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    血圧/memo

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    血圧/memo

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    いっぱい食べる君が好き2

    2024.12.27Happy Holidays!
    心霊系の続きですが心霊系はありません

    ぽちぽちくださったりしぶ覗いてくださったり本当にありがとうございます








     目覚めると記憶にある一室だった。
     赤井は目覚めの良い方で、すぐに現状を把握することが出来た。ベッドから身を起こし辺りを見渡す。サイドボードには紙片。手に取り文を追う。
    「……はぁ……」
     深く、赤井は息をついた。無意識に腹を摩って。
     赤井の好奇心で身を亡ぼしかけ、降谷が解決した。何もかもをしっかりと覚えている。眠気に耐えられず降谷に促され、赤井はそのまま意識を落としてしまったのだ。
     驚くべきはあれから丸二日間が経過していることである。赤井は丸二日間も眠りっぱなしだった。それを赤井がすぐに把握することが出来たのは、サイドボードにあった書き置きによる。降谷からだった。
     内容はこうだ。
     赤井は恐らく一日、二日間程度は眠ったままになるであろうこと。その間、赤井は有給といった形にしておくため問題はないこと。
     部屋は捜査官用の宿泊施設にしているマンションの一室であり、赤井も何泊か利用したことがある。赤井がここに数日篭っていても不自然ではない、うってつけの場所だった。
    「…………はあ」
     溜め息も出るというものだ。ここに赤井を運んだのは降谷だろうが、不本意ながら今度こそ横抱きで運ばれただろうと予測する。
     赤井は己の体調を確認しながら身支度を整えた。一人の部屋が少し怖い。こんなことは初めてだった。生まれて初めての、理屈ではない恐怖だ。赤井はこの目で見た訳ではない。何らかの錯覚を起こした可能性を否定出来ないものの、あの瞬間の恐怖が錯覚だとしたら、赤井が今まで経験した生命の危機など全て幻に過ぎないだろう。
     あの恐怖は現実だ。
     赤井は内側から何かに、支配されようとしていた。
     ゾク。
     赤井は腹を擦ってかぶりを振る。
     大丈夫だ。降谷が解決したのだから。
     身に着けていたのは赤井が着ていた衣服ではなくラフなシャツとボトムス。赤井の衣服はというとクリーニング済。下着の類はタグが付いた新品が並んでいる。降谷は勝手に赤井を着替えさせたことへの詫びを記していたが、ビルは相当埃っぽかったため正直有難い。
     至れり尽くせり。ここまでアフターケアがなされると赤井は猛省せざるを得ない。いや、流石に本気で悪かったと反省しきりだ。
     なのにどういうことだ。赤井は舌打ちした。
     書き置きは降谷の文字で「申し訳ありませんでした」と締められていた。もっと降谷が注意すべきであったと、降谷の過失であったと綴っていた。
     全く気に食わない。
     怒鳴ったではないか。赤井を𠮟りつけたではないか。
     降谷は何ひとつ悪くはない。完全に赤井が悪い。なのに何故降谷が責任を感じるのだ全く以て気に食わない。
     更に書き置きには降谷も休暇を取る旨が記されていた。
    「理由は何だ、降谷くん」
     理由がある。赤井は確信している。
     少しでも異変を感じたら連絡しろと降谷の携帯番号まで添えられた、降谷の心尽くしのメッセージ。それを赤井は指でなぞった。



     あるマンションの前に立ち赤井はモバイルを取り出した。
    『どうした、何かあったか』
    「、……」
     驚いた。ワンコールも終わらぬ内に電話の向こうの降谷が問うた。どうやら電話したのが赤井以外にはないと確信した対応だ。ということは赤井にしか知らせていない番号なのか、余程プライベートに限定した番号なのか。
     思わず詰まった赤井に、電話の降谷は言葉を切った。
    『……失礼。間違えました』
    「あ、……いや。すまん。赤井だ」
    『ああ、やっぱり』
    「……」
    『どこか異変が、』
    「君こそ」
     降谷は一瞬黙した。
     電話越しに溜め息。
    『……異変はないですか?』
    「ああ。何処にも不調は見られない」
    『なら良かった』
    「君は?」
     電話越しに降谷が苦笑う気配がした。
    『わざわざ連絡が来るとは思わなかった』
     俺自身もそう思ってる。
     と赤井は内心呟いた。
     もしも赤井に異変があればいつでも連絡を受けられるよう、降谷は繋がりを残した。赤井が降谷を探して困らぬように配慮した万全のアフターケアだ。だから降谷は、休暇を取った理由を明かすつもりはないのに休暇そのものを隠すことが出来なかったのだ。
     だが降谷は、赤井が全て見越すことも見越していて、その上で赤井がわざわざ降谷に連絡するとも思っていなかったのだろう。
     事実、それが正しい。降谷とは何年もの間まともな会話を交わさなかった。何年も同じ建物で同じ任務に当たっているにも関わらずだ。不自然ではない程度に保たれた距離、数ヶ月に一度発生するかしないか程度の業務連絡のやり取り。単なる顔見知り、ただの同業者という位置付け。
     業務に滞りがなければこのまま再び疎遠になる、そう想定した降谷が正しい。降谷の自宅に押し掛ける赤井秀一こそイレギュラーだ。
     分かってる。
     だけどそれじゃあ、降谷のまごころに、見合わない気がして。
     ……見合う?
