ナマモノ犬猿 夏。一年で最も暑い季節だ。年々異常気象で最高気温を更新していく中で項垂れてしまうが、ここ日本には夏ならではのイベントがある。
夏のイベントといえば一般的に思い浮かべるのは花火大会や海開き、夏祭りでの屋台巡りや涼しくなるお化け屋敷など挙げていけばキリがないだろう。
そんな中、ここ防衛隊東方師団内ではきたるべき熱い夏のイベント……いや、戦に足を運ぶ猛者がいた。
場所は有明ビッグサイト。本日ここで行われる催しは同人誌即売会だ。
キャリーケースをゴロゴロと転がしながら小此木が眼鏡を外し、流れ落ちる汗を拭った。
「まだ朝早いというのに暑いですねぇ。水分補給しっかりしてお互い頑張りましょう!」
見るからに疲れが取れていないのに満面の笑みで小此木が笑顔を向けたその先には、第一部隊のオペレーションルームに勤務する来栖がいた。小此木と同じく、目の下には濃い隈が残っており、疲労が濃く滲んでいたが何故か清々しい程の笑顔だった。
「まさかお互い隣接配置になるとは思いませんでしたね、あ、新刊のお取り置きお願いします。いつもぼくの命が助かってます。社畜ドーナツさん」
「いえいえ、こちらこそ。私も何度あなたの御本を読み返したか。眼鏡さんの新刊欲しいので、私もお取り置きをお願いします」
ちなみに『社畜ドーナツ』は小此木のサークル活動名であり、『眼鏡』は来栖の事である。
二人が扱うのはこの世界でいうナマモノジャンル、防衛隊員――それもそれぞれの上官同士のカップリングである。
特に第一部隊隊長である鳴海弦と第三部隊副隊長である保科宗四郎、この二人は犬猿カップルとして描かれる事が多く、今日、参加している二人も上官のカップリング『鳴保』を取り扱っていた。
小此木も来栖も、隊員達とは違いメディアにおいて顔が出るような事がほとんど無い為、誰もこの二人が防衛隊所属である事実を知らない。
読者やフォロワーからは、書かれる作品がどれもリアルを帯びていて、実際に間近で見てきたように(実際めちゃくちゃ間近で見ている) 二人の解像度が高いという点で、いつの間にか人気作家となっていた。
即売会では常に壁配置で、本を買いに来た猛者達がすぐに列を形成する程だった。おかげですぐにシャッターが開く。
まだ開場はしていない。だが、他のサークル参加者達がソワソワと落ち着かない様子でこちらを見ているのに気づいた。(これは……開場と共にすぐ来そうね!)
モタモタしてられないと、小此木は急いで設営に取り掛かった。
♪
同日、鳴海は来栖達と同じ場所に来ていた。しかし、鳴海のお目当ては企業ブースだった。
ガンドムの限定プラモと、会場限定価格でガンドム大全集が販売されると聞き、なんとしてでも直接手にとって見て触れて買いたい! でも暑い外で長時間並ぶなんて嫌だと喚いていたところに天からの一声が降り注いだ。
「サーチケ、一枚余ってるのでお譲りしましょうか?」
隊長室を訪れていた来栖がふいに声をかけたのだった。
「サーチケ? って何だ?」
「それがあれば一般待機列で並ばずともスムーズに中に入れますよ」
裏面を見るとなにやら平仮名一文字とアルファベットや数字が印字されており、鳴海は来栖をジロリと見た。
「スムーズに入れるのは有難い、が……何で君がこんな物を持っているのかね」
「実は友人の手伝いをする事になって、多めにチケットを持ってたってだけですよ。友人からは余ったチケットは自由にしても良いと言われているので、隊長が使って頂けるなら本望ですよ!」
よくもまぁ、こんなにペラペラと己の口から嘘を吐き出せるとは……。だって、言えない。鳴保の本を作って頒布しているだなんて言える訳がない。心中で鳴海に詫びながら、同時に鳴海が楽しい時間を過ごせるよう、当日、怪獣が現れない事だけを強く願った。
そうしてイベント当日、来栖と小此木が自作の本を頒布する別のホール内、鳴海はガンドムのブースで目を輝かせていた。同じくもう一人、この地を防衛隊所属の隊員が訪れていた。
第三部隊、副隊長である保科宗四郎もビッグサイトに来ていたのだ。この日、保科は久しぶりに休暇を無理矢理取らされ、暇を持て余していた。
時は三日前に遡る。
