だって、ずっと前からだって、ずっと前から
「ママっ!みけじママっ!おれ恋人ができたんだ!」
「え」
何気ない日常に突如訪れた青天の霹靂。
にこにこと楽しそうに話すレオを前に斑はうんうんと適当に相槌を打つ。
悲しきかな。
取り繕うのが上手いと自負のある俺は上辺だけの当たり障りない言葉を即座に口からぽろぽろとこぼして祝福出来てしまう。どんなに悲しくても、だ。
親友として、とても喜ばしいことだなあ!
ありがとう、ママ!
その内どこからか遠くでガラガラと何かが崩れていく音がぼんやりと聞こえてきて、そこで俺は心を殺すことに長けていて良かったなあ…と過去と生い立ちに初めて感謝したのであった。
だって、ずっと前から / karia
「好きだったのになあああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
ドン!!!と勢いをつけてジョッキをテーブルに置くのと同時に突っ伏してグズグズと泣き始める。
それをやれやれと呆れた顔で紅郎と嵐が飲み物を口につけながら見下ろす。
「お、お、おれだって……おれだって……レオさんのことが好きだったのに……好きなのに……」
「あら、ここのお店の唐揚げとっても美味しそう! でもボリュームがねぇ…」
「気にせず好きなモン頼みな。余ったら俺か三毛縞が食うだろうよ」
「うふふ、頼りになるわァ…♪」
「……。 どうして二人とも俺に対してこうも関心が低いんだあ? ママ本気で泣いてるんだがなあ」
ほら、こんなにも!と見せつけるように涙でべちょべちょになった顔を上げても二人の目線はメニュー表に釘付けだ。
「もっと親身に相談に乗ってくれそうな人達に今からでもチェンジできないだろうか?」
「やだもうママったら。キャバクラじゃないんだからチェンジできないわよォ」
「そろそろ次の飲みもん頼むか」
スっと嵐から差し出されたティッシュで鼻をかみ涙を拭うと、もぞもぞと姿勢を正して斑もメニューをあれそれタブレットに入力して頼み出す。
「…というか、レオさんに恋人が出来て二人ともどうして気が動転しないんだあ?
普通するだろう、アイドルが恋愛だなんて!とかならないのか?
嵐さん。レオさんと同グループとして意見を伺いたい。」
「そうねぇ、確かにお姫様を裏切る行為かもしれないわ。」
「そうだよなあ!?」
「でも…レオくんが幸せそうな顔してたら…横から口を出す気なんて失せちゃうわァ」
「……そう、だよなあ……」
一発KOを喰らった斑は再びガクンと肩を落として見るからに落ち込む。
その様子に嵐はふぅと溜息を吐いて優雅な所作で肘をつく。
「でもよぉ、お前さんよく月永に告白されてたじゃねぇか」
「……確かにレオさんは俺に好きだも愛してるも言ってくれた…
だがなあ、あれはどう考えても友愛の"愛"なんだよなあ!?
