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    こんにちは火星人

    @amk1r9

    一次創作や二次創作など、全てがある。

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    POIPOI 19

    高校の頃に頓挫した創作BL小説
    男子高校生二人が修学旅行を欠席して江ノ島旅行に行く

    彼は賑やかな場所を好まない人で、それは僕も同じでした。修学旅行の承諾書は不参加に丸を付けて提出して、当日は二人で江ノ島に行きました。

    無計画に飛び出したので、目的地を誤ったかもしれません。からっ風が吹いていて、空も濁っている寒い日だったのです。とても海に入ろうとは思えませんでした。しかし、コンクリートに座って、脚をだらりと揺らせたまま、柔らかな布の皺のように折り返される細波を眺める事はとても趣き深く感じられました。雲を被った太陽より、さらさらと寄せては返す小さな砂の粒の輝きの方が慎ましく、綺麗に見えました。その横で、彼は携帯をいじっていたので少し不安な気持ちになりましたが、時折顔を上げて、コーヒーを啜って遠くを眺めて黙り込むところは、僕と同様、思い耽っているように見えました。
    美男子だと思います。俗っぽく華やかで、今のこの、彼の横顔を撮した僕の視界をそのまま現像すれば、それは大作になるのではないでしょうか。平日だったので人は少なく、すっかり酔った感じで目を閉じて波の音を聴いていたのですが、彼が電話を取ったので興醒めてしまいました。僕は悔しくて、突然砂浜に降りると、スラックスの裾も折らず海に踏み込みました。すると、彼は慌てて電話を切って、海へ入ると僕を迎えに来てくれました。その顔にはくっきりと焦燥が浮かんでいました。そうされると不意に、僕にはその優しさが羨ましく憎く思えて、そのために、顔を赤くせずにはいられないのです。
    どうか、これからの僕の奇行は、天邪鬼が憑いていたせいだという事にしてください。そう言いますのも、それからの僕が狂人のように狼狽えて、彼の袖口を激しく掴むと、そのまま後方の水面に身を打ち捨てるという奇行を犯したからなのでした。確かに、彼に要件のない電話をかけられるように、親密であるその友人に嫉妬の念を抱いていたのは認めましょう。しかし、罪の無い彼に攻撃性を持つほど落ちぶれてはいないはずでした。僕は僕自身を、正義のために自分の利を捨てる事が出来る人間であると信じています。また、僕は争いを酷く嫌う性質で、自己を主張する機会において寡黙でした。ならば、僕は自分の惨めで柔らかい内面を看破されたくなかったのだと思います。僕は、僕自身が愚かである事に発狂するほどの羞恥心を患っていたらしいのです。対して、彼は落ち着いていたようでした。海に沈められたといっても浅瀬でしたので、彼は直ぐに立ち直したのでしたが、僕は駄目でした。彼は、喚き散らかして藻掻く僕を引き上げて、沖まで運びました。体力を消耗して体温も下がると、僕の狂気の火はいくらか小さくなりまして、途端に自分の奇行が恐ろしくなり、また、ようやくその時に、自分の行動が奇行と表現されるような唐突なものであった事を理解しました。その奇行に、弁解出来る余地はありませんでした。ただ、地に額を擦り付けてでも謝りたいと思いました。この時、僕は彼に許されたいという思考に心を灼いていて、自尊心というものはすっかり塵と化していたのです。しかし、彼は咎めるどころか、「やんちゃ」だと言って笑うのです。それはお誂え向きな勘違いでしたので、僕は便乗する事にしました。塵になったと思われた自尊心でさえ、好都合を否定して自らを貶めるような事までは出来なかったのでした。どこまでも愚かなのでした。
    バッグには明日の分の服を詰めていたので、それに着替えている間、彼は髪を梳かしていました。常から彼は前髪をかきあげたスタイルでいるのですが、海に濡れてからそれを固めるためのワックスが落ちたのか髪はへたりと下ろされていて、彼を幼く見せました。そうして僕は正気を取り戻しまして、空腹に気が付いたのです。既に、昼食時というには少し遅い頃になっていました。僕はその旨を彼に伝えました。すると彼はまるでその時を待っていたように表情をからりと光らせて、その計画について具に言うのです。どうやら何らかの受け売りのようで、宛らバスガイドのような素振りで僕を連れて行くのでした。

