「ではリドルさん、行ってきますね」
「二人とも、気をつけて行っておいで」
アズールが甘ったるいキザな声で、金魚ちゃんの手を取ってチューした。あのナイトレイブンカレッジでよく見た光景……アズールはずっと続けてたみたいだ。
「行くぞ」って言ったアズールは、この前みたいな回りに馴染みそうな無難なスーツでなく、オクタヴィネルで寮長やってた時みたいな武装に近いデザインのスーツを着てた。やたらと仕立てにこだわったスーツを着たアズールは、オレにキーをポイと投げた。なにコレ、オレに運転しろってこと?
オレが鍵手に持ったままジッとアズールを見てれば「どうしたんだ、早くしろ」って、昔みたいにこき使ってくんの。オレこれでも、アズールの新しい職場の若頭になったんだけど、それアズール分かってんの?
まぁいっかって、オレが車のロック外せば、アズールが後部座席に乗り込んで、ますますどっちが若頭か分かんなくなった。まぁ、オレの今着てる服も、アズールからしたら「その辺のチンピラか!?」って言われるような服装だし、しかたねーかもしれないけど。
親父から椅子ぶんどるのにドンパチやって、アスターとサミュエルが癇癪起こしたせいで金魚ちゃんがケガしたあの後、オレはすぐさま親父から組の連中に若頭と紹介された。こうやってオレが絶対に逃げらんねぇように、周囲から固める周到さ……親父は、オレが逃げないと分かっていても、念の為にと色々手を打っているようだった。
そして今日は、ジィちゃんの代から盃を交わし、親父が頭が上がらないとうオッサンに会うことになってる。そのオッサンの元で、アズールの義理の父親が弁護士をやっている。表向きは、オレが若頭になった報告と顔見せらしいが、実際は金魚ちゃんたちを自由にするため、anathemaとどう戦うかの作戦会議だ。
アズールの義父が、自分の養女であり、義理の息子であるアズールの妻となった金魚ちゃんの為に動くとしても一言報告しておくべきだと親父に言われて、だったらアズールもその場にいた方がいいだろうとなって、こうして一緒にオジキとやらに会いに行くことになった。
アズールは、例の貿易会社を一ヶ月後に辞めて、うちの組で働くことになった。親父から借りた一〇〇億マドルを一年後倍にして返すには、まともな仕事をやっていて出来るわけ無いって、金魚ちゃんはちょっとフクザツな顔をしてたけど、最後はアズールに対して「そんな事をさせてしまってごめん」って謝ってた。
金魚ちゃんにとって真っ当ではないオレの実家の家業。それを金魚ちゃんの〝夫〟なんて立場に収まってるアズールに、アスターとサミュエルへの影響を考えて、させたくないっぽかった。渋い顔をした金魚ちゃんの顔芸を思い出すと、なんとも言えない気分になる。
あの日、オレとアズールの気持ちをきちんと受け取った金魚ちゃんは、翌日「おはよう」ってオレに笑顔を向けてくれた。
学校で最後に見た金魚ちゃんの死にそうな、オレの全てを否定して突っぱねた金魚ちゃんが、その「おはよう」の一言で全て上塗りされて、金魚ちゃんをここまで追いかけて、諦めなくて良かったと、オレに思わせるには十分だった……
目的地に着くまで、終始無言で頭の中で今日のシュミレーションを繰り返すアズールと共に、指定された店に足を踏み入れる。
そこは、ウイスキーと葉巻の匂いがこびりついた〝紳士の社交場〟と呼ばれる場所だ。案内役の黒服に連れられ一枚のドアをくぐれば、見慣れた顔がすでにソファーに座っていた。
「親父、ジェイド、おはよ〜」
オレが挨拶すれば、親父がグッと眉間に皺を寄せる。
「お前……なんて服着てんだ」
「えぇ〜服?」
オレの今日の服は、ブルーがかったライトグレーのセットアップと、中はイエローカラーのシャツだ。靴は、底が濃いブルーのクリアカラーをした珍しいショートブーツで、店頭で見かけあまりの面白いデザインに速攻で購入したここ最近一番気に入っている靴だ。ついでに、ジェイドから渡されてたネクタイは喉が詰まるからぽいっと金魚ちゃんのゲストルームのベッドの上に捨ててきた。
親父は「ジェイドにスーツを一式揃えさせて渡してるはずだろ」とか「アーシェングロット、なんで注意しなかった」とアズールを睨みつけたけど、「あなたの御子息が、〝気分じゃねぇ〜〟と拒否されたので、若頭になるフロイド様に下っ端の僕が意見など畏れ多くて」とオレの声真似をして反論すれば、横のジェイドが「ぶふぅッ!」と吹き出してた。
「お前の方が若頭みてぇな格好してんじゃねぇよ! クソッ!!」
アズール怒りながら、ジェイドの頭に一発ゲンコツ落とした親父は、仕方ねぇって気持ち切り替えて直ぐ、ここの黒服からオジキとやらが到着したと先触れをもらった。
「よぉ、待たせたな」
人間で言うと六〇歳ほどの容姿をしたサメの人魚のオジキとやらは、変身薬で人になればオレらよりもっと、笑えるぐらいデカい体つきをしていた。
親父はすぐさま立ち上がって、いつもの不機嫌で常に腹立ててる顔を、ジェイドがしてるみたいな笑顔に変えて、オジキとやらに挨拶した。
「オジキ、お久しぶりです」って、初めて見る気持ち悪りぃニコニコ顔の親父のツラに、アズールがオレの横で驚いてた。
「そっちはどうだ、変わりないのか?」
オジキとやらは、ドカリとソファーに座ってそう聞けば、親父は「少し、問題がありましたが、つつがなく……」と、チラリとオレを見る。
「本日は、私の愚息が後継者についたご報告に、お時間いただきありがとうございます」
「あぁ、お前の倅もそんな歳か……前に見た時は、確かまだこんな卵だったのになぁ」
指で卵のサイズを指し、ガハハと笑うオジキとやらは「で、どっちだ?」とオレとジェイドを交互に見た。
「はぁい、オレでぇす」
手を挙げれば、親父が今にもゲンコツ食らわしそうな顔でオレをギッと睨む。
「ガハハハッ! お前の若い頃にそっくりなクソ生意気な奴じゃねぇか!!」
「え……ははっ」
オジキにそう言われた親父は、なんか分が悪そうだ。ホントにこのオジキとやらには頭上がんねぇみたいだ。
「で、イヴァーノのヤツに前もって聞いたが、惚れた相手のためにあの胸糞悪い『anathema』相手にドンパチやるなんざ見上げた根性だ。気に入った! で、どんな手を打つつもりだ?」
「はい、この件に関してはオジキの所のアーシェングロットさんの方が詳しくお知りかと……そうですよね?」
メンドクサイ説明は、全部金魚ちゃんの養父に任せるつもりなのか、親父はそう言って話を投げた。てか、クソッタレ弁護士とか言ってたくせに〝アーシェングロットさん〟なんて、アズールもアズールの義父もそれ聞いて変な顔してんの、ウケる!