働きすぎだとお叱りを受け、亜代より突然言い渡された非番に、何をしようかスマホを片手に唸っていた。する事はたくさんある筈なのに突然時間が降って湧くと途端に何も思い浮かばないのは何故だろうか。無意味に画面の情報だけをスクロールしていくだけの時間。無理矢理予定を作るというのはこんなにも難しいものだったか。
ふと、一つの記事が目に留まった。その内容は『イベント限定! 関東初出展モンブラン専門のお店』というものだった。モンブランには目が無い保科は高揚感を覚えながら記事をタップした。
「へぇ……有明のイベントで期間限定出店? なんのイベントなんやろ。フードフェスでもあるんか?」
日付や場所をブツブツ声に出して記事を読んでいると、保科の独り言を断片的に聞いていた小此木が声を掛けた。
「そのイベント、行かれるならチケットお譲りしますよ。並ばずに入場できるチケットが余ってるので、如何ですか?」
「なんや小此木ちゃん、まだ残ってたんか。並ばんでいいのは有難いなあ。チケットっていくら?」
「あっ、お金はいらないですよ。余ってた物なので。使って頂ける人がいる方が嬉しいですよ」
そう言われ、よくわからないままサーチケを譲ってもらったのだった。
そうして迎えたイベント当日、保科は朝イチで鳴海に提出する書類があったので有明基地を訪れていた。予想はしていたものの、やはり自分を出迎えてくれたのは鳴海ではなく、長谷川だった。
朝の挨拶もそこそこに、隊長への用事を長谷川へ伝える。チラリと手元の時計に視線を落とすとまだまだ入場時間に余裕はあったが、保科の心は限定モンブランでいっぱいだった。
「ん、不備は無さそうだな。この書類は預かっておこう。わざわざ休みの日にすまなかったな」
「いえいえ、丁度この後、この近くに用事があったんで」
そう言われ保科の姿をよくよく見ると、たまに見る私服姿よりも幾分ラフな格好をしていた。
非番の日にまで隊服を着用し、更にその中に戦闘スーツを着て行動するような男だ。完全な私服自体が非常に珍しい。
「どうした。普段より浮かれてるじゃないか。何かあるのか?」
「なんかビッグサイトに限定スイーツの店が出店するそうで、そこに行ってみようかと」
保科の言葉に長谷川がふむ……と顎に手をやった。
「……奇遇だな。実は鳴海も今日はそこに用があるらしくて、今頃行ってるんじゃないか? 何か限定品を買いたいだとかなんとか言っていたな」
「わぁ~~会うかもしれんやん。最悪ですね」
「公共の場だ。出くわしても程ほどにしとけよ」
「それは鳴海隊長次第ですわ」
ほな、僕はこれで――一礼をし保科は有明基地を後にし、足早に現地へと赴いた。
♪
人の波に揉まれ、現地に着くと大勢の人が待機列を成していてその多さに驚いた。
(うわ……今ここに怪獣が出たらこの人数全員避難させらなあかんって事やんな。うわぁ、考えんとこ)
社畜の思考を振り払い、小此木から受け取ったサークルチケットを取り出してスタッフに見せるとすんなり通されて胸を撫で下ろした。既に一般入場が始まっていたが、列に並ぶ事なく中に入れた為、改めて小此木に感謝をした。
店の配置場所を確認し、目的のホール内へ入ると割とすぐにお目当ての店を見つける。
数名が限定モンブランの列に並んでおり、保科も後ろに続いて列に加わった。列は順調に進み、無事、目的のモンブランを買う事が出来た。自分用と、チケットを譲ってくれた小此木への礼の分も忘れなかった。
さて、時間帯はまだまだ午前中。早々に目的を達成してしまった訳で、ついでだからと他のスペースも回ってみる事にした。非番だし、時間はまだまだある。
ホールを移動し、中に入ってすぐのエリアではグッズスペースが広がっていた。見て回り、成程、これはフリマなのだな? と一人で勝手に勘違いのまま納得する。
次はどこを見ようかと振り返ったその時、離れた所に自分の姿が描かれたポスターを見つけた。
(こんな所に今日、防衛隊が何か展示をする話なんてあったか……?)
何となく気になり、保科はそのポスター付近へと近づいた。
近づけば近づく程、周りの女性達がザワザワヒソヒソし始め、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。
視線を浴びながら辿りつき、保科はポカンと口を開けたまま立ち尽くした。
――何やこれ……?
