水族館の中は想像以上に広く、まだ三分の一を見た段階でお昼を過ぎてしまった。
水族館のカフェで食事を取ることにしたが、やたらとかわいい店内は水族館に展示されている魚や哺乳類、動物たちをモチーフにしたメニューが揃っていて迷った。
かわいい魚の形をしたパンを見て、アスターが「ぼく、家に帰ったらこのパン作りたい!」とアズールのマジカメで何枚も写真を撮り、サミュエルも「おれも帰ったら、魚の絵いっぱい描く!」とこちらもアズールにマジカメで写真を撮ってくれとせがんでいた。
食事の後は、海の生き物コーナーを周り、ペンギンやイルカのショーを見た。ペンギンが一列になり水面に飛び込むところや、イルカがありえない高さまで水飛沫を上げてジャンプする姿に、二人は興奮して何度も拍手していた。
ボクもこうやって海の生き物たちが身近で泳ぐ姿を初めて見る。すごい迫力に感動していたら、ボクを見つめるアズールと目が合う。
「ボクじゃなくてイルカを見なよ」と言えば「イルカが飛んだり泳いだりするより、あなたの表情を見ている方が面白い」と久しぶりにやたら胡散臭く笑って見せ、ボクはアズールの顔を手のひらで押して、前を向かせた。
一通りショーも見終わり、最後に出口に向かって海底遊歩道を歩いていると、数匹の人魚が姿を見せた。
茶色と黒髪、それとイヴァーノのような亜麻色の髪をした男女の人魚がガラスの前をスイスイ泳いで見せれば、アスターとサミュエルは「ワッ!」と声を上げる。その中の人の良さそうな人魚が、子供たちにいい所を見せたいのか、ガラスの前ででクルクル回って見せれば嬉しげに拍手を送るアスターとサミュエルの姿を見てニコリと笑っている。だが他の人魚は、その人魚とボクらを遠巻きに見てはクスクスと笑って何かを話している。その表情は、見ていてあまり気持ちの良いものではない。
「人魚さんにお礼を言って、もう行こうか?」
二人をここから引き離そうとした時、アズールがガラスに近づいて遠巻きにボクらを見ていた人魚に〝何か〟をした。
魔力が無くなってから、そう言った類のものを全く肌で感じなくなったボクにも分かるほど、アズールがしたその〝何か〟が肌をゾワリとさせる。それを直接向けられた人魚たちは、驚いてすぐさま尾鰭を巻いて逃げ出し、その場にはボクらと気のいい人魚だけが残った。
「契約しておきながら本来の業務を全うせず、客をバカにする様な人魚を使うなんて……水族館側も職務怠慢だな、後でクレームとして入れておくか……」ぽつりと呟いた言葉に、これは子供達に聞かせないようにしなければと、ボクは二人と人のいい人魚にお礼を言い、アズールを引きずって足早にその場を去った。
出口付近には大きなお土産コーナーがあった。店の前で既に目を輝かせている二人に、お土産は二個までと言い聞かせば、コクコクと頷いた二人が手を繋いで店の中に突撃していく。
「走っちゃいけないよ!」と、その背中に言い聞かせた言葉は、二人に届いているんだろうか? しばし、店内でぬいぐるみやおもちゃの棚を見つめる二人の後ろ姿を見つめていたら、アズールが「リドルさんはなにか欲しい物はないのですか?」と聞いてきた。
「欲しい物……と言われても、正直思いつかないな。キミは何か買うの?」
「そうですねぇ……僕は普段から身につけるものは妥協しないタイプなので、ここにあるようなティーン向けの商品は身につけませんが、リドルさんがどうしてもお揃いで持ちたいと言われるなら考慮しないこともないのですが……」
例えばこれなどどうですか? と見せられたのは、エビが背中を丸めた二個セットのキーホルダーで、くっつければハートマークなる代物だ。高校生が水族館デートで買うような可愛らしいそれを、二十二になったボクたちが持つのは少し恥ずかしい。
だったらまだこっちのほうがマシだと、繊細な銀色の魚をモチーフにしたペンダントトップ、このデザインの方がボクたちの年齢が持っていても恥ずかしくない。