俺がレオさんに対して抱いている好きと愛は…恋愛感情の方だ……種類が…違う……」
「あら、でも『俺もだぞお!』とか『嬉しいなあ!』っていつも誤魔化しちゃうママも悪いんじゃないかしら?」
「だって、これでもし、俺もレオさんが好きだ、愛してる、こういう意味で、と伝えたとする。
『えっ!? おれが言ってる好きは友達としての好きなんだけど!? 』なんて言われたら俺は……俺は……」
「も〜! このペースで泣いてたらティッシュすぐに無くなっちゃうじゃない!」
嵐が眦を吊り上げたタイミングで個室のドアがノックされ店員が追加のメニューを運んでくる。
空いた皿とジョッキを下げてもらい、再びテーブルの上は美味しそうな品々でいっぱいになる。
「鳴上の紹介する店の飯はどこも美味いな、流石だ。」
「ここ、芸能人御用達の個室居酒屋で防音になっているしご飯も美味しいしで重宝してるの。」
「たしかに美味しいなあ、これと…これ、レオさんが好きそうな味付けだ…うぅ、レオさん……」
「未練がましいわねェ〜
今度レオくんと一緒に来たら?」
「一応聞くが今の俺にレオさんと一緒にご飯に行く勇気があると思うのかあ?」
「ねぇだろうな」
喋って食べて、盛り上がったり盛り下がったりを交互に繰り返しているうちに食事は進み、酔いは程よく回る。
「……レオさんに……抱かれたかった……」
「ママったら珍しく酔いが回るのがはやいわねェ」
「こんだけ飲んでりゃ流石のコイツでもベロベロになるか」
空になったジョッキ達に囲まれる斑の目はとろん…としている。
ザルに近いと言えど、下げられたジョッキも含めればもう七杯目も胃に流し込んでいるので無理もない。
そのペースに乗せられて二人も斑程ではないが酒が進んでいるので少し踏み込んだ質問も簡単に口から滑り落ちる。
「ママはレオくんを抱くんじゃなくて抱かれたいのォ?」
「……俺がレオさんを抱くのは簡単ろうなあ…」
「まあ、月永は非力だしな」
「…でも、だからこそ…俺はレオさんに抱かれてみたいと思うんだよなあ……
俺で欲情する様が、俺で勃つレオさんが、見てみたい……なんでかなあ………多分、俺はきっと、レオさんに求められたいんだろう…」
それに俺は丈夫だしなあ、と誤魔化すみたいにヘラヘラ笑ってタブレットを掴むとポチポチとビールを更に追加で頼もうとする。
「ちょっとちょっとちょっと!まだ頼む気!?」
「今飲まないでいつ飲むんだ、ヤケ酒だ、止めないでくれ嵐さん……ッ!」
「ヤダ!もー! 潰れても介抱してあげないわよォ!」
「三毛縞、いい加減やめねぇと明日に響いちまうぞ」
「明日俺は丸一日お休みなんだよなあ!」
これはもう止めても無駄だと目と目で理解し合った紅郎と嵐は一旦斑の好きにさせることにして黙って着席した。
◇
「……ぷはっ!! ビールが美味しく感じる時、二十歳を超えてよかったなあと感じる。 これが大人だ、嵐さん。」
「大分酔ってるわねェ〜
ほらママ、唐揚げよォ食べて食べて♪」
「懐かしいなあ……昔レオさんにポッフェルチェをあーんしたことを思い出すぞお……もぐ……」
「大分酔ってるわねェ〜」
一日の摂取カロリーがオーバー気味だと言い出した嵐に卓上の余った食べ物を片っ端から口に詰められる。
それに対し苦言も呈さず大人しく口に含み咀嚼し嚥下する斑の姿はさながら燕の雛のようだ。
「……レオさんの恋人は……どんな子なのかなあ……」
「気になるわよねェ」
「……嵐さんも知らないのかあ……?」
「アタシも昨日レオくんから聞かされたばかりだもの」
「…きっと……小柄で……華奢で……笑顔が控えめで……柔らかくて……いい匂いがして……レオさんが守りたくなるような…そんな子なんだろうなあ……」
「三毛縞、飲みすぎだ」
「……俺がもし、女の子だったら……いや、女の子だからといってレオさんの恋人になれる訳じゃないもんなあ、レオさんが、選んだっていうのが、大事なんだ、こういうのは……」
「ねえ。お水飲んで、ママ」
「次会う時、ママに紹介するって言われたんだ……うまく、笑えるだろうか、親友として、心から祝福出来るだろうか……」
「三毛縞」
流石にうわーんとまでは泣かなかったが、ボタボタと滝のように涙が溢れ、頬を伝って膝を濡らす。
「…親友の枠を破る勇気が、俺には無いんだ、恋人になれないならここでいいと妥協した俺が…レオさんと結ばれるために沢山努力した人を僻むだなんて、お門違いなんだ、わかってる……」
わかっているけど、と小さく呟いた言葉は頼りなげに震えて、普段の快活さはそこに微塵も無かった。
「……レオさんに、俺と同じ気持ちに、なってほしかったなあ、なんて…………」
贅沢すぎるよなあ、こんな俺には勿体無いくらい。
頭を搔いて たはは、と笑ってみた。
自分が泣いたせいでしんみりしてしまった空気を少しでも和ませようと。
なのに部屋の空気は余計に沈んでしまった。こちらに集中する四つ分の同情の目。見事失敗。やってらんない。
すまない、こんなつもりじゃあなかったんだ。本当に。
「よぉし!こうなったら気の済むまで、記憶が飛ぶまで飲むぞお!飲み明かすぞお!俺は本気だあ!斑、二軒目行きま〜す!」
「もォ!ママ!こんなにヤケになられたら見捨てて帰れないじゃない!」
「二軒目行くにしても一回水飲んどけ三毛縞」
会計を済まして、二軒目は会員制のバーへ。
カウンター席に三人仲良く並んで、わんこ蕎麦よろしくパカパカ度数の強いカクテルを飲み下していたら、それに焦った表情を浮かべて肩を掴んできたのは嵐だったか、紅郎だったか……。
あれ、どっちだったっけなあ……?
