DomだとかSubだとかは、オーエンにとってはどうでもいいことだった。呪文を唱えれば皆勝手に跪く。ただそれだけのこと。
——そう、今みたいに。
足元で膝をつく白と黒の髪の隙間から、ロゼの瞳が覗いていた。部屋の主の為のソファに腰かけて見下ろすのはとても気分が良い。にっこりと笑ってやるだけで殺気が強くなる。それでもブラッドリーは立ち上がれない。オーエンが魔法をかけているからだ。ブラッドリーでは対抗できないのだ。そう考えるとますます気分が良くなった。
「ふふ。ちゃんとできて偉いね。《Good boy》」
「っ……てめえ」
ぎりぎりとブラッドリーが歯を噛みしめる音まで聞こえてきそうだった。決して動けはしないのに、一度も殺気が緩まない。
支配と言うならオーエンが魔道具を出しただけで許しを請うた人間の方がそれらしいのに、あの時よりも今の方がずっとおかしかった。魔力が膨らんで、ブラッドリーを拘束する魔法が強くなる。
押し殺せなかったような、小さな呻き声が聞こえた。オーエンを睨みつけていた瞳が歪み、耐えきれなくなったように瞼が伏せられる。噛みしめている唇から血が流れていた。
ブラッドリーの血はオーエンには必要ない。そう言ってやるのと、やさしくしてやるのとではどちらがいいだろうか。少し考えて手袋を脱いだ。ソファから立ち上がって血を拭ってやる。
「ほら、駄目じゃない。《Stop》」
「ぐ、あ……」
ほどけるようにブラッドリーの口が開かれる。ぽかりとあいた咥内に流れた血を全て戻してやった。自由を奪ってやった口で、呪文を唱えようとしているのか舌が蠢いている。はっきりしない発音では、魔道具さえ手元に呼び出せないみたいだった。おかしくてたまらない。
「《Good》」
そう言ってやると、ブラッドリーが不意に顔を動かした。鋭い犬歯に指先が裂かれて微かな痛みが走る。大きく喉仏が動いたかと思ったら勢いよく噛みつかれた。オーエンの血を媒介にして強化魔法をかけたらしい。獣のように指先に牙が食い込んでいる。ブラッドリーの喉を塞いでも離れる気配はない。獣よりもずっと強く、肌を刺す殺気と共に。
トランクを開けてしまおうか。だけどきっと、手を離せば消えてしまうだろう。かわいそうなブラッドリー。きっとケルベロスを出せばそれで終わりだ。
噛みつかれたまま、呪文を唱えた。ブラッドリーの体内に流れたオーエンの血液を集めていく。きっとブラッドリーは拘束を抜け出せるかもしれないと考えただろう。それを否定するみたいに、少しずつ。段々と媒介がなくなっていって、さっきの状態に逆戻りするのだと躾けるみたいに。
それでもブラッドリーは、また呪文を唱えられるだろうか。かわいそうで、かわいい、ブラッドリー。
ほとんどの血液を集め終わった時には、ブラッドリーの口からはすっかり力が抜けていた。指を引き抜く。伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がった。ロゼの瞳は、オーエンを睨みつけてはいなかった。
「悪いな、兄弟。俺様の勝ちだ」
吊り上がった唇から犬歯が覗き、呪文を唱えれば鋭い魔力が腹を裂いた。巧妙に隠された弾丸がオーエンの血を纏って床にめり込んでいる。やけに傷口が痺れるのは呪いのせいか。魔力が狂う。この面倒臭い複雑さは東由来に違いない。ファウストの部屋にいたのだと話していたのをまた思い出してしまった。トランクを取り出す。
「……悪い子には、お仕置きが必要だと思わない?」
「てめえに出来るもんならな」
ふらつきながら立ち上がったブラッドリーが魔道具を構える。ロゼの瞳には、今、オーエンしか映っていなかった。