三年のウィンターホリデー……長期の休みを使い、オレは金魚ちゃんを探しに薔薇の王国の西部に連なる島にやってきていた。
金魚ちゃんが学校からいなくなって、もう八ヶ月になる。今どこにいるのかもわからない金魚ちゃん。さすがに実家に近い薔薇の王国の首都圏にはいないだろうが、馴れ親しんだ街から離れたこの場所ならと当たりをつけてみた。
珊瑚の海にも近い薔薇の王国は、はっきりとした四季を持ち、古い建造物を優先した景観法のおかげで、この国の中は時間が止まっているのではとさえ感じる。今じゃ海の中でさえ存在する大型ショッピングモールすら存在しないこの国は、いまだ小さな商店が軒を連ね、昔ながらの商売をしていた。
赤道よりも随分緯度の高いこの国の冬は寒く、積もる雪を避けるように深く被ったフードや帽子のせいで、金魚ちゃんのあの赤毛とすれ違っても見落としてしまわないかと、オレはしっかと目を開けて周囲を伺ったり、学校で金魚ちゃん隠し撮りした写真をプリントしたのを見せて回った。
そんな事を昼過ぎから一〇時間以上やってたら、さすがに指先が冷えてきた。当たり見回せばクリスマスオーナメントや薔薇の王国の国旗が張り巡らされた中、目に入ったコーヒースタンドで薔薇の王国ではメジャーなフラットホワイトとホットサンドを頼む。
「あんた、ひとりで観光か何かかい?」
会計に九八〇マドルを渡せば、ここいらじゃ見かけない顔してるっておっちゃんが訪ねてきた。
「ん〜ん、人探し中。ねぇ、おっちゃん、この子見たことねぇ?」
おっちゃんは写真の中の金魚ちゃんのことメスに見えたのか「えらくべっぴんさんな子だね」なんて言ってる。そんなの本人が聞いたらえらく怒りそうだ。
「この辺で珍しい赤毛の美人がいたら、絶対に覚えてるよ」
そう言って写真返してきたおっちゃんに「そう、ありがとねぇ」ってコーヒーと食いもんを受け取って、オレは近くベンチの雪を払ってそこにドカリと座った。
一口飲んだフラットホワイトは、ミルクもエスプレッソもとにかく濃くて、飲んだ瞬間、胃袋に炎でも飲み込んだみたいな燃える刺激を感じた。この辺の寒い気候に合わせたコーヒーは、金魚ちゃんみたいにパンチがあった。ホットサンドはチェダーチーズにじゃがいものコンビーフハッシュを中に詰めて焼いてあって、思った以上に食べごたえがある。
それを咀嚼しながら、オレは空を見上げた。
ここに来て、金魚ちゃんに似た赤毛の男や女の情報を頼りに探してみたが、ほとんど空振りで手応えがなかった。それどころか、この国では有名な医者の名門・ローズハート家の人間以外に、こんな見事な赤毛はいないんじゃないのかいとさえ言われてしまった。
それぐらい、陸でも金魚ちゃんの〝あの赤色〟は特別だったようだ。
無駄足だったんだろうかと、年越し直前の薔薇の王国を歩きながら辺りを見回せば、珊瑚の海や陽光の国と違ってなんだか厳かだ。教会からは聖歌隊の歌が聞こえ、かすかに聞こえるクラシック音楽、道を歩く奴らに酔っ払いが交じることもなく、かすかに香るジンジャーとシナモンのクリスマス特有の香りに、この国で金魚ちゃんは育ったのかと、例え金魚ちゃんがこの街にいなくとも、オレの知らない金魚ちゃんを知ることができるなら来てよかったとさえ思っていた。
「もうすぐ日付が変わるぞ」
近くにいたカップルがそう言って手元の懐中時計を二人で覗き込んでた。オレもスマホの時計アプリをタップして、秒針で確認し心の中でカウントダウンを始める。
「Happy New Year」
道行く奴らが、新年を祝う言葉を口にして、隣を歩く家族や友人恋人と握手やハグをしている。
