アズールが、あのダーハム・グレイソンの攻撃を受けぶっ倒れてすぐ、転移魔導陣が発動し、気がつけばオレたちはanathema内のどこかの廊下に飛ばされてた。
すぐさまアズールに駆け寄って、口元に耳を近づければ、辛うじて息はしているが、その吐く息も細く、いつ呼吸が止まってもおかしくない。
アズールは、全身分厚い筋肉を持った蛸の人魚だ。人化してもそれは変わらず、尋常じゃねぇぐらい体が丈夫にできてるって事をオレは知っていた。だからよけいに、そのアズールが死にかけてるなんて想像できない。
「フロイド……アズールは……?」
オレの背後、金魚ちゃんの声が震えてて、その声だけで金魚ちゃんの心の中で占めるアズールの割合のデカさを知っちゃって、グッと胸がつかえた。でも今は、そんな事を気にしてる場合じゃない。
もしもアズールが死んだとなれば、黄金の契約書が無効になって、アスターやサミュエルだけじゃなく金魚ちゃんにも危険が及ぶかもしれない。
今すぐにでもあの医者のじぃちゃんにアズールの治療をしてもらって、同時にここから強引に脱出できなきゃ、オレらの負けだ。
心を落ち着かせ表情を作る、振り返れば真っ青な金魚ちゃんの体が震えていた。
「金魚ちゃん大丈夫だよ、アズールはタコの人魚で体だけは誰よりも丈夫だから」
だからそんな顔しないでと、腫れて赤くなった頬とは反対の頬を撫でる。絶対に大丈夫、だから早くここを出てアズールを治療してもらおうねって言えば、金魚ちゃんは胸元に手を当てて頷いた。
「フロイド、ボクにできることはある?」
「そうこなくっちゃ!」
助けようと言えば、金魚ちゃんは覚悟を決めて、さっきまでの顔の青さが少しマシになった。
オレは金魚ちゃんの背にアズールを背負ってもらった。アズールは、見た目だとあんまりわかんねーけど、タコの時に持ってた筋肉が皮膚の下にみっちりと詰まってる。細い金魚ちゃんにはかなりずっしり来るだろうけれど、頑張ってもらうしかねぇ。
金魚ちゃんが近くにいるせいか、アスターの精神も、サミュエルの頭痛も治まったようだ。ふたりともさっきよかずっと顔色がマシになってる。これならきっと大丈夫だ。
オレと目があった二人を、片膝付いて手招きずれば、トテトテやってきた二人にオレは言い聞かせる。
「アスター、サミュエル。これからお医者のじぃちゃんのとこまで逃げるけど、叫んだり暴れたりせずにオレに付いてこれる?」
二人は泣きそうな顔になってるのに、それでもとうさんを助けるために今そうしなきゃならないことを理解してコクリと頷いた。
「うん、いい子」
二人の頭を撫でれば、なんだかどうしても、二人のことを抱きしめたくなった。手を広げればサミュエルがオレの胸に額をグリグリと擦り付け、上げた顔でニコリと笑う。
金魚ちゃんとオレの稚魚……本当にまだどこもかしこも小さいサミュエルをギュッと抱きしめ、おずおずと近づいてきたアスターも同じ様に抱きしめたら、いつもだったら「ヤダ!」って言いそうなのに今日はおとなしい。
あったかい小さな二人、金魚ちゃんの宝物。絶対に守りきって、全員無事に生きてここを脱出する。絶対にだ……!
