関口巽と云ふ男「関口巽は狡い男である」
彼との出会いは彼が学生の時分であった。
記憶にあるのはあどけない笑顔である。初対面の自分にもふわりと泡のような笑顔を向ける、いつでも消え入りそうな男だと───幼心にも思ったものであった。
その頃の、そしてそれからの自分はまぁ自分で思うのもなんだというほどにはそれなりの見た目だったのだろう。見た目だけを見る男が昔から絶えなかった。しかし、彼の目からはそんな欲という欲は全く感じることはなかったのだ。それは、<他人の男>からの視線に辟易していた自分にはわずかな光でもあった。
「関口先生、今度中野のお祭りがあるんですよ」
夕食を平らげ、食後のお茶の準備をしながら私──中禅寺敦子はさりげなく背後の男に声をかけた。義姉は所用で当面家を離れており、料理をしない兄のためにわざわざ夕飯の支度をしに中野に出向いたらそこには遊びに来ていた関口がいたのだった。夕飯を一緒にどうですかと誘っても何度も断られたが、兄が助け舟を出してくれてここに至るのであった。
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