    海に面した道路の向かい側に、緑の看板で可愛らしいテラスを構えた店があります。ハワイアンで清潔な内装のレストランでした。彼は僕に甘い物は苦手でないか聞いてパンケーキとエッグベネディクトを一皿ずつ注文しました。平日の割に、店内は賑わっていました。四方から人の音が飛び交うのに恐縮していたところ、彼は僕を静かに見つめて、あっと小さく叫びを上げると、
    「こういう店は苦手だった?」
    と僕に尋ねました。彼と僕は性癖がよく似ていました。つまり、僕は思うのです。彼自身、こんな賑賑しい店は苦手でしょう。よく彼を見遣れば、その素振りはどこか落ち着きに欠けていて、首を回すやら、爪で机を叩くやらしているのです。常であればわざわざ容喙しようとまでは思いませんが、今回において、彼のそれは矛盾しているのです。僕は慮って、とうとう、この店の何が良いのか尋ねました。
    この不躾な質問に、彼は拍子抜けした顔をして、ケタケタ笑ったかと思うと、きらびやかで、憧れるじゃないかと答えました。その時の彼が、僕には眩しく映りました。彼の言うような類の憧れが、僕にも確かにありました。派手やかで在りたいという世俗的欲求は、僕にも例外ではなかったのです。しかし、僕はそれを、まるで卑しい欲求に感じて、また、自分はそんな性質ではないと思い、生活を自重していました。今、彼を見て、これまでの僕はさながら植物のようであったと思いました。日々を繰り越していくにあたった向上心というものが僕にはなかったのです。正確に言えば、その向上心について実現しようとする意思を失っていたのです。
    ようやく、僕は目が覚めました。途端にこの状況が愉快に思えます。サービスの一つにしても、こんな風に、非日常の提供に気を配った店に来たのは今までに一度としてなかったのです。僕の普段の外食というのは、孤独で、それも、贅沢をするようなものではなく、出先での空腹を満たすためにありました。現在、対面には彼がいて、洒落た盛り付けがされた料理を、この煌びやかな店内で待っているのです。とにかく全てが初めてだったのです。僕の声は弾みを帯びて、思わず大きくなっていきます。その声もここでは数ある音のうちの一つでしたから、浮ついた気持ちを冷やかす人はいません。彼は内で何を思っているのか知りませんが、その笑顔は柔和なものでした。素振りこそ落ち着きに欠けていましたが、今の僕にはそれも料理が到着するのが楽しみで抑えきれなかった感情の発露に思えるのです。彼は決して、この店の居心地が悪くて疼いていた訳ではなかったのです。僕は悪いことを尋ねたと思いました。彼は見事でした。ずっと前から彼は僕より一枚上手でして、しかも、蔑むでもなく、笑顔と一枚の言葉で見事、僕を諭したのですから。僕は今更携帯で調べまして、ここが名の知れた店であることを知ると、先程待ち時間も無しに入店出来たのは彼の計画のためであったと知りました。僕がこの旅のための荷造りをしたのは前日の夜でした。また、僕達は江ノ島駅で落ち合ったのですが、そこに向かうための経路を調べたのは今朝でした。一体彼は、この旅のためにどれ程の時間を割いたのでしょうか。その上、彼はその苦労を一口も零しませんでした。純粋にこの旅を楽しもうとする姿勢でいるのです。なんという好青年でしょうか。
    さて、食事が運ばれますと、彼は可愛い可愛い、美味しそうだと繰り返し、前髪をダッカールで留めまして、爛爛した表情を顕にしました。僕は運ばれたそれを見て、思わずぎょっと、目を丸くしました。メニューに貼られている写真はいくらか見栄えを良くするために誇張されたものだと思っていまして、エッグベネディクトについてもそうなのですが、まさか、こんな具合にクリームが聳え立つパンケーキが本当に出てくるなんて思わなかったのです。「聳え立つ」なんていうのも比喩では無いのです。お互いが取りやすいよう皿を机の中央に引き寄せた時に、その胴の長いクリームが振り子の要領で大きく揺れまして、僕はひやりとしました。恥ずかしい話ですが、僕にはこれのいただき方がさっぱりわかりません。敷かれたパンケーキを取ろうとしたなら、このクリームはすぐ倒れて、この、彼が可愛いと言った盛り付けを崩してしまうでしょう。誰かに習おうと思い辺りを見渡すも、答えはどうやら見つかりません。僕は最初からこんな店に似合わなかったのでしょうか。ああ、何を逡巡しているのでしょうか、恥ずかしい。皆さんにとっては取るに足らない問題であろうこの事が、僕にとっては、今までの籠りきりの生活を浮き彫りにするようで苦しいのです。深呼吸をしまして、その拍子に手を合わせて挨拶すると、エッグベネディクトだけ取り分けて皿に載せまして、彼までは悲しませたくない一心で、美味しそうだと笑ってみせます。これは、嘘の言葉ではありませんでしたが、今の僕の情緒を表すものとしては虚なのでした。どうやら彼は目の前の料理に夢中でそれに気が付きません。彼はご機嫌なままで、気前でも良くなったかのような口振りでパンケーキも取り分けてやろうと言いまして、ナイフとフォークとでその上のクリームを横に倒しました。瞬間に、僕の問題は解決したのです。僕は安堵しました。なんと呆気ない。
    彼が取り分けたパンケーキを食べると、ついに堅苦しい笑顔をやめて、ゆるゆると口の端を歪めると、笑窪を浮かべたらしいのです。彼は指を鳴らして、チャーミングだなと僕にウインクを送ります。僕は途端に照れくさくなって、料理をいっぱいいっぱいに頬張ります。本当の軟派者というのは、彼ような人の事を言うのではないでしょうか。軟派者というのは、「愛されている」という勘違いを相手にもたらす才に富んでいるのです。そんな巨悪に、彼はよく似ています。つまり、僕はなんだか、彼が僕に好意を寄せているように思えてしまうのです。彼が、同級生の女子の間でよく話題に挙がることを僕は知っています。今、僕は彼女らよろしく、女々しく照れくさる他にどうしようもありませんでした。彼の産まれながらの才に、凡人である僕はひれ伏す以外に術が無いのです。ならば甘んじてこの感情を、ここに「ときめき」と書きましょう。

