朝からアレンがそわそわしている。
あの表情には見覚えがあるので大体こういった内容であるだろう、と想像をしつつ本日の日付を確認して、なるほどと原因が分かった。10月31日、俗に言うハロウィンだ。おそらくそうやって育てられてきたからなのだと思うが、アレンは行事ごとに関してマメなところがある。だから、ハロウィンである今日もなんらかの準備をしているに違いない。
とはいえ、ハロウィンらしい衣装を着る……などというわけではなさそうだ。もし衣装を着るのであれば、事前にボクやアンに話して一緒に着ないか?と言うだろう。特に聞いていないし、アンも「バイト先でハロウィンイベントがあるんだけど、衣装どうしようか迷ってるところなんだー!」としか言っていなかったので、おそらくアンもアレンから何も聞いていないのだと思う。となると、王道の「Trick or Treat」の「Treat」の用意だろうか。
今日の大学の講義は三人揃うコマが少なかったので、アンがアレンの意図に気がついて「Trick or Treat」と声をかけたのかは分からない。すくなくとも、ボクが見ているタイミングでは一度も言っていなかった。アレンは大学の友人がそう多くないので、友人に声をかけられたというのもほぼなかったのではないだろうか。
アンはバイト関連の用事があって今日は帰宅せずにバイト先に行くということで、今日はアレンと二人で帰宅した。帰宅中、いつもよりも口数がすくなかったのは落ち込んでいたからではないだろうか。家に帰って一段落ついたところで、ふと思いついたように「そういえば、今日はハロウィンでしたね」とリビングでゴロゴロとくつろいでいたアレンに声をかける。
「そうだな!」
「今日の夕飯はボクたちふたりだけですし、特にそういったメニューではないんですけど」
「別にいいよ。それより、なあ夏準」
「なんですか?」
「ほら、その……何か言うことないか?」
アレンがもし犬であったら尻尾をぶんぶんと振り回していたのではないだろうか。うれしい!と顔に書いているのが一目見るだけでも分かって、思わず笑ってしまいそうになる。そんなに言ってほしかったのであれば、自分から言い出せばよかったのに。
「何かってなんですか?……ああ。アナタ、部屋の掃除しました?」
「そうじゃなくて!……分かって言ってるだろ」
「はは。Trick or Treat、って言ってほしかったんですよねぇ」
「分かってるならさっさと言えよ。はい」
「なんですか、これ」
「見れば分かるだろ。お菓子だよ」
アレンはわくわくした様子でソファの近くに置いていたリュックサックから小さな包みを取り出して、誇らしげにボクに手渡してくれた。ハロウィンといえば……で真っ先に思い浮かぶカボチャの模様が描かれている。
「アナタまさか、これ一日中持ち歩いていたんですか?」
「だって、いつ言われるか分からないだろ」
「言われない可能性だってあるじゃないですか」
「そうしたらそうしたで別にいいし……」
別にいいし、という顔じゃない顔で言わないでください、という言葉は喉の奥に押し込む。
「ありがとうございます。あとでいただきますね」
「ん」
「それで、アレン」
今日のミッションは達成した気持ちなのか、そわそわした様子からいつもの様子に変わったアレンの名前を呼ぶ。
「なんだよ」
「ボクもいいですか?」
「ハロウィン?」
「ええ」
「じゃあ……Trick or Treat」
うきうきした様子に変わったアレンがボクにそう言うものだから、いよいよ隠しきれなくなった笑みを隠すようにニコ、とファンの女性たちに向けるような笑顔を浮かべる。
「残念ながら、Treatは用意していないんです。困りましたねえ、何のイタズラをしてくれるんですか?」
「ええ……自分から言い出したのに。用意しておけよ」
「そうは言われましても、ないものはないので。イタズラしていいですよ」
「そう言われるのは考えてなかった……」
アレンは腕を組んでうんうんと唸りだした。このひとは本当に善人であると、こういうときにひどく感じる。ひとつやふたつどころか、いくつでも思いつくボクとは違う。それでも、アレンはボクの手を取ったのだ。
「ほら、早くしてください」
アレンが座っているすぐ隣に腰掛けて顔を寄せると「近い」と言われてしまった。キスのひとつでもしてそれをイタズラであると言ってしまえばよかったのに、ボクが用意してあげたイタズラはお気に召さなかったのか、否、考えるのに夢中で気がつかなかったのだろう。
「らくがきとか」
「ボクを怒らせたいんですか?」
「怒るなよ……ええ、イタズラってそういうのじゃないのか?」
「違うでしょう。こういうことをやっているカップルはもっと違うことをしているのでは?」
「カップル……」
「過去に経験ないですか?」
「ない」
「へえ。ボクもないですけど」
「ないならおまえも知らないんじゃん……あ、」
何かを思いついたらしいアレンがパッと顔を上げて、ばちり、と視線があった。次の瞬間、ぐっと距離を詰めたアレンに脇腹をくすぐられた。
「……なんですか、これ」
「くすぐりだよ」
「はあ」
「おまえ、反応薄すぎだろ……」
「アレンは擽ったがりますよねえ。全身どこでも」
「どこでもじゃないだろ!……はい、もうこれでいいだろ。終わり」
「自分から始めたのに雑に終わらせるんですね」
「もう満足したし」
満足気な表情で「作曲するか!」と言いながらソファから立ち上がろうとしたアレンの腕を引くと、ボクの身体にもたれかかるような体勢になった。
「うお、危な……」
「アレン」
「なんだよ」
「部屋、もう戻るんですか?」
「うん。おまえが構ってほしいって言うならまだ戻らないけど」
「アレンがボクに構ってほしい、の間違いでは?先ほどまでだってそうだったでしょう」
「気づいてたならもっと早く構えよ」
「素直にお願いされれば、ボクだって構ってあげないわけではないですよ?」
「そういうおまえはどうなんだよ」
「そうですねえ。ボクはしっかりと自分の希望を伝えられるタイプなので、アレンに構った分の倍は構ってもらいましょうか」
「なんで倍……いいけどさ」
先ほどよりも近くにアレンの顔があったので、そのくちびるに自分のそれをくっつけあわせると「はっ、その手があったか!」とかなんとか、遅すぎる思いつきにとうとう声を出して笑ってしまったのだった。