尊奈門の休日「ねぇ尊奈門、聞いてる?」
「聞いてますよ〜…」
「本当に聞いてる?」
「聞いてますってば〜」
尊奈門は何度目になるのか分からない“聞いてますよ”を口にして内心大きくため息を吐いた。原因は言わずもがな、目の前にいる。
「聞いてないっ!」
「聞いてます〜!」
「そんな態度ね“聞いてる“なんてよく言えるわね!面倒くさそうな顔してるじゃないっ!」
「だぁって、昨日だって同じ話してたじゃないですか〜っ」
目の前でとびきり甘いこし餡の乗った団子を片手に、口を尖らせているこの少女のせいだ。
彼女は尊奈門の3つ年下だし、背格好だって尊奈門の方が大きい。
けれどこの少女は、タソガレドキ城城主黄昏甚兵衛の愛娘。つまりは尊奈門よりもずっとずぅっと、地位が高かった。
「何よぉ、尊奈門が勝手に付いて来たんだから、私の話を聞くのは当然でしょ!」
ついでに言うと、ワガママで高飛車で、態度は尊大で、それから買い物を死ぬ程する。
まるで殿そっくりだ。
午前中にも反物やら簪やら、珍しい南蛮の品がどうだとかで散々付き合わされた。
出かけずとも、城には決まりの商人がやって来るのに、姫は自ら足を運ぶのがお好みらしい。
今回は、いつもは長引く反物屋を悠に凌いで“組頭への品”を探す時間がとびきり長かった。
あれでも無いこれでも無いと店を渡り歩き、もう訪れていない城下の店は無くなるのではないかという頃になって、やっと支払いを済ませた。
勿論、その合間にも気に召すものがあれば購入していくので、尊奈門の腕にはずっしりと重く品物が重なっていく。それでも一応護衛として付いているから、どんなに荷物を持たされようが周囲に気を巡らせ、いつでも姫を庇って攻撃に転じられる様にしていなければならない。
「いい訓練になる」なんて視線の合わない雑渡や高坂に唆されたあの日を、尊奈門は悔いても悔いきれなかった。
「勝手に付いて来たってそんな、まるで私が…!」
「まるで何よ!まさか、私が悪いって言いたいの?!」
「ぐ……いえ……失礼いたしました……」
自ら姫のおでかけについて行くなんてそれこそまさか!考えたこともなかったが、今にも逆ギレしそうな彼女の声色を察して、尊奈門は歪められた事実を飲み込むことにした。
脳裏には『私はここから動くと山本に怒られるから。尊奈門、姫をよろしく頼んだよ』と溜まりに溜まった書類の山のうちの数枚をヒラヒラと振る組頭の姿もチラついていた。
命令とあらばどんな理不尽だって飲み込まねばならないのがプロの忍というもの。
しかしまぁ、尊奈門にはこの仕事が一番負担に感じられて、それを悔しく思っていた。
それもその筈。本来蘭姫を連れ戻すのは尊奈門ではなく、雑渡の仕事なのだ。
わざわざ組頭ともあろう者が出向くのには、殿の過保護以外にもわけがあった。
一言で言ってしまえば、一番“はやい”のだ。
なにもこれはシンプルな本人の能力の話というではない。
姫は組頭を大層ご寵愛していらっしゃる。
だから大好きな昆奈門には姫のワガママも若干、いやかなり引っ込む……というのが真相だ。
尊奈門は今日、その組頭の“代わり”なのだ。
脱走したのを捕まえるのではなく、最初から共にしているのだからいつもよりは楽な筈。しっかりしないと。
しかしまぁ、彼女のご機嫌が損なわれているのも同じ理由なのだった。
「まぁいいわ。それでね?そのときの昆奈門ったらまるで気がないみたいで……酷いと思わない?!一言でいいの。たった一言“可愛い”って言ってくれたら良いのに…」
ほらお前も食べなさいと押し出された山盛りの団子の皿から一本手に取って、遠慮なく口に運ぶ。
尊奈門はバレない程度にため息を吐いた。
姫様と同じ皿の食べ物を分けて貰えるなど随分有難い話に聞こえるが、そうではない。
以前同じ状況で遠慮して断ったときに「私にだけ食べさせて私だけ太らせるつもり?!」と怒られたことがあった。
本格的に彼女の機嫌を損ねてしまえば、どんな不条理が押し付けられるか分からない。
我らがタソガレドキの姫は、殆ど災害のような性分なのだ。
「仕方ないんじゃないですか〜?組頭は組頭、姫は姫なんですから」
「うぅ……どうしてもそこに行き当たるのよねぇ」
蘭姫お気に入りの、もっちりとした団子に舌触りの良いこし餡は、尊奈門の好みでもある。
朝から買い物に付き合わされて疲れた身体に、糖分が心地良く染み渡っていくのが分かる気がする。
