例えるならば恋心「やーっと終わったーー!」
空が達成感に打ち震えながら目一杯背伸びをしていると、ふよふよと浮いていた小さな相棒が胸の前で腕を組んでぶすくれているのが見えた。
しばらく素材収集に奔走していたかと思いきや、せっかくの誕生日をずっとお菓子作りに費やしていた上に殆どを仲間に配ってしまったのだからその不満も分からなくはない。
それでも文句もほとんど口にせず手伝ってくれたのだから、パイモンは本当にいい相棒だと空は微笑んだ。
「終わったーって、もうすっかり日が暮れちゃったぞ。結局誕生日なのに全然休んでないじゃないか!」
「これ仕事じゃなくて趣味だから大丈夫だよ、日頃の感謝もあるしね。あ、ちゃんとパイモンの分もあるから安心して」
空達がいるのは塵歌壺の中とはいえ、時間によってその風景は変わっていく。
璃月の山々を模した景色は外の天候に左右されることなくいつでも穏やかな晴天で、鮮やかな青に白い雲を泳がせている。
しかしその美しい青が今はもはや茜色を通り越して瑠璃色にちらほらと星が瞬き始めている。
長時間の作業になるからと万民堂や望舒旅館の厨房を借りるのではなく、こちらにかまどを誂えておいてよかったと空は呑気に笑っていたが、そうではないとパイモンは頬を膨らませた。
「空の料理は美味しいからオイラの分があるのは嬉しいけど! そうじゃなくてこう、ゆっくり寝たり遊びに行ったりしなくてよかったのか?」
「うーん……壺を貰ってから良く眠れてるし、遊びに行くあてもないしなぁ。それに皆の誕生日にも色々貰っちゃったから返したいしさ」
パイモンの誕生日ケーキ作ったときも材料は用意してくれたでしょ?と小首を傾げられるとパイモンも言い返せずに唸ってしまう。
空は数日前から任務の合間にあれやこれやと素材を集めて様々な仕込みをし、朝から様々なケーキを作っては各地の仲間たちへ届けるのを繰り返していた。
モンドから璃月、ついには稲妻にまで足を伸ばした空に手を貸してくれる知人はどんどん増え、今や仲間は四十人近くにもなる。
仲のいい人どうしで何組かはまとめて1つのケーキにしたとはいえ、それぞれその人達に合わせて作ったために手間がとんでもないことになっていた。
パイモンが今しがた渡されて手にしているものも、香菱にアドバイスを貰いながら作ったスライムケーキである。
「いや、ほら……その、あれだ。公子を誘うーとか、あったんじゃないか?って思ってよぅ……」
机の上に一つ残ったケーキをちらりと見る。
丸々とデフォルメされた鯨の形をしたそれは、『公子』タルタリヤに渡そうと思っていたものだ。
タルタリヤと空は少し前からいわゆる恋人関係にあり、そのことはパイモンも知っている。
当初は「相手はファデュイだしあの公子なんだぞ!?」と警戒と忠告をされたものの、今となっては「空がそれでいいなら」とそれとなく応援をしてくれている。
「今日は忙しそうだったからさ。これも明日改めて渡すよ、ガイアが作ってくれた氷の箱に入れておけばすぐ傷んだりはしないだろうし」
「でもよう……」
なおも食い下がるパイモンの頭をぽんぽんと撫でる。
タルタリヤと過ごしたくない訳ではないが、彼が家族思いなのを知っている空は弟妹達のために頑張っているのを邪魔したくはなかった。
執行官として暗躍しているならともかく、北国銀行の方の仕事なら口や手を出す理由もない。
気を使わせるのも悪いと誕生日であることすら告げていない徹底ぶりである。
「パイモンも今日は好きなところにご飯食べに行っていいよ。俺は流石に疲れちゃったからもう休むけど」
はい、とパイモンに財布を手渡せば受け取るものの、八の字眉でその場に浮いたままだ。
普段なら大喜びで飛んでいってしまうので、よほど空が心配なのだろう。
しばらくの間そうしていたが、やがてパイモンが根負けして小さな手で空の額をぺたぺたと撫でた。
「うぅ……オイラ、空がなんだか思いつめてるみたいで心配なんだ。朝になったらお土産持って帰ってくるけど、寂しくなったら絶対にオイラを呼ぶんだぞ、絶対だからな!」
幻想の翼をはためかせて飛び出していく最高の仲間を見送り、一人になった洞天で空は小さくため息を零す。
趣味と感謝、その言葉に偽りはないが、パイモンにすら隠していることが一つある。
いつかの時に離れ離れになり、今やアビスを従える「姫様」になってしまった蛍のことだ。
