けれど間違いではない 数日前、五条悟という男に告白された。
一回り近く歳の離れた同姓の教え子。まだまだ思考も体躯も未熟な子供に恋愛感情を抱けという方が無理な話で、気持ちは嬉しいがきっぱりと断るべきだ。と、少し前の自分なら間違いなくそう思っていたであろう。しかし顔を真っ赤に染めて余裕もなく必死に好きだと伝えてくる五条に俺は目が離せず、年甲斐もなくときめいたりなんてしてしまった。俺はあの時、五条の事を確かに〝可愛い〟と思った。しかし幼子や小動物、テレビの中でニコニコと愛想を振りまく女性アイドル達に感じるソレとは明確に違う何か。
抱いた己の感情に戸惑う中、五条は「いつか好きでもない女と結婚させられる、それまでで良い」と言った。コイツは俺のことを端から思い出にするつもりなのだと。五条は求めている俺との関係には一切未来を見ていないのだとその言葉で全てを察した俺は、ならば自分もそれで良いのではないかと卑怯な考えが過った。
期限付きならば、大事な生徒の頼みならば……その時が来るまで五条の心を俺が独占するくらい許されるのではないか。教え子に抱いてはならない感情が芽生えかけた事をあの瞬間まさに自覚した俺は、彼の「思い出が欲しい」という言葉を免罪符に恋人になる事を了承した。
「教え子だから」「御三家の未来の当主だから」そんな言い訳を並べ真正面から好きな人間の心を手に入れる事を諦め五条と未来のない関係を選んだ俺は、弱虫で卑しい人間なのかもしれない。そんな自分を薄らと嫌悪し、そしてどうか五条にはバレないで欲しいと願った。
*
ある日の放課後、任務へ向かう為補助監督の待つ集合地へ足を進めていると、数十メートル先に三つの影が揺れていることに気が付いた。長身が二つと、それに挟まれる形で小柄な影が一つ。受け持ちの生徒である五条、夏油、家入の三人だ。一人一人話してみると良い奴らではあるが、こう束になって自販機の前でたむろするその姿は、なかなか威圧感がある。
ギリギリ表情の分かる距離まで近付いた所で俺はあることに気が付いた。五条の操作している携帯にぶら下がった見覚えのあるキーホルダー。
「そんなの付けてたっけ」
家入の声が微かに聞こえる。彼女も気付いたようで、目の前でゆらゆらと揺れるそのキーホルダーをじっと見つめて首を傾げた。
「あーちょっとな…」
あれは俺が先日地方の任務先からお土産と称して買ってきたキーホルダーだった。
五条に告白されてから数日、特に恋人らしいことは何もせず時間だけが経過していた。そもそも〝恋人らしい〟とは何なのか、俺はそれがよく分かっていなかった。
同期に紹介された呪術界の関係者、祓除で偶々助けた一般人……全く恋愛をしたことがないと言えば嘘になるが、過去に関係を築こうとした相手とはあまりうまく行った試しがない。恋人との時間を作る為に睡眠時間を削る以外の方法しか思いつかなかった不器用な俺は、毎回まともに恋愛を楽しむより前に泣く泣く別れを告げる結果になってしまうのだった。万年人手不足のこの業界に身を置いている限り、自分は恋愛とは一生縁がないのだと本気でそう思っていた。
今の所五条とも同じだった。お互い忙しいから二人の時間を確保することもままならないし、連絡先を交換したもののまだ一度も使う機会は来ていない。顔を合わせるのも授業や任務だけで、それは勿論生徒と先生として。恋人として思い出を作ってやりたい気持ちはあるが、限りある時間の中では物理的に難しいのだ。……というのは本音半分、言い訳半分。
アイツはまだ十代の護られるべき子供で、大人として、担任として、俺は五条を導いてやる義務こそあるものの、恋人としてどこまで受け入れて良いのか考えあぐねていた事が正直デカい。
そんな事を頭の片隅に置いたまま任務先の地で関係者への土産を選んでる時にふと目に入ったのがあのキーホルダーだった。どこか憎めない様相のそれを俺は気に入ってしまい、恋人ならお揃いの一つや二つあるもんだよなと深く考えずに手に取った。
でもいざ渡したら本人には顔に似合わないと揶揄われるわ、自分が浮かれていたことを初めて自覚させられるわ、年甲斐もなくムキになった結果狭い室内で成り行きとは言え五条を壁ドンしてしまうわで散々の結果に。冷静になって考えると、三十路手前の男がお揃いのキーホルダーをプレゼントした挙句時代遅れの壁ドンだなんて、同期の女性に聞かれでもしたら「キッショ」と一蹴され嫌悪の眼差しを向けられるに違いない。いくら楽観的な俺でも流石に堪える。五条もきっと、間違いなく引いただろう。その後のことはあまり覚えていないが、逃げるように自室に帰ったことだけは覚えてる。
後日少し気まずかったものの特に五条の態度が変わる訳でもなく、少々苦い思い出の品を彼は律儀に携帯に付けてくれていることに俺は心底安堵した。
家入は初めて目にする同級生の私物に興味を示したものの、明らかに言い淀む五条の様子に何かを察したらしい。
「ふーん、可愛くねぇな」
本当に深い興味など無かったのかそれ以上問い詰めることはしなかった。しかしニヤニヤしながら最後に言い放った彼女の言葉に俺は思わず口を開いた。
「可愛くねぇの?!」
突然少し離れた場所から発せられた声に若者三人は一斉に振り返った。五条は声の主を視認するや否やその顔を引き攣らせている。
やべ、と思った時には既に遅く、夏油は「補助監督を待たせてるから早く行こうね」なんて言いながら、慌てる五条を見事に無視して家入を連れその場を去ってしまった。アイツらこの後任務なんか入ってたか……?