     見合ってどうする気だ。今更。
     分かってる。だけど。
     ああくそ、だから降谷零と関わりたくないのだ。赤井は「赤井秀一」を保てなくなる。そんなの、赤井は降谷にだけだ。
    『……赤井?』
    「、ああ」
    『もしかして外?』
    「君のマンションの前に」
    『は?』
    「君が家に居るかは分からんが」
    『不在だったらどうするつもりですか』
    「居るんだな」
    『ていうか何で僕の家知ってるんですか』
    「調べた」
    『……はー……』
     溜め息交じりに降谷は部屋番号を告げた。
     果たして、出迎えた降谷の顔色は酷く悪かった。色素の濃い肌を持つ降谷を一目見てはっきりと認識するくらいだ。そんな降谷は赤井の腹の辺りをじっと見詰める。降谷の表情が安堵を作ったことから、赤井の中からアレは消えているのだろう。
     腹立たしさと呆れが赤井に湧く。
    「他人の心配をしているような顔色じゃないだろう」
    「そんな酷い顔してます?」
    「酷い顔色だ」
    「取り敢えずどうぞ。ちょっと散らかってますけど」
    「……俺が入っていいのか」
     室内に招こうとする降谷に赤井は訊く。降谷はおかしそうに綻んだ。
    「今更?」
    「……おじゃまします」
    「どーぞ」
     ごく一般的な独り暮らし男性の部屋。といった印象だった。
     乱雑ではないが生活感のある空間だ。ソファの上には読みかけの雑誌、サイドテーブルに畳まれた衣服の山、テーブルには飲みかけらしきマグカップ。部屋には洗濯洗剤とジンジャーの匂いが漂っている。
    「適当に座ってください。温かい飲み物でいいですか」
    「構わなくていい」
    「体調は問題ないですよ。生姜苦手?」
    「え。いや、苦手ではない」
    「蜂蜜平気? ジンジャーラテ、さっき作ったばかりなんです」
     赤井は曖昧に頷いた。嫌いだった甘味を最近は好む、何の気なしに話したのは赤井だが、降谷がそれを情報として認識しているのが擽ったい。降谷から甘味を勧められるのが妙に気恥ずかしい。
     赤井は落ち着かなくソファに座った。
     リモコン、カーテン、ティッシュの箱。オープンタイプのキッチンに立つ降谷はごく普通の部屋着の上にカーディガンを羽織った姿だ。降谷零のスーツではなく安室透のカジュアル寄りでもない。至ってプライベートな降谷の姿を、赤井はソワソワと視界に入れる。
     降谷が湯気の立つマグカップを手に戻った。
    「どうぞ。味苦手なら言ってください、普通のカフェオレもブラックも出来ますから」
    「……いただきます」
     良い匂いだ。甘くてやさしい香りに息を吸い、カップにそっと口を付ける。
     ……なんだこれ。
     赤井は衝撃を受けた。
    「…………おいしい……」
    「口に合う?」
    「めちゃくちゃ美味い」
    「ならよかった」
    「すごいな降谷くん」
     赤井は衝撃を受けた。甘味に興味が出てからというもの、しばしばコーヒーチェーン店で呪文のような注文をしていた赤井だが、こんなに美味しいドリンクに巡り合ったのは初めてだ。
    「蜂蜜を使っているのか」
    「苦手じゃない?」
    「チェーン店のものはクセが強くて苦手だったんだが、これは飲みやすい」
    「店のは花の種類っていうより他の甘味料と混ぜてるからかも。僕も売ってるドリンクの蜂蜜は結構クセ強く感じる」
    「混じり気のない蜂蜜はこんなに美味しいんだな」
     感動の発見だ。本当に美味しい。もしや某喫茶店で安室透が提供していた甘味はこのような味だったのかもしれない……その頃は甘味が嫌いだった赤井は残念に思った。
     じっくり堪能し、あっという間に飲み干した赤井の向かい側で降谷は目を細めている。
     いや堪能してる場合じゃない。
    「……失礼」
    「なにが?」
    「……あまりに美味しくてつい、な……」
    「よかった。おかわりもあるよ」
    「う、む……」
     いや照れてる場合じゃない。
    「降谷くん、体調に問題がないというのは本当なのか」
    「病院行くような部類じゃないです」
    「食べた影響なのか」
    「消化不良になっちゃっただけですよ」
     その消化不良こそ大問題なのではないのか。
