中型の貨物専用機。その下部貨物室。壁部に背を向ける形で備え付けられた、座り心地最悪の簡素な座席……そこに手足に手錠を掛けられた僕たちは、座るように指示された。
手錠の素材はステンレスだろうか? 人間には簡単にどうこうできないだろうが、蛸の人魚特有の筋肉を持って産まれた僕なら、この程度の手枷、力を込めれば壊して外すことができるだろう。だが、それを簡単に実行に移せないのは、見張りがいる以上に、ここが空の上だからだ。
壁に取り付けられた丸いはめ込み式の窓ガラスの外は、逃げ場のない高度一〇〇〇メートルの空の上だ。そして、唯一の出入口から僕らを見張るのは、小銃を肩から掛け、腰には刃渡り十五センチのコンバットナイフを所持した、傭兵まがいの見た目をした男二人……首から下げられた小さなドッグタグには魔法石に見える石が付いている。こうなってくるとこの二人が魔法士の可能性も考慮して動かねばならない。
そして、僕の座る席から四席隣に離れた場所には、いつ口にしたのか分からないガムをくちゃくちゃと噛むフロイドが座っている。その態度の悪さに、見張りの男たちは時折厳しい目を向けていた。
もし、もしもだ。今ここで、この男二人を武力で無力化し、子供たちとリドルを保護したとして、空の上からどうやって逃げればいいのかわからない。飛行術に使用できるような箒や、それに変わる何かがあればいいが、僕達が押し込まれた下部貨物室にはそういったたぐいのものが全く見当たらなかった。
なりより、僕やフロイドが負傷した場合、助けた三人を守り切って逃げる事が本当に可能なのか? 考えらば考えるほど、手数の少なさに頭が痛い。
(それより、リドルも……アスターとサミュエルも大丈夫だろうか?)
このフレイターに乗せられる直前、意識を失ったアスターとサミュエルが別々の獣用の檻の中、魔繊維で織られ特殊な術式の刺繍が施された布に体をくるまれ、その上から見たこともない文字が書かれた拘束具に体をガッチリ巻きつけられた状態で、上部貨物室に連れて行かれたのをこの目で見た。
リドルに至っては、部屋で見て以来姿を確認していない。
本当にひどい怪我だった。手のひらに深く入った刃物の傷。胸元まで綺麗に真っ直ぐに伸ばしていた白い髪は、何故か顎のラインでバッサリと短くなっていて、テーブルや床に散らばったその髪には、点々と垂れ落ちたリドル自身の血で所々赤く染まっていた。頬が赤く腫れ、額を何処かに打ち付けられたのか、紫に変色した痣や、切れて血が滲んでいた部分もあった。服も所々乱れて、何をされたのか考えるだけで、怒りで手が震え……僕はそれを抑え込むために、グッと手のひらを握り合わせた。
自宅のリビングは、僕が三人のためにあつらえた、彼らが安心して住むための場所だった。
家に帰れば、リビング横のダイニングで四人で食事をし、それが終われば片付けをしているリドルの気配を感じながら、子供たちに今日あった出来事を話に聞く。二人が寝てしまったら、リドルが淹れたコーヒーを飲みながら、二人で子供たちの話や、日中のリドルや僕の話をする……ずっとこうあればいいと思っていた僕の日常が、こんなにも早く、いとも容易く壊れるなんて想像していなかった。
リドル達の安否や、anathemaへの苛立ちで思考がまとまらない。ぐっと息を詰めて頭を抱えれば、ジャラリと鳴る手錠の鎖に混ざり、フロイドのガムを噛む音が聞こえた。
不快な音に抗議しようとして僕は、ふと……昔つるんでいた時に、フロイドとジェイドがやっていた遊びを思い出した。
それは、二人が使用していた秘密の暗号であり、つるむようになってからは、周囲に知られてはいけないことを話す時の三人の会話で用いていた。口や体の些細な動きから発せられる音のみの会話……それを集中して聞き取る。
『——機体、基地、到着後、タイミング、男、二人、無力化……』
解読した言葉に、心臓が跳ねた。それを見張に気取られないように、目を閉じ冷静に務めフロイドに『了』と返せば、フレイターが着陸準備に入ったアナウンスが聞こえ、男たちも対面する席についた。
前方の壁に対称に取り付けられた椅子を引き出し座った男たちは、着陸の衝撃に備えつつ、僕達から目を離さなかった。この警戒心の強さも、ボクたちは考慮した上で作戦を練らなければならない。
窓の外には、英雄の国と陽光の国を隔てる山岳地帯が広がっている。anathemaの公式的な施設はここよりもっと離れた場所にある、きっとここは奴らの本当の本拠地だ。
この半島の三分の二を占める山岳地帯のどこにanathemaの施設があるのかと確かめるように目を凝らせば、機体が近づくにつれてステルスが解除されたのか、山々の合間に巨大な滑走路が見えた。その滑走路に着陸した荒い衝撃を感じフレイターが停止すると、エレベーター方式になった滑走路が地中深くにある施設に降下する。何事もなかったかのように天井が横スライドし現れ、施設を覆い隠した。大掛かりな幻影魔法によるステルスだけではない。天井が閉まれば、実際ただの山になるような構造になっている。これだけ大掛かりな施設を作れるほどの財力をanathemaは有していたのか……
僕は本当に、ここから無事に、リドルや子供たちを助け出して逃げることができるんだろうか?
