「アレン」
「何……、ん」
視線を落としていた真っ白なノートが黒く翳って、耳馴染みのいい声に名前を呼ばれて顔を上げるとちゅ、とキスをされた。音もたてず、触れたか触れなかったか曖昧なくらいのそれはキスとは呼べないのではないかと思うようなキスだ。
コト、と音が鳴ったほうに視線だけを向けると、俺のマグカップが置かれたのが目に入った。夏準お気に入りのコーヒーの香ばしい匂いがする。
「根を詰めるのもほどほどに、たまには休憩してくださいね」
「お、おお。ありがと」
キスなんて何もなかったかのようにそんなことを言って、俺のそばから離れようとする夏準の腕を反射的に掴んでしまった。夏準としては近くにあったからしただけかもしれない。それこそ、ただの挨拶のようなものであったのかも。
「なあ、夏準」
「なんですか?」
「するならもっとしっかりしたほうがいいだろ」
「何を?」
「何をって、分かってるだろ……」
「してほしいんですか?」
「別に、俺はどっちでもいいけど……むぐ、」
そう呟いた俺の声を喉の奥に押し込むように、かぷ、とくちびるを食むようにキスをされた。まるで夏準に食べられているようだ。これはキスにカウントされるのだろうか。されるかも。いやでも、するならもっとちゃんとキスしてほしい。
「んむ、っなあ夏準」
「なんですか?」
「ちゃんとキスしろってば」
「してるじゃないですか。理想のキスがあるなら、アレンからしてくれてもいいんですよ」
「してないだろ。してもいいけど、先に手出してきたのおまえだろ」
夏準に煽られて、その気になってきてしまった。夏準はあいかわらず涼しい顔をしていて、俺ばかりその気になっているようで負けたような気持ちになる。勝ち負けではないけれど、恋人にだってその気になってほしいと思うのは傲慢ではないだろう。
「夏準、遠い」
「はいはい」
しゃがんでいたせいですこし離れた距離にいた夏準が、俺のすぐ隣に座り込んでくれた。夏準の膝の上に向かい合うように勝手に座ると「くっつきたい気分なんですか?」なんて楽しそうに聞いてくる。
「こうしたほうがキスしやすいだろ」
「おや、アレンからしてくれる気になったんですか?」
「しないとは言ってないし」
ちゅ、とわざと音をたててキスをする。変わらず、楽しそうな夏準の表情を変えてやりたい。夏準の思い通りになっていると分かっていても、こちらはもうすっかりそういう気分にさせられているのだ。
「アレンの言うちゃんとしたキスって今のなんですか?かわいらしいですね」
「……今からすごいのする。舌出せよ」
「もしかしてボク、誘われてます?」
「そっちから誘ってきたくせに」
「ボクはただ挨拶しただけでしょう」
「……挨拶でキスするやつじゃないだろ、おまえ」
まあ、別にいつキスしてもいいけど、とつぶやいた声に「そういうこと、気軽に口にしないほうがいいですよ」と注意されたので「こんなこと言うの、おまえにだけだよ」とこぼしながら、熱烈な舌入りのキスをおみまいしたのだった。