神父レノックスと吸血鬼ファウスト「吸血鬼だ!」
「逃がすな!」
「娘たちは家の中に!」
「どっちに行った!?」
朝日が昇りだし、朝露の輝く森に不似合いな大声がとぶ。銃や斧、鍬を持った男たちが大勢集まっていた。
男たちの怒声を聞きながら足を引きずって歩く。ズルズルと血の跡が地面に付く。
これでは見つかるのも時間の問題だ。
(鳥にでも姿を変えて早くここから逃げ出さないと…)
どんどん意識が遠ざかっていくのが分かる。
遠くで男たちの声が聞こえる。
早く逃げなくては。
焦る心とは裏腹に、体が言うことをきかない。
「…クソッ!」
悪態をついて、そのまま気を失った。
教会の前で体格のよい大男が斧を振るい、薪を割っている。
一段落ついて休んでいると、男たちの集団がやってきた。
「神父様!」
「朝からそんな大勢でどうしたんだ?何かあったのか?」
「吸血鬼が出たんですよ!」
若い男が叫ぶと、他の男たちも次々と口を開く。
「明け方に人影が見えたんです」
「見つけた娘が吸血鬼だと叫んで!」
「血の跡があったから銃は効いたみたいで」
「どこかに逃げて行ったんですが見失って」
わあわあと一斉に興奮しながら喋りだす。
一人が思い出したように神父に尋ねる。
「神父様は何か見かけませんでしたか?」
口元に手を当て、しばらく考える。
ゆっくりと思い出すように口を開く。
「…確か…薪を割っている時に何かを引きずっているような物音がしたな…。それから何かの影が見えて…」
「飛んでいたんですか?」
「ああ、飛び立つ音がしたな」
「どっちに向かったか分かりますか?」
「西の森の方角だ」
答えるや否や、男たちが息巻いてそちらへ向かってゆく。興奮状態の男たちに慌てて声を掛ける。
「みな、危険な事はしないように!」
「分かってますよ!」
「見つからなければ戻ります!」
呼びかけた声に、一応返事があった。
何も見つからなければおそらく昼までには戻ってくるだろう。
ひとまず中に入ろうと扉を開け、奥にある小さな自室に入る。
扉を閉めると懐から小さな塊を出す。
怪我をした子猫だ。疲れきっているのか、声もあげずに丸くなっている。
そっとベッドに下ろしながらひとりごつ。
「特に気付かれなかったな」
カーテンに手を伸ばしてしっかりと閉めると、子猫に向かって声をかけた。
「…もう、大丈夫だ」
その言葉と同時に子猫が姿を変えた。
村の男たちが探し回っていた吸血鬼だ。
言っていた通り、怪我をしている。
まずは怪我の治療だろうか。
どう治療すればいいのだろうかと考えていると吸血鬼は不機嫌さと警戒心をあらわにしながら口を開いた。
「…君は、こんな事をして何を企んでいるんだ?」
「…え?」
予想外の言葉に目を丸くする。
「ええと…たくらむ…と言うのは…?」
「君は神父だろう?吸血鬼を庇ってどうするつもりだ?僕に恩でも着せるつもりなのか?」
「え…?」
全く考えてもいなかったことを言われ困惑するが、まずは誤解を解くべきだろう。
「俺はただ、あなたが弱っていたから助けただけで、やましい理由は何もありません」
「…うそだろう…?」
「本当です」
呆れた顔で吸血鬼が呟くのできっぱりと否定する。すると突然大声で叫ばれる。
「いや、君はまがりなりにも聖職者だろう!?それでいいのか!?」
何故か吸血鬼に心配されてしまっている。
もう一つの大事な事を伝えることにした。
「…そもそも俺は神父じゃないんです」
「は?」
「昔大怪我を負って、この教会の前で倒れていたところを神父様に助けてもらったんです。そのままここで世話になることになり、教会の一通りの仕事を教わり、神父様が亡くなってからは俺が後を引き継いだだけで、正式な神父ではないんです」
「…そうだったのか」
「ですから、あなたを助けるのも何も問題はありません」
「それは…どう…な…」
ぐらりと吸血鬼の体が傾く。怪我によって血が足りてないのかもしれない。早めに治療をしたほうがいいだろう。
「あの…吸血鬼はどうやって怪我をなおすんですか?」
「…普段は怪我をしても勝手に治る。血が足りてなくて体が弱っていると治癒能力は機能しないんだ」
「なるほど…やっぱり必要なのは血なんですね。準備するのでここで待っていて下さい」
「準備…?」
首をかしげる吸血鬼を部屋に残し、とりあえず必要そうな物を取りに台所に向かった。
吸血鬼を助けるおかしな神父は、自分には理解の出来ない生き物だった。