     降谷は立ち上がり、赤井のマグカップを持ってキッチンに入る。赤井は遠慮出来なかった。だってめちゃくちゃ美味い。ラテのおかわりを持ってきた降谷は皿も手にしている。皿の上にはシンプルな焼き菓子。
    「これも良かったらどうぞ。嫌じゃなかったら」
    「……もしかして作ったのか」
    「赤井の禁煙話聞いたら甘いもの食べたくなって」
    「……」
     サクサクとビスケットを降谷は食む。実に美味そうだ。
     どうぞと促され、遠慮出来ない赤井は手を伸ばした。
     衝撃再び。
    「…………これは……美味いな……」
    「ちょっと焦げちゃった」
    「そこが特に美味しい」
    「ふ。そ?」
    「すごく美味しい。すごいな降谷くん」
     サクサクサクサク。めちゃくちゃ美味しい。飾り気のないシンプルなビスケットは素材の美味しさが際立っていて、噛めば噛む程に風味が広がる。こんなに美味しいビスケットは初めてだった。あっという間に一枚平らげ後味を堪能、そしてラテを一口。甘味のハーモニーが素晴らしい。なんだこれすごいな降谷くん。
    「たくさんあるんでたくさん食べてください」
    「いいのか」
    「もちろん。赤井の口に合ってよかったです」
     降谷は目を細めていた。
     いや甘味を堪能してる場合じゃない。おしぼりまで差し出されて至れり尽くせり。持て成されるために来た訳じゃない。
    「…………失礼。その、あまりに美味しくて」
    「よかった」
    「あー……消化不良、は深刻な事態なんじゃないのか」
    「出来れば避けたい事態ですけど、僕にはそこまで深刻な話じゃないですよ。そのまま食べたらこうなるのは分かってたし、消化不良も時間経過で解決します」
    「俺の中に入ったやつを、そのまま食ったのか」
    「ええ、まあ、ちょっと急いでたんで」
     赤井はゾっとした。あの瞬間のあの恐慌を、赤井は忘れられない。あんなモノを降谷は喰らった。時間をかければ安全だというものを急がせ、降谷に危険を強いたのは赤井だ。
     降谷は苦く笑って首を振る。
    「ほんとに、そんな深刻じゃないんです。休んだのは完全に消化されるまで僕の中にアレがそのまま居る状態だからってだけ。万が一人混みの中で腹からクリーチャーが飛び出たら大変じゃないですか」
    「最悪じゃないのかそれ」
    「最悪でしょ。だからです」
     赤井は化け物に人間が食い散らかされる映画を思い出す。仕事柄グロテスクなものに耐性はあれど、好んで見たいものでもない。意外だと言われるが赤井のそういった感覚は比較的正常に機能している。
    「因みに今朝方ちゃんと消化されましたよ。ウンコに混ざってたかは分かんないけど」
    「ふ、いや笑い事じゃない。体調は」
    「全然平気です。単に消化不良による寝不足と食欲不振で顔色悪いだけ。消化されてから食事も摂ったし昼寝もしました」
    「問題ないのか」
    「ないない。逆に言うと、それだけなんです。僕は憑依されない」
    「……、成る程。君はされないのか?」
     降谷は頷く。
    「多分されないです。まあ、今回のより強いやつをそのまま食べたらどうなるかは分かんないけど、これまで憑依されそうになったこともないですね」
    「……ホー……」
     今まで興味がなかったため知識は少ない。赤井は訊ねた。
    「君のような者は皆そういうものなのか?」
    「そんなことないと思う。こういう知り合いは多くないけど、一歩間違えれば人格崩壊するとよく聞きます。でも僕のような、アレに影響されない人も居る。アレとの相性もあるから百パーとは言い切れないけど」
    「ふむ……単純なものではないんだな」
     それでも赤井が降谷に無駄な危険を冒させたことは事実だが。
     しかし影響されないというのは大きな利点ではなかろうか。やはり降谷は凄腕かもしれない。
     サクっ。降谷は美味そうにビスケットを食み、赤井にも勧める。
     サクサクっ。誘惑に抗えない。なんて美味いビスケットなんだ。
    「僕に限って言うと、胃もたれするだけで済みます。……だから僕は、憑依される怖さを知らない」
    「……、」
     初めて聞いた声色だった。
    「自分が消える恐怖を僕は知らないんです。所詮は想像に過ぎない僕の言葉なんて、痛みを知らない癖に下手に慰める自己陶酔みたいで、腹立つでしょ」
