アズールと一緒に暮らし始めて、もう一ヶ月が経った。
ボクから見ても、アズールはアスターとサミュエルにとってとても良い父親だった。
引っ越して数日、アズールは夕焼けの草原で手に入れたコネクションを通し、スカウトされた貿易企業で仕事を始めている。それに伴い通関士の資格を取るための勉強や、いつかは自分の会社を起こすために、司法書士、国際弁護士の資格だって持っていても無駄にならないと、楽しそうに夢を語っている。その顔にタルタロスで夢を語る彼を思い出し、ボクは未だ後ろ髪を引こうとする過去を、頭の中で手で追い払った。
アズールは本当に忙しそうで、なのにどれだけ忙しくても朝と夕方には家族一緒に食事を取り、夜はアスターとサミュエルをお風呂に入れて、二人と遊び、話し、そして寝かしつけてくれる。もちろんそんなアズールの事を、アスターとサミュエルの二人は、心から慕いくっついては甘えていた。
その日の晩も二人を寝かしつけてから、書斎で勉強するアズールに、ボクはコーヒーを持っていった。
「アズール、少し休憩しないかい?」
「リドルさん、ありがとうございます」
ボクが部屋に入ると、アズールはすぐさま手を止めて、ボクが手にしたコーヒーをトレーごと受け取った。
九〇〇ページの分厚い本が数冊積み上がった机に向かい勉強するアズールの目の下にはうっすらとクマがあり、少し心配になる。
「勉強捗ってるかい?」
「ええ、それなりに。合格率が十五パーセントと言われていますが、学園でリドルさんとテストの点数を競っていたときのほうが大変だった。こんな試験、一発で合格してみせますよ」
「ふふ……そうだね。ボクが在学中は、どう頑張ってもキミは一番になれなかったから」
「けれど……あなたがいなくなってから、卒業までずっとボクが一番だったんですよ。あなた以外の名前が、僕の上にあるなんて絶対に許せなかった。だからずっと僕が一番になるよう勉強したんです。卒業式だって、壇上でスピーチをしたのは僕だった」
アズールの真剣な瞳がボクを見た。オクタヴィネルの寮長として仕事をする傍ら、学内でのラウンジ経営、同時に首席を維持するのは本当に大変だったろう。
「そう……がんばったんだね」
「リドルさんも……落ち着いたら大学に行きませんか?」
「え……?」
ボクがアズールの言葉に反応できず固まっていると、アズールが引き出しから、見覚えのある厚みのある本を二冊どりだした。そこには、魔法医術士に必要な医学知識が書かれた本と、そっと隠すように持っていたマジカル・マジストレイトの判決事例が書かれた法律書だ。
「僕が卒業する前に、あなたが使われていた部屋の私物が撤去されることになりました。OBのトレイさんやケイトさんが中心になって、リドルさんの部屋を片付けたんです。その時、この二冊を貰ってきました」
渡された本の重みが、諦めていた未来が手のひらから伝わって泣きそうだ。
「ボクの部屋、ずっと片付けてなかったのかい?」
「ええ……ハーツラビュル寮生の誰も、あの部屋のもの一つ動かせなかったようですよ。あなたが、いつ帰ってきてもいいようにと……」
みんなが、ボクの帰りを待っていてくれた。その気持が、たまらなく嬉しくて、同時に辛い。感情がぐちゃぐちゃに乱れて、涙が頬を滑り落ちるのを止められなかった。
「まだ人生は長いんです、あなただって好きな事をする権利がある」
「だ……だめだ……だって、『anathema』の目がどこにあるかわからない……アスターとサミュエル……二人の安全が第一なんだ。二人になにかあったら、今のボクは、きっと耐えられない」
「それは分かっています。けれど、それだってどうにかクリアできるかもしれない、あなたが初めから諦めることなんてない。一緒に考えていきませんか?」
ボクは、胸の内にある葛藤が凄まじく、アズールの言葉を肯定も否定も出来ず。ただ、この手元の重みから受け取った、ダメな寮長だったボクへの寮のみんなの思いに、ただひたすら涙することしか出来なかった。