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    寝ぼけ謎理論左伝

    #左伝
    zuoden

     僕が任暁左吉に情を抱いているとして、そうさせる原因は一体何に当たるだろうか。
     例えば、委員会のせいで四日も寝ていない時。青い隈を目の下にこしらえて、朦朧とした意識から紡ぎ出される言葉は、安藤先生並みの面白くもない親父ギャグである。かわいそうに、左吉の優秀な頭脳は、耳で拾った音の韻を踏むために意図に反して勝手に働いてしまうようなのである。これは、情を抱くには適さない要素だ。
     あるいは、そんな左吉が僕にテストで負けた時。言い訳をするでもなく、惜しげもなく悔しそうな顔を見せ、夜遅くまで書物に齧り付く。まるでがむしゃらに生きていた一年生の頃のように、それだけが己の存在価値であるかのように、文字通り必死で、僕に勝つために勉強をする。確かに僕にとっては脅威だが、それゆえに好ましいと言えるのではないだろうか。なにせ僕の嫌いなタイプは阿呆なのだ。
     あとは言動が挙げられるだろうか。五日ぶりに寝て起きた時なんかは、ほとんどかわいいと言っても差し支えないだろう。布団を敷くことすら放棄して、硬い床板の上で寝ることなどしばしば。ぼさぼさの頭髪はいつもの艶はない。寝ぼけてぼうっと一点を見つめている様は、容姿に過剰に気を遣う普段の姿からは想像もできないほど間抜けだ。寝巻きに着替える余裕もなく、乱れた制服も直さずに上体を起こし、きょろきょろと探すように辺りを見回す。そうして僕のことを見つけると、掠れた声で「おはよう」と言うのだ。
     僕は、任暁左吉にある程度の情は抱いている。でもそれはあくまでも、僕ではなく、左吉のほうに要因があるに違いないのだ。
     そうでなければ、これは一体何のざまだと言うのだろうか。


    「久しぶりの睡眠はどうだった?」
    「……最高」
    「それはよかった」
     畳み終えた布団を押し入れに仕舞うと、建て付けの悪い部屋の襖を開け放つ。朝の眩しい空気が部屋いっぱいに差し込んで、左吉は苦しそうに光に目を細めた。
     たった一度の、それも床板の上での睡眠では、目の下の不健康そうな隈は取れないらしい。何年か前の暑苦しい会計委員会委員長を思い出して、僕はすこし苦い気持ちになった。
     左吉のかっちりと左右対称の顔には、同じように左右対称の隈ができる。いくら擦っても落ちず、それが消える頃にはまた眠れぬ日々が始まるのだろう。
     隈のない顔を忘れてしまいそうだ。未だ覚醒しきっていない左吉から目を外し、僕は顔を洗うために井戸に向かおうとした。
    「……夢を見た気がする」
     振り返ると、光に目を細めたまま、左吉は独り言のように話し始めた。
    「一年生の頃の夢。なんでだろう、久しぶりに部屋で寝たからかな……」
     懐かしかったな。なんでか分からないけど、すごく焦っててさ。それで床下にいたんだけど、それでもなんだか楽しくて。
    「僕はいた?」
    「うん」
     一緒に勉強してた。まあそうだったよね、あのときはさ。ぽつりぽつりと出てくる言葉は普段のような明瞭さを欠き、要領を得ない。ぼんやりとした目で自分の手を見つめては、広げたり握ったりを繰り返している。きっとまだ寝ぼけているのだろう。僕はほっと胸を撫で下ろし、さっきまで布団が一組敷かれていた床に目をやった。
     左吉の周りには、投げ出された筆と、すっかり乾いた硯、油の切れた行燈に、広がったままのにんたまの友が散らばっている。部屋に戻ってこれたのだから、さっさと寝てしまえばよかったものを。
     大きなあくびをして、左吉はぐっと身体を伸ばした。ぱきぱきと骨が小気味の良い音を立てる。伸ばした腕を制服の袖が滑り落ちて、白い二の腕が露わになった。
     それが、最近見ることがなかった、しかしあまりにもありふれた日常の光景だったので。
     満足げに寝こけていた姿を思い出し、僕は突然、嫌味のひとつでも言いたくなった。
    「――まさか帰ってくるとは思わなかったよ」
     本当は、こんなことを言いたいわけではなかった。しかし、一度発した言葉は取り消せないし、言い過ぎたとと思ってももう遅い。
     ただ、左吉は僕のことをよく分かっているし、僕も左吉のことはよく分かっていた。この程度の言葉は日常茶飯事で、左吉はなんとも思わないことを。僕の本意ではないというのをわかっていることも。
     左吉は床に胡座をかいたまま僕のことを見上げる。
    「僕こそ、寂しくさせてごめん」
     そう言ってにやりと笑う左吉は、どうやらすっかり目が覚めているようだった。