アズールは、商品がかかったフックを覗き込み、紫と赤の石が付いたそれを手にし「では僕たちのお土産はこれにしましょう」と言ってきた。
「え!? べ、別に、キミが見せたキーホルダーよりこっちの方がマシだと言っただけで、欲しいとは……」
「いいえ、リドルさんがわざわざこれがいいと選んで下さったんです。遠慮なんてしないでください」
遠慮なんてしていないのに、アズールは強引にこれと決めてしまったようだ。なんだか、罠にはめられた気分で釈然としない。
そろそろアスターとサミュエルの様子を見ようと店内を確認すれば二人は小さな子供用の買い物かごに、青と黄色の色違いの海の生き物が描かれた軽い強化耐熱磁器素材のマグカップとお皿を入れて、さらには可愛らしい海の生き物の絵がプリントされたクッキーや、魚の形をしたチョコレートを手に取り、二人でウンウンと唸っていた。
「お土産、決まったかい?」
「かあさん、ぼくこのクッキーもほしい」
「おれも、このチョコもほしい」
「でも、お土産は二つまでって約束だよ?」
むぅっと、唇を尖らせて不機嫌な顔になる所はボクに似ていると言ったのは、イヴァーノだったかフレドだったか。確かに、こうして見るとそっくりで、ボクは今度から二人の前でこの顔にならないように注意しなければと心に決めた。
「それも欲しいのか?」
膝を折って二人と目線を合わせていたボクの背後から、アズールがアスターとサミュエルが手にしたお菓子の箱を見る。二人は、ワガママを言ってアズールに怒られるのは嫌なのか「やめる」と棚にお菓子の箱を戻した。
「いい子にするって、とうさんと約束したから、だからやめる」
「おれも、やくそくしたから……」
アズールは「そうか、偉いな」と、二人の頭を撫でて棚に戻したお菓子を二人のかごに入れた。
「約束を守ろうとしたから、今日は特別だ」
ワッと声を上げて喜んだ二人は「とうさん大好き!」とアズールの脚に抱きついた。
会計を済ませて、水族館のロゴの入った紙袋を持った二人は嬉しそうに手をつなぎながら、出口に立つスタッフに「お魚すごかった! いっぱいいるね!」「イルカがね、すごいぴょーんって、すごかった!」と話せば、ニコニコ笑顔のスタッフに「また来てね」と子供限定で配っているステッカーを貰い、二人は上機嫌で「またくるね!」と手を振った。
水族館出口から駐車場までは五分ほどだ。未だ興奮する二人の姿に、これは帰ったらまた熱を出しそうだと。ボクは少し心配になった。
とその時、二人の目の前を歩く老夫婦が、ハンカチを落とした。二人はそれを拾って、急いで老夫婦の元に走りアスターがハンカチを手渡し、ありがとうとお礼を言われていた。
「あら、今日はあなた達も水族館に来たの? よかったわねお父さんとお母さんと〝お友達〟と一緒なんて」
お友達と言われて、アスターが首をひねる。
「サミーはぼくの兄弟だよ」
「あらごめんなさい、その子だけご両親と〝似ていなかった〟から、あなたのお友達だとばかり……」
夫人の言葉に、サミュエルが俯く。その姿に、ボクは自分がとんでもない過ちをしているのではと、息ができなくなった。ドクドクと心臓がやたらと大きく鳴り響き、アズールが後ろからとっさに支えてくれなければ、きっと立っていられなかった。
何か、言わなければ……グルグルと回る頭を押さえると、アスターの声が響いた。
「ちがうよ! サミーはボクの双子の弟なんだ! 似てないなんて無いよ!!」
ギュッと、アスターがサミュエルの手を掴んで、老夫婦にそう言えば、サミュエルは目尻に涙をためて「弟じゃねぇし」と笑っていた。
その光景に、ボクを支えるアズールも何も言えず黙り込んでしまった。
帰りの車で、疲れてすぐに眠ってしまった二人は、繋いだ手を放すことなく握っていた。
ボクは、その光景をバックミラーで見つめながら、父親違いの彼らを兄弟として育てる事がどう言うことなのかを、本当の意味で知り。ただどうしようもなくこみ上げる胸の痛みに、フロイドのことを考えずにはいられなかった。