空の誕生日ということは当然双子の妹である彼女も同じ誕生日であり、これまでは毎年二人でお互いを祝いあっていた。
片割れとも呼べる彼女への喪失感をまざまざと感じてしまうことが耐え難く、余計なことを考えないようにとケーキ作りに没頭していたのであった。
作業も後片付けも終わってしまえば当然のようにぐるぐるとした思考が戻ってくる。
憂鬱な気持ちを抱えながら、もう眠ってしまおうかと寝室の扉に手をかけた。
「こんな気持ちのままじゃ、タルタリヤにも申し訳ないしな……」
「俺が何だって?」
思わず50cmほど跳び上がってしまった。
暴れる心臓を宥めながら声のした方を振り向くと、海色の瞳をにこりと細めた想い人がそこに立っていた。
「タ……、え、なんで」
「なんでとはひどい言い方だな。相棒の誕生日を祝っちゃいけないのかな?」
「でも俺、教えてない……」
「ファデュイの情報網を舐めちゃいけないな、って言いたいところだけど。さっきおチビちゃんがすごい勢いで飛んできてね。祝いに行ってやれって大騒ぎさ」
むしろなんで教えてくれなかったの?と詰め寄られて空は言葉を紡げず俯いてしまう。
仕事の邪魔をしたくないのも、妹のことで気落ちしているのも、そのことで弱みを見せたくないのも、空の都合であり我儘だ。
沈黙を続けていると頭上から深く息を吐く音が聞こえる。
あまりに不甲斐ないから軽蔑されただろうか。
顔を上げることもできず俯いていると、近づいてきたタルタリヤに柔らかい力で抱きしめられた。
「せっかくの誕生日に相棒にそんな顔させたのは誰かな。俺がぶっ飛ばしてきてあげようか」
「ダメだよ……っていうか、そうじゃなくて、誰も悪くないから……!」
慌てて引き剥がせば、吸い込まれそうな深い青と視線が交差した。
冗談めかしたわけではなく真剣に見つめてくる瞳から目が離せない。
きっと彼は本気なのだ。
安心させるための方便ではなく、本当に空が自分に害をなした人物を告げれば全力で叩き潰しに行くつもりだろう。
ぞくりと冷たいものを背に感じ、タルタリヤの腕を軽く叩く。
「……違うよ、ごめん。蛍はいないんだなって俺がちょっと寂しくなってただけ」
ふ、とタルタリヤの纏う空気が軽くなる。
安心して息を吐けば、再び胸元に引き寄せられた。
「双子の妹さんだっけ、ならなおさら俺を呼びなよ。家族の代わりにはなれないけど、こうやって抱きしめてあげることはできるよ」
兄貴だからって甘えちゃいけないわけじゃないし、俺は相棒の何なわけ?
笑いながらそう言われてあやすように背を撫でられると、久しく流してなかった涙がぽろぽろと溢れ出してきた。
嗚咽を漏らしこそしないものの、止まらない涙がタルタリヤの服を濃灰に染めていく。
やがて赤いスカーフまで濡れそうになったところでようやく空が顔を上げた。
「ごめん、ありがとう。だいぶ楽になっ、ん、む……!?」
力なく笑いかけた唇を塞がれた、かと思いきや器用に舌を滑り込ませて口を開かされる。
驚いたものの、素直に身を任せてしまうのが良い気がした。
そう、今日くらいは甘えさせてもらおう。彼もそのつもりなのだろうから。
熱い舌は性急に事を起こした割に存外丁寧に口内を撫でていく。
柔らかく敏感なそれどうしを擦り合わせれば、ふわふわと意識が浮ついてくる。
じわりと混ざり合う唾液を飲み下すと、それは極上の甘露のように心地よく喉を降りていった。
「(今日はずっと甘いもの作ってたから、舌がばかになっちゃったかな)」
あまい、と呟くと、何も食べてないよとタルタリヤが笑った。
ぼんやりとした頭でタルタリヤにしがみつくと、小さな子にするように抱え上げられた。
ふわふわが足までばかにしていってしまったのを見透かされていたらしい。
そのまま寝室の戸を開けられるのをぼうっと眺めて、ふと思い出した。
「タルタリヤ、待って。キッチンにケーキ……タルタリヤの分の……」
ひょいっと頭を動かしたタルタリヤが鯨型のそれを捉える。
あぁ、と笑って、しかしその足は寝室の中へ向いた。
「氷元素で保存してあるなら明日一緒に食べようよ。今は目一杯甘やかさせて」
とろけるような声色で囁かれればもう頷くしかなかった。
大人しく頷いた空にタルタリヤは満足気に笑みを深め、そういえばまだ言ってなかったねと額に唇を寄せた。
「誕生日おめでとう。愛してるよ、空」