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    井東(いとう)

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    井東(いとう)

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    「……生活リズムを合わせる?アルハイゼンに?」

    8/20開催神ノ叡智にて頒布予定の冒頭部分です。
    アルカヴェwebオンリー開催おめでとうございます!

    アルカヴェwebオンリー展示作品「君、傘は持って行かないのか?」
    今にも玄関を出ようとする後ろ姿へ、カーヴェは思わず声をかける。扉の向こうではきっと雨が降っているのだろう。ざあ、ざっ、と続く音にもお構いなしの同居人は、玄関に置かれた二本の雨傘へ見向きもしない。彼が朝食にしたであろうピタのスパイスとコーヒーの残り香を感じつつ、「体調を崩して困るのは君だぞ」と続けようとした台詞は込み上げた大きな欠伸に飲み込まれてしまった。
    教令院で勤めるアルハイゼンと比べれば、カーヴェの生活リズムは不規則なものだった。納期に追われていた先週までとは異なり、今日の主な仕事といえば、午後の早い時間に打ち合わせが一つだけ。その時間までには雨が止んでいるといい。セットした髪は広がり、衣服の裾に泥が跳ねる。雨の日の不都合を思い浮かべ、カーヴェはうんざりとした気分を抱えた。
    (午前中は建築学の講義の資料を見直してそれからーー、)
    今日のスケジュールを頭の中で組み立て、ついでに込み上げた欠伸を噛み殺したところで目の前の違和感にはた、と気がついた。やけに静かで、そして動く気配のない彼の緑色の外套を纏った背中を見つめること数秒。腹でも痛めたのかとほんの少しの心配がカーヴェの頭をよぎったところで、大きなため息が空気を揺らす。
    「寝ぼけているならもう一度ベッドへ戻ることをおすすめしよう」
    「……は?」
    意図せず漏れ出た気の抜けた声にも、アルハイゼンが振り返ることはない。鍵を手にしたまま、彼は右手を扉へと添えた。育ちの良さを感じさせる音を立てない丁寧な仕草に、カーヴェの視線はつい手元へと吸い寄せられてしまう。
    焦らすようにゆっくりと押し開かれた扉の向こう、飛び込んできたのは地面を雨粒が打つ独特の匂いではなくってーー、
    「…………、あれ?」
    「今日はこれ以上ないほどに晴天だ」
    まるで物語のお手本のように、鳥の囀りがアルハイゼンの声へと続いた。ようやく振り返った彼の視線は、まるで誘導するかのようにカーヴェの右斜め前へと向けられる。そこには、色硝子越しの柔らかな日差しが大きな影を作っていた。
    (もしかして、……いや)
    嫌な既視感に、カーヴェの背中に冷たい汗が一筋流れ落ちる。学院を卒業しいくつものプロジェクトに忙殺されていた数年前、まるで体が警鐘を鳴らすようにカーヴェの頭の中へは小さな音が響いていた。煩わしさは感じるものの、日常生活へ支障をきたすようなものではない。それに、結局気づかないふりをしていれば、そのうち不快な音は消えていたことを思い出す。
    忘れていたはずの感覚が、記憶と共に蘇っていく。あの日以来、カーヴェの体が同じ不調を訴えることはなかったはずだ。それなのに、どうして。無意識に持ち上げた左の手のひらが左耳のあたりへと重なった。体温が、ひんやりと冷たい耳たぶへと移る間、カーヴェは床へできた影をじっと見つめる。相変わらずざ、ざ、と続くざらついた低音は、強弱の波をつけて頭の中へと響いていた。
    「カーヴェ、……君、」
    咎めるような声色に、カーヴェの指先がぴくりと跳ねる。さてどうしたものか、と逡巡しているうち、もう一度名前を呼ばれてしまえば諦めるほかない。小さなため息を吐き出しゆっくりと顔を上げる。彼の真剣な眼差しと視線がぶつかれば、へらりと笑みを浮かべることしかできなくて。
    「君、そろそろ家を出ないと遅刻するぞ」
    これ以上見つめ合ったところで話が進展しないことはアルハイゼンも理解したのだろう。もう一度大きなため息を吐き出し、くるりとカーヴェへと背を向ける。そのまま「行ってきます」と律儀に挨拶を溢した彼の手によって閉められた扉へと、カーヴェはひらりと手を振るのだった。



    ――ありがとうございました!
    深々としたお辞儀とともに向けられた弾んだ声に、カーヴェも会釈を返す。レンジャー見習いだという少年は満足げな表情を浮かべあっという間に同僚であろう少女の元へと駆けていく。質疑応答の長い列もようやく途切れ、最後の1人であった彼を見送りカーヴェは小さく息をついた。
    「大盛況だったね。さすがは今年の学院祭トーナメント優勝者」
    ひょこり、と長い耳を揺らし現れたティナリは随分と機嫌が良さそうだった。手にした資料には、カーヴェが先ほどまで話していた内容についてびっしりとメモが書き込まれているのだろう。こうして知り合いの前で講義をするのは新鮮で、どこかむず痒さすら感じてしまう。
    「いや、集客してくれた君のおかげじゃないか?僕だってこんなに人が集まるなんて予想外だった」
    「そんな謙遜する必要もないと思うけど。そうだ、再来月あたりにまたガンダルヴァー村で特別講義を開くつもりなんだけど君もどう?」
    「あはは、考えておくよ。……って、言いたいところだけど」
    「……だけど?」
    講義の途中、気づいた瞬間から視界へ入れないように意識していたがそろそろ限界だった。ティナリの背後を真っ直ぐにカーヴェが指差すと、振り返る動作に合わせてティナリの耳が僅かに揺れる。教室の後ろ、向かって右から二番目の席。本を片手に長い脚を組む男の姿に見覚えがないはずはない。
    「どうしてアルハイゼンがこんなところにいるんだ」
    カーヴェの地を這うような低い声に、ティナリはぱちり、と瞬いた。「あれ、君が呼んだんじゃなかったの?」と心底不思議そうな声を向けられたが、カーヴェは三度首を大きく左右へと振った。
    「呼ぶはずがないだろ!どうして僕がアルハイゼンの前でわざわざ講義をしなくちゃいけないんだ!」
    大きな声は流石にアルハイゼンのヘッドホンすら貫通したらしい。ちらりと視線の持ち上げた彼は、わざとらしいため息と共に立ち上がる。講義中にはテーブルの上に広げられていた資料も、どこかへしまわれたのかいつの間にか消えていた。彼の教令院での書記官としての仕事ぶりをあまり目にしたことはなかったが、カーヴェの声に合わせ筆記されていく様子はどこか気持ちが落ち着かなかった。
    こちらへ歩を進めるアルハイゼンは、ティナリへ向け軽く手を上げた。不満を伝えるために睨みつけるべきか、はたまたそっぽを向くべきか。悩むうち、結局視線がぶつかってしまう。
    「仕事なんだ。仕方ないだろう」
    「嘘つけ。こんなところまで講義を聞きに来るなんて面倒な仕事を君が引き受けるわけがない」
    「賢者直々の命令なんだ。学院祭トーナメントで書記官として君の記録を残したついでらしい」
    「ちょっと、こんなところで喧嘩しないでよ」
    ティナリの呆れた声に、カーヴェは喉元まで込み上げた声を飲み込んだ。

    (後略)
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