間近で見たポスターには何故か鳴海隊長と僕が抱き締め合ってる絵柄がデカデカと存在感を主張していた。そう言った類のポスターがそこかしこにあり、机上には何故か肌色多めな二人の絵柄の表紙の本があった。気のせいか、いや――気のせいではない。無数の視線を感じる。「え……ほんもの?」「ちょ、本隠そう」などと小声が聞こえてきた。
初めて感じる異様な空気間に視線を彷徨わせていると見知った顔と視線があった。
そこには引き攣った顔の小此木と第一部隊所属の来栖がいた。
見慣れた顔ぶれに少し安堵し、近づく。
そして気付いた。小此木の目の前の机に、自分と鳴海隊長が背中合わせで並んで立っている絵が表紙になった本が縦に積まれていた事に。
「なんや小此木ちゃん。こっそり本なんか書いてたん?」
そう言い、アワアワ言っている小此木の目の前の本を一冊手にとった時、背後から威勢のいい声がとんできた。
「なんでお前がここにいるんだ! 保科ぁ‼」
毎度毎度口喧嘩が強くないのに僕を見るとつっかかってくる人間など、保科の身の周りでは一人しかいない。
「なんや、鳴海隊長ですかぁ。休みの日に僕がどこにおろうと勝手ですやん」
休みの日にまで会うなんてほんま最悪ですわぁと満面の笑みで返すとハンカチを噛みちぎりそうな勢いでギリギリと歯をくいしばる鳴海がこちらを睨む。
煽った分だけ素直に煽られてくれるので正直めんどくさい人だが保科は楽しんでいた。幼少期は兄に煽られて悔しい思いを幾度もしてきたが、煽るとはこんなにも楽しいものなのか。
結局は兄弟、似ているのだなとふとした時に感じる。
突如現れた鳴海に来栖は存在感を薄め、小此木は眼鏡を外し、少しでも他人のふりをした。小声だったザワツキが次第に大きく拡がっていく。
『え、ちょ、生の犬猿? マジ?』
『推しカプが目の前にいる……こっちを見ないで。あぁでも、もう少し見ていたい』
鳴保の世界に突然ほんものが登場した事で血走った目が二人に突き刺さる。
生のなるほだ……犬猿してる……そんなつぶやきがそこかしこから聞こえてきた。
漸く異様な雰囲気を感じ取った鳴海が、来栖が頒布していた本の表紙に気付き、違和感を覚えた。
「なんでボクと保科が抱き合ってるんだ……。ん? 成人指定?」
止める来栖の手を遮り一冊パラパラとページを捲るのを、横から保科も覗きこんだ。そして二人とも目をかっぴらく。
「ななななななななななななななんでボクと保科がキキキキキキキスなんかしてるんだ⁉」
「なんで僕が鳴海隊長に抱かれてるん⁉ え、僕こんな顔するって想像されてるん?」
――もう勘弁して下さいよ。ふざけんな、なんなんだよこの人達。隠れてコソコソやってきたのに何でここにいるんだよマジ帰れよ――
来栖は瀕死だった。
お願いします鳴海隊長。限定ガンドムを手に入れたのならさっさと帰って下さい。何でこっちのホールに来たんですか……。
小此木は机上に置いてた本を急いで段ボール箱に詰めた。まだ死にたくない。命が惜しい。
魂が抜けかけている二人を余所に、鳴海と保科はあろうことかじっくりと本を読み始めた。
「ふん、でもボクの手でお前が弱った顔をしているのを見るのは気分が良いな」
「はぁ? 鳴海隊長ごときに僕が堕ちるとでも思ってるんですか?」
「はあぁ⁉ ここのページを見ろ! これくらいの腰使いならボク様だってできる!」
「ほぉ~ん? そんなら見せてもらいましょうか。この後用事でもあるんですか」
「用事ならもう済ませた。よし、とりあえずボクの家に行くぞ。ボクの手技に泣きベソかくなよ、この本みたいに」
「だ~れが泣くかいな、誰が。童貞隊長のお手並み拝見といきますか」
童貞ちゃうわい! と歯を剥き出しに怒りながら鳴海が財布からお金を出す。
「来栖、一冊頂いていくぞ。よく描けてるじゃないか」
チャリ……トレーにお代金が置かれた音で気絶していた来栖が正気に取り戻した。
「ハッ……! あ、ありがとうございます!」
両手を合わせて拝む者、生の鳴保、生の犬猿に涙する者に囲まれ、腐女子・腐男子達が歓喜の呻きを上げる中、二人は会場を後にした。
「眼鏡さん、生きてますか……」
「社畜さん……無理です……無理です‼」
上官が自分の本(しかも登場人物は御本人)を買って行っただけでも瀕死ものだが、先程の二人の会話を反芻すると、今日これからあの二人は…………ナニガオキルンダ?
