『ヒーローとテレビの話:久森晃人の場合』 合宿施設の食堂兼談話室には大きなモニターがある。ニュース番組などのテレビ視聴をはじめとして、イーター討伐作戦会議のモニター、アニメやドラマの上映会、複数人がゲームで遊ぶときにも活躍している。
基本的に食事の時間はオフとなっているが、めずらしく夕飯中にその電源がオンになった。
「時間だ」
そう言ってリモコンを握り締めたのは浅桐だ。片手に箸を持ったままの格好に非難の目を向けて「浅桐さん、食事中ですよ」と佐海が切るように促す。
佐海ちゃんは真面目だねえと北村が茶化す間に、浅桐はテレビのチャンネルを東成都のローカルニュース番組に変えた。リモコンを茶碗に持ち変えてそのまま食事を続ける姿に、戸上がまばたきする。
「何か見たいニュースでもあるのか?」
「そのうちな」
含みを持たせる返答に、他校の面々もちらちらとテレビ画面を窺いながら食事を続ける。浅桐真大という男が意味のないことをしないと知っているからだ。
久森もその一人だった。
食堂のテレビのチャンネル権は基本的に多数決だ。久森は何か流れていれば見ながらゲームをするくらいで、どうしてもこの番組が見たいと主張したことはない。
あれが見たいこれが見たいとよく主張するのは浅桐や伊勢崎だ。
だから今日も浅桐がテレビをつけ、ニュース番組を選んだということは、浅桐が楽しみにしているドラマや映画の製作発表などがあるのかもしれない。
耳慣れたテーマ曲を聞き流しながら、久森は夕飯のメインである肉野菜炒めを口に運んだ。辛味噌で白米が進む味付けだ。
テレビではキャスターがオープニングトークを終え、今日一日の出来事を順番に語り始める。
事件事故、政治、芸能情報、スポーツの試合結果の速報とくるくる話題は入れ替わる。日中にイーターは出なかったものの、代表校のヒーローたちは明日早朝に出現予報が出ているイーターに備えて集まっている。そんないつもどおりの夜だ。
炊飯器から何杯目かの白米をおかわりする仲間を横目に、久森は最初に盛った分を食べ終える。食器を洗い場に下げ、食堂端のソファに腰を下ろすと、スマホのゲームを立ち上げた。
夕食後はそのまま食堂でテレビを見る面子に混じりながらゲームをして、入浴時間になったら入浴を済ませて寮室に戻ってまたゲームをして寝る。
久森のいつもどおりの過ごし方だ。
今日はいつもより早くテレビの電源がオンにされたけれど、やることは変わらない。
テレビではCMが流れている。ゲーム画面をタップしつつ少し期待して耳を傾けたが、ゲームの新イベントの予告CMは流れなかった。この時間ではなかったらしい。
CMが終わると、『続いてのコーナーは東成おさんぽ情報です!』と明るい声が響いた。都内で話題の飲食店や地域イベントの取材を行うコーナーだ。
『今日は東エリア、江波区からお届けします』
耳に飛び込んできた言葉に、久森は再び顔を上げる。
江波区といえば風雲児高校のお膝元である。おいしいいなり寿司の店とか、たい焼き屋の情報とかだったらいいな、と振り返った久森の期待は、画面を見た瞬間に裏切られた。
テレビにはリポーターが映っている。商店街入り口に置かれたやたら勇ましい顔つきの七福神の像の前で手を振っている。その姿を、服装を、久森は知っていた。前に同じ番組で見たことがあるわけではない。
テレビの中の服装で江波区を歩くリポーターを、久森は知っていたのだ。
「なんで」
思わず飛び出した悲鳴が食堂に響く。
食事を終えたものの普段と変わらぬニュース番組の様子に、既にテレビに意識を向けていなかった者も多い。雑談する声が目立ち始めた食堂で、久森の悲鳴は一同の視線を一身に集めた。
「久森?」
「そんな……まさか…」
誰かが案じるように声をかけてくれたが、久森には振り返る余裕すらなかった。手元からゲームプレイ中のスマホがソファに落ちる。
久森の眼差しは、テレビ画面に釘付けだった。
その視線を追うように、食堂にいた面々も改めてテレビに向き直った。
テレビでは河川敷でごみ拾いをする学ラン姿の高校生たちが映っている。その中の一人の背中には、黄金に輝く亀の和刺繍が施されていた。色柄Tシャツやらカラフルに染めた髪やら華やかな風貌の学ラン集団の中でも、凝った和刺繍はひどく目立つ。