    「……」
     初めて聞いた。どうでもよさそうなのにとても自然な降谷の声。もしかしたらこれが降谷の素なのかもしれないと思った。
     ああ。そうか。
     赤井は、降谷の「恥ずかしい」と言った意味を理解した。
     何故か己の能力を安く見積もり、寧ろ引け目すら抱いているような降谷の理由はこれだったのか。実体験を伴わないことが降谷にはコンプレックスなのだ。降谷の過失だと結論付けた、降谷の過度な責任感の理由はこれだった。
     なんと降谷らしいのだろう。赤井は降谷を何も知らないというのに、降谷零そのものだと納得してしまった。
    「……赤井?」
    「、……ああ、」
    「すみません、つまんない話しちゃった」
     サクサク、降谷は苦笑いしてビスケットを食む。
     実感がなければ理解には足りないかもしれない。けれど、降谷のそれは机上の空論ではない。
     いつも赤井は言葉を、感情を飲み込んでしまう。答えを導き出すのは誰もが自分自身だけであり、だから赤井は伝えることに重きを置いてはいなかった。だからこそ赤井は降谷に何も伝えなかったし降谷からの回答も必要としなかった。
     でも、降谷くんに伝えなければ。
     赤井は殆ど生まれて初めて、強く思う。
    「あの瞬間、俺は今まで感じたことのない恐怖に襲われた」
    「、 」
    「あんな恐怖は初めてだった。理屈じゃない。理性など何の役にも立たない、それ程の恐怖がこの世にあると、俺は知らなかった。……恥ずかしながら、目覚めて、一人で居る事が不安で仕方なかったよ。理由などない、ただただ、怖かった」
    「……ごめん。消化してないと危険かもしれなくて、」
    「分かってる。君は安全を優先させ最善の選択をした。その上俺に万全のアフターケアまで残してくれたんだ。そこまでしてくれた君に俺は感謝こそすれ、降谷くんのそれを自己陶酔などとは思わない」
    「……赤井」
    「君に落ち度はない。俺が軽率だった。すまない」
     赤井は頭を下げた。心からの想いだった。
    「それから、感謝している。降谷くん、俺を救ってくれてありがとう」
    「赤井、頭あげて、」
     顔を上げると降谷のまなこは酷く揺れていた。泣き出しそうな、と感じた。
     どうしようもなく赤井は泣きたくなった。
    「……僕が、もっと注意すべきだったんです。赤井はこういった類の事柄とは縁薄いのだから、僕が配慮すべきでしょう。そもそも同行させることが間違ってた。そうじゃなくても口を開けてはいけないと説明するとか、マスクするとか、幾らでも予防策はあったのに怠った。恐怖を知らない僕は楽観視したんです。過信と無知は僕の責任だ」
    「何故君がそこまで責任を感じる」
    「僕が未熟だからです」
    「、 」
     淡々と言い切った降谷の顔を赤井は見たことがあった。一度だけ、何年か前。きっとあの時、降谷は真実を知り、赤井に何か言おうとした。謝罪かもしれないし決別かもしれなかったそれを、赤井は知らぬ振りをした。それから降谷とは疎遠になった。
     降谷は赤井を赦さないだろうと思っていた。もしくは完全に赤井を遮断するとも予想した。
     どれであっても降谷が決断することに赤井の介入は必要ない。
     今更だ。今更、赤井には何の資格もない。
     なのに今更、どうしようもなく赤井は泣きたくなる。
     急に赤井は置き去りにされてしまったと思った。関りはなくなったのに繋がり続けているような奇妙な根。赤井も、そして降谷も同じく抱いていると信じていた。なのに今、何もかもを降谷が放ってしまったと思った。今度こそ降谷は全てを清算するのでは、と思った。
     降谷に置き去りにされる。
     赤井の足元が揺らぐ。根が消えたら足場は不安定だ。
    「っ赤井」
    「、え」
     突如降谷が間近に迫る。降谷は赤井の左の手首を掴んでいた。
     無意識に赤井は己の腹を摩っていたらしい。
    「……、降谷くん。何でもない」
     あの時と同じように降谷は赤井の腹の辺りをじっと視認し、指先で辿った。ひくり。反応してしまったことに赤井は気まずくなり、身を捩る。
     しかし降谷は真剣な顔で赤井を見上げた。
    「違和感は?」
    「ないよ。無意識に触れてしまっただけだ」
    「やっぱり住職に確認して貰ったほうがいいかな」
