『月倉町の後の武居さんと矢後さん、時々久森くん+α』 矢後が退院した。
浅桐の度重なる騒音に我慢の限界を迎えた武居が浅桐と決闘を重ねる間、周囲の喧騒を無視してよく眠りよく食べ、傷を完治させたからだ。
焦った武居が多少――浅桐の耳障りな騒音に我慢できない日を除き――おとなしくして過ごすこと二日。からっぽだった武居の隣のベッドが埋まった。
矢後だった。
他校の不良と喧嘩して足の骨を折ったらしい。
「あ、ちょっと違います。喧嘩は返り討ちにしたんですけど、帰り道で矢後さんの上に石塀が崩れてきたんです。疲れてたから、反応が遅れたみたいで」
そんなことを言っていたのは矢後の後輩だという風雲児の一年生だ。
いつも矢後のところへ見舞いに来ているのだか愚痴をこぼしにきているのだかよくわからなかったが、喋っている内容もやはりよくわからなかった。ぐだぐだうっせえと矢後にも言われていたので、普段からそんな感じらしい。
矢後は三日で退院していった。
そして今度はその五日後に、風邪をこじらせて担ぎ込まれた。
内科の病棟じゃないのかよと思ったが、お友達といっしょのほうが安心でしょうというようなことを看護師に言われていた。矢後は即座に「オトモダチじゃねえよ」と吐き捨てていた。武居としても、断じてお友達などではない。
しかしALIVE管理下のヒーローということでまとめられたならば、渋々ではあるが受け入れざるを得ない。
そんな矢後が風邪を引いた原因はイーターとの戦闘中だか喧嘩の最中だかに川に落ちたとかで、やはり後輩の一年生がうにゃうにゃと呟いて矢後に睨まれていた。戦闘が原因か持病が原因かは不明だが、肋骨にひびも入っていたらしい。
一晩中げほげほと咳き込む音は長期入院中にも多少聞き慣れたが、心地よいものではない。何より隣でそれを無視して眠れるわけがない。隣のカーテンを覗いて「生きてるか」と声をかけては睨まれ、代わりにナースコールを押したことが二度ほどある。
矢後は一週間で退院した。
その五日後に浅桐が一足早く退院し、二日遅れて武居もようやく退院した。浅桐よりも退院が遅くなったことは腹立たしかったが、その二日間はこの三ヶ月過ごした病室と同じ部屋かと疑うほどに静かだった。
志藤や伊勢崎が病院まで迎えに行くとうるさかったが、平日の昼間であることを理由に何とか却下した。入院費用はALIVE持ちなので、荷物をまとめてスタッフステーションに挨拶するだけで済む。あとはALIVEに提出する入院関連の書類をもらい、本社でヒーロー活動の再開手続きをすれば終わりだ。既に留年が決定している学校側にも報告が必要だが、そちらは志藤が書類を預かっている筈だった。
(ってことは、やっぱ本社行ってから学校に行くか……チッ。めんどくせーな)
あれやこれやの煩雑な手続きは考えるだけでうんざりする。
そうして武居が久しぶりに病院の敷地外に出たところで、知った顔と鉢合わせた。
「お?」
「あ?」
互いにこぼれでた一語を挨拶代わりにして、武居は顔をしかめる。
「矢後、お前また入院かよ」
「ちげーよ。こないだ風邪ひいたからまた来いってうっせえの」
心底嫌そうに顔をゆがめて矢後が唸る。あれだけ咳してればな、と思いはしたが口には出さず武居は「そーかよ」と呟いた。矢後の隣をすり抜けて歩き出す。
そこへ不意に、空気を割く音が鳴り響いた。
イーター警報のサイレンだ。
ぱっと顔を上げたのは武居と矢後と同時だった。ポケットに入れていたスマートフォンもサイレンに併せて振動する。イーター警報に伴う緊急通報か、ALIVEからの入電だろう。
武居は即座にスマートフォンの画面を確認した。画面にはALIVEからのイーター出現予測ポイントの情報が表示されている。武居は東エリアのヒーローではないが、警報発令時点で対象地域にいるヒーロー・候補生登録者のスマートフォンにはALIVEから情報が送られる仕組みだ。戦闘は主に担当エリアのヒーローと候補生が担うが、他エリア担当のヒーローや候補生もその場にいれば市民の避難を手伝う義務がある。