「なんか、悪いな……」
「別に。頼んでもねぇ事をアイツらが勝手にやっただけだし」
同級生たちとの時間を邪魔したことに罪悪感を抱き遠慮がちに五条の元に足を進めるが、五条はけろりとした態度でそう言った。
「それに俺たちが付き合ってることも知ってるしな」
「え、知ってんの?!」
ハァ、と小さくため息を吐きながら出した言葉に俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。てっきり揶揄われるのを嫌がって夏油たちにも言っていないものだと思い込んでいた。
「俺、アイツらに淫行教師呼ばわりされてねぇかな……?」
仮にも教え子に手を出した聖職者には違いないのだ。決して自身を清廉潔白な人間だとは思っていないが、もし生徒たちから陰でそんな評価をされているんだとしたら、俺はもうあの教室には戻れない。
「ふっ、んな事誰も思ってねぇから安心しろ」
隣で青ざめる担任の様子に五条は小さく吹き出すと、憐れなその背中を叩いてフォローしてくれる。
カラカラと軽やかな笑い声を響かせながら目尻に皺を作る五条に、俺の胸は静かに脈を打った。
「俺やっぱり五条の笑った顔好きだな」
「は?!んだよ急に……」
「なんか安心すんだよ」
その笑顔に見惚れて思わずそう呟くと、五条は分かりやすく顔を顰めた。
御三家の未来の当主、紛れもない才覚。与えられたモノに比例して膨れ上がるのは、まだ十代の小さな肩に背負われた責任。
「五条は俺よりずっと頭いいからな。色々考えてる事もあるだろ。この世界の事とか、未来の事とか……でもお前はまだまだガキなんだからさ、周りの仲間といっぱいふざけて遊んで、ただただ笑ってて欲しいなとか思っちゃうわけ」
そう勝手に慮ることもまた大人のエゴなのかもしれないが、こんな世界だから今の限りある時間を大切にして欲しいと願わずにはいられない。だからこそ年相応の笑顔が見られると無性に安心してしまうのだ。これからもそばで見ていたいと思うし、願わくば俺が笑わせてやりたいとすら思う。
「ぶっきらぼうだけどさ、実は誰よりも他人を思いやれる優しい五条が俺は好きだよ。生徒だからってのも勿論あるけど、そんな五条だから俺は本気でお前の未来に手を貸したいって思ってんだよね」
自然と口から躊躇いなく出てきた言葉は嘘偽りない本音。それを聞いた五条は軽く俯くと「意味わかんねー」と自身の頭をガシガシと掻きながら独りごちた。そして少しの間。
「その好きってさ、先生として?」
俯いたまま五条は言葉をこぼすが、ゆっくり顔を上げると伺うように目を合わせてきた。初夏の澄んだ空気が反射して、キラキラと天色に輝くその瞳が求めているものは、言葉にせずとも明らかだった。
「……好きに捉えてもらって良いよ」
我ながら狡い言い方だと思う。教師としてか、恋人としてか。困ったことにどちらか一方だけを選ぶなんて今の俺には到底できなかったから。
「……ムカつく」
「うん、ごめん。俺欲張りなの」
五条の恋人であると同時に、与えられた先生としての使命も全うしたい。どちらも譲ることなんてできない。そんな俺の曖昧な答えに五条は小さく舌打ちして再び俯いてしまった。
「俺も、好き。バカ悠仁…先生のアホ」
「、っ」
小さく言葉を紡いだ五条の表情は見えないが、綺麗な銀色の隙間から覗くその耳は薄らと赤い。その姿にひゅっと息が詰まる。今この少年は不器用ながらに、お前と同じ気持ちなのだと、直向きに自分に気持ちをぶつけてきているのだ。そう思ったらつま先からぐっと込み上げる何かがあって、俺は思わず吹き出した。
「?なに笑ってんだよ」
「っふ、いやごめん。……も〜!愛おしいやつだな〜!」
「、ぉわ?!」
胸にムズムズとこしょばいものが駆け巡って、どうにも身体を動かさないと堪らなくなった俺は、徐に五条の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
自分の口から吐き出された言葉がストンと腑に落ちる。愛おしい。教え子だとか、恋人だとか、友愛だとか、恋慕だとか……その形に名前をつけるのはひとまず置いておいて。俺はこの愛おしい存在をそばで見守っていたいのだと理解した。彼がこの先、何を見て何を感じて日々を過ごすのかを見ていたい。あわよくばその手を繋いで同じものを見ながらお互いの言葉を交わせたらきっと嬉しいし、それが俺の幸せなのだろう。
「五条の未来、俺が貰っちゃ駄目かな」
「……は?」
後日、五条に多大な誤解を生ませてしまったことに気がついた俺は、小さくなりながら彼の部屋でせっせとパンケーキを焼いていた。