というかこの話、何度目かな……やはりこの団子には上質な粉や豆を使っているからこんなに美味しいんだろうか、城下町の団子屋の相場よりも割高なだけあるなぁ……。
逸れつつある尊奈門の思考は、なにやら考え込んで黙っていた蘭姫の言葉に引き戻される。
「そういえば、この間読んだ本じゃ『身分違いの恋!』って若殿と町娘がアツい恋をしてたわ」
「あー最近流行ってるやつですよね。マツノキダケの姫も読んでましたよ」
少し前、偵察に潜り込んだ時に見かけた記憶がある。
ここ最近、姫のお付きを任されることが多いせいか、自然と女の流行りには敏感になっている。女装の際に活きるかもしれないし、知っていて損は無いが、男社会で育って来た尊奈門はこれが少し恥ずかしい。
「あーあ、今みたいに普通の村娘になりたいわ…」
ぼやきながらまた一つと団子を口に運ぶ目の前の少女の着物は、随分と上質で綺麗な反物が使われていて“普通の”村娘になんて見えたものではない。
百歩譲ってどこぞの豪商の娘だろうか。
そういえば忍術学園のしんべヱくんがこんな感じの着物を着ていたのを見たことがある。
「でもご自分だけ普通の身分じゃ意味なくないですか?」
「もー尊奈門うるさいっ」
返答を間違えたらしく、蘭姫の声が店内に響く。
尊奈門は慌てて周囲に軽く頭を下げた。
全く、変に目立っては困ると言ってあるのに。
他の客の迷惑そうな視線など気にせず、蘭姫は物憂げに続ける。
「でもお互い普通の男女に生まれてたら、私と昆奈門は会えなかったかも……!」
恋にうつつを抜かす呑気な姫を、尊奈門はいつまで経っても普通の女の子の様に思えて仕方が無かった。
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蘭姫と尊奈門が裏門を潜ったのは、浮かぶ雲まで鮮やかな橙色に色づいた頃だった。
予定ではもう少し早く帰って、既に通常の任務に戻っている筈だったのだが、尊奈門の任務は未だ続いている。
「絶対に今日渡すの!仕事の邪魔しないからっ!」
この通り、蘭姫が帰る前に忍軍の屋敷に立ち寄ると行って聞かないからだ。
午前中に死ぬ程店を巡って選んだ手ぬぐいを、一刻も早く組頭に渡したいらしい。
当然のことではあるが、忍軍の屋敷と姫の部屋は遠くに配置されている。
この大荷物で屋敷に立ち寄って、その後部屋まで蘭姫を送り届けなければならないとなるとかなりの手間になる。
それに、蘭姫に振り回されてばかりなのが皆にバレてしまう。
しかし、無理矢理連れて帰って機嫌を損ねてしまうとなると、苦労はその手間の比べ物にならないだろう。
尊奈門は蘭姫の“お守”をするようになってから、損切りが上手くなっていた。
「はいはい分かりましたよ〜!でも、少しだけですよ!あと、危ないので勝手に動かないでくださいね!」
「はぁ〜い」
「絶対ですからねっ!」
途端に機嫌を直して屋敷に向かい始めた蘭姫を後ろに下がらせて、尊奈門はやれやれと歩き始めた。
朝から缶詰で仕事をしているであろう組頭に、自分が更に面倒ごとを運んでいくようで本当に心苦しい。がしかし、姫に逆らえないのは組頭も同じはず。
きっと躱わしようはあるのだろうけれど、雑渡のようにうまく躱せるものは彼以外に居ないのだ。だから許されたいと思った。
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把握しきっているとはいえ、大荷物かつ何も知らない姫を連れて屋敷のカラクリを避けて進むのはなかなかに厄介だった。
例え守りに隙が出来るとしても、姫専用の隠し通路を作りたいと今週の会議で提案しようと心に決めた程だ。
やっとの思いで執務室の襖に辿り着き、座物が尊奈門の指先を掠めたとき。突然2人の頭上に大きな影が落ちて、目の前に黒く大きな影が飛び降りた。
小さく悲鳴をあげた蘭姫を咄嗟に左手で姫を庇いながら、持っていた大荷物を陰に向かって放ち死角を作る。
尊奈門は必死だった。
酷く鋭く冷たい殺気がしたからだ。
城内の、それも忍び屋敷のこんな深部に潜んでいたとなるとその力量は計り知れない。
それを裏付けるように、影は目に捉えようとしても薄暗い廊下に気配ごと上手く溶けており、その輪郭は認識出来なかった。
殺気に疎い姫にも恐怖を感じさせた様で、背中越しに小さく震えているのが分かる。
