2023.11.28 二階の寝室で就寝しようとしていた降谷の元へ、赤井が結構な勢いでやってきた。基本的にドアはいつも開け放したままだ。そこへ顰め面の赤井が現れる。
「これは何だ」
勢いよくタブレットを突き付けられた。
「もう気付いたの?」
「これは何だと聞いている」
「正当な報酬?」
降谷の答えに赤井は眉を顰めて首を振る。外国人っぽい仕種だ。あ、外国人かコイツ。
タブレットに表示されているのは数字の羅列。赤井秀一の口座である。
「勝手に人の口座に大金を振り込むな」
赤井は首を振って溜め息交じりに吐き出した。
「だって」
「だってじゃない」
「こうでもしないと赤井は受け取らないだろ」
「というかよく俺の口座が分かったな」
「久々に頑張って調べました」
「頑張るな。この額を一度に振り込めたのか」
「んふふ。頑張りました」
「不正を疑われる行為じゃないのか」
「へーきへーき。頑張ったから」
「そんなもの頑張るな」
だって。仕方ないではないか。
買い出しではいつも赤井が支払いをしてしまう。降谷がカードを出しても付き返され、当然現金を差し出しても受け取ってくれやしない。ただでさえ世話になっているのに食費を全額赤井に負担させることにやきもきしていた降谷は、今日の病院での支払いまで赤井が済ませてしまったことで、強硬手段に出た。
珍しく赤井は酷く脱力している様子だ。部屋の真ん中に敷いてあるラグに座り込んでしまった。
そわ。また降谷の胸元が疼く。
「いくらなんでも多すぎる」
「え。別に多くないだろ」
「君の金銭感覚はどうなってるんだ」
嘆く赤井が着ているのはいつもの服よりずっと緩い、部屋着に近いものだ。相変わらず黒一色の武装だが。けれど髪は湿って少し前髪が下りている。裸足の爪先が何とも無防備に映った。
風呂を済ませて赤井も休むところだったのだろうか。赤井はいつも何処でどうやって眠っているのだろう。
「返金は」
「へ」
「受け取れる訳がないだろう」
「え。不可です」
「君な」
「最初から受け取らなかった赤井が悪い」
「だからってこんな大金を振り込むやつがあるか」
「日本の家事代行の金額を参考にしたんだけど」
「こんな法外な金額なのか日本は」
「住み込みだから日給五万として日数計算」
「多い。何だ五万って。ていうか金額が合わん」
「一ヶ月分」
「一ヶ月?」
「こういうのって大体一ヶ月ごとの契約だろ」
「何だその雑な認識は」
「あと食費と病院代」
「それでも金額が合わんぞ。計算してるのか本当に」
「チップ?」
「ここはチップの制度がない日本だ。いや、チップにしたって多すぎる。そもそも俺のやってることなど所詮は素人だぞ。どうやったらその金額設定になるんだ」
「赤井ってさ」
「なんだ」
「意外と普通」
「少なくとも君よりはまともだろうな」
「あはは!」
「笑い事じゃない」
「困ってる?」
睨まれた。全然怖くない。降谷が笑うと赤井は項垂れた。
今日の赤井の珍しい様子に降谷はソワソワが止まらなかった。だって赤井から距離を詰めるなんて思ってもみなかった。赤井が降谷相手に照れたり困ったりするなんて思わなかった。意図も何もなく降谷に差し出された赤井秀一の感情を、どうやって受け取ったらいいだろう?
「赤井ってさ」
「なんだ」
「何処で寝てんの?」
「、 」
「ここで寝たら?」
「……は?」
「赤井が何時頃来てるか知らないけど、どうせ朝になったらここに居るだろ。それなら最初からここで寝たら?」
「……、」
いつもされるがままだった降谷が赤井の謎行動に触れたのは初めてだ。
さて、赤井はどう出るだろうか。
眉間に皺を寄せ黙る赤井は、怒ってはいないのだと本人が言った。赤井は照れた時もムスリとしていたし困った時も概ね不機嫌顔だ。恐らく赤井は感情が揺れると不機嫌顔を作り、本当の負の表情はポーカーフェイス寄りなのだろうと予測する。成る程、めんどくさい男だ。
ならば今の赤井は困っているか迷っているか。
あまり怖くなくなってきたのは赤井が少なからず、警戒心と猜疑心を解いたから。まさか降谷を懐に入れた訳ではないだろうが、赤井は案外と情に絆されるタイプだと思っている。
「君は」
「うん」
「豪胆が過ぎやしないか」
「なにそれ」
「それとも馬鹿なのか」
「失礼だなおい」
「俺が君の環境を作り変えたのだとしたら、それを破壊とは思わないのか」
意外だ。
「赤井って意外と悲観的?」
睨まれた。全然怖くないけど。
降谷が思っていた赤井秀一とは、無より有、陰より陽、0より1。それを可能にする高い能力も運もカリスマ性も持っている。けれど、想像よりずっと赤井秀一は光の当たらない影の部分を想定して生きているのかもしれない。
意外だなあ。
普段はお目にかからない赤井の爪先を見て降谷は笑った。
「壊れたらもっかい作って貰うからいーよ」
「……他力本願か」
「だって僕、今コレだもん」
ギプスをフリフリ振ってやる。
赤井は溜め息をついた。
「その割には自分で何でもやってしまうだろう、君は」
赤井は立ち上がると降谷のベッドのほうへ近付いた。目前に赤井の旋毛。降谷と同じシャンプーの匂い。距離の近さにはもう慣れた。
「こんな時くらい自分が出来ることでも他に回したらどうだ」
「……、」
「君はなまじっか器用だから性質が悪い。他力本願とはそういうものだろう」
どうやら降谷が寝間着にしているシャツの釦が外れていたらしい。赤井はそれを留めると顔を上げた。別に皮肉を言っている顔ではない。素で、赤井は言っている。
「……タチ悪ぃのはどっちだよ……」
「は?」
「赤井ってそうやって女の子口説いてんの?」
「は?」
「こっわ」
赤井は極悪非道な顔をした。怖い。これは本気で嫌そうだ。
それから赤井は溜め息と共に立ち上がると「布団を借りる」と言って部屋を出た。隣の物置代わりの部屋から物音がする。
降谷は、ころりと転がると悶えてしまった。
「もー……ズルいなー……」
降谷は人一倍器用だと自負している。何でも自分で出来てしまうし事前準備を怠ることもないため、例えば利き手が使えなくても数ヶ月くらいは自力で暮らすことなど造作もないことだ。
降谷は他人に頼らずとも何でも何とか出来るのだ。
出来るから降谷は人に頼らない。必要としない。
それが降谷を孤立させる。
近寄り難くさせている。
悪癖だと自覚はあった。あるけどガキの頃からの性格なんだから仕方ないだろ、と降谷は開き直るしかない。お高く止まっていると、可愛げがないと、幼少時から何度言われただろう。歳を重ねて無精な面を出すことを覚えたが、それでも最後のラインは自分でやってしまう。
今回の件もそうだ。頼ってください、必要としてください、と言ってくれる部下たちの気持ちも嬉しいけど、降谷はどうしても最後は自分でやってしまうのだ。けして部下たちを信頼していないのではない。見縊っているのでもない。ただただ、降谷の生来の性格だった。
「うあー……」
赤井秀一に指摘されると思わなかった。
それも、皮肉でもなんでもない、赤井の素で。
性質が悪いのはどっちだ。ちょっとドキドキしちゃっただろ。いい歳してソワソワキュンキュンしちゃってるんですけど。そういや赤井って年上だし長男だった。甘やかされたみたいでウズウズする。