気付いた面々が「あ」と声を上げては久森を振り返り、またテレビを見た。
「あれって、久森さん……ですよね?」
恐る恐る確認してくる佐海に返事ができないまま、久森はぶるぶると震えた。そうして。
『本日は江波区の学生さんが行っているボランティアの様子をお届けします』
「映さないでくださいって言ったのに…!!」
朗らかに語るリポーターの声と同時に力いっぱい叫んだ。ソファから飛び上がり、迅式並の俊敏さで浅桐の手元にあるリモコンに駆け寄る。
けれど浅桐がリモコンを掴んで投げるほうが早い。
天井すれすれの高さまで放物線を描いたリモコンは、窓側のソファでコーヒーを飲んでいた頼城の手におさまる。
つい先刻まで手元のタブレットに目を落としていた頼城は、ボランティア活動を説明するリポーターの『こちらの活動を行っているのは風雲児高校の皆さんです。活動の発案者はあちらのかっこいい刺繍の学生服を着た彼とのことですが、なんと彼は風雲児高校所属のヒーローだそうです!』という声に合わせて音量を上げた。
「頼城さん 何するんですか!」
「すばらしい活動ではないか、久森! 風雲児の不良たちを更生させるとは見事な手腕だ。勉強させてもらうぞ」
「違いますよ なんかゴールデンウィークからすっかり恒例になっちゃったみたいで、たまたま…! ああもう! テレビ消してください!」
久森が慌てて頼城に駆け寄る合間に、再びリモコンが宙を飛ぶ。久森の手が届かない高さを飛んだリモコンを掴んだのは志藤だ。
志藤さん、と久森が期待に目を輝かせたのは一瞬だった。
「寿史、光希、ちょっとこっち来い。久森がテレビに映っているぞ」
と食堂の外に出ていた後輩を呼びに行ったからだ。早く来いと急かす声に、久森が何度目かの悲鳴を上げる。
その時ちょうど、テレビの中でカメラを向けられた久森も「うわっ!映さないでください」と叫んで逃げた。
リポーターは慌てる様子もなく『ヒーロー活動にボランティア活動と積極的な方ですが、内面はとてもシャイな方のようですね。代わりに他の学生さんに話を伺いましょう!』と元気に切り替えている。
『副長は硬派で通ってますからね。テレビの取材なんて興味ないんすよ』
『フゲンジッコウ、っつーんすか?べらべら口先ばっかじゃなくてああやって行動してっとこ、マジカッケーっす』
『オレら、緋鎖喪離副長のカッコよさに気合入ったんで、ごみ拾いやらせてもらってます』
『商店街とか自治会とかにハナシ通してくれたのも副長ッス』
『副長とこういうコトするようになったら商店街でもフツーにアイサツしてもらえるようになって。ッス、最近は商店街の飾りつけも手伝いました。入口の七福神、見ましたか? アレ、俺がやらせてもらいました。はい、一刀彫ッス』
リポーターにマイクを向けられた風雲児の学生たちは口々に熱く語る。カメラマンも他の学生にまぎれた久森が足下の空き缶を拾うところを的確にズームして画面におさめた。
『定期的な清掃活動で河川敷や公園などがすっかりきれいになり、地域住民の方々と学生さんたちとの交流も生まれているようです。すばらしい活動をこれからも応援していきます!』
晴れ晴れとしたリポーターの締めの言葉と共にテレビ画面には右下に『明日は北エリアの石崖商店街から夏の風物詩をお届け!』とかわいらしい予告テロップが表示される。
画面が切り替わり、流れ始めた天気予報を眺めながら浅桐が「ハーン」と呟いた。
「明日だったかァ。ま、面白いモン見れたからいいとするかね」
「絶対わざとでしたよね 浅桐さん!!」
「不良のインタビューに偏ってて、地域住民との交流エピソードがちと足りなかったな。東成TVに抗議入れとくか」
「入れませんよ! 抗議するなら、映さないでって頼んだのに映されたことですよ…!」
頭を抱える久森の傍らで、志藤に呼ばれて駆けつけた御鷹が「かっこよかったよ、晃人くん」と微笑む。御鷹に同意して頷く透野も「間に合って良かった。少しだけだけど、見れたよ」と嬉しそうに目を細めている。久森は力なく首を振った。
その背中に、窓辺のソファの頼城から笑みと軽やかな拍手が贈られる。