◇
「……は?」
三毛縞斑(23)。職業アイドル兼諸々。
目が覚めると全裸で全く知らないホテルにいた。
正しく最悪案件である。
「…………。」
起き上がった瞬間に襲ってくる脳が揺れるような頭痛。なるほどこれが二日酔い。
ついでに臀と腰も喉も痛い。なるほどこれが二日酔い?
そんなわけあるか。
ベッド脇に投げ捨てられていたバスローブを回収し、羽織ながらちらりとベッド脇のゴミ箱に視線を投げる。
大量のティッシュの山に混ざる、使用済みゴム。
間違いない、ヤってる。いや、ヤられてる?
兎にも角にも頭が痛すぎてろくに機能しない。
今が一番頭を回転させたい時だというのに。
昨日に引き続きめちゃくちゃに泣いてやりたい気分だ。
失恋ひとつでこんな事態になるだなんて。
全くもってたるんでいる、たるみ過ぎている。
こんなことになるならもう二度と恋などするものかと歯を食いしばりベッドから這いずり出す。
まずは相手のスマホ、パソコン、なにかしらの記録媒体から俺の情報を消すのが最優先だ。
この状況が週刊誌にすっぱ抜かれでもしたらMaM並びにDouble Faceひいてはニューディ全体に傷がつく。
つまりはレオさんに…皆に迷惑がかかる。
それだけは絶対に嫌だ。
頭を支えながら部屋をぐるりと見渡す。
斑の気分とは正反対な清々しい朝日がキラキラと差し込む白を基調としたやけに広い部屋。
窓から見えるのは雲ひとつない晴天の青。
降りてから気付いたが男三人くらい寝転んでも余裕があるベッド。
恐らくはスイートルーム、いやVIPルームかもしれない。
あからさまに値が張るこの一室。
一体誰が俺をここに連れ込んだ?
その前に嵐さんは?紅郎さんは?
そしてどこを探してもスマホもパソコンも見当たらない。
分からないことだらけで余計に頭が痛い。
足音をなるべく立てないように徘徊する。
すると奥の方からザァァ、とシャワーを浴びる音。
驚いた、一夜を共にした相手はまだすぐそこに居るらしい。
俺をただの仕事が干され気味のアイドルとして食い物にしようとしたのなら随分と運が悪い。
もし脱衣場あたりに電子機器類があったら少しは頭が切れるのかもしれないが、そんなことより俺の下調べをキチンとすべきだったなあ。
悪徳警官とヤクザの間に生まれた子が、ろくな人間だとでも?