前までなら、ジェイドやアズールと硬い氷をぶち破って海から空を見上げ、陽光の国の沿岸で打ちあげられる花火をみていた。
(金魚ちゃんにも、あの花火を見せてあげたいな……)
「ハッピーニューイヤー、金魚ちゃん」
空の星に向かって、オレは小さく呟いた。同じ空なら繋がってて、このツイステッドワンダーランドのどこかにいる金魚ちゃんにも、届くような気がしたからだ。
どれだけ時間がかかってもいつか、金魚ちゃんと、絶対に会えますように……そう一等輝く星に向かってオレは祈った。
* * *
金魚ちゃんに出会ってから、オレはずっと金魚ちゃんの後ろ姿を追いかけていた。
どこにいても、あのオレが初めてみたあの赤を見失うことなんてなくて、あの瞬間、オレが見つけたあの子だけが持つ炎を、オレはずっと探してた。追いかけ探して、やっと……オレは金魚ちゃんを掴まえられた。
オレによく似た見た目の稚魚を育ててた金魚ちゃん、もう逃げないで……側にいさせて欲しいって、オレはまた金魚ちゃんを追いかけた。
そしてやっと、振り向いてオレのことをみてくれた金魚ちゃんが、オレもこの金魚ちゃんの大切な輪の中に入ることを許された気がした。
もう逃げないで、いなくならないで……何度も何度も願ったオレの手を、金魚ちゃんが握り返してくれた。
オレの幸福、オレの願い、オレの夢……その全ての先には金魚ちゃんがいた。今度こそ絶対に、オレは金魚ちゃんの手を離さないんだって、オレに微笑んでくれた金魚ちゃんの手を取ろうとしたその瞬間——世界は暗転した。
込められた欲望の残滓を歪に燃やし、赤く燃えるミーティア。
しかし、その星に願ってはならない。
その星は祝福を反転させ、呪となった。
呪いに願いを乞うてはいけない。
どの様な尊き高潔な願いであっても、呪いに願いは汚れ歪む。
願えばいつか、その対価にその身を差し出すことになるだろう——
真っ暗闇の中、オレの手の中にあったのは、あの時の呪石のかけらだった。
* * *
「フロイド! いい加減起きろ!!」
パッと目を開ければ、オレはアズールの車の後部座席で寝こけていたようだ。そういえば、あの作戦会議の後、帰りの運転はアズールがすると言い出した。アズールの運転は、トド先輩を乗せてたのもあって非常に揺れも少なく、ここ最近寝不足だったオレを眠りの中に引きずり込むには十分な運転だった。
「もう家に着いた、さっさと降りろ」
目を覚ませば、ここ最近見慣れた金魚ちゃん達の家の前についてた。そういえば、何か夢みてた気がするけど、何の夢だったんだろ? 思い返そうとしても、なんだか霞がかってよく思い出せない。
車から降りて、背伸びをひとつ。そういえば、アズールの乗ってるネメア社の車乗って帰ってきたのに、アスターとサミュエルが家から飛び出してこない。いつもならアズールに「父さん車乗せて〜!」とかなんとか、車の中に乗ったり、運転席に座って運転してるつもりになったりとウルサイぐらいだ。
アズールも、そのつもりで車庫にさっさと車を入れてないのに、当の二人が現れなくてちょっと引っかかってる。
「リドルさんと買い物にでも行ったのか?」
「それか、まだ昼寝でもしてるのかも」
オレたち二人、そうやって色々予想たてて想像してみたけど、薄っすらと胸をざわつかせる違和感が酷い。
アズールが家の玄関ドアを開けようとしたその時、その違和感がオレの中でピークに達し、ドアノブを掴むアズールの手を掴む。
「おい、なにを」「シッ!」
喋んなって合図すれば、俺の焦りが通じたのか、アズールもずっとあった違和感に警戒を努める。
あぁ、どうか……全部オレの勘違いであってくれって、警戒し、ゆっくりと開いたドアの先は、真っ赤に染まっていた。
『暗転』