    「君の知り合いのか」
    「そう。赤井の中に残ってないか確認して貰う」
    「全て食べたのだろう?」
    「食べた。もう何も入ってないと思う。でも赤井の無意識ってのが気になる。無意識のほうが身体は正直に反応するものだし、俺が視えてないだけでまだ何か残ってるのかもしれない」
    「君が見えないのなら大丈夫だろ」
    「……、」
     降谷の旋毛が赤井を見上げる。
     じいと見詰める色素の薄い双眸は赤井を見透かすようだった。この目を躱すことに楽しみさえ覚えた頃もあれど、もうそんな気になれない。ただただ例の気まずさが湧いてくる。
    「……いいの?」
    「何が」
    「赤井秀一の信用に値する?」
     寧ろ赤井の信用など降谷の価値に値するのだろうか。
     意味なく泣きそうになるからやめてくれ。
    「凄腕だろ君は」
    「大した事ないって。それに祓うの初めてだし」
    「今君に見えていない。それが答えだろう」
    「なにその確信……」
     降谷は妙な顔をした。何だ。変なことは言ってないだろ。
    「俺が赤井に嘘吐いてるとは思わないの?」
    「思わない」
     赤井にしては珍しく小細工なしで即答する。
     今度は降谷が目を逸らした。気まずそうにするな。こっちまで身の置き所がなくなる。なんなんだこの妙な恥ずかしさというか変な感じ。おのれ降谷零。
     赤井は身動ぎ呼吸を詰める。
     耳が熱い。脈拍が上がったと降谷に知られたくない。でも嫌じゃない、多分。
     降谷は赤井を長く憎んでいた。直接手を下そうとしたかは分からないが殺意は明確だった。意味も理由も変わったとはいえ、そうそう感情の根底が覆るものではない。降谷が赤井を助ける道理はないのだ。けれど。
     覚えているのだ。そりゃもう全部。
     降谷から向けられた顔も声も温度も全部ぜんぶ覚えている。降谷のあれが演技だとしたらたいしたものだ。
     だって降谷は本気で赤井を救おうとした。あの時の降谷は必死だった。優しく怒って迷わず引き寄せてくれた。なによりも真っ直ぐに淀みなく「赤井秀一」と己を呼び続け、怖くないよと赤井が眠るまで撫で続けてくれた。だから赤井は正気を保てたし大丈夫と確信出来た。今だって大丈夫だと確信している。
     それがおかしいのか。何だ。変なのか。だって降谷零だぞ大丈夫だろ。
     それが甘えてるってことなのか。
     確かにあの時の赤井は酷かった。耐えられない恐怖で降谷に縋ったことも、甘ったれた声で助けを乞うたことも、触れた安堵も泣きそうな感傷も、あまりに酷かった。思い出したら恥ずかしくて死にそうだ。でも嫌じゃない多分。
     ああくそ、なんなんだいい歳をしてまた情緒がぐちゃぐちゃだ。
    「おのれ降谷零」
    「いやなんで急に怒ってんの?」
     声に出た。
     ええい構うものか。
    「いいから俺の謝意を受け取れ。俺が君に救われたのは事実だ」
    「いやなんでそんな無駄に偉そうなんだよ」 
     ふくっ、降谷が空気に混ぜて笑った。赤井の生来の傲慢さを降谷は嫌っていただろうに、何故か降谷は酷く楽しそうに唇を綻ばせる。柔らかな眼差しを赤井の腹部に落とし、手を翳した。触れそうで触れない降谷の掌。赤井はほんの僅か身動ぐ。
    「違和感はないんだよな?」
    「ない。触れてしまうのは記憶によるものだろう」
    「ん。視た限り赤井の中にはもう何も残ってない。でも一応、住職……その手のプロにも相談させて欲しい。そのほうが俺も安心出来る。……いい?」
    「……俺は構わんが」
     赤井ではなく降谷の安寧に繋がるのなら。拒否する気はない。
    「うん。じゃあ何かあったら伝える」
    「……ああ」
    「ちょっとでも異変があったら必ず俺に教えて欲しい。ほんの僅かな変化でも、確証のない感覚でも、赤井がちょっとでも何か思ったら、何でも。仕事中でも真夜中でもいいからすぐ電話して。約束して」
    「……うん」
     ひたりと降谷の虹彩に見詰められて、赤井はこくんと頷いた。
     おのれ降谷零……抗えない。
    「降谷くん」
    「ん?」
    「この番号はそっち方面専用なのか」
    「心霊関係?」
    「電話が俺だと確信していただろう」
    「あー、ほら、降谷零の所有物は一新したから。この番号はまだ赤井しか知らない」