    さて、僕達は昼食を終えると、さっさと店を出ていってしまいました。それは、前日の会議で決定していた目的地に向かうためでした。片瀬江ノ島駅の方面までバスで向かいまして、徒歩数分で到着しました。新江ノ島水族館です。僕達は最終ののイルカショーに間に合いたくて急いでいました。ようやく到着したかと思うとどうやら開演前でして、随分後方ではありましたが、共に席に着くことが出来ました。会場は海の上に建てられていまして、この席では水平線まで臨む事が出来たのですが、こう寒い季節ともなると日も短いようで夕暮れが見えました。その視線の端には丁度彼が居まして、茶髪を陽に透かして黄昏れる横顔が不意に映ったのです。それがとても綺麗で、少し、時間が止まったように思えました。気が付いて、咄嗟に目を逸らしたのですが、どうにもその動きが彼には不審に映ったようで、次には彼の方からひらりと僕の視界に現れたのです。僕はまごついてしまいまして、真直ぐに白状してしまいます。
    「その茶髪が陽の光に透けるのが、良いと思ったんだ」
    嫌なポエムみたいで小恥ずかしく、即座に僕は付け加えます。
    「僕も、髪を染めてみようかな」
    「どうかな。その黒髪だって綺麗じゃないか。よく似合ってる」
    なんと彼は、僕のそれなんかより余程キザな一文を紡ぎました。どうにも、彼が発するとその一文さえ重みを持つのです。好意の色眼鏡をかけているからでしょうか。とにかく、僕は瞬間にしてこの髪を梳かしてあげたくて堪らなくなりました。ああ、なんと美男子であるというのは得なことでありましょうか。
    そのうちに、ショーの開演を知らせるアナウンスがされると、会場は沸騰して会話は尻切れとんぼに終わります。しかし、未だに僕は良い櫛を買ってみようだとか、そんな事を考えているのです。なんと言えば良いのでしょうか。この想いはまるで、刹那的な恋心に似ているようで、そのくせ、将来に酒を酌み交わすようなソウルメイトになりたい気持ちにもさせるのです。僕は自分がわからなくなって、どうにかこの想いに名前をつけたいと思います。そして、前者に決めたのです。
    僕は覚悟を決めたように顔を上げまして、イルカが跳ぶのを見ました。宙ではなよやかに、水では勇敢に駆けていくその姿は、ただ真直いだけでは表現出来ない領域の強かさというものに肉迫するようでした。僕の背中は引っ叩かれた感じで徐に熱くなりまして、はっとして背筋を正すと、僕は彼の手首を捕まえまして、すごいね、すごいねえなど幼子のように言うのです。如何せん熱が入っていましたから、相当な力で彼の手首を握ってしまったと思うのですが、振り払われる事はありませんでした。前述の通り、僕達は賑々しい場所を好まない質ではありますが、こうして歓迎された賑やかさであれば、不思議と悪い気はしないようなのです。確かに、彼は良いとも悪いとも言いませんが、その横顔には笑みが湛えられていました。
    彼はショーが終演しますと、ようやく僕が手首を握っていた手を解きまして、鮮やかに拍手をします。半ば夢心地の僕でしたが、彼のそれに気が付くと慌てて拍手をします。そして、おおよそ人が掃けると僕達は館内を回りました。彼はずんずんと歩みを進めます。川魚だとかの小さな展示は通り過ぎていきます。僕も端から、律儀に全ての展示を観ようとは思っていませんでしたから、彼に同伴するのですが、ある時、ぴたりと彼の歩みが止まります。彼は大きな水槽にぴゅーっと駆け寄ると、見ろよ、と僕に言うのです。その水槽にも何種類かの生き物がいましたから、どいつが気になるの?と訊ねました。彼は遠慮無しといった様子で、その生き物にズバリ、指差して、ウミガメだと答えました。好きなの?と訊ねましたが、彼は、惜しい、などと言って用件を話そうとしないのです。僕はもどかしくなって、順路に引き返そうとするのですが、彼はどうしても僕を引き止めます。とうとう彼は、わかった、わかったと苦笑して、ついに言い出さんとします。それは彼のとっておきのように思われて、僕はじっと彼の瞳の奥にある、その真相を睨むように眉を顰めました。
    「産卵するウミガメが流す涙は実の所、生理的な涙なんだ。なんなら、卵を産む時だけでなくって、塩分濃度の調整のためならいつだって涙を流すのだと。『嘘の涙』とも言われるのだけど。……一体何において嘘だと思う?」
    「悲しみの記号において?」
    「そう。でも、涙を悲しみだとか、苦しみだとかの記号にしたのは俺らの都合さ。それでいて嘘だとか、もしくは感動的だとか言うなんて、身勝手じゃないか?その点において、ウミガメのそれは生命的にイカした進化さ」
    「じゃあ、ドラマの涙は愚か?フィクションの涙は記号的?」
    僕はしまったと思いました。しかし、恐ろしくて聞かずにはいられないのです。彼の答えは明白でした。
    「そうかもな」
    彼は呆れたように頭を掻きました。僕は、素敵な夢から覚めた時のようなやるせない気持ちになって、
    「……薄情者!」
    と叫びますと、泣けてきて、え、え、と嗚咽を漏らしてしまうのでした。
    この一件のために、足早に僕達は水族館を去りまして、コンビニで夕食を調達すると、ホテルのチェックインを済ませました。それは安価なビジネスホテルでして、居間も五畳程度で手狭です。彼がシャワーを浴びている間、僕は布団を敷いてあげていたのですが、どうしても、荷物の場所を確保すると隣合わせになってしまうので、気不味くて少し困りました。