(いや……まだ奥の手はある)
ボディチェックで、魔法石のついた物は全て没収されてた、が僕には隠し持った秘策があった。
以前、.S.T.Y.X.に拉致された時、魔力を使えないようにされたことを踏まえ、魔法を封じられてもその効力を無効にできるアイテム、並びに魔法石であることを隠蔽したアクセサリー。同時に、緊急転移用のアイテムの三点をイデアさんに依頼して作らせた。
僕が深くを語らなくともリドルのことを察し、作製してくれた部活の先輩と後輩には、もう少し多く対価を支払っても良かったかもしれない。
これの使い所さえ間違えなければまだ勝算はある。
「さぁ、降りろ。余計なことは考えるなよ」
見張りの男がイヤホンから何か指示を受け取ったのか、椅子から立ち上がって僕達に銃口の先を向けて指示する。
手首を拘束する手錠の鎖は二〇センチと少し、足首の拘束はそれより長く五〇センチ程だろうか? 二人してジャラジャラと音を立てながら降機すれば、薄暗い施設の廊下はずっと奥まで続いているように感じ取れた。
台車に乗せてアスターとサミュエルの檻を運ぶタイヤの音が響く。未だ意識の無い二人を遠目に見つめ、絶対に助けてやるからと心に誓っていると、背中に見張り役の銃口が突きつけられた。
「勝手にどこを見てるんだ、言われたとおりに余計なことはするなと言ってるだろ」
「申し訳ありません」そう言った僕は、職員のいなくなったプラットホーム……今このタイミングしかないだろうと、盛大に足をもつれさせ転ぶ“フリ”をした。
「何をしてるんだ!? 早く立て!!」
二人の視線が同時に僕に向いた、瞬間——フロイドが跳躍し、派手に転倒した男の首を、脚を使って男の首を締めた。苦しげに喘ぐ男に気を取られ、もう一人の監視が僕に背を向け油断した所を、僕は手錠された腕の輪を男の頭に通し、その首をグッと腕で圧迫した。筋力だけだったら、ナイトレイブンカレッジでも僕の右に出るやつなんてそういなかった。締め上げれば、一分も持たず男たちは昏倒し、意識を失った。
男を地面に捨てて、力を込めて腕を左右に広げれば、ステンレスの手錠は脆くちぎれた。足の方も同じ様に、手錠の輪の部分を手で掴んで左右に開いてこじ開ければ、まるでおもちゃのように壊れ、これでやっと腹の立つ拘束具ともこれでおさらばだ。
「アズール」
フロイドが自分の手錠を「ん」と言って見せ、自分と同じ様に手錠を引きちぎれば、開放された手首を揉んだフロイドは、大きく背伸びをする。
「おい、これからどうする? 作戦があるなら言え」
僕も考えていたことを話そうと作戦会議を提案すれば、「これから……そうだねぇ」と言ったフロイドが、地面に昏倒した男の腰からコンバットナイフを引き抜き、その刃先を僕に見せた。
「お前……なにする気だ」
うっすら笑うフロイドは、気味が悪いぐらい考えていることが読めない。いい加減、もったいぶるのはヤメロと、僕がグッと睨みつければ、フロイドは「ははっ」と笑って見せる。
「オレ、アズールに聞かなきゃって思ってたんだけどさぁ……」
——アズールはこの先、人、殺せる?