Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    heigh2xx

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji ⛩ ✒
    POIPOI 38

    heigh2xx

    ☆quiet follow

    イベント用書きおろしSS
    京→関←敦です

    #京関
    metropolitanArea

    関口巽と云ふ男「関口巽は狡い男である」

     彼との出会いは彼が学生の時分であった。
    記憶にあるのはあどけない笑顔である。初対面の自分にもふわりと泡のような笑顔を向ける、いつでも消え入りそうな男だと───幼心にも思ったものであった。
     その頃の、そしてそれからの自分はまぁ自分で思うのもなんだというほどにはそれなりの見た目だったのだろう。見た目だけを見る男が昔から絶えなかった。しかし、彼の目からはそんな欲という欲は全く感じることはなかったのだ。それは、<他人の男>からの視線に辟易していた自分にはわずかな光でもあった。

    「関口先生、今度中野のお祭りがあるんですよ」
     夕食を平らげ、食後のお茶の準備をしながら私──中禅寺敦子はさりげなく背後の男に声をかけた。義姉は所用で当面家を離れており、料理をしない兄のためにわざわざ夕飯の支度をしに中野に出向いたらそこには遊びに来ていた関口がいたのだった。夕飯を一緒にどうですかと誘っても何度も断られたが、兄が助け舟を出してくれてここに至るのであった。
    「あぁ、来週だったかな」
     自分の煎れた茶を美味しそうにすすり、ふわりと笑みをこぼす。その笑みを見て敦子は心が温かくなる。
    「あ、知ってました?それでですね、先生────」
    「ばかめ、まさか関口を誘おうとしているのか?祭りがあるならこの男は雪絵さんと行くだろう」
     うるさいな。
     この口の悪い男は絶対に口を挟むだろうと確信を持っていたし思った通りのタイミングでもあったがやはり煩いものは煩い。
    「うるさいなぁ、兄さんは。変な意味じゃないのよ。今度先生が土着神とお祭りを題材に信仰と理性についての記事を────」
    「カントかパスカルか。どうせ面白おかしく書きたてるんだろう?」
    「んもう、兄さんのところの神社のお祭りじゃないんだからいいじゃない」
     んべ、と舌を出してわざとらしくそっぽを向いてやる。
     口の悪い男───兄は、忌々しい顔をしつつ私の煎れたお茶をすすってこれまた悪くない顔をした。この男には何にも勝てないと思っているが、こればかりは私の方が勝るようである。少しだけ胸がすく思いがした。
    「はは、いや実は同じ頃合いに雪絵の実家の方でも祭りがあってね。あそこは商店街のあたりだから借り出されるっていうんで雪絵も帰ってしまうんだ。敦ちゃんが良ければなんだけど取材がてら付き合ってもらうことは出来るかな」
    「えっいいんですか?先生」
     正直ほぼ断られるだろうという気持ちでの発言だったのでまさに青天の霹靂だった。勿論取材である。そういう名目ではある。しかし心はすこぶる踊った。そして雪絵さんにも申し訳なく思った。自分はこの男に少なからず好意を抱いてはいるが決して悪意があるわけではなく、雪絵さん自身は敦子はとても好いているのであった。だから気持ちを伝えることはない。ただ話をするのが嬉しいのだ。
    ──そう、自分に言い聞かせている。
     また私はこんなところでも我慢するのか。
     私はほんの少しだけ気持ちが翳るのを感じた。こればっかりは仕方が無いことである。分かっているのだ。しょうがない。幽体離脱したかのように一歩引いたところで自分の感情が上下するのを見ていた。
    「ふん、先生はうちの瘋癲を甘やかすのはやめてくれないか。これ以上つけあがってしまってはこちらが困る」
    「甘やかして──もらっているのは僕なんだけどね。敦ちゃんには世話になりっぱなしだ」
    「先生──」
     兄やそのシンパ達は一様に先生を悪しざまに言うが自分はそうは思わなかった。もちろん性格によるものは多大にあるが、しっかりと礼儀をわきまえ、言葉を知り、こうやって気遣ってくれる男なのである。一回りも違うからと年長者ぶったり馬鹿にしたりはしないのだ。
    「それを甘やかすというのだよ、先生」
    「なんだい、そんなに心配なら君も一緒に来たらどうだ。千鶴子さんも戻るのはまだなんだろ?」
     感動しているのもつかの間、その言葉に顔を上げたところに兄と目がバッチリと合った。勿論、考えていることなど御見通しなのだろう。馬鹿にされるかと思ったがまさかの同情のような顔をされた。
    「僕は行くとは」
    「そういえば昔も皆でお祭りに行ったことがあったね。敦ちゃんは学生だったかな?僕は具合が悪くなって先に帰ってしまったけれど、皆で行くのは楽しかったし敦っちゃん、君の浴衣は素敵だったね」
     そう言われてしまえば何も言えない。そしてやはり無意識で言っているとはいえこういうことは上手い男である。この褒め方は狡い。
     敦子は密かに肩を落としたのだった。