武居が振り返ると、矢後は画面を見てにやりと口の端を吊り上げていた。
「大型一体、ね。弱くねーといいけどなあ!」
矢後が駆け出す。その顔が生き生きと輝いている。
武居は舌打ちひとつ落として、矢後に続いた。
「ンだよ武居、譲んねーぞ」
「大型だろうが!」
大型のイーターは通常、複数人のヒーローで連携して倒すものだ。
けれど矢後は「ハッ」と軽く笑って物騒な笑みをにじませた。
「いらねーよ」
矢後がポケットから出した拳を強く握る。光が割れた。直後、からし色のマフラーをたなびかせた戦闘服に変身した矢後が強く地面を蹴る。一気に速度を上げて走り去る後ろ姿を睨んで、武居もポケットに手を突っ込んだ。
手元に残っているリンクユニットは一つきりだ。
躊躇なくそれを握り割ると、ぐっと身体が軽くなった。
青い戦闘服。白いマフラー。イーターとの戦闘は、三ヶ月と少し前の月倉町の戦闘以来だ。そう考えると、わずかに高揚した。抱えたカバンはそこらに投げ捨てていくわけにもいかないので、背負ったままで走る。道中、出動してきたALIVE職員か警察にでも預ければいい。
遠ざかったからし色のマフラーを追いかけながら、逃げるために走る市民とすれ違い、避けつつ、スマートフォンでイーターの出現位置を確認する。知らないエリアは地図と方角を見ながらでないと移動が難しい。少しスマホに目を落としている間に、土地をよく知る矢後の姿はあっという間に消えていた。
その耳に、ひときわ「わぁっ」と大きな悲鳴が届いた。
空を指す人の示す方向に目を向ければ、今まさに周囲の幼生体を吸収しながら膨れ上がり、出現する大型イーターの姿が空に浮かんでいた。
「わかりやすくて助かるぜ…! そこのてめえら、さっさとシェルターに逃げろ!」
イーターの姿を見て硬直していた人々を怒鳴りつけて、武居はスマートフォンをポケットに押し込んだ。もう地図はいらない。空に浮かぶイーターめがけて走り出す。
大きな陸橋の近くで規制線を張り始めた警察にカバンを投げ渡して、武居は速度を上げた。川辺の廃工場らしい跡地に、よく見知った金色の光が閃いている。空に浮かんだイーターの翼部を絡めてひきずり落そうとするライン式の術式は矢後ではない。
(ってことは、あのぐだぐだしてる一年野郎の術式か…!)
風雲児高校のヒーロー二人は既に合流し、戦闘開始しているらしい。
通りすがりに周囲に浮かぶ幼生体を払い、殴り、叩き落としながら前に進む。
予測では大型一体だったが、大型が出現してなお周囲に漂う幼生体の数が多い。幼生体が集合して変態した中型イーターを、武居は呼び出した大剣で叩き斬った。
ポケットに突っ込んでいたスマートフォンがけたたましいアラーム音を発する。
それが何を示しているかは画面を確認しなくてもわかった。
「大型一体じゃ済まねえってことだな…! ハハッ、復帰戦にゃ上等だ!」
術式に引っ張られた大型イーターが、廃工場の中に落ちる。重たい音と共に錆びた外壁が崩れ、衝撃が生んだ風が周囲を薙いだ。
そちらには目もくれず、武居は頭上を睨みつけた。武居が斬り払った幼生体の残りが空に逃げ、集まり始めている。間もなく大型イーターがもう一体、廃工場の上に出現するだろう。
それまでに交戦地帯に――廃工場の中に滑り込む必要がある。
武居はジャンプして、廃工場の入り口の柵を飛び越えた。細長い建物に三方を囲まれた草地で、風雲児高校のヒーローが戦っている。ライン式の術式で拘束された大型イーターに、矢後がトドメの大鎌を叩きこむところだった。
(普通、術式がトドメじゃねえのかよ)
少なくとも武居の認識では重式が前衛でイーターの位置を固定しつつ周囲の盾となり、迅式が削り、術式が高火力で仕留める戦術が一般的だ。けれど風雲児では重式と術式の役割が真逆らしい。
黒い塵になって消えるイーターを踏みつけた矢後が、武居を睨む。
「いらねーつっただろ」
「もう一体、出てんだよバカ!」
「知ってるっつーの!バーーカ!」
「バカバカ言ってないで、構えてもらっていいですか」