    「俺が知ってしまって良かったのか」
    「家も知ってるのに今更だろ」
    「……すまん」
     降谷は空気に混ぜて笑った。



     翌日、赤井は職務に復帰した。既に組織の件は飽和状態であり、もっと休んでいいとは言われたが、降谷も今日から登庁すると言っていた。それならば同じ建物内に居たほうが良いのだろう。赤井の状態が降谷にとって憂慮となるのであれば。
     事務作業のみで何事もなく時間は流れ、正午を過ぎた頃赤井は休憩スペースに移動した。自動販売機にコインを投入しカフェラテを購入する。
    (降谷くんのジンジャーラテは美味かったな)
     おのれ降谷くんめ。自販機のカフェラテでは満足出来ない身体になってしまったではないか。
     甘いだけのカフェラテ缶を傾けながら思案する。食堂に行くか外へ出掛けるか。億劫になり、結局昼食を抜くことのほうが多い。
     降谷はどうしているのだろう。会議でもなければ降谷と顔を合わせることは殆どなかった。たまにすれ違う公安連中の団体の中に紛れているのを見かける程度で、降谷個人と出くわすことなどほぼ皆無。何年もそうして過ぎて、今日も同じくである。
     また疎遠になるのだろうか。
     置き去りにされるのだろうか。
    「赤井、」
    「、え」
     びびった。すぐ間近に降谷が現れた。
     降谷は赤井の左の手首に手を掛けている。どうやらまた赤井は無意識に己の腹を摩っていたらしい。
     というか何処に居たんだ降谷は。タイミングが良過ぎる。
    「偶然だからな」
     降谷が言った。苦笑いだ。
    「偶然通り掛かった。赤井を見張ってたとかじゃないぞ」
    「……そうか」
    「無意識?」
    「あ、ああ。無意識だ。違和感はないよ」
    「ならいいけど……」
     ベンチに座っている赤井の前に降谷は跪き、赤井の腹をじっと見る。当たり前だが降谷はスーツ姿だ。見慣れた、隙のないスタイル。けれど言葉は降谷曰く「甘えている」ものに落ち着いた、らしい。このほうがいい、と赤井は思う。ソワ。腹の奥が疼いた。
     降谷の旋毛を見下ろし、ふと横を見ると休憩スペースの入り口には人だかりが出来ていた。彼らはそれこそデーモンやらゴーストやらに遭遇したような面持ちだ。
    「……降谷くん」
    「うん」
     頷いた降谷が赤井の隣に腰を下ろす。
     まあ、そりゃそうだろう。赤井と降谷に因縁があるのは周知の事実で、それが数年間は腫れ物状態な疎遠になっていたというのに、何故か降谷が赤井の前に跪いているのだ。怪奇現象並みの珍しさなのだろう。
     赤井も、降谷もまた素知らぬ顔をする。図太くなければこんな商売はやってられない。
    「赤井は休憩?」
    「ああ。君は」
    「これから。外で食べようかなって」
    「外か……」
    「赤井もこれから?」
    「考えてる」
    「考えてる内にメンドクサクなって飯抜くタイプ?」
    「よく分かったな」
    「俺は今日蕎麦にする」
    「蕎麦……」
    「好き?」
    「分からん」
    「アレルギーは?」
    「ない。だがあまり食べたことがない」
    「興味は?」
    「ある」
    「一緒に行く?」
    「うん」
     降谷の声はとても自然だった。それで赤井は思わず、本当に思わず、子供のように頷いてしまった。うんってなんだ「うん」って甘ったれたガキか。なんてこった降谷相手にすっかり癖になってしまっている。だって降谷の声が柔いから。安心して頷いてしまう。
     降谷はというと、気にする様子もなく笑って立ち上がった。
    「俺の車でいい?」
    「あ、ああ。……いいのか」
    「蕎麦に興味津々の赤井秀一が面白い」
    「なんだそれ」
     怪奇現象の見物人たちに見送られ、休憩スペースを後にする。それは駐車場までも延々と続くのだから流石に居心地が悪かった。
    「デーモンかゴーストにでもなった気分だ」
     降谷の車に乗り込み、赤井は零す。
    「俺と赤井が喋ってるのが珍しいんだろうけど。役人ってゴシップ好きだよな」
    「その辺はどこの国も一緒だ」
    「えー。FBIのイメージ崩れるだろ」
    「どんなイメージだ」
     降谷はFBIが主役のドラマ名を挙げた。