浮かべた悪い笑顔。
だけどそれは一瞬のことだった。
蛇口をひねる音。止まる床を叩く水音。
タイミングを見計らってシャッと引いたカーテンのその先。
手すり付きの大理石で出来た階段の奥、広々とした丸いバスタブに浮かべられた薔薇の花びら。
その真ん中。
花弁と戯れるように笑う男の姿を見て斑は石のように固まった。
「あっ!ママ!」
夕陽を落とし込んだようなオレンジの髪。
肌は陶器のように白く滑らかで、華奢な身体。
猫を彷彿とさせるつり上がった眼窩に収まるは美しいばかりのペリドット。
間違いない、間違えるはずのないその男の名が口から勝手に零れ落ちる。
「レ、オ…さん……」
涙袋を浮かび上がらせ綺麗に笑ったレオはバスタブから手招きする。こっちにおいでよと。
それでも斑が固まったまま動けずにいると見かねてザブザブと近寄ってくる。
来て、ママ。
優しくて甘い声に頭部を苛む頭痛がサッと引く、嗚呼まるで夢みたい。
そうだ、きっとこれは夢に違いない。
君に抱かれたくて、愛されたくて、でもそんな資格を持ち合わせていない悲しい男が生み出した悲しいくらい都合のいい夢。
夢ならいいか。バスローブを足元に脱ぎ捨てる。
階段をひとつ、ふたつと登った先、大好きな君の笑顔。
差し伸べられた手に自らの手を重ねる。
死に誘う死神みたいなあまいあまい誘惑に俺は抗えない。
だって、あったかくて、優しいこんな夢、俺だってずっとずっと欲しかった。
「ママ」
ちゃぷん。心地よい温度に身体を包まれる。
ねえ、レオさん。もしこのまま沈んで溶けて蕩けて消えてしまえたら、俺は幸せなまま終われるのにね。
なんて縁起でもない冗談を考えて、ペリドットを覗き込む。
柔らかく細められる瞳に俺は性懲りも無く恋をする。もうこれで一体何度目?
頬に濡れた小ぶりな掌がぴったりと触れて、ふふ、まるで愛されているみたい、なんて馬鹿みたいな錯覚。
「昨日は無理させてごめんな、ママ」
え?
「次はもっと優しくするから!」
夢が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
じわじわと舞い戻る頭痛と吐き気。
バクバクと焦るように暴れ出す心臓。
甲高い耳鳴りが鼓膜を劈いた。
ああ、夢じゃない、これは夢じゃないんだ。
お酒で潰れたこと、レオさんに抱かれたこと、レオさんに恋人ができたこと、俺が恋に敗れたこと。
全部全部、笑っちゃうくらい笑えない現実だ。
さっきまでふわふわしていた世界が急に形を取り戻して目の前に現実を叩きつけてくる。
お前、恋人がいる人間と不貞を働いただろう?
「…ママ、もしかして覚えてないの?」
「あ……」
お湯に浸かっているのに身体の芯が冷えていく。
覚えてない、なにも、なんにも覚えてない。
ごめん、と小さく呟けばレオはたまたま二軒目のバーで居合わせてそのまま斑を回収したのだと教えてくれた。
「ここのホテルのオーナーが俺のファンらしくてさ〜 飛び込みだったのに一番いい部屋に泊めさせてくれたんだよ」
「そう、だったのか……」
こんないい所、恋人と来たかったろうに。
お湯の中でぎゅぅと拳を握り込む。
さっさとここから逃げ出したいのに、逃げ出し方が分からない。
ぐるぐると回りだしそうな視界の中、平静を装い呼吸を繰り返すことだけで精一杯だ。
「ねえ、ママ、またシよう」
突如落とされたその声に弾かれるように顔を上げた。
声も出なければ、返す言葉も出てこなかった。
少し間を開けて、たっぷり10秒。もしくはそれ以上、それ以下。わからないけれど。そのあいだに返す言葉はなんとか準備できた。
"恋人がいるのに、もうこんなことしちゃいけない。"
あとはこの言葉を脳から口へ下へ唇へ空気へ君の耳へ届けるだけ。
それだけだったのに。
俺の中に巣食う未練がましい怨霊が囁いた。
この機会を逃したらもうレオさんに抱いて貰えないかもしれないぞ。
事実は残っても記憶が残らないままなんて、悔しくないのか?
俺だって、ずっと前からレオさんのことが好きだったのに。
そいつは去り際に名を告げた。捨てたはずの恋心だった。
ちょっと前まであんなにキラキラしていたのに、目を離した隙にどろどろで澱んで黒ずんで随分醜くなっていた。
そして誘惑上手だね。確かに、だなんて俺は思ってしまったんだから。
アダムとイブだって目の前にぶら下げられた林檎の誘惑には逆らえなかったのだし、と形だけの言い訳。
空気を震わせた言葉は伝うまでの過程で本来の形を失ってしまった。
「またシよう、レオさん」
誰にも言えない、秘密の関係。
親友以上、恋人未満。
レオさんの笑顔がいつも以上に眩しくて、俺は逃げるように目を細めた。
◇