悲鳴のような声にそちらを見れば、やはり病院で見かけた矢後の後輩が戦闘服に身を包み、両指十本から展開した糸をふるっていた。集まって中型になろうとしていた幼生体を糸一本ごとに的確に潰している。
「久森!」
「はい、足場組みます。あと矢後さん、さっきの――」
「屋根踏むな、だろ。わーってんよ」
矢後がもう一度、リンクユニットを割る。戦闘継続だ。
頭上を見上げれば、先程とは異なる形状の大型イーターが浮かんでいた。その視線が変身し直したばかりの矢後に引き寄せられて、大きな叫び声をあげる。
「武居!」
それに負けじと声を張り上げた矢後が武居を振り返る。
「――死にたくなきゃ、工場の屋根、踏むなよ」
「は?」
「あとは勝手にしろ」
矢後が黒い塵を蹴散らしてジャンプする。大型イーターにはとうてい届かない高さだ。けれどその高度が落ちるより先に、光のラインが空中にすばやく走った。矢後がそのラインの上を二歩駆け、蹴って、さらに高くジャンプする。すると別方向から伸びたラインが矢後の足場になって、彼をイーターの高さまで導いた。
まるで、矢後の跳ぶ先があらかじめ見えているような見事な配置だった。
思わず武居が術式を展開する一年生のほうを振り返ると、「ひえっ」と短い悲鳴を上げられた。矢後の後輩をしていて肝が据わっているのかびびりなのかわかりづらい。
けれど「あの」と勇気を振り絞った様子で一年生が声を発した。
「矢後さんが、イーターを叩き落とします。でも矢後さんが下りてくるまでに五秒ラグが生まれます。その間に、攻撃をお願いしても……いいですかね…?」
「ったりめーだ」
「あと、仕留められなかった矢後さんが不機嫌になるので、そっちもお願いします」
「知るかよ!」
やっぱりよくわからない奴だった。
大剣の柄を強く握りしめて、武居は力任せに薙ぎ払った。その勢いで幼生体が二体まとめて消し飛ぶ。ひええとかうわあという声が聞こえた気がしたが聞かなかったことにして、上空を睨みつける。
はるか頭上に浮かぶ大型イーターのさらに上で、巨大な大鎌が閃いた。矢後の武器だ。直上から強い攻撃をぶつけられたイーターが、耳障りな叫び声を上げ、武居たちめがけて落ちてくる。
「お願いします!」
一年生の術式が後退しつつ、展開したラインを直線から網状に張り替えた。落下してくる矢後を受け止めるためだろう。そちらは任せて、武居はイーターに対して身構えた。
目前に落ちてきた大型に即座に一撃を叩きこむために集中する。
先程仕留めた大型イーターが消えた場所に、新たなイーターが落ちてくる。その巨体が地面にぶつかるのとほとんど同時に、武居は構えた大剣を一閃した。
「おらあああああ‼」
まばゆい光を帯びた大剣がイーターの硬質な身にめり込む。硬くみっちりと締まった肉を押し切るように、武居は両足に力を込めた。ブーツの裏で乾いた土が削れて沈む。深々と差し込んだ手ごたえはある。けれど肉を両断しきるには至らない。
引き抜いてもう一撃、と武居が舌打ちしたところで、頭上から回転する光が降ってきた。大鎌を構えた矢後がぐるりと回転して、巨大な鎌先をイーターの頭に叩き込んだ。イーターが叫んでのけぞる。そのはずみに肉から外れた大剣を構え直して、武居はもう一度、大きく振りかぶった。
「これで、終わり、だ!」
先程と同じ場所、同じ角度で正確に叩き込む。
イーターの巨体が両断される。ぶわっと黒い塵が噴き上がって視界を覆う。武居が反射的に目を閉じ、再び目を開いた時には、風に流れる黒い塵の残骸だけが残っていた。ふう、と息を吐いて姿勢を正す。
と、そこへ。
「うわああああ! 矢後さん」
一年生の悲鳴が聞こえた。
武居が振り返ると、傍らの廃工場の屋根に穴が開いている。イーター墜落の衝撃に飛ばされたか回避したかで屋根に跳んだ矢後が、錆びたトタンを踏み抜いて中に落ちたのだろう。慌ててそちらに駆けて行く一年生を武居が溜息混じりに見送る――と、ドオン、と重い音がして建物ごと崩れ落ちた。
「は」
「だから言ったのに!」
