通報のあった路地裏には、血の匂いが漂っていた。奥の薄闇に目を遣れば、鈍くネオンを反射する液体が見える。一つ一つは大した量ではないが、いかんせん数が多い。この先に平和な情景が広がっていることは有り得ないだろう。酔っ払いの喧嘩よりはマシだが、話が通じるか分からないという点においては同じようなものだ。
こんなことになっている原因は、アシストロイドの暴走らしい。オーナーの顔色が随分悪かったところから見ても、ある程度は正確な情報だろう。あの様子では自分を守れと命令したかも怪しい。これがどこぞの成金野郎であれば弱みとして事実確認を行う所だが、さすがのブラッドリーでも、若いワーキングクラスの兄弟をどうこうしようとは思わない。子供の扱いがうまい者に対応を任せ、他の部下を連れて路地裏の奥へと進む。
足を動かすたびに血だまりを踏み、先程までは聞こえなかったか細い呻き声が耳に届く。今まさに骨がおられたような鈍い音が響いて舌を打った。生きてはいるようだが助かるかは不明だ。銃のグリップを握りなおす。何をするにしても、この気配をどうにかしないことには始まらない。アシストロイドはまだ暴走したままのようだった。
辿り着いた先に見えたのは、赤だ。両手では足りない程の人間が地面に伏し、中央には背の高いアシストロイドが佇んでいる。その赤い髪が揺れ、ゆっくりと振り向いた。鮮やかな緑の瞳と目が合う。けだものじみた視線と殺気に、思わずため息を吐いた。アシストロイドだと知っていても無意識に背筋が粟立つようなこの気配は、作り物だと分かっているからこそ味気ない。これでただの人間であったならまた話は違ったが。
部下を下がらせ、一歩近付く。
「よお、派手にやったな」
「……あなた、誰です」
「てめえんとこのオーナーから連絡があったんだよ。手を焼いてるから助けてくれってな」
アシストロイドの顔が微かに歪んだ。わざと名乗らなかった事には気付いたらしい。それでも、オーナーの話を出したからか動き出す気配はなかった。さらに一歩近づく。オーナーの兄弟は青い顔をしていたと教えてやる。さらに二歩。弟の方は今にも泣き出しそうだったと呟く。さらに二歩。
奴の射程圏内に足を踏み入れた瞬間に、部下に指示して適当な場所に銃を撃たせた。一瞬意識が逸れた隙に胸元に手刀を入れてマナプレートを取り出す。
最後にブラッドリーを映したまま停止した緑の瞳は、幼子のように無垢だった。
◇ ◇
微かな呻き声、何かが地面に倒れ伏す音。警官などしていれば耳慣れた音ではあるものの、その原因が以前と同じとあれば顔を顰めるより他ない。ちゃんと話せば再犯など起こりえないなどと青臭い夢など持ち合わせてはいない。だが、一週間も経たずにこれでは。辺りを見回したが、あの年若いオーナーの兄弟の姿は見えなかった。どこかに通報に言っているのかもしれない。
パトロールの甲斐がある、と考えるのにも限度がある。ペアを組んでいた部下に署への連絡を任せ、ブラッドリーはいつかのように路地裏へと足を運んだ。あの時と違うのは、血の匂いくらいか。進めば呻き声が大きくなり、人体が損傷するような鈍い音が響く。ガラの悪い人間が数人地面に転がり、中央には赤髪のアシストロイドが佇んでいた。
前回よりも数は少ないが、見たことのある顔ばかりだ。ブラッドリーの子飼いも見事に動けなくなっている。旦那、と動いた口に手を振って、顔を上げたアシストロイドの射程範囲外ぎりぎりまで歩み寄った。
「てめえのオーナーはどうした」
鮮やかな緑の瞳がじっとブラッドリーを見つめる。作り物らしく整えられた相貌は殺気もなく、どことなく眠たげだった。ゆったりと瞬きをする様子は大型の肉食獣にも似ている。このアシストロイドの作られた経緯と最初の持ち主を考えれば実に相応しいカスタマイズだろう。俺は、とアシストロイドが呟く。
「俺は、てめえじゃないです」
何を言うのかと思えば。この処理の遅さでよくもまあ、スクラップにならずにいられたものである。それとも、そうなるように作ったか。趣味がいいとは言い難い。じっとブラッドリーの言葉を待つアシストロイドに肩を竦めた。
「そうだな、ミスラ。ここにいる理由は?」
「この人たちが、勝手にルチルに話しかけたので……」
オーナーの危険を排除していたという話らしい。ハイクラスならばそういう場面も無くは無いが。アシストロイドの設定を弄るのにもそれなりに金がかかる事を考えると、あの兄弟に腕のいいエンジニアを紹介するのも酷だろう。インカムからは、オーナーが現場に戻ってきたと部下の声が聞こえている。
ミスラと言うと、形だけは整った言葉が返る。オーナーの話をする前に、遮られる。
「あなたは、何て言うんですか」
無視しても良かったが、こんなランチ前の時間にアシストロイドの暴走を止めたくはない。仕方なくブラッドリーと答えると、緑の瞳が弧を描いた。