連日のハードワークに睡眠時間を削っての原稿作業。来栖の全てがオーバーヒートしてしまい、思考能力を放棄した。
ぼくが今やるべき事はなんだろう。それだけを考え、少しだけ席を空けて買い物という名の狩りへ繰り出す事にした。
♪
翌日、厳しい日光が照りつける中、関東に怪獣警報が鳴り響いた。イベント終了後の燃え尽き症候群を吹き飛ばすように来栖は栄養ドリンクを一気飲みし、モニターを注視する。
怪獣が出現したエリアは第一部隊の管轄内。ギリギリ第三部隊の管轄に入りそうな位置だった。映像で捉えた怪獣の特徴をあらい出す。個体数は五。サイズはそれぞれ小型から中型。すばっしこく、移動速度が速い事から第三部隊にも応援要請をする事になった。
インカムから聞きたいような聞きたくないような、鳴海の息弾む声が聞こえた。
『今どんな状態だ。追っていたが二体見失った。第三に応援は出したのか?』
「鳴海隊長! 今こちらで捉えた位置情報を転送します。第三には先程出動要請を出したところで……」
『もう着いとるで‼』
つい最近聞いたばかりの関西弁がインカムから聞こえた。次いで第三のオペレーションルームとも通信が繋がる。
『こちら小此木、保科副隊長B地点に現着‼ 次いで斑鳩正体をE地点へ移送中。三分後に配置予定です』
「了‼」
モニターを見ると推しカプ……もとい近接戦闘トップツーが技を繰り出し、湧き出す余獣を葬り去っていた。
すごい、やはりこのお二人は凄いのだ。少しの罪悪感を感じていたその時、ふと違和感に気付いた。
モニターに映った保科副隊長の動きがどこかぎこちない。余獣の取り零しはないがヒョコヒョコした動きをしている。足を痛めたのだろうか?
『小此木ちゃん! けほっ、E地点はまだ大丈夫そうか?』
インカム越しに聞こえた声は少し掠れていて大きな声を出すのが辛そうだった。保科副隊長ともあろう方が珍しい。体調でも崩されたのだろうか。小此木隊員が返事をするよりも早く別の声が遮った。
『保科、無理するな、すぐそっちに行く』
――? 鳴海隊長?
何だろう今の……え? 鳴海隊長でしたよね?
保科副隊長が映るモニターへ視線を移すと中型の怪獣が接近し、核を切り刻もうとした刀の動きをギリギリと止めていた。力任せに抑えられ、痛みに耐えるように顔を顰めたその直後、別方向からの猛攻で核はあっさり砕かれた。
解放された保科の体がその場にドシャリと崩れて座りこむ。
『おい、大丈夫かよ』
『はは、有難うございます。誰かさんのせいで本調子ちゃうわ』
『そうだな、ボクのせいだ。昨日は無理させたからな。今日はボクに任せてお前はゆっくり休んでおけ』
『ほんまに……あんなけ止めたのに。お陰で色んな所が痛いんですけど』
二人の会話がポンポンと耳に入ってくる。というかオペレーションルーム内に響いている事にこの二人は気付いていないのだろうか。小此木の様子をモニター越しに見てみると眼鏡を光らせていた。
モニターに映し出された二人の行動は更にエスカレートする。座り込んでいた保科の腰に鳴海が代わりに刀を納刀してやり、そのまま膝裏に手をさしこむとよいしょっと呟きながら抱き上げたのだ。
この瞬間、小此木の眼鏡は木っ端みじんになった。視覚から得た情報が過多すぎる事が原因だったと後から聞いた。
『ちょっと! こんな恥ずい事やめてや! 下ろせ!』
『救護室まで行ったら下ろしてやるよ。お前に何かあったらボクが、その……困るからな……』
『な……鳴海隊長』
ボソボソと口ごもる鳴海の顔は真っ赤で、お姫様抱っこをされた保科も真っ赤で。オペレーションルーム内に二人分の『心拍急上昇』というアラートが鳴り響く。
漸く現着したのか、E地点が映ったモニターからは『保科副隊長、どうしたんですか⁉ 副隊長――‼』と斑鳩の馬鹿でかい声が響き渡っていた。
もうなんだか色々と五月蠅い。情報が完結しないまま、遠く離れた地点から亜代の遠距離射撃が怪獣を打ち抜き、事体はなんとか収拾した。
鳴海と保科の心拍上昇アラート音と保科の身に何かを察知してしまった斑鳩の、保科を呼ぶ声だけがいつまでもオペレーションルーム内に響き渡っていた。
♪
その夜、来栖と小此木は飲み屋に来ていた。
イベントの時に見た二人のやりとり。そして今日の討伐任務中の二人の会話の内容、そしてやりとり。推しカプによる生のお姫様抱っこ披露。
「社畜ドーナツさん、折り入ってご相談があるんですが」
「眼鏡さん、奇遇ですね。私もですよ」
二人はある強い決意表明をし、キンキンに冷えたビールジョッキをカチンと鳴らし、乾杯をした。
今日も今日とて推しがウマイ‼
後のイベントで二人は合同サークルとして参加し、そこで発行した合同誌は即座に完売したという。