さに孫「俺ァ刀に人を切らせてやりたいのさ」
叶いそうにないがね、と主人は笑った。男の持つ盃に浮かんだ青白い月が揺れ動いては姿を歪めるのを、孫六兼元はじっと見つめる。
「へえ。そいつは、何だってまた」
「いやなに、刀にとってはよ。武士の居ない世の中ってのは――さぞ退屈なんじゃねえかと思ってな」
そうだろう、と促す視線が此方を捕らえる。そうだ、と応えるのは簡単だが。見え透いた答えを返すのもつまらないだろう。
「さぁて、どうだったか」
こちらも笑い雑じりに残った酒精を呷った。喉を焼きながら腹に落ちる感覚も、鼻に抜けるくらりとする香りも、そう悪くはない。
「そうやって濁すなら猶更よ。お前はどうなんだ、孫六」
「どうと言われてもなあ。斬れと言われたら斬るだけさ」
口を衝いてから、命じてくれと言っているようなものだということに気付く。どうやら酔いというのは会話の応酬をふいにするらしい。
「まるで武士じゃねえか」
「刀は武士の一部、だろう?」
自分の言葉につられる様に、刀として振られる感覚に思いを馳せ――そこで漸く主人の思惑に嵌っていることに気が付いた。いくら化け物を斬ったところで満たされはしない、と主人も気付いているのだ。刀とは、人を切るための道具なのだから。
短く息を吐けば、隣で主人も似たように息を吐いた。
「一部どころか全部になっちまってンのさ。哀しいねェ」
「哀しいときたか」
そう聞けば、ああ哀しいさと返され、空になった猪口が主人の手によって満たされる。そのまま手酌で呑もうとする主から徳利を奪えば、男はくすりと笑いながら猪口を差し出した。ゆっくりと注いでいけば、再び主人の手元に月が浮かび上がる。
「お上に仕えてこその武士だがな、神様ってのはお上よりも上にあるもんだろう」
「神といってもなあ、所詮は刀さ」
どうやら自分は付喪神らしいが、多少人の真似事ができるようになったからといって神になったとは思わない。付喪神だろうと何だろうと、自分は今も昔も刀のままだ。
「少なくとも、人じゃあねェだろうよ」
「はは、違いない」
「その神様に武士の真似事をさせる世なんざ、お終いだよ」
主人は笑いながら猪口を呷った。視線を落とせば、自分の猪口にも青白い月が浮かび上がっている。
「そいつは違う。世が終わねえように俺たちが在るのさ」
「それもそうだ」
呑めば消えてしまう月というのは、散る花に似た美しさはあるが――本物と比べては味気ないな、と血肉に飢えた刃が脳裏を掠める。
「まぁ、終いになるその時は、お前を振るってやろう」
謀反を示唆する言葉が主人の口からぽつりと落ちるが、それはどうでもよかった。振るってやるの一言に、ぞわりと臓腑に震えが走る。肺の腑から沸き立つ熱を呼吸に乗せて、短く吐き出した。
「そいつは、嬉しいねぇ」
「嬉しいだろう? 最初からそう言やいいのさ」
そう言って主人は満足そうに笑みを浮かべる。夜に飾られた庭に二人の笑い声が響いた。