    *

    「関口巽は狡い男である」

     彼との出会いは彼が学生の時分であった。
    記憶にあるのはあどけない笑顔である。初対面の自分にもふわりと泡のような笑顔を向ける、いつでも消え入りそうな男だと───隣の席で思った。
     何とは無しにした会話が思った以上に弾んだことを覚えている。天下の旧制高校だ。それなりの学力は伴っている者ばかりの集まりであるが、彼は自分の範疇に及ばない知識を有している男だった。普段は萎縮した性格であるのに対して、興が乗ると雄弁に語る。そして自分が人の目を気にする質のせいか他人には必要以上を求めず、自分を卑下しながら人の心を掴む発言をする。その格差が面白くて若い頃は大いに彼を振り回してみたものだった。はずだった。
     20年近く経って気がつけば自分が振り回されていた。
     ほおっておくと簡単に彼岸に堕ちる彼の面倒を見て経っていた年月だと思っていたがそうではなかったのだ。厭ならやめればいいのだ。いらない荷物は捨てればいい。しかし自分には捨てる気持ちも度胸も何もなかった。あるのは昔馴染みと結婚して尚続く惨めな執着である。
     この友人───知人にかなりの年月をかけて捕らえられているのだった。

    「テレヴィジョン放映は結局見ていないのかい?こないだ終戦からあと少しで10年とかなんとかやっていたよ」
    「君は僕がこういう性格をしているのを知っててよく言うな。あんなに見たがっていたのにまだ見ていないのか、と言いたいんだろう?」
    「先生にしてはご明察じゃないか」
     秋口の夕暮れの風が書斎に吹き込む。
     知人、関口巽は当たり前のように我が家に上がり込んで隣で自分が煎れた茶をすすっていた。伊豆の事件から少しの時が経ち、君の煎れた色のついた湯にももう慣れたよなどと軽口も叩けるほどには回復したかのように見える。ふわりとした笑みに少しだけ安堵した。
    「うぅ──しかし見なくて正解だったかもしれないな。まだ戦争のことは思い出したくもない」
     確かにあの時代は思い出したくない記憶ばかりであった。見飽きるほどの死体の山。見知った街が焼けただれている光景。そして目の前の男は内地の自分とは違って南方に出向き更なる遺体と対している。自分にはついぞ語ることのないだろう惨憺たる光景もあったはずだ。
     徴兵を知った時は互いにいろいろと覚悟した。逢うのが最期ならばと───悩んだりもした。しかしこの男は生きて戻ってきたのだ。それだけで何かが報われる想いがした。
    「まぁ放映内容はともかく一度は見てみるべきだぜ。君がご執心だったのも無理は────」

    「兄さん、いる?」

    「あれ?敦ちゃんじゃないか?」
     玄関口から瘋癲娘の大きな声が聞こえる。妻はここ数日実家に帰っており、妹の敦子が気を利かせて食事の支度をしに来てくれているのだった。おおよそ買い込んだ荷物でも運ばせようと呼んだのだろう。返事も立つ気もない自分の代わりに隣に座る男はのそりと立って玄関の方に向かった。
    「あれっ関口先生じゃないですか。すみません、はしたないことを───」
    「いやいや、敦ちゃんこそ仕事の帰りにわざわざ偉いよ」
    「そんな───あっちょうど良かった、先生、私が作ったのでよろしければ夕飯はいかがですか?」
     開口一番の声よりもワントーン高い声が響く。関口はそれは悪い、としきりに遠慮している。初夏にこの妹もこの男も散々な目にあった。勿論それは責任をとれる大人なのでこちらが過大な心配をすることではない。しかし相手は身内と知人である。二人がここまで楽し気に会話できるようになったことにほっと息をつき、つい助け舟を出してしまった。
    「まぁこいつの料理が食べれないものではないというのは分かっているだろうから今日くらい付き合ってやってくれ」