戦闘の衝撃波のせいか、矢後が屋根を踏み抜いたせいか、古ぼけた廃工場が一棟丸ごと崩れている。もうもうとたちこめる土煙をかき分けて、武居も慌てて走った。
リンクしたヒーローといえど、工場一棟分の瓦礫に埋もれてはただでは済まない。それに武居が確認しただけでも矢後は三回リンクユニットを割っている。疲労と貧血でリンクが解除されれば、リンク時の強化効果も失われてしまう。
武居は大剣を投げ捨てて瓦礫を掴んだ。
こっちです、と指示する一年生と共に歪んだトタン板を放り、古ぼけた外壁の欠片をかき分けるうちに、ひときわ大きな壁の瓦礫が、下からぐいっと持ち上げられた。
「矢後さん!」
自力で瓦礫を持ち上げた矢後が、ゲホッと濁った咳を吐く。その格好は既にリンクが解けていた。けれどリンクしている武居や一年よりよほど軽々と、自分の身体の周りの邪魔な瓦礫を放り投げて這い出してくる。
「うわあ、生きてる……どうやったんですか」
「てめえ、真っ先に言うのがそれかよ」
「ああ、はい。すみません。びっくりしちゃって。あ、動かないでくださいね。救急車呼びますから」
「いらねー」
「いります。どこ折れてるかわかったもんじゃないですから」
一年生は慣れた様子でスマートフォンを操作し、自身のリンクも解除した。武居もそろそろ時間切れだ。意図せずともリンクが切れる。
矢後は一度立ち上がろうとしてから、あきらめた様子でその場に座り込んだ。脚がどうにかなっているらしい。そうして露骨に不機嫌そうな顔で舌打ちした。
「もー倒したの?」
「はいはい。討伐完了です。お疲れさまでした!」
「暴れたりねー」
「勘弁してください」
何やらぶつぶつぼやき始めた一年生を横目に、武居は周囲に視線を走らせる。まだ幼生体が残っている場合、白星では候補生総出で周辺一帯の確認作業を行う。
「なあ、おい。ちょっと周り見てくるな」
だから動けない矢後と救援を呼ぶ一年生の代わりにとそう言ったのだが、一年生があっさりと「大丈夫です」と首を振った。
「イーター、もう出ません」
「は?」
当然のようにはっきりと、一年生は言い切った。
そして矢後も「あっそ」と呟いてあくびを漏らした。目をまたたかせる武居の目の前で、風雲児の二人はすっかり戦闘の警戒を解いている。
「なあ、ねみぃ」
「ダメです。そこで寝ないでください」
「寝る」
「寝ないでくださいってば また僕ひとりで事情説明するんですか」
「任せた」
「嫌ですよ。せめて救急隊の人が来るまでは起きててください……矢後さん!」
一年生の必死の訴えもむなしく、矢後はそこらの瓦礫を枕に寝始めた。否、気絶したのかもしれない。思い切り暴れ回った挙句に建物に潰されたのだ。
ああもう、と呻く一年生の横から手をのばして、武居は慎重に矢後の身体を担ぎ上げた。どこか折れていたら動かさないほうがいいかもしれないが、さすがに足場が悪い瓦礫の真ん中まで救急隊に来させるよりは、安全な場所に移動したほうがいい。
一年生もすぐに察したらしく「あっちの通りに運んでください」と廃工場の外へ案内してくれた。
遠くに聞こえるパトカーと救急車のサイレンが聞こえてくる。
一年生が安心した様子で息を吐く。
武居はなおも周囲を警戒していたけれど、結局一年生が言ったとおり、その日周辺一帯にそれ以上幼生体が出現することはなかった。
そのまま風雲児のヒーローたち共々、八草中央病院に舞い戻る頃には昼を過ぎ、簡単な治療だけで問題なしと診断された武居が解放されたのは夜だった。風雲児のヒーロー二人がどうなったかは聞かずに病院を出た。
すると病院の入り口に、警察に投げ渡したはずのカバンを担いだ志藤と伊勢崎が立っていた。
「よ、ご苦労さん」
「もっかい入院するハメになんなくて良かったな、一孝!」
「おめーら、なんでいんだよ」
「ALIVE経由で連絡がきたんだ」
行くぞ、と促された先はタクシー乗り場だった。
どうせ三人とも帰る場所は同じだ。乗り込むとカバンを返されたので、武居は検査と治療証明の書類を適当に突っ込んだ。増えた書類はどうせまとめてALIVEに提出するものだ。使い切ったリンクユニットの申請書類も出さなくてはならない。