    翌朝、僕は七時過ぎにゆっくりと起床したかのように思われましたが、実際はもっと早起きだったのです。時間こそ確認しなかったのですが、曙の頃だったと思います。僕は、水の打つ音で目を覚ましました。トイレかと思いまして、僕は布団から這い出て、洗面所を覗きました。そこには確かに彼が居ました。彼は、PPシートを開封していました。そして、薬を携えた手のひらを口に宛てがったかと思うと、水でそれを速やかに飲み下して、ふう、と息をつきました。そのとき、僕は全身が粟立つように興奮して身震いし、声を漏らさんようにと下唇を噛み、その前歯の隙間から温い息を吐いていました。これは僕の悪趣味なのですが、もし、彼の身体やこころに悪いところがありまして、そこに付け込む自分を想像しますと、そうせずにはいられないのです。彼の不運を祈るつもりでは決してありませんが、もし、彼が悲しみに打ちひしがれて、それを僕に吐露するような事があれば、僕はまず、喜ぶのだと思います。なんと呆れた性癖でしょうか。
    その後、僕は布団に戻りましたが、目を閉じたり寝返りを打ってみたりするだけで、どうも眠りにつかないのです。頭に熱がこもっている感じがして、大きな声を出したい気もしました。そうしていると彼が布団を畳むのが聞こえて、ようやく目を覚ますふりをしたのが七時過ぎでした。彼が身支度をしている間、僕はこっそり洗面所へ向かいますと、ゴミ箱を漁りました。ああ、なんて気持ちの悪い生き物なのでしょう。どうぞ、笑ってもらって構いません。それほど、僕は彼の病状が知りたかったのです。そのために、PPシートの殻を探しましたが、とうとう見つかりませんでした。

