ひみつのティータイム レンが初めて持ってきてくれたクッキーは、満月のようなプレーンクッキーだった。
【ひみつのティータイム】
女中がティータイムの準備を一通り終えると、レンが「ありがとう、下がっていいよ」と声をかける。人を使い慣れている様子は、子どものそれとは思えない。伊達に、この屋敷の主を自称していないということか。
女中が下がったのを見届けると、レンがきょろきょろ周囲を見回しながら俺を呼んだ。
「真斗、いいよ。おいで」
茶器の精霊たる俺を、随分気安く呼ぶものだ、と思わないでもなかったが、子どもの面倒を見てやるのも精霊の優しさであろう。別にレンの手元の缶が気になったわけではない。
「呼んだか?」
ひょこり。
ティーポットの後ろから顔を覗かせる。レンが一瞬嬉しそうにぱっと目を見開き、しかしすぐ澄ました顔で、手元の缶の蓋を開けた。
「ほら。前に約束したクッキー、用意したよ」
「おお! これは!」
俺が初めて食べたクッキーとよく似ていた。
あの、サクサクほろりとした甘く香ばしい味を思い出し、思わずごくりと唾を飲み込む。
「はい、どうぞ」
渡されたクッキーを両手で受け取ると、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
大きく二、三度深呼吸し、十分香りを堪能してから、ぱくり、とクッキーに齧り付いた。
「ん!!!」
あまりの美味しさに、稲妻に打たれたかの衝撃が俺の体を走り抜ける。
そのままサクサクサクサク夢中でクッキーを食べていると、じっと俺を見ているレンと目が合った。
「お前の顔より大きいのに、よく食べるね」
呆れたような口ぶりだが、表情は柔らかい。なんだか楽しそうに微笑んでいる。
「……お前も、食べるか?」
逡巡したのち尋ねると、レンは即座に首を横に振った。
「いい。たくさんあるし、好きなだけ食べたらいいよ」
そう言って、きれいに並べられたクッキーを指す。
「そうか。ふむ……」
けれども、年長者である俺が、子どもにクッキーを貰ってそれきりというわけにもいかないだろう。
「では、礼に、最高の魔法をかけてやろう」
「最高の魔法?」
「そうだ。どんな紅茶もとびきり美味しくなる魔法だ」
「へぇ……」
興味なさそうなふうを装っているが、うすい青い色をした目が、きらきらと輝いている。
「じゃ、それで」
「ありがたい魔法なのだぞ」
「はいはい」
本当にひねくれた子どもだ。さっきから、表情と発言が一致しない。
俺は食べかけのクッキーを一度レンに預けて、ティーポットに触れた。
「それ!」
美味しい紅茶になりますように。そう念じて声をかけると、レンかティーポットの蓋を開け、中を覗き込んだ。
「……なんにも起きないけど」
「見た目は変わらん」
「ふぅん……」
「味が変わるのだ! つべこべ言わず飲んでみろ!」
今度は本当につまらなそうに呟いたレンに、俺は思わず口を尖らせた。納得のいかない顔をしながら、レンがティーカップに紅茶を注ぎ、一口。
「……あ」
ふわりと表情が緩む。
「だろう」
「まあまあかな」
「何だと?」
「まあ、悪くはないよ」
「ふん」
子どもの軽口に付き合っていても仕方がない。
俺は自分用のティーカップを取り出すと、レンのティーカップからパチャ、と一杯分、勝手に汲み上げた。
すると、レンが興奮を隠さずガタッと席を立った。
「なにそれ!」
「な、なんだ……?」
「今手からティーカップが出てきただろ!?」
「何だそんなことか。茶器の精霊なのだからティーカップの出し入れくらい何ということはない」
それは俺の本心なのだが、「すごい!」という声が聞こえてきそうな目で見つめられて、俺は少々気分が良くなった。
「そんなに面白いのなら、またいつでも見せてやろう」
得意気にそう言うと、レンは急に肩を落として席に着いた。
「どうした?」
「……真斗はずっと、ここにいるの?」
「ん? ああ、茶器が大事に扱われている限りはな」
「そう……」
最高に美味しくなった紅茶を静かに口に含み、はぁ、とため息混じりにレンが言った。
「明日には、戻らなくちゃならないんだ。夏休みが終わるからね」
「戻る?」
聞くところによると、レンが普段住んでいる家は別で、夏休みという特別な期間だから、ここに来たそうだ。
レンはあまり、家が好きではないらしい。本当ならば帰りたくないのだが、学校というところに行かねばならないから帰るそうだ。また、その学校も嫌だと言う。そんなに嫌なら行かなければいいだろうと思うのだが、そういうわけにはいかないそうだ。
人間とは煩わしいことが多い生き物だ。
「また冬休みに帰ってくるよ」
別に俺はそんなこと頼んでいない。しかし、どこか寂しげなレンの言葉に、こくりと頷いた。
「ああ、待っているぞ。その時はまた……」
「クッキーね」
「うむ」