「めんどくせえ…」
「そういえば、一孝。ALIVEに書類は提出したのか」
「まだ。病院出たとこで警報鳴ったんだよ」
「なら、明日だな。俺も用事があるから一緒に行こう」
「おー」
志藤は二年生とはいえ、白星第一学園のヒーローたちの中で既に実質的なリーダーだ。中等部の候補生時代は完全な年功序列だったが、戦場の最前線に立つ高等部のレギュラーは血性値の高さと選抜試験による実力主義だ。
上級生たちを退けて、志藤も伊勢崎も、そして武居も、一年生の頃からレギュラーの座を勝ち取った。
南エリアの認可代表校であり、都内二十二区にあるヒーロー登録校トップのリーダーともなれば対策本部に呼び出される機会も多い。
武居は事務方にさして興味はなかったけれど、志藤がそうして何かにつけて呼び出されていることは知っていた。ALIVEにも、星乃にも。志藤の名を冠するリーダーは多くのものを背負い込んでいて忙しい。
志藤は「あー」とか「うーん」とかうめきながら顎を撫でている。
「……まあどうせお前らもすぐわかることになるんだけどな。寿史んとこに、ひとり増えるかもしれん」
「え? 何なに、何の話? 大福に兄弟できんの?」
「敬、違う。人間だ」
「人間? どっかから養子を迎えるってことか」
武居はちらりと伊勢崎に視線を向けた。
星乃一族は血統を大事にしてはいるが、それ以上に血性値を重要視している。各家、各世代にはヒーローを輩出する義務もある。伊勢崎敬も、そうした理由で伊勢崎家のヒーローとなるために特殊血性を見込まれて養子に迎えられた――というのは武居がいなかった頃の話なので、後から知ったことだ。
へえ~とあっけらかんと頷く様子に陰る様子はないどころか興味津々だ。けれど、「あ」と呟くなり伊勢崎の顔が曇った。
「ってことはもしかして、寿史、ヒーローやめさせられんの? 和寿さん?」
高校入学と同時に親を説得してヒーローへの道を選んだ後輩の名を挙げて眉をひそめる伊勢崎に、志藤が「いいや」と首を振る。
「そこはどうにか説得するさね。そういうんじゃなくて――ちょっとな。訳ありの子どもを一人、預かることになりそうなんだ」
「明日、ALIVEに用事っつうのはそれでか?」
「おう。寿史も来る。まあ、ひとまずは顔合わせだな」
「へー! じゃあさじゃあさ、オレも行っていい」
「お前は授業に出ろ、敬」
「ええ~~~オレだけ仲間はずれじゃん! やだやだあ! オレも行く!」
「英語の小テストが嫌なわけじゃねえよなあ? 敬」
「げっ。何で知ってんだよ…」
途端に顔をしかめてうめき始めた伊勢崎を無視して、武居はスマートフォンを開いた。いつの間にか幾つかのメッセージと着信が溜まっている。ほとんどが妹からだった。昼には退院している予定だったのがすっかり夜になっているからだろう。
どう返信したものかと半眼になっていると、志藤が横から「そういえば、家には緊急出動で遅くなるって連絡入れておいたぞ」と告げてきた。何から何まで抜かりがないリーダー様だ。
もうすぐ帰る、とだけメッセージを送って画面をオフにする。
「ま、迎えるのはほぼ確実だ。お前は歓迎会の内容を考えといてくれ、敬」
「オッケー! オレがレク係ね! ぜってー盛り上げてやっから覚悟しとけよ」
「どういう脅し文句だよ」
けらけらと笑う伊勢崎と志藤に、武居は遠慮なく溜息を吐き出した。
三人が乗ったタクシーは喧噪の多いエリアを抜けて、閑静な高級住宅街に滑り込んでいく。その中でもひときわ静かで広大なのが、各々の住まう家がある星乃一族の敷地だ。年月を重ねた瓦屋根の漆喰塀は延々と続き、正面玄関まではタクシーでもまだ数分かかる。とはいえ、数分だ。間もなくタクシーは目的地に到着する。
三ヶ月振りに帰宅する我が家は目の前だ。
どっと吹き出した疲労感と空腹に溜息を吐いて、武居は窓の外を睨む。病院の白壁と漆喰塀の白壁が重なって見えて、にじみだした忌避感に首を振る。
今はまず、腹いっぱいに飯を食べたかった。