今一番重要なのは、姫を逃すことだ。
「姫、このまま廊下を進んでお逃げください」
こんな事ならば、やっぱり姫専用の隠し通路が必要じゃないか。
危機迫る状況とは裏腹に、尊奈門の頭には先程まで考えていた呑気な提案が過ぎる。
「む、無理よ…!だって仕掛けがあるんでしょう?!」
「そうですけど!今ここに居るよりはずっとマシです!早く!!」
「カラクリで死んだら、尊奈門のこと絶対呪うわよ!!」
流石は武家の娘といったところだろうか、恨み言を口にしながらも案外早く腹を括ったらしい。
蘭姫が背中から飛び出すと同時に尊奈門が大きく一歩前に踏み出す。
と、途端に陰の大男が放っていた殺気がぴたりと止んだ。
「おや?おかえりでしたか、姫。」
その声に気が抜けた蘭姫と尊奈門は派手につんのめって、尊奈門だけが床に転がった。
「こ、昆奈門…!!」
「組頭ぁ〜っ!?」
2人が刺客と見紛えた影は、転びそうになった姫を軽々と片手で支えて差し上げるタソガレドキ組頭の雑渡昆奈門だった。
蘭姫を立ち上がらせると頭を低く下げて跪き、白々しく驚いたフリをしているが、この屋敷で足音を立てるのは、忍びではない蘭姫ただ一人。
つまり、分かっていて脅かしに来たのだ。
蘭姫相手にこんなことをして許されるのは、雑渡くらいだろう。
尊奈門は、自らの組頭の気配に気づけなかった未熟さに。蘭姫は寵愛する雑渡を前に、微かに顔を紅潮させた。
「も〜びっくりしたじゃない!」
「ははは。それは失敬、すこし驚かせるだけのつもりだったのですがね」
「いやびっくりなんてものじゃ無いですよ!!私は死すら覚悟しました……!」
どうせバレているからと素直な気持ちを吐露した尊奈門に、雑渡は「お前はまだまだだね」と灸を添える。
「もう楽にして良いわよ、昆奈門。
もうお仕事は終わったの?」
蘭姫の声に顔をあげた雑渡は、襖を開いて中に案内する。
今朝山積みになっていた書類は殆ど片付けられて、尊奈門には山本の苦労が伺えた。
「恥ずかしながら、先程漸くひと段落いたしました」
「あらそう、なら急がなくてもいいのね」
上座に座った蘭姫は、どんな綺麗な簪を見つけた時よりも嬉しそうに顔を綻ばせていて、尊奈門にはやはり年頃の普通の娘と変わりなく思えた。
「ところで、どうしてわざわざこちらまで?」
蘭姫に問いかける雑渡の視線は、尊奈門に向いている。
どうしてわざわざ危険のある忍び屋敷に蘭姫を連れて来たのだ、上手く躱せなかったのかと問われているのだ。
「それはその、」
「いいの尊奈門。私がワガママ言ったのよ」
雑渡も「そんなのは分かっている」とでも言いたげだが、蘭姫が遮って話し始めたのならそれを聞かなくてはならない。
しかし、妙に上擦った声に雑渡は微かに首を傾げた。
「その、これ……」
蘭姫は懐から小さな包みを取り出すと、耳の先まで赤く顔を染めてそれを雑渡に差し出す。
「だから……お土産?昆奈門が、す…好き…そうなものがあったから……!」
帰りの道中あんなに“何と言って渡すか”の練習をし、散々パターンを練らされたというのに、あまりにぎこちな過ぎる蘭姫の挙動に尊奈門までなんだか緊張してしまう。
「お心遣い、有り難く頂戴致します。」
「えぇ……今開けてもいいのよっ」
つまり、今開けろということだ。
薄い包みを広げると、深い深い黒の手ぬぐいが入っていた。
「おや、手ぬぐいですか」
肌触りは柔らかいが、その色はどこまでも深い闇のように黒々しく、見ていると吸い込まれそうだ。
物は良いが目立たない店の更に隅に忘れ去られていたこの手ぬぐいを姫が選んだときは疑問に思っていたが、雑渡がそれを手にしたのを見て尊奈門はすんなり納得した。
「それなら身に付けても困らないでしょう?」
散々付き合わされている尊奈門には、蘭姫のこそばゆい健気な恋心が分かった。
いくら生きて帰ることが一番重要とされているとはいえ、忍はいつどこでどんな死に方をするか分からない。
姫も承知していることだ。
立場も違えば、きっと死に様も違う。
添い遂げられなくても側に居たいのだ。
きっと人の感情に聡い雑渡には伝わっている筈だ。
「ええ。いつでも側に。」
居た堪れなくなって、尊奈門は蘭姫から目を逸らした。
毎度あの我儘に付き合ってしまうのは、目の前の揺るがぬ現実を知っているからだ。
尊奈門は、やはりこの人は村娘でなく、姫であって良かったのだと思うことにした。