    「シーズン6はまだ観てないんだよなあ」
    「君が? あれを観てるのか?」
    「うん。面白いよ」
    「意外だ」
     アメリカでは人気のあったシリーズだが主体はザ・アメリカ。FBIだ。現在はそうでもないがFBIと敵対する対応を取っていた降谷だからして、好んで観ているのは意外だった。
    「それとこれとは別だよ」
    「そういうものか」
    「ほら、野菜嫌いなのに野菜の見た目はカワイイっていうみたいな」
    「なんだそれは」
    「総務の若い女の子が野菜モチーフの文具揃えててさ。野菜好きなのって訊いたら野菜は嫌いだけど見た目だけ好きって言うんだよ。どういう気持ちなんだろな、アレ」
    「ふふっ、」
     噴き出した赤井を降谷が横目で見遣る。
     車は順調に繁華街へと辿り着き、コインパーキングの列を進んだ。昼下がりの時間帯だとそれ程渋滞は酷くないようだ。
    「だって君、そんなオジサンみたいな言い種、ふ、」
    「だってオッサンだもん」
    「ふはっ、君、そんな顔して」
    「童顔は自覚してるよ。でも俺だって結構老けたでしょ」
    「はははっ」
    「笑い過ぎだろ」
     まるで出会った頃から殆ど変わらぬ若々しい横顔で、降谷は唇を尖らせた。
     車を降りて街を往く。夜の店がメインのようで明るい時間帯は静かだ。こんなところにランチを提供する店があるのだろうか。
    「赤井だって結構童顔の癖に」
    「まさか」
    「いーや。その内FBIでオリエンタルマジック~とか言われるぞ」
     おかしそうに降谷が目を細める。意味が分からん。
     降谷はある看板の前で足を止めた。明らかに夜の飲み屋だが看板の横に小さくランチ営業の張り紙があり、知る人ぞ知る店のようだ。いらっしゃいませと店内で迎えた主も明らかにバーテンダーのスタイル、しかし降谷は早速ランチを四種類注文した。……待て。四種類、四食分?
    「ここ、ランチ四種類って決まってるんだ」
    「二人だぞ」
    「へーきへーき、食べれるよ。赤井は好きなの選んで食べれるだけ食べてね」
     ボックス席に向き合って座る。
     至れり尽くせり。赤井が選べるようにと降谷の気遣いは生来なのだろう。それにしても二人で四食分……降谷の、優等生然とした見目でいて大胆な振る舞いは正直ワクワクしてしまう。
    「おのれ降谷零……」
    「なんで突然罵られてんの?」
    「負け惜しみだ」
     なんだそれ。降谷が破顔一笑した。
     先日は気まずくて仕方なかったのに、嘘のように会話が弾む。馴染んだからだろうか、それとも降谷が「甘えている」からだろうか。それとも、赤井自身が何か変わったのだろうか。こんなの、赤井のほうが甘えてる。
     すぐにサーブされたランチ四種は、テーブルを占領するほど豪勢だった。
    「すごいボリュームだな……食べきれるのか?」
    「へーきへーき。赤井が好きなの選んでね」
     蕎麦は二種類だ。蒸篭に乗せられた蕎麦は湯気が立っているので温かいのだろう。それからよく見かけるもりは冷たい蕎麦。温かいほうは汁も温かいらしく、少々珍しい。降谷も温かいほうに手を伸ばしたので、赤井もそちらを味わってみることにした。
    「いただきまーす」
    「……いただきます」
     降谷につられて手を合わせる。
     果たして、それは驚く程に美味だった。蕎麦の味が濃い。汁も出汁が効いていて旨味が強い。麺も汁も温いから、余計に味をしっかりと感じ取れる。これはいくらでも食べられそうだ。
    「……美味しい」
     一息ついて赤井は呟いた。
    「すごいな。蕎麦がこんなに美味いものだとは知らなかった」
    「赤井が気に入って良かった」
    「二皿くらいなら平らげてしまいそうだ」
     メインは蕎麦で、他に米類や小鉢が付いている。これは選ぶのが悩ましい。蕎麦を二皿食べるか、しかし稲荷寿司も捨て難い。
    「悩んでる?」
    「うむ……」
    「一個だけとか一口だけとか、ちょっとずつ食べてもいいよ」
    「だが」
    「取り分けよっか」
     降谷は赤井の視線に沿って、皿に少しずつ料理を取り分けた。稲荷寿司一個、小振りな親子丼からも更に一口分取ってくれる。大きなかき揚げは半分に、刺身も半量。どれも綺麗に盛り付けてくれるから、最初からこうやって提供されたようだ。