     昨晩、部屋の襖が開けられたのは、とっぷりと夜が更けた頃だった。僕はもう既に布団に入って眠っていたし、てっきり左吉はまた帰ってこないのだと思っていた。
     たまごといえども忍者を目指す優秀な僕である。襖が開いた音で頭は覚醒していたのだが、どうもまだ、夢との境目が明白ではなかったらしい。
     襖を開けた者は、ひんやりとした夜の空気と共に静かに部屋に入ってきた。そうして忍び足で布団の横までやってくると、慎重に腰を屈め、僕の顔を覗き込んだ。
     体重でわずかに床板がたわむ。その重みの具合が覚えのある左吉のものだったから、僕は今起こっていることが、現実で起こる可能性は限りなく低いと認識した。つまりは夢であると判断を下したのだ。
     障子越しのわずかな星明かりのせいで、僕の顔に影が落ちている。そうして夢枕に立つ無礼者は、あろうことか僕の髪の毛に指を通してきた。頭皮が僅かに引っ張られる感覚がした。不埒者は僕の髪を耳にかけるような動きをしてみせたのだ。
     意図が分からなかった。
     僕の顔を覗き込むのも、布団からはみ出た髪を撫でるのも、瞑ったまぶたに触れられることも、顔の輪郭をなぞられることも、全て不思議な夢ということで処理できた。
     だから、夢ならば少々、文句を言ってやろうと思ったのだ。
     うっすらと目を開けると、そこにはやはり見慣れた顔があった。凛と吊り上がっている太い眉は、いつもより少しだけ下がっているような気がした。普段綺麗に結い上げられている髷はぼさぼさと乱れていて、やはり幾分かやつれているようにも見える。
     久しぶりだった。この部屋で左吉を見たのは。
    「……寂しかったんだけど」
     声は思っていたよりも喉につっかえて、掠れた情けないものになった。それが左吉の耳に届くととても驚いたような顔をして、「ごめん」とひと言呟いた。
     左吉が素直に謝るなんて。ますます変な夢だった。
     それから左吉は小さく明かりを灯し、制服のまま僕の横に寝転がった。手を貸して、というので温かな布団から冷たい空気中に左手を差し出すと、左吉はそれに自分の手を重ねた。ひんやりとした硬い皮膚が妙にリアルで、ちぐはぐな夢の内容に少しだけ笑った。何笑ってるの、と左吉も意味もなく笑い、僕は理解することを諦めた。そして手を繋いだまま左吉はテキストに向かい始めたので、いよいよおかしな夢であるなあ、と感心し、ふたたび目を瞑った。

     目が覚めて、視界に入ってきたのは左吉の寝顔だった。
     見間違えようのない特徴的な眉毛と、閉じたままのすこし厚い瞼。その下を彩るひどい隈に、これは本物の左吉だとわかり、喉元まで悲鳴が出かかった。
     手を繋ぎながら眠ってしまったのだろう。僕の左手を握りながら、左吉は床の上で小さく寝息を立てている。そもそも、なぜ手を繋いでいるのか。それは左吉が手を出せと言ったからである。でも手を出せと言ったのは夢の中の左吉なのに、これは一体どういうことであろうか。
     僕の優秀な頭脳は稼働し始めたばかりであるのにも関わらず、一瞬で結論をだした。
     あれは夢ではなかったのだ。
     全身の血の気が引く音が聞こえた。
     僕はあの不可思議な夢の中でなんと言っただろうか。寂しい、と言ったのではなかっただろうか。この僕が、左吉に?
     あまりの事実に、ぞっと鳥肌が立った。そして慌てて手を振り解くと、ごしごしと寝巻きで手汗を拭った。
     どうしよう。
     優秀な僕は考える。自分が昨晩うっかりと口を滑らせたことを、正当化するための言い訳を。左吉が長らく部屋に戻ってこないことに、僕が寂しいと感じるに相応しい理由を。
     すやすやと寝息を立てる左吉を見下ろす。
     認めたくはないけども、これが理想のかたちなのだと実感した。左吉がこの部屋で僕と共に寝起きしすることが、正しい学園生活であると。
     左吉がいなくて寂しかった。なぜなら、部屋に戻らぬ日が五日も続いていたからだ。
     教室では顔を合わせていたのにそう思ったのは、二人きりになれなかったからだ。二人きりのときにしか話せないことだって、お年頃だからそれなりにあるのだ。多分、このくらいの歳の普通はそうなのだろう。
     しかし、どうにもまだ、この理論は不完全なもののように思われる。
     僕らに普通を当てはめてみることすら、誤りなのではないだろうか。
     例えば、左吉が相手だと、わざわざ理解しやすいように噛み砕いた言葉を用いなくてもいい。これは大きな要因の一つだ。だからきっと、寂しかったのだ。分かりやすい言葉を選ぶたびに、大きさの合わなくなった足袋のような、窮屈な心地がする。僕を理解できるのは、ここには左吉くらいしかいないのだ。
     僕ではなく、左吉のほうにも原因があるのではないだろうか。いや、そうに違いない。

     振り解いたままの左吉の手は、ゆるく空気を掴んでいる。さほど僕と大きさの変わらぬ手だ。少しだけ指の皮膚が硬いのは、あの算盤を日夜弾いているせいだろうか。
     身体も思考も、僕と同じだと思っていた。それがこの数年で、僅かにだが、違う方向へと僕たちは成長している。少しずつ生じた差から僕は目を逸らす。こんなことを考えているのも、僕だけなのかもしれないのだ。
     つんつんと眉間をつつくも、眠りは深いのか起きる気配もない。
     それからしばらく寝こける左吉を眺めながら、僕は言い訳を練っていた。
     例えば、左吉は僕に情を抱かせたとする。だから僕は寂しさを自然と覚えた。それは仕方のないことだから。左吉が悪いのだ。そうでなければこの僕が、たった五日で寂しいだなんて思うはずがない。
     でなければこれは一体、何のざまだと言うのだろうか。
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