『成長痛が酷い燈矢くんがMr.に膝を撫でてもらう話』眠い。痛い。ねむい。ここ最近、成長痛がひどくてまともに寝られた試しがない。
今日は珍しく仕事が入っていなかったMr.と夕食を食べたあと、気晴らしの散歩から帰ってくれば、Mr.はすでに自室に引き上げていた。
せめて顔が隠せるように。そうMr.が譲ってくれた帽子をテーブルに載せる。未発達のこの体では成人男性の帽子は大きく、多少不恰好な姿にはなったが、顔を隠すという目的のためなら及第点だろう。
時折、車の走行音が響くだけの部屋は耳が痛くなるほど静かで。あのやかましい男がいないだけで、こうも閑散とした空気が漂うのかと不思議に思う。
Mr.の住むボロアパートはその名の通り、ボロい上家賃も格安だからあまり部屋数はない。
玄関、渡り廊下と抜けた先にキッチンと繋がっているリビング、その奥にMr.の自室がある。
和洋折衷のこじんまりとした部屋は、プレハブ時代の記憶を彷彿とさせた。といっても、路地裏で暮らしていた過去に比べれば天と地の差もある。居候させてもらっている身では何もいえまい。
ただ、簡易的なキッチンやリビングルームとは違い、水回りは渡り廊下に面した場に設置されているため、用を足そうと年季の入ったドアを開けるたび、不快な音が鳴るのだけが煩わしかった。
一応年頃の男同士だから__そういう"処理"をすることもあるだろうと、寝室は分けており、俺がリビング、ミスターが自室で寝ることになっている。散歩から帰ってきてしまえば携帯機器すら所持していないので自堕落に暇を潰すこともできず、元より成長痛により寝不足であったため早いが布団を引く。
最近まともな睡眠にありつけていないからか、体の中でずっと冷めない熱が渦巻いていた。
横になるが、やっぱり眠れない。じんわりうつったシーツの熱が鬱陶しくて身をよじるが何も変わらなくて。
健常な体も考えものだ。前世で鈍化した体では成長痛の痛みなんか感じられなかったから、いつのまにか身長がにょきにょき伸びていた。今思うと羨ましいことだと思う。13の頃は150cmにかろうじて届くぐらいだったが、そこから荼毘になるまでに170cm台まで伸びたのだから、これからも成長痛に悩まされることは間違いない。
じんじんと痛む足に嫌になる。火傷とはまた違う、尾を引く痛みは慣れていない。火傷で傷を負うことは怖くなかった。鈍化した体でもなお、己を焼くことも。だが、あの頃痛みに耐えれたのは大義名分があったからだったと思う。それは常にアドレナリンが出ているようなものだ。手を伸ばして、やっぱりだめで。それでもと足掻き続けるのは、父から受け継いだどうしようもない悪癖の一つだ。
今夜も全く寝付けなさそうな己の体にため息をつく。この体はどこまで行っても失敗作だ。
深夜。すっかり静かさが町を覆い隠した時間帯。明日も休みだった俺は、久方ぶりの休日を思う存分楽しんでやろうと、積み上げていた本を消化していた。意外に思われるかもしれないが、俺は本好きだ。ジャンルを問わず、文学系、恋愛系、エッセイ、ホラー・ミステリー系、果てに自己啓発本などなんでも読む。
いわば活字中毒とかいうものに近くて、とりあえず文字を追えるのなら内容はなんでも良かったのだ。
今日は、話題沸騰とポップが飾られていた、中堅ミステリー作家の小説を読んでいた。雪山に閉じ込められ、そこから次々に殺されていく人々と、謎を解き明かす探偵役。ミステリー系では王道の物語だが、だからこそ、書き手側の発想力が輝く題材だと思う。
ようやく、終盤に差し掛かる____というところで、コンコン、と控えめなノックが響いた。
荼毘だ。どうしたのだろう。
ひょんなことから荼毘と共同生活をする羽目になったが、一応、緩いルールを設けて生活していた。年頃の男性同士ということで、同性だから気にすることはないだろうが、同じ寝室というのはやはり、普段見えない部分が垣間見えることもあるだろう。
俺も嫌だし、荼毘もそういうのには潔癖のきらいがあったから、食事や風呂は同じでも、寝室だけは分けていた。荼毘も居候ということでそこら辺は弁えているらしく、俺の個人スペースである自室には滅多に近づくことがない。
むしろ、俺が気づくまで我慢するたちだったから、そこは頼れよと不器用な元仲間に呆れてしまう。不調を隠して結果倒れた。なんてことは数えきれないほどあった。
荼毘は口も悪いし、世間を斜めに構えてるように見えるが、案外真面目な男だ。真面目で、時々驚くぐらい素直なときがあって。そういうところが可愛らしいと思えるのは無駄に重ねてきた歳の余裕からくるものなのか。はたまた。