    「食べれる?」
    「……ありがとう、降谷くん」
    「おのれーって言わないの?」
    「負け惜しみも烏滸がましい気がしてな」
    「なにそれ」
     赤井がじっと見ていた揚げ出し豆腐は丸ごと全部譲ってくれて、赤井が目を逸らしたアボカドの和え物は寄越さなかった降谷には勝てる気がしない。笑う降谷は大層豪快にモリモリ食べた。綺麗な所作で一口がでかい。蕎麦などあっという間に二皿食べてしまっている。
    「親子丼はあと食べちゃっていい?」
    「ああ。君は良く食べるんだな」
    「まあ食べるほうかなあ」
    「俺の倍は食べるんじゃないか」
    「赤井ももっと食べたほうがいいよ、軽かったもん」
    「っごほ、」
    「ごめんごめん」
     負けじと赤井もモリモリ食べた。降谷は良く食べるが急かすような雰囲気はないため、赤井もゆっくり堪能する。いつもより食べ過ぎてしまうのは美味しいから、それから降谷との食事が楽しいからだ。降谷が食べているところを見るのも気持ちが良いし、降谷の押しつけがましくない心配りも有難い。食事そのものを楽しむなどいつ振りだろう。
     結局赤井は二食より少ないくらい、残りを降谷が平らげた。食べ過ぎて腹が苦しい。店を出て腹を摩った赤井を、今度は降谷は何も言わずに笑うだけだった。
    「……降谷くん。勘定」
    「俺が誘ったんだから持たせてよ」
    「そういう訳にはいかない」
     腹立たしいのは降谷が勘定を持ってしまったことだ。本当は赤井が払ってしまいたかったものの、二人共一度も席を立たなかった。帰る際には既に勘定済みとバーテンダーに言われれば為す術はない。先払いもしくは後払いを事前に取り決めた、降谷の良く知る店らしい。
    「あのマスター、元警察官なんだ」
    「成る程」
    「そんでマスターが蕎麦打ってる」
    「自分で打ってるのか」
    「警察辞めて普通のバーやってるけど、ホントは蕎麦打ち職人になりたかったんだって。それで昼間はランチで蕎麦打ってる」
    「それはすごいな」
    「ね。めちゃくちゃ美味しいし」
    「ああ。是非また食べたいな」
    「ランチでも夜でも、また食べに行ってくれたら喜ぶよ」
    「FBI連中でも構わんのか」
    「俺にFBIドラマ勧めてくれたのマスターだし、FBIが来店したら寧ろ大喜びするよ」
     のんびりと車に戻り、シートに収まる。
     さて財布を出そうかと赤井が動くより先に降谷に言われた。
    「じゃあ次」
    「次?」
    「次は赤井が奢って」
    「……次」
    「……うん」
    「……」
    「……だめ?」
     気まずさ再び。
     おのれ降谷くんめ……!
     ここに来てそんなちょっと照れ臭そうに言うなこっちが照れるだろ、ああもう、いい歳をしてなんだこれ。降谷が身動いだ気配に赤井の肩は大袈裟に震えてしまった。かあ、と耳の裏が熱くなる。腹を擦ったのは無意識だ。降谷が振り返るから赤井は咄嗟にかぶりを振った。
    「ち、がう。癖だ、なんでもない」
    「……ほんとに?」
    「ああ。腹は、降谷くんが撫でたから、」
    「俺が?」
    「撫でていてくれただろ、俺が眠るまで」
    「……うん」
    「それで……、……なんというか、安心するというかだな……」
    「……そっか」
    「……」
    「……」
     なんだ。なんなんだ。変なことを言ったか。
     だって降谷が撫でてくれたから赤井は意識を手放すことを恐れなかった。眠っても大丈夫だと確信出来たのは降谷の手が赤井に触れていたからだ。昨夜だって眠る前に腹を擦って安眠出来たのだ。赤井は降谷の手をなぞらえて安堵を得ている、それは仕方ないだろ怖かったんだから。
     気まずい。気まずいのに奥底の本心は喜んでいて、ああ、赤井は降谷とこんな風に一緒に居られることが、こんなにも嬉しい。
    「……じゃあ、」
    「……うん」
    「次は、俺が奢る」
    「うん。待ってるね」
     待ってるなんて、そんな甘い声で言うな降谷くんめ。最早赤井は息も絶え絶えである。
    「首を洗って待ってろ降谷零」
     ついつい発した赤井の負け惜しみに降谷は大笑いした。

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