「ああ、いいものを見せてもらった。地域美化を図ると同時に、不良たちと地域住民の信頼関係も築くとは見事だ。風雲児歴代初の知将と謳われるだけのことはある」
「え? あの、どこで増えたんですか? そんな名前…」
「日頃の活動は、市民たちからの信頼と協力を得るのにヒーローとしても重要なことだ。今のニュースはヒーロー活動の参考事例として教材にしてもいいのではないか? 指揮官くんに提案しておこう」
「やめてください!!」
「そう謙遜するな。胸を張って誇るといい」
ああ、とか、うう、とか呻きながら、久森はふらふらと談話スペースのソファに座り込む。その傍らに、離れた位置に置きっぱなしになっていた久森のスマホを回収した斎樹がそっと置いた。
「安心しろ、久森。頼城は止めておく」
「ありがとう、斎樹くん…!」
久森が顔を上げると、斎樹はほんのりと苦笑していた。「まあせめて、一年生の賛辞くらいは受けてやれ」と促す方向を振り返れば、佐海や三津木が「すごいですね」と真っ直ぐな瞳を久森に向けていた。
その眩しさに耐えきれず、久森は膝を抱えて顔を埋める。
「何か温かいものでも飲むか?」
「あ、うん。斎樹くんが飲むんだったらいっしょにお茶をお願いしていいかな」
「ああ。久森の手腕に敬意を表してとっておきの茶葉で淹れてやろう」
「斎樹くん」
「冗談だ。まあ、少し待っていろ」
にやりと笑った斎樹は軽く手を振り、ソファにいる頼城に声をかけに行く。
それを見送りながら久森はソファの肘置きに突っ伏した。食事を終えて満たされていた気持ちがすっかり疲弊している。 「いい活動だな」「かっこよかったぞ」「久森くんがんばってんなあ~」と口々に声をかけてくる先輩たちにも曖昧なうめき声しか返す気力がない。
というよりももう誰も話しかけないでくれ、という気持ちで、羽織ったパーカーのフードをかぶった。ほんの少し薄暗くなった視界の中で、スマホの電源をオンにして、ゲーム画面を確認する。戦闘中で放り出したために時間経過でデバフが剥がれた敵ボスに溜め息を吐きながら雑にタップする。
ローカルニュースはエンディングを迎え、食事を終えた一同も次の時間帯のテレビで何を見るかという相談に移り変わる。
誰かが事務室から借りてきた新聞紙の番組欄を空いたテーブルに広げながら、ああだこうだと言い合っている声だけが聞こえた。
「こっちの天体番組はどうかな。星の一生だって」
「ボクのオススメは密着!首都警戒24時!かな。警察の手口がよくわかるぜ」
「よくわかった上で何するつもりだよお前」
「あ、夜中にロボット技術大会の放送がある。これ、録画してもらえないかな……」
「それならば浅桐がもう録画していたはずだ。確認しておこう」
「本当ですか!」
談話スペースに残っているのはほとんどが一年生だ。
浅桐が見たがったーーあるいは見せようとしたニュースも終わったので、勉強やトレーニングのために食堂を出て行く面々もいる。
そこでようやく、久森もフードを落とした。
ポットが置いてある一角では斎樹と御鷹が何か話ながらお茶を淹れている。一年生の人数を確認し、棚からマグカップを取り出しているところを見ると、テレビに夢中な彼等の分のお茶も淹れようというのだろう。
(ああ、まぶしいよ……)
手伝いもせずにゲーム画面をタップしていた己に、久森は今日何度目かの呻き声を漏らした。今やっているバトルが終わったらせめてマグカップを運ぶのを手伝おう、と決意したところで、足下で何かが動く気配がした。
画面から目を離さないまま久森が少し横にずれると、大きなあくびとともに矢後が這い出てくる。夕方からずっと眠り続け、食事時間になっても目を覚まさなかったのでそのまま寝かせていたけれど、起きる気になったらしい。
「腹へった」
「矢後さんの分、台所にラップかけてありますよ」
「今日なに」
「肉野菜炒めです。ちょっと辛いやつ」
矢後はのろのろと立ち上がって、あくびを噛み殺した。そうしてスマホから目を離さない久森を見て首をかしげる。
「さっきうるせー気がしたけど、なんかあったの」
「いいえ。何もないです」
誰かに聞かれて先ほどのニュースを蒸し返されてはたまらない。久森はスマホをタップしながら努めて抑えた声で呟いた。
「ここが騒がしいのなんて、いつものことじゃないですか」