日狛が初エッチする小説 冒頭ボツシーン 気がつくと、狛枝凪斗は闇の中に立っていた。
「あれ?」
ここはどこだろう。狛枝は慌てて周りを見渡す。しかし右を見ても、左を見ても、ただひたすらに真っ暗な空間が広がっているだけだった。
まったく状況が飲み込めず、狛枝は困惑する。幸運の反動で、突飛な状況に巻き込まれることには慣れていた。だがいつもの「不運」とは、何かが違う。狛枝は宇宙空間に一人で放り出されてしまったような、不安と心細さを覚えた。
「ねえ、狛枝くん」
突然、声がかかった。幼い子供の声だ。いつの間にか狛枝の目の前に、小学生くらいの男の子が立っている。短い前髪に、まるい鶯色の瞳。キッと吊り上がった眉。
「……日向クン?」
狛枝の口から、見知った人物の名前が零れた。目の前の少年は、未来機関のジャバウォック島支部で狛枝と共に働いている同僚かつ恋人――日向創と瓜二つだったのである。
しかし狛枝が知っている日向は、あのコロシアイから三年が経過した現在、すでに二十二歳のはずだ。なぜ幼い姿になってしまっているのか。
「ねえ日向クンだよね? ここって一体――」
狛枝は目の前の日向らしき少年に尋ねようとした。
しかし少年は、狛枝の質問を遮るように、冷ややかな瞳でこう言い放つ。
「もう僕に話しかけないでよ」
「え……?」
狛枝はドキッとした。いつの間にか、周囲が教室に変わっている。幼い子供たちがワイワイと戯れる机と机の間で、狛枝と日向は向かい合っていた。
「えっと……それはどうしてかな……?」
「狛枝くんといると、僕までみんなから変な目で見られるんだよ」
次の瞬間。日向らしき少年の姿に、ノイズが走った。
テレビ映像が電波障害から復活するように、ノイズで乱れた少年の姿が、黒いスーツを着た一人の青年の姿へと変わっていく。
狛枝を見下ろす、赤と鶯色のオッドアイ。高校生の頃よりもがっしりとした首や肩幅。
今度こそ、狛枝がよく知っている日向の姿だった。
教室だった周りの景色は、狛枝と日向がいつも働いている、未来機関ジャバウォック島支部のオフィスに変わっていた。
「狛枝。別れよう」
目の前の日向が、唐突に言った。狛枝は頭の中が真っ白になり、言葉を失う。
「目が覚めたんだよ。お前みたいな頭のおかしい男と付き合うなんて、俺はバカだった。俺は普通に女と結婚するよ」
日向のセリフは鋭利な刃となって、狛枝の奥深くに隠されている弱い部分を、グサリと突き刺した。
ショックと混乱で何も言えない狛枝をよそに、日向はくるりと背を向ける。すたすたと歩き去っていった。
辺りが急に暗くなる。舞台が暗転するように、オフィスだった背景は、また元の闇に戻っていた。
日向が歩む先には、一枚のドアがある。そのドアからは煌々とまぶしい光が溢れていた。
「待って、日向クン……」
狛枝は遠ざかっていく背中に手を伸ばす。
しかし狛枝が呼び止めても、日向は決して振り返らなかった。どうしよう。このままでは闇の中に、一人で置き去りにされてしまう。
狛枝の脳裏に、膝を抱えて泣いていた、幼少期の孤独な日々がフラッシュバックする。
狛枝は必死で日向の名前を呼んだ。
「日向クン……!」
自分の声でハッとする。
目を開くと、見知ったアパートの天井が狛枝を見下ろしていた。
ブーッ、ブーッ、と耳障りな音。枕元を見ると、充電ケーブルを尻尾のように生やしているスマホが、ベッドシーツの上で小刻みに震えていた。画面には朝の七時と表示されている。
(……なんだ、夢か)
狛枝は上体を起こした。スマホを黙らせながら、「焦って損した」と心の中で呟く。しかし平静を装う一方で、心臓はバクバクと暴れていた。十二月だというのに、パジャマの内側が汗でぐっしょりと濡れている。
なぜこんな夢を見てしまったのか。理由はなんとなく分かっていた。
狛枝は日向と付き合っている夢のような現実に、幸せを感じている。しかし一方で、常にうっすら絶望しているのだ。いつか日向にフられる未来を、頭の片隅で想像しているせいで。
今まで狛枝によくしてくれた人たちは、誰もが狛枝の思想を気味悪がり、最終的に離れていった。いつか日向も、狛枝に愛想を尽かして、離れていくだろう。
永遠に続く他人との関係なんて、狛枝は小説や映画の中でしか知らない。
北側に面している寝室は、冷たく薄暗い。狛枝は頭をクシャクシャと掻き、波打つ白髪を両手で覆う。羽毛布団の中で立てた膝に顔を埋めた。