「じゃあ行こう」
オレがそう言えば、三人が頷いた。
* * *
所々白い照明が埋め込まれても、何故か薄暗い廊下を、オレたちは足早に駆け抜けていた。
アズールが転移させた場所は、先ほどダクトを這って移動したB区画のどこかなようで、さすがアズールと言いたくなった。多分このまま行けば、最初降り立ったプラットフォームまで一五分ほどで着くはずだ。
アスターとサミュエルは、いっつも二人で走り回ってるからまだ大丈夫そうだけど、アズールの重い体を背負ってる金魚ちゃんは相当キツそうだ。付いてくるので精一杯の金魚ちゃんに合わせて、少し速度を緩める。
「金魚ちゃん、大丈夫?」
「ボクは大丈夫だから、気にしなくていいよ」
ハァハァと荒い息を吐く金魚ちゃんは、本当にキツそうなのに、オレがアズールを背負ったら、迫ってくる敵に対処できないのを分かってるから、決して弱音を吐かなかった。
頷いて、それでもほんの少し走るスピードを落とし進めば、今まで追ってきた奴らとは違う、武装した警備兵がやってきた。最初の監視役してた肉壁二枚とは違う、場馴れした風体に、オレは舌を打つ。
「金魚ちゃん、離れてて!」
狙いは金魚ちゃんたちだ、絶対に触らせるもんかと間に割って入る。敵は一〇人今までで一番人数が多い。
しかも「所長から武器の使用、及び子供以外への攻撃許可も下りている。さらに母体に関しては命さえあれば、多少のことは許可され。男に関しては殺したとして、後に体だけ蘇生させ使用する旨も伝達された」とかなんとか言ってんの。
これってさぁ……どう考えても状況最悪じゃね?
今までは、生きて捕獲しろって条件だから、向こうが殺すほどの攻撃ができなかったから良かったものの、殺していいってなれば捕獲はもっと簡単になる。ほんっと最悪すぎ。
対人近距離武器を手に構える姿に、MAXでミッション遂行するなら、全員を無傷で捕獲って意識はあるみたいだ。これも舐めて掛かってくれてるおかげだ。
(一瞬で、全員絞める)
一〇人、一斉にオレに向かって飛びかかる。突き出されたナイフを持った手を足で薙ぎ払い奪い、飛びかかる雑魚の首に突き立てた。背後から迫る気配に、ヒラリと避けて顔面を蹴りつけ、最後に握った拳を三回踏みつけて潰した。
「ハイ、二匹瞬殺〜〜あはっ!」
ギッと睨みつければ銃を向けてくるやつがいて、こんな場所で中距離用のM四A一カービンのアサルトライフルをぶっ放すもんだから、手短な肉壁を二枚ひっ捕まえて身体強化魔法をかけて体の前で盾にする。装弾数六八発の玉を打ち尽くし弾倉がカラになれば、銃なんてただの鈍器にしか使えない。しかもM四は銃身が短い、こんな風に連射すれば熱で銃が歪んで命中率が下がることぐらい常識だろ?
身体強化魔法をかけたおかげで、この至近距離で連射された玉を全て受けきった肉壁を床に捨てて、投げたナイフを蹴りつけて、ダーツの的見たく急所にぶっ刺した。これで半分。
気を抜きかけたら、金魚ちゃんたちを捕まえようと、オレの目を盗んで近づいたやつに、肉壁が落っことしたハンドガンで撃ち殺す。そのまま立て続けに数発、二人落ちてこれで七人。
そこでスローイングナイフが死角から三本飛んできて、避けきることが出来ず腕で受け止めた。ぐっさり刺さるナイフを引き抜いて斜め後方から攻撃を仕掛けた雑魚の眉間にぶっ刺さった。
あと残り二人となって、その二人が厄介だ。警戒心の強い相手は、金魚ちゃんたちに攻撃を仕掛け、オレの動きや視界を狭める。なんとかもう一人も殴りつけて沈めた瞬間、目の端にアズールに向けられたあの銃が見えた。
「フロイドッ!!!」