    片瀬江ノ島から早雲山まで出ますと、箱根ロープウェイにて大涌谷を目指しました。僕はゴンドラを吊り下げるロープが何とも細いのが気掛かりでして、踵を浮かせて変に行儀良く座ります。窓から鳥瞰しますと、猛々しい山肌から白煙が立っているのが見えます。進むごとにそれは濃くなりまして、そのうちに、ゴンドラは煙の中を走っていました。白む景色に彼がふと、「大地獄」と言いました。僕は、彼がビデオを撮影している事に気が付きました。投稿するの?と聞きますと、彼は首を横に振りました。単なる旅行記だと彼は答えます。そういえば、昨日にもこうして彼は度々景色を撮影していたように思います。見せてもらった彼の携帯のアルバムには「旅行・神奈川」というフォルダがありまして、記憶の布を継ぎ接ぎしたように、短いビデオが数件保存されていました。確かに、彼は小忠実な人でした。僕には、彼の字がとても綺麗であった事が思い出されます。
    それは、日直を担当したある日の事です。僕は日誌を渡されました。僕は横着して、特に無しと大きく書きました。実際、毎回同じように授業をするのですから、具に書く事などないのです。退屈しのぎに僕は、クラスメートの字などを見ていました。思いがけず、端正に記録がされたページを見つけまして、僕は、なんて生娘のように美しい文字だろうと思いました。確か、その日付の日直が彼でした。(男の字と知って少し落胆しました。)僕は御幣担ぎでこそありませんが、文字に人柄が現れるといった筆跡学を、嘘だとは思えないのです。僕は、彼こそが、純真に真面目な人間の唯一に思えるのです。旅行記という発想は、そんな彼の性癖を表すようでして、僕は、彼には敵わないと思いました。丁度、眠気を飛ばしたかのように、景色が明瞭になりました。間もなく、乗降口が開かれます。

    駅にて昼食をとったのですが、その時僕は、窓越しに見えた大地の様相に、大涌谷がかつて「大地獄」と呼ばれていた所以を納得させられてしまいました。そして、どうして皆様は平気な顔で食事が出来るのだろうと不思議に思ったのです。僕には、自然を畏れない人の気持ちが全く分かりません。なぜなら日本人というのは、天災の恐ろしさを幾度と経験してきた国民にありましょう。脅威的な自然が面前にあるのならば、寡黙でいなければならないのです。ともすれば、皆様の表情はなんと迂闊なのでしょう。その時、僕の心はしめやかで、それでいて怪訝でした。説教をしたいような気でいました。珍しく、料理を残してしまいました。
    その後、僕は広場へ出て、カフェオレを買いますと、それを片手にどこに行くでもなく歩き回って、望遠鏡で噴気孔を鑑賞したり、一眼を取り出したりしてそれなりにこの「大地獄」を楽しんでいたのですが、彼はとうとう退屈そうにして、一人、ベンチに座り込んでしまいました。仕方ないので駅を出ました。そして、ジオミュージアムという地学博物館に入りました。僕はすぐつまらなくなりました。何が悪いのではなく、何も関心事にならないのです。演出のためでしょうが、館内が仄暗いのも、僕を意気消沈させました。僕は彼がじっと展示を眺めている間に、二周三周と館内を回るのですが、どうにも彼は進みません。耐えかねて、まだか、まだかと急かすのですが、彼はその度に、もう少しだと言うので、僕は地団駄踏みました。その姿が見るに堪えたようで、彼はあと五分と言いました。結果、十分待って退館しました。