    「ところで関口くんは今日は何しにきたんだい?」
     食後の茶で一服しながらなんとはなしに関口をつつく。
    「いや──まぁね」
    「なんだい煮え切らないなぁ。まさか」
    「そうだよ、さっきの土着神や理性信仰についてね。君の意見を」
    「また僕をネタ帳にするのか。君は僕の放った言葉を猥雑にするからなぁ」
     図星だったのか俯いて音を立てて茶を啜る。どうせ僕は卑小で猥雑さ、と嘯いているのを尻目に紙煙草に火をつけた。とはいってもこちらもそんな関口が持ってきたネタから話が広がるのが嫌いなわけではなかった。学生時代から続くこの時間を愛おしく思っていた。この時間は、唯一あの頃と変わらない気持ちでいれるのだ。
     しようがない奴だなと紫煙を吐くと目の前の男はふふ、と笑みをこぼす。
    「なんだね」
    「いやね、こうやって君とまた話せるのは幸せなことだなって」
    「──────」
    「夏には僕はそれは酷かっただろう?君と話しているこの時間が僕にとっての癒しなのかもしれないな。それに敦ちゃんや君と祭りに行くのも何年振りかなぁ」
     自分はさぞ厭な顔をしているに違いない。敦子が恐る恐るといった調子で何も言わず自分の顔を隣から見上げていた。

    ───関口は。関口の嫌なところは。
    ───こういうところなのだ。

     自分が唯一感傷に浸れる時間を勝手に共有する。
     何の下心もなく自分といる刻が至上なのだと嘯く。
     それは初夏の事件からだいぶ持ち直したことを言っているに相違ないのだが、愛を囁いてるようにも聞こえるのは自分の心が穢れているからなのか。
     しかしそんな言葉で舞い上がる程偏狭でも若くもなかった。
     なんて───狡い男なのだ。
     こうして中禅寺秋彦は祭りに出向かなくてはならなくなったのだ。


    ****


     陽が翳るのも早くなってもう秋だね、ともらしながらその男は晴明桔梗の入った提灯をぶら下げて坂をくだっていった。
     見送りに出た敦子が居間に戻ると先ほどまで関口が座っていた場所に落ち着く。冷めた湯呑の茶を一気飲みして大きなため息をついた。
    「先生って────本当に狡いのね」
    「今更分かったか」
     勘違いしないでほしいのはあれは計算で出る言葉ではないということだ。懐いた人間の欲しい言葉をくれる。くれるが、それは純粋に思った感情の言葉なのである。嘘をつくのが下手な人間なのだ。だからこそ狡い。欲しい言葉をくれるのに関口自身は手元には絶対に降りてこないのだ。
     そう言うと敦子は子供のように口を尖らせた。
     この娘は見た目よりも冷めた感情を持っている。益田や青木や鳥口あたりからは好さそうな反応があるためにこんな娘でも愛嬌があるのかと思ったのだが、所謂それはこの娘の処世術のようなものなのかもしれない。こればかりは自分たち兄妹の境遇も理由にある。だからこそ関口への執着には驚いた。下心なく純粋に相手をしてくれる関口に懐いているのかと思っていたがそれ以上の気持ちのようである。だが、また心から欲しいと言えるものではないのかと───兄ながら妹を憐れに思った。
    「兄さんも──────」
    「あいつは学生時代も<でも秀>と言われていたがね。実は聡いんだよ。本当は識っている。───識っていることを知らないだけなんだ。自信がついていかない。だから愚鈍に見える」
     敦子は怪訝な顔をしてこちらを睨みつける。
    「今までの事件を思い出してみろ。あいつはいつでも核心に迫っていたんだよ」
     だからこの気持ちをおくびにも出せないということか。気取られないように。識られてしまわないように。蓋をしろと。
     ────気を付けろ、と警告をしているのだ
     しかしそれは
    「兄さん───理性にも限界はあるわ」
    「僕は奴を崇めている訳ではない」
     理性の先には信仰があるという話か。
    「今はパスカルのことを言ってるんじゃないの」
    「それはただの罪だ」

     時計の針の音が響く。
     分かっていたことだがそれならこの想いは虚しいだけじゃないか。
     私も、兄も。
     いや、それでも。
     (分かっていて兄さんはあの人を癒した)
     あの人を祝った。祝福したのだ。
     壊れたままなら苦しまないかもしれないのに。
     
    「誰も離れられない。あいつは、狡い男なんだよ」
     敦子の心を見透かしたようにぽつりとつぶやいた。
     敦子はもう一度ため息をつき、それならばいっそのこと来週の祭りは目いっぱい関口に見せつけてやろうと目論んだ。
     
    ───どうせなら浴衣も新調してやろう

     夏は終わりを告げる。
     無駄を省きたいこの性格も終わりなのではないか。そうだ、元より泡のような男への泡のような気持ちなのだ。無駄でもいい。今だけ、この時を楽しんでやろう。
     そう思うと少しだけ重い気持ちが楽になった。
     風情を無視した風鈴が応援するかのように凛と綺麗な音をたてて翻った。


    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💞💞💞💞💞👏💯💖❤💞☺🙏💕💯👍👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works