金魚ちゃんもそれが分かって声を上げるも、放たれたそれは、避けきれずオレの脇腹をかすめた。
ぐるりと、駆け抜けた衝撃がかすめた臓器を腹の中でひねり、グチャンと潰れた音がした。あ、これ、やべぇやつだって。のたうち回ってもおかしくない痛みに耐えて、最後の一人の首を脚でへし折る。
全員沈めば、これでもう大丈夫だ。
「行くよ、金魚ちゃん」
オレがそう言えば、大丈夫かってオレにしつこく確認する金魚ちゃんに「ダイジョ〜ブ」って言ったものの、五分ほど歩いてオレは、限界が来た。
オレが壁に手をついて、そのままズルズルと座り込むと、アズール引きずった金魚ちゃんが、血相変えて飛んでくる。
「フロイド、大丈夫!? さっきの攻撃のせいかい!!?」
「ん〜ちょっとばかしドジッちゃった」
「傷を見せて、今すぐ手当するから」
昔、お医者さんを目指してた金魚ちゃんは、ある程度の簡易処置を知ってるみたいだけど、これは処置云々でどうにかなるもんじゃない。それよりもさぁ……
「ダメだよ金魚ちゃん、早く逃げなきゃ追いつかれちゃう」
「キミを置いて行けるわけないだろ!!!」
久々の至近距離でのクソデカボイスに、ちょっと笑っちまって、腹の中で潰れた内臓が痛む。
金魚ちゃんがオレと一緒にいたいって思ってくれるのは嬉しいけど、やっぱりダメだ。
「金魚ちゃん、よく聞いて。アズールが死んで黄金の契約書の契約が無効になったら、アスターもサミュエルもどうなるかわかんねぇ……オレはちょっと休んだらすぐに後を追うから、だから行って……早くッ!」
「フロイド……嫌だ」
「行け……行けつってんだろ!!」
金魚ちゃんを今ある渾身の力で突き飛ばし、行けって睨みつける。
オレの事何度も振り返りながら、クソ重いアズールを背中に抱え直した金魚ちゃんは、アスターとサミュエルとともに、この先のプラットホームを目指し通路を進んでいった。
(それでいい……)
壁にもたれかかって、一息つく。
本当に、こんな時ですら金魚ちゃんは面白い。
初めて金魚ちゃんと出会ったあの日から、オレはずっと金魚ちゃんのあの赤色を追いかけていた。
逃げても隠れても、オレの事嫌いだって金魚ちゃんは、結局最後はいつも、真っ直ぐなあの瞳の中にオレを映してくれた。
真っ赤で、ちっちゃくて、誰よりも強い金魚ちゃん。同じ服着た奴らの中に混ざる、オレの赤色。あの赤だけは、オレは一生、見失うことがない。あの赤色を追いかけることが、あの時からオレの喜びだった。
「ホント……金魚ちゃんを追いかけて、ずっと、めちゃくちゃ……楽しかったなぁ」
早く、また金魚ちゃんを追いかけなければならない。
あれ? なんで追いかけなきゃなんだっけ??
パッと目を開けると、歩きなれたナイトレイブンカレッジの廊下にオレは立っていた。何してたんだっけって頭捻ってたら、「フロイド」ってオレを呼ぶ声が聞こえる。
目線を下に向ければ、眉間にしわ寄せて、ちょっとふくれっ面の不機嫌な金魚ちゃんが、オレの事見上げてんの。
「キミはまた、なにか悪さでもする気じゃないだろうね!」
そんなことしねぇよって言ってるのに、金魚ちゃんは信じてくれてない。オレの事苦手だって顔しながら、オレがあげたブックバンドにまとめた教科書を抱えた、赤い髪した制服姿の金魚ちゃんがオレの前を歩く。
あぁ……金魚ちゃんを追いかけなきゃ、また見失わないように、ずっと側にいるために。
「待ってよ金魚ちゃん!」
手を伸ばしてちっちゃな肩を叩けば、振り返る金魚ちゃんは、いつもみたく仕方ないねって、オレが付いてくるのを諦めて許して、オレは強烈な光の先、金魚ちゃんを追いかけるべく走った——