    大涌谷の黒たまごは、一つ食べれば寿命が七年伸びると言われています。その殻を剥きながら、彼が、
    「七年は長いよなあ」
    と呟きました。僕は、その途端に手を止めました。そして、何かが出そうに口をまごまごとさせるのです。何を思って彼がそう言ったかは分かりませんが、確かに、七年も与えられたところで何が出来ようか、僕には算段がつかないのです。長生きが美談であろうとも、僕の場合はきっと、延命された七年を不毛に消費して、何一つの功績も残さないまま醜く老い腐れていくでしょう。凡人の七年は本当に長いです。うっかり長生きしようものなら、思想が変わります、容姿が衰えます、頭が呆けて、感覚が鈍ります。「老いてなお華盛り」などという言葉があります。ただ、僕がそれについて言いたいのは、老人だから高雅であるという訳ではないという事です。つくづく、人生というのは蓄財した者が輝くように出来ていると思います。ああいう人達は、若い頃とて高雅なのです。そういう訓練をされてきたのです。
    今、肩肘を着きながら卵を食べている彼ですが、若いからこそ、礼式に倣わないそれも格好が付きましょう。歳をとってその容姿の美しさを失えば、まるで品行無しのようだと僕は想像します。僕は、そんな彼を見たくないのです。僕は彼に、早めに死んでくれ、若く美しい内に死んでくれと思いました。七年は長い。そう言った彼の血に、もし、一滴でも死を希求する想いが流れているのであれば、それが彼を突き動かしているのであれば、なんて素敵なのでしょう。
    「ああ、七年は長い」
    僕は彼の言葉を繰り返しました。
    余した黒たまごを包みながら、まだ下るには早い時間だと気付きました。食べ歩きなどもしましたが、満腹になったのでやはり駅に戻りました。夕方も過ぎないような中途半端な時間でして、ロープウェイは貸切でした。この時、僕は鈍感になっていたと思います。唐突に、彼にカメラを向けられてたのを、僕は嫌がるでも恥ずかしがるでもなく、ピースサインをして笑ってしまいました。後に見せてもらったその写真の僕は、間抜けの顔をしていました。僕が知る僕の常の顔というのは、険しく陰気なものでしたから、可笑しくなってしまいました。

    そして、ロープウェイに乗っている間に、随分日は沈んでしまいました。間もなく夜になってしまうのでしょうか、秋というのはこんな具合に、僕を物悲しくさせます。夜というのは悲しいです。帰路というのは悲しいです。僕はあんな愉快な昼なら、ずっと昼でいいと思います。忙しい昼は確かに苦しいです。そんな常においての夜は、小さな救済だと思います。夜の唯一の欠点は、融通の利かない頑固者だというところです。僕が生活の苦難から抜けて昼を愛したところで、必ず夜は訪れます。僕は、どうしても昼に留まっていたくなりまして、早雲山にて立ち止まり、彼を説き付けて温泉へ向かいました。
    バスタオルも持参していない上に、コンビニすらまともにない土地でしたから、余計にぐるぐると歩く事になりましたが、施設はすぐ近くにありました。案内も無くひっそりと、それでいて唐突にその施設はありました。一見、民家のような店構えでして、地図を読み違えたかと思いましたが、恐る恐る覗くと懐かしいような渋い木造の景色が見えました。どうやら老舗のようで、僕達のような若者は目立ってしまって居た堪れないような気持ちになりましたが、湯は本当に良いものでした。ほんのり鉄っぽい匂いのする湯でした。内はコンクリートとタイルで冷えていました。僕は眼鏡を外していたので、よく見えず彼に介抱されていました。実のところ、段差も判別出来ないほど、僕の近眼は酷くなかったのですが、眼鏡を外してぼやけた湯けむりに見入っていたのが、彼には危うく映ったのだと思います。何が楽しくて、裸で男の腕なんか掴まされるのだ、と悪態も吐きたくなりました。まるで、男色家みたいに見えるじゃないか。それこそ、まるっきり誤解だと言えるのであれば開き直れもするでしょうが、僕はどこか、そういう意味で彼の事が好きです。悪態を吐きたいと思う気持ちの裏側に、心配性な彼への愛おしさが鳴りを潜めていました。とうとう僕は、ため息をついてしまいます。それでいながら、僕は彼の裸を注視せずにはいられませんでした。弁解をさせてください、僕は決して好色の目で彼を見ている訳ではありません。誰だって、それに気付けば彼の裸を注視してしまうと思います。ほおら、よく見てください。彼の上膊を、腹を、太腿を、脛を。彼ってば、そんなにおっちょこちょいだったかな。なんて、彼の身体に、いくつも痣があるのです。傷んだ野菜みたく、斑に黄ばんだ痣がいくつも。僕は嫌な予想が浮かびましたが、問い質すにも慰めるにも、息が喉仏の辺りでせき止められて、言の葉の一枚さえ用意出来ませんでした。
    思えば彼も、今までに一度として僕を問い質した事はありませんでした。途端、昨日の昼に、僕が彼を海に沈めた事件について、咎められなかった事が不審に思えました。彼は勘の悪い人ではありませんから、嫉妬に狂った僕の表情を見れば、間違っても「やんちゃ」だなんて感想を持つ事はないと思うのです。きっと、僕達の関係は、今までもこうして保たれてきたのだと思います。争いを嫌う僕と、それによく似た彼。僕はその間にある壁がもどかしくて、彼を欲しがっているのでしょうか。僕は今朝、彼の病状知りたさに、惨めたらしくゴミ箱まで漁りました。僕は、どうしても彼の胸の内を看破したいのです。その上で結ばれたいのです。どうしようもなく、恋をしているのです。しかし、沈黙する事が長く幸せでいられる術である事に、僕は薄々気が付いていました。最も恐れるべきは、この関係が壊れる事でした。僕は、一秒でも長く、この温い幸せに浸かっていたいのです。僕は、天井を仰ぐのに逃げました。彼はこれからも、痣をつくるような環境に晒されるでしょうが、これは、彼自身の問題なのですから。僕は、彼の付き合いなんて知りません。家庭で何か?部活動で何か?はたまた、恋人がいたっけな。そんな浅はかな心配が何になりましょう。これは、僕が加担して解決出来るほど簡単な問題ではないのです。なんて、屁理屈を並べる事で、一生懸命自らを宥めているつもりでしたが、それも叶わず、僕は吐きそうなほど嫌な気分でした。今、そこで傷付いているのが彼でさえなければ、僕は甘言をいくらでも紡ぎましょう。その一枚でも彼に差し出す勇気が出せたなら、どれだけ心は軽くなるでしょうか。

