割引チョコと少年少女ザトウマーケットはいつも通り人混みとそこから生まれる喧騒で溢れかえっていた。様々な種族が多様な商品を眺めているカラフルな通りを、一人のインクリングの少女がずんずんと歩いていた。
このガール、ツチノコは今日の食事を探しているようだ。狙いの割引された惣菜は特に競争率が高い。急がねばならない。
幼子がお菓子をねだって泣き叫ぶ声に一瞬、そちらを見た。そして、その奥に目を奪われる。数々のチョコが並ぶ棚にかなり大きな割引を知らせるポップがついていたのだ。
ふと、その時喧騒の中から「バレンタインデー」という単語が聞こえていた。そうか、彼女は思い出す。先日はバレンタインデーだ。ガールが意中のボーイにチョコを送り、思いを伝えるイベントだが、最近では友人に感謝をこめて送ったり、自分へのご褒美にチョコを買うことも多い、そんなイベントだったはず。
浮足立った広告やポスターで辟易した記憶が蘇りつつ、彼女は一枚の板チョコを手に取った。これなら自分でも買える。割引されたなかでも一番安い、本来は溶かして成形するためのチョコだろう。ツチノコは鼻歌を歌いながら惣菜売り場へ向かった。
翌日、ツチノコはチームメイトの真円とバンカラ街の裏路地に近い公園で合流した。唯一のチームメイトである彼はベンチに座って彼女のことを待っていたようで、ツチノコを見るなり手を振った。
「よう、シン」
「み〜」
「よし、元気そうだな。今日もナワバリだ!」
「み!」
「あ、ちょっと待て」
「み?」
彼女はベンチから立ち上がろうとする真円を片手で制すると、ナップザックから板チョコを取り出した。
「これ、やるよ」
「みゃ!」
ツチノコは驚いた表情をする真円にチョコを押し付ける。
「ほら、先日バレンタインデーだったろ?」
頷く少年の隣に少女は座る。
「ま、友チョコってやつだ。いつも世話になってるからな。礼だよ、礼。」
きょとん、とした目でツチノコを見る真円。
「なんだよ、そんなに自分がヒトに奢るのが珍しいか?」
「みゃ...」
こくこく。少年は小さくしかししっかりと頷いた。
「つべこべ言わずに食えっッ!」
真円に押し付けた板チョコをツチノコは再びひったくり、銀紙を半分ほど剥いて口に突っ込んだ。
「みーっ!」
彼は驚いた声を上げるが、すぐに声は収まった。代わりに少年の目がきらきら輝いている。どうやら相当美味しいようだ。
「なんだよ、」
そんなに美味しいのか、どんな味か気になるじゃねぇか。ツチノコはそう思い、残りの銀紙を纏った部分を掴んで勢い良く折った。
「みゃ!」
いきなりの衝撃に驚いた真円を気にも留めず、彼女はチョコを噛んだ。甘くて美味しいが、普通の味だ。まぁ、いつもよりほんのちょっとだけ、甘いかもしれないが...
「なーんだ。普通のチョコじゃねぇか」
ベンチで少年少女が二人並んでチョコを食べている。そんな光景を気にすることも無く公園で幼子たちが遊んでいる。バレンタインデーから数日たった、何でもない日。