長考していると、また控えめなノックが鳴る。慌てて入室を促すと、そこにはやっぱり荼毘がいた。
「どうしたの、荼毘。なんかあった?」
「み、すたー…」
荼毘はなんとか立っているがふらふらで、寝巻き姿もぐちゃぐちゃになっていた。やっと伸びてきた身長に追いついてない薄い腹が、めくれたTシャツから覗かせるのが、照明を落とした暗がりの視界でもよく見える。
どう言葉をかけたらよいのか迷えば、ゆらり、と幽鬼のごとく一歩踏み出しこちらに向かってくる。荼毘が歩くたびに、がくん、がくん、と力の抜けた頭が揺れる。どう見ても重症だった。
「あし、いたい」
「足?あぁ、お前成長痛酷いって言ってたね」
どうやら、成長痛が酷くて俺の部屋に来たらしい。痛み止めを出してやりたいが、残念ながら切らしていた。短パンから剥き出しの足を簡単に見るが、見た感じ酷い腫れやアザにはなっていない。こんな時、普通なら病院に連れて行くのだろうが、荼毘は訳アリだ。保険証もないし、情けないことに、保険なしの診察にお金を割けるほどこの家には余裕がない。
こういう時はどうしてやればいいんだっけ。俺も、中学で一気に伸びたから、成長痛に悩まされた記憶がある。もう朧げになった記憶を無理くり引っ張り出す。温かい、今は亡き両親との記憶。今世では、両親はとっくに死別していたから孤児院で育った。だから、家族との触れ合いは、今世より前世の方が豊富だ。
たしか、父は膝を撫でてくれていた気がする。手当という語源が、昔、傷口に手を当てたら痛みが和らいだという話からという通り、時折、他人の体温は人体に思いもよらぬ効果を与えることがある。
寝不足なのか、もう立っているのもやっとの荼毘の手を引いて、ベッドに座らせる。
「効くかわかんないけど、昔親父に撫でてもらったらマシになったから、やってやろうか?」
もう喋る気力もないのか、荼毘は力なく頷く。
了承を得たので、手袋を外して荼毘の膝に手を置く。じんわりと体温を染み込ませるように、ゆっくりと撫で上げた。寝不足の荼毘の体はポカポカしていて、火力を上げすぎて自分の体温さえ調節できなかった前世の荼毘を思い出した。あのときは、連合総出で水風呂に入れてやったんだっけ。
痛みが和らぐのか、どこかうっとりとした表情で荼毘が目を細める。しばらく摩ってやると船を漕ぎ出したので、横になってもいいよと言えば、幼い口調でうん、と荼毘が言う。
男をベッドにあげるなんて、仲の良い友達でもしねえんだぜ。俺は。寛大な俺に感謝してほしいね。
荼毘が横になると、数分後にようやく穏やかな寝息を立て始めた。すぐ眠りにつくなんて、よっぽど眠れてなかったんだろうなと思いつつ、撫でる手は止めない。
10分ほど撫でてやって、もういいかと手を離した。ベッドは荼毘にやってしまったし、今日はリビングで寝ようかな。腰を上げたとき。わずかにだが、腰元のズボンを引っ張る感覚。
「ぃ、かないで…」
起こしたか。背後を見やるが、荼毘の目は閉じていて。ただ、ズボンを掴む手だけは、しっかりと握られている。幼児がぐずるみたいに、荼毘の、燈矢のやわらかい眉が苦しそうに寄っていた。
「おと、さ…」
ぽろり。こぼれ落ちた涙が、まだまろい頬を伝ってゆく。結界すると止まらなくて、とめどなく流れ落ちるからすっかり枕が変色していた。
荼毘の過去は聞いていた。マキアの背の上で。荼毘には言っていないが、荼毘の遠縁の親戚の外典からも、荼毘の家の悍ましい血筋の話を聞いている。たぶん、連合の中では1番おまえのことを知ってるんじゃあないかな。
(毎日なんで生きてるか分かんなくて、夏くんに縋ってたことも知らねェだろ!)
荼毘が放った言葉を思い出す。お前も血筋か。あの時俺はそう言ったけれど、俺と荼毘ではまた毛色が違うものだった。手を、伸ばす。
なあ。荼毘。お前も、人の子なんだよな。両親に甘えて、子供らしくいれた時期もあったのだろう。きっと、そうであればいい。生まれたときから期待されないなんて、かなしいから。
俺にしてほしいわけじゃないんだろうけど。荼毘の、白くてふわふわ跳ねる髪を撫でる。
すると、荼毘の表情がほぐれたのでよかった、と安堵した。
荼毘が離してくれないし、素直になれないこの少年を置いておくのは憚られた。荼毘の手を解いて、自分もベッドに潜る。他人の体温がうつるほど、誰かをそばにおくなんていつぶりなんだろう。荼毘のあたたかさにつられて、微睡んでゆく。
ただ、今日だけは、お前がいい夢を見れますようにと、それだけを願った。