    唐突ですが、僕の中学生時代の懺悔を聞いていただけますか。僕はその頃、ひどく傲慢な生活を送っていました。というのも、僕は人よりいくらか勉強が出来たのです。しかし、災難だったのが僕が怠惰な人間であった事です。その上、当時は怠け病のようなものを拗らせていたので、学校に通うのも面倒になりまして、週に三日ほどは通学路を抜け出して、何をする訳でもなく無断で欠席、遅刻するなど、素行不良の生徒でありました。ただ、通知表の評定はそれほど悪くもなかったのです。なかなかどうして、まともに勉強した訳でもないに関わらず、試験の成績は人より優れているようでした。勿論、更にその上はいるようでしたが、僕のように、不良生徒でありながら成績の良い生徒は他に例がありませんでしたから、寧ろ、僕は期待されていたのです。僕には突出した特技も愛嬌もありませんでしたから、その体験は、これ以上ない程の承認でした。この時、もっと僕の怠惰を叱ってくれる人がいれば良かったものを。とにかく、僕はその体験により、かつてなく自恃的になっていまして、ついに切磋を忘れてしまったのです。そのうち、三年の受験期に差し掛かるようでしたが、生活は変わらず入学試験の時まで過ごしていました。尚の事評定は悪くなかったので、公立の所謂進学校に出願したのですが、当日の試験を落として不合格になりました。幸い、併願した私立の合格を得ていたので、高校へ進む事は出来ましたが、僕は擦れました。酷く擦れました。不合格を中学校へ伝えた時、僕は運が悪かったと言われました。どうやら、未だに僕は敬われている様子でして、かえって僕は自らの愚かさに気が付いてしまったのです。この結果が、僕の因果応報だという事を、僕という人間の行いを顧みた時、僕自身が一番分かるのです。それでいながら今こうして、不合格の結果を力量不足でなく、運のせいにして貰えたという事に、僕は安堵しているのです。眉頭が震えてきて、額が汗ばむのを拭うと、油っこくて、指先がぬるついた不快感をよく覚えています。
    高校一年生。春の匂いも消え始めて、桜の花びらが茶色く散らかる頃。僕は嫌になりました。恥ずかしながら、自殺未遂をしました。経過観察のため、一週間ほど入院をしました。両親によって「入院をしている」といった旨だけが学校に伝えられた結果、千羽、とまでは言えませんが、数十の折り鶴を綴じた物が送られてきました。どうやら僕は、病人と勘違いされたようでした。(あながち間違いでもないのかもしれませんが)折り鶴の翼にはそれぞれ鞭撻する様な託けがありまして、とはいえ自己紹介だけ残して入院したような者に宛てたものですから、どれも異口同音的な言葉でしたが、一羽だけ、素敵な言葉が書かれた鶴がありました。僕はそれを、今でも自室の引き出しに保管しているのです。
    「退院したら俺がノート見せてやるよ」
    これだけは唯一、他人事らしい調子がなく、入院中の傷心に柔らかく沁みたのです。線の細い綺麗な文字で書かれていました。確証こそないのですが、この文字はきっと彼のものだと思うのです。この様な無垢で、細やかな言葉の重みを、他の同級生に見出せた事がないのです。それに、彼が実際に美しい字を書く人である事を僕は既に知っています。また、彼にシャーペンを借りた時、それは、三ミリの芯だったような覚えがあります。
    ただ、これら全てが真実とされて、否定の余地無しにこの言葉が彼のものだとされたのであれば、彼は、人の弱みを慰むための術に詳しすぎると思います。彼の言葉に救われてきた僕の弱みが数多である事に、僕は懐疑心を抱えているのです。彼はずっと、非常に優しかった。しかし彼は、自分について多くを語る人ではありませんでした。よって、僕は彼の事をあまり知らないのですが、もしかして、彼の優しさは、虐げられている自らが救われたかった願いの発露なのではないでしょうか?彼は気丈な人に見えますが、さては、僕と彼は性癖だけでなく、内面まで同類なのでしょう?