血が必要だと伝えると、準備をすると言ってどこかへ行った。
戻ってきた時、手には短剣とワイングラスを持っていた。
非常に嫌な予感がする。
「どれくらい必要ですか?」
ワインをグラスに注ぐような調子で短剣を手首に当てながら聞いてくる。
「ちょ…ちょっと待て!!!!」
「どうかされましたか?もしかして若い女性じゃないと嫌だったとか…」
「そういう事じゃない!何で平然と手首を切ろうとする!?やめろ!!」
何故止められたのかよく分かっていないような顔を向けられて、こっちが頭を抱える。
人の為に尽くす…という精神性だったとしてもどうなんだそれは。
あまりの迷いのなさに正直恐怖を覚えた。
「確かに血は必要だけど、そんな事をしたら君が死ぬぞ?一度にそんな量は飲めないから大丈夫だ」
血を飲んだからと言ってすぐに治るわけではないという事、調子を取り戻すには時間がかかること、一度にあまり大量には飲めないことを伝える。
あと念の為、女性の血が欲しいわけではないということも伝えておく。
「…でしたらこちらから摂りますか?」
短剣を下ろし、右腕の袖を肘くらいまで引き上げてから、手首をこちらの口元の高さに上げた。
「…吸血鬼に噛まれるとどうなるかは知っているんだろう?」
「ああ、確か眷族になるんでしたっけ?」
「さすがに神父を吸血鬼にする気はないよ」
「…どの歯でも噛まれるとまずいんですか?」
「いや、この上下四本の尖った…」
そう説明している途中、サクリと親指を切ると躊躇なくこちらの口の中に突っ込んできた。
「んぐっ!?」
「牙に触れずに血を舐めてもらえばいいんじゃないでしょうか?」
「んっ!…ふ…ぅ!ぐっ…」
舌先に血の味が広がる。健康的な外見通りの非常に美味しい血だった。
久しぶりの血の味に頭が酩酊したようになってくる。
歯を立てないように注意して、必死で舌を動かして血を吸う。
静かな部屋にピチャピチャ、クチュクチュと水音が響き、時折ゴクリと嚥下する音だけがしていた。
「ふ…!あ…っ」
「あ、満足しましたか?」
満腹になって口を離すと、すぐに声をかけられた。指から垂れている唾液が嫌でも目に入る。
一気に頭が冷え、恥ずかしさで顔が赤くなる。
自分はかなりとんでもない姿を晒していたのではないか?
しかも初対面の人間の前で。
どう言い繕えばいいのか思いつかず、口をパクパクさせていると、神父は予想外のことを口にした。
「あなたがいいのなら怪我が治るまでここで暮らしませんか?俺は頑丈さには自信があるんで、気にせず血を飲んでくれて大丈夫ですよ」
「…は?」
「日中はこの部屋にいれば大丈夫でしょうし、万が一見つかると困るんで子猫とかになってるといいかもしれないですね」
「ちょ…ちょっと待って…」
「村の空気を考えると夜はしばらく外出しない方がいいとは思いますが…」
「だからちょっと待て!!」
こちらの意思を全く無視して話が進んでいくのを何とか止める。この神父は警戒心や危機感というものがないのだろうか?
「はい、どうされましたか?あ!もしかして光が差し込んでくるのが不快でしたか?でしたら今日明日にでも分厚いカーテンを買いに…」
「だからそうじゃない!あとこれくらいなら特に気にしない」
「そうなのですね」
何故かニコニコしながらこちらを見つめている。
「君はいいのか?僕は吸血鬼だぞ?身の危険とか…感じないのか?」
「あなたに対しては全く感じませんね」
「君にとってあまりよくないと思うんだけど…」
「俺は全くそうは思いません」
こちらの不安を全力で跳ね返していく。
まずい。
これはまずい。
逃げ出したいが、今の状況では逃げ出すこともかなわない。
しばらく村の人間たちは吸血鬼を探し回るだろう。怪我が治るまで、外に出るのは正直得策ではない。
「…本当に…君はそれでいいの?」
「ええ、全く問題ありません」
もう降参するしかなかった。
「はあ…。分かった。ここでしばらく世話になるよ…」
「部屋はこちらでよかったですか?」
「問題ないよ。狭かったら子猫にでもなればいいんだろう?」
「それではしばらくお願いします。名前を言っていませんでしたね。俺はレノックス・ラムです」
「僕はファウスト。ファウスト・ラウィーニア」
赤い瞳を見つめながら手を伸ばす。
力強く握りしめてきた手はとても温かかった。
「よろしく、レノックス」
「よろしくお願いします、ファウスト様」