「その前に、ボス、私の義理の息子を紹介させてもらってもいいですか?」
オジキとやらが「あぁ」と言えば、アズールが立ち上がって深々と礼をする。
「アズール・アーシェングロットです。いつも義父がお世話になっています」
「イヴァーノに世話になってるのはこっちの方だ、お前、リーチの若頭の下についてファミリーを支えてくれるんだってな」
「はい。リーチのお二人とは、ミドルスクールから親しくしていただき、此度は私の妻の問題に手を貸していただく対価にと、お二人を支えるべく尽力致す所存です」
「そりゃ良い心がけだ。お前の息子は良い友達に恵まれてるなぁ」
オジキとやらが親父にそう言えば、ジェイドみたいな顔した親父は「ええ」なんて笑顔で言ってるけど、腹の中はフクザツっぽそうなオーラが背びれの位置から溢れてた。まぁ、今は人の姿だから背びれなんて無いけど。
「では、今回の経緯を説明させていただきます」
アズールの義父が事のあらましを話せば、オジキとやらは次第に顔を顰めて最後、テーブルに拳を叩きつけた。
「クソみてぇな奴らだな、『anathema』って奴らは……胸糞悪ぃ」
他人事なのに、オジキとやらは自分のことのように怒っている。
「で、イヴァーノどうするつもりだ?」
もう案は考えているんだろ? とアズールの義父に訪ねれば、アズールの胡散臭せぇ表情の出どころみたいな顔した義父が、おもしれぇ事考えてる時のアズールと全く同じ顔で資料を渡してきた。
その中には、この先、親父から借りてる一〇〇億マドルを使って、どうやってanathemaに交渉するかの計画と、交渉の内容が書かれてあった。金魚ちゃんが呪いが発端で産んだ稚魚が二匹、それも生存してあれだけデカくなったのを知られても、こちらに絶対に手出しできないように……何重にも予防線を張った計画表。その綿密さに、考えれば考えるほど、腹の奥底からこみ上げるものがある。
こんなに遠回しなことをするぐらいなら、いっそ……
「イヴァーノ、お前がいろいろ考えて計画を練ったのは分かる。が、こんな糞みてぇな組織、根本からぶっ潰したりは出来ねぇのか?」
「そうですね……ボスもリーチさんも珊瑚の海や陽光の国、そして輝石の国の一部の話ならどうにか出来たかも知れません。しかし、今回の相手は、このツイステッドワンダーランド全ての、権力者を手中に収めていると言っても過言ではありません。この組織を潰せば、たとえそれが正義の鉄槌であっても、槌を振りかざした方が、この世界から潰され消される事になるでしょう」
顎に手を当て考え込んだオジキとやらは、「そうか、すまない」とそこで話を切った。
「いいえ、私達も『anathema』を徹底的に潰したい気持ちは同じです。けれど当面はこの一〇〇億マドルを投資して、『anathema』より優位な立場に納まり、こちらに物理的に手を出せないようにします。小国の国家予算レベルの金額を出されれば、多少の防波堤になるでしょう」
こんなの、ただの時間稼ぎだ。いくつもの作戦を同時に遂行し、時間を稼いでいる間に他の手を打ち有利に進めたとして、もしその時間稼ぎが無駄だったら? あんなイカれた連中だ、きっと決定的に重要な、そんなネジが外れた、バカみたいな行動にだって出るかも知れない。
作戦会議もいつの間にか終わって、オジキとやらを見送りに行った親父と、アズールの義父。オレたちだけが取り残された部屋で、オレは尖った歯を研ぐように、ギリギリと奥歯を噛んだ。
「フロイド、何か楽しいことでも思いつきましたか?」
ジェイドが含みのある顔で笑ってた。きっとジェイドは、オレが何を考えてるのか分かってるんだ。
「お前たち、何を考えてるかは知らないが、作戦が始まったら先走って悪さをするんじゃないぞ」
アズールがオレとジェイドを目の端で訝しげに見た。
「わかってるって、あはっ」
そう、まだ時間じゃない。粘りに粘って一撃で喉元を噛み切り仕留める、それがウツボの狩りだ。
そして最後は、
必ず……全部、
ぶっ潰してやるからなぁ
あはっと笑ったオレの声は、薄暗い部屋の中、気づかれることなく落ちて消えた。