    さて、話を戻しましょうか。僕達は小田原に旅の荷物を預けて、前日に、その周辺のホテルを予約していました。早雲山から小田原までは一本のバスが出ています。それの最終バスが早いため、冷えた夜道に湯冷めしながら、小走りでバス停へ向かいまして、どうやら間に合ったようでした。車内は、観光客の声とエンジン音とでざわついていまして、その中で、僕は彼に一つばかり問い掛けてやろうと思っていたのです。それは、まるで独り言のような声色でして、あっという間にバスの排気音に消えていくのでした。
    「死を望んだ事があるだろ」
    そう訊ねました。僕がこれを言うのに声を小さくしたのは、自らにとっても痛むところがあるからでした。僕は自らの内面を看破される事は勿論、自らを開示することについても嫌っていました。人の希死念慮について興味を持つ人間は、往々にして自らも死にたがりでしょう。僕は今、自らが死にたがりであると打ち明けたのです。その恥ずかしさを打破して、僕に火蓋を切らせたのが先程の彼の身体の痣だったのは、僕自身で分かっていました。彼は死を望んだ事がある。この仮定が真実とされたなら、どれだけ僕は救われるのでしょうか。今、僕が彼に描いているのは、天上から下ろされた蜘蛛の糸なのです。その糸を掴んで、僕は彼の内側を見られる所まで上りたいと思いました。車内の蛍光灯は古く、灰色のように見えました。僅かな明かりにぼうっと浮かび上がる彼の肌が、夜にあてられて青いのが印象的でした。また、彼の返答は僕の願いを叶えるものではありませんでした。
    「生きたいと思っているさ、ずっとね」
    糸がその瞬間、夜闇の中で見えなくなってしまいました。焦った僕は、口走ります。
    「僕、一年生の頭に入院しただろ。未遂したんだ。僕は今でも死んでもいいって思うよ」
    どうしても彼に「死にたい」と言わせたかったらしい僕は、卑怯にも自らの過去まで売りました。恥というものを捨てると、僕はこんなにも醜い人間になれるのです。この時にはもう、彼の本心がどうであれ、たとえそれが同情の念であろうと、彼の声で死にたいという言葉が聞ければそれで良かったのかもしれません。気が付くと僕は、半身に構えて、彼を上目に睨めつけるような目付きでいました。それは僕が小柄なためではなく、もっとも、脅迫的な意味合いを持つ目でした。一方、彼はそれを断るように顔をバスの行く真っ直ぐへ背けると、座り直して言いました。
    「死んだ方が良い、と思う事はある」
    「死にたいのと、それは、何が違うの?君だって死にたいんだ」
    僕が話している途中に、彼は目線だけをじろ、とこちらに向けて、僕の両手を重ねたのをその両手で挟んで、僕の言葉が途切れた刹那、
    「言うな」
    とだけ低く、嗄れた声で言いました。それから、僕達は目的地の小田原に着くまで一言も交わせませんでした。この時ばかりは彼の身体に触れるのが恐ろしくて、僕は車窓に身を寄せて縮こまっていたのです。荒いアスファルトに車体が揺らされる度、僕の頭は窓に打ち付けられて、鈍く、ゴン、というのでした。
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