月光に照らされていたその背の輝きを想起する。己とそう変わらないはずなのに目を奪うような煌めきを持っているように思える色。
     ふと、また不躾に背に触れそうになって、先ほど恥じらい混じりに咎められたばかりであることを思い出し、わずかに持ち上げた手はうなじの後れ毛を撫でるにとどまった。癖のある跳ねた毛が指先に弾かれて揺れては元に戻る。
     昔からやたらと寝つきの良い青年はさすがにその程度の接触では目を覚ましそうにはなかったが、また寝床を抜け出せば起こしてしまうかもしれない。そう考えるともう一度窓辺に戻る気は起きなかった。何よりも今夜はもう、夜空を眺めているよりも、青年の温度に浸っているほうが良いと思えた。
     ロイドの腰を抱き寄せてもう少し身を寄せると、彼は小さく身じろぎをする。二人では決して広いとは言えない大きさのベッドだが、今ではこうして身を寄せていることばかりで、あまり気になったことはない。無意識の動作から爪先に近い足の甲どうしが触れて、すり、とわずかに音を立てた。そんな所作もまた愛おしいと思う。
     崩れた前髪の隙間にのぞく額に静かに唇を寄せる。クラトスが願うのはただひとつ、彼の過ごす夜が穏やかなものであればいいと、ただそれだけだ。
    ────おやすみ、良い夢を。
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