第一章
──オマエとの家が欲しいのだ。
突拍子もなく放たれたその言葉が、今も頭の中で反響している。あっちじゃ領地争いなんて微塵も興味なかったくせに、こっちに来た途端に欲しがるなんざ笑わせる。
だが、まあ。その提案を嫌だとは感じなかった。故に、バールベリトは現在進行形でこの場に座しているわけで。
「お金の稼ぎ方を知りたい?」
「おう。なんか良い方法知らねぇ?」
「うーん、そうだな……」
家が欲しい。じゃあ買うか。その二言で完結できれば楽なものだが、実際はそう上手くはいかない。当の発案者がどこまで考えていたのかは知らないが、家を手に入れるとなるとやることは山積みだ。
土地を得るには対価が不可欠。つまり、こっちの原始的な物々交換システムに合わせて、金を用意する必要があった。メギドラルでは一等価値のあるもの──フォトンをそれなりに所有していたとしても、ここヴァイガルドにおいては全くの無一文に等しい。金を、まずは金を手に入れなければ。そうしないことには、なにも始まらない。
しかしバールベリトがこの異世界について知っていることは、決して多くはない。だからこそ、初めてゲートを通り抜けた時。まるで海を浮かべたような空の青を見た、柔らかに揺れる若草の音を聞いた、堂々と横たわる地面を踏みしめた、その時。言いようのない情動が身体の内から湧き上がった。戦場で強者と会敵したような、新しい作戦が上手く嵌まりそうな、そういうワクワク感。知らない土地、街、文化。それらを直接自分の目で見て、感じて、確かめることを楽しみにしていた。まあ、そんな異世界の旅路の出端はあいつによって挫かれてしまったわけだが。
閑話休題。つまり、バールベリトはヴァイガルドでの金の集め方などこれっぽっちも知らなかった。であればどうするか。それはもちろん、ヴァイガルドのことはそこで暮らしている種族──ヴィータに知恵を借りるのが良策だろう。
と、いうわけで。ソロモン王に意見を仰いでいる真っ最中というわけだ。立場上、彼はメギドたちから相談を受けることがよくある。それこそ、なかには仕事のことやお金の稼ぎ方について聞かれたことだって。しかし、まさかバールベリトからその手の質問が出てくるとは予想してなかったようで、かすかな困惑をその顔に滲ませていた。
「少しでよかったら、軍団の仕事をしてくれた時に出してるけど」
「そうなの? あー、そっか。こっちじゃ報酬のフォトンがそれに値すんのか」
「お金のためにやってるわけじゃない、って言ってくれるメギドも多いんだけど……せっかく軍団に貢献してくれてるのに、無報酬ってわけにはいかないだろ?」
「ふぅん……」
「まぁでも、そういう感謝の気持ちを形にしたい時は、お金じゃなくて贈り物を渡すことが多いんだけどな」
「マジで? オマエってヴィータのくせにちゃんと軍団長してんだな」
贈り物。それはメギドラルにおける報酬の一環ではあるものの、ただの報酬とは異なる意味合いを含んでいる。感謝、信頼、称賛、期待。部下の欲しがっている物を通して、それらの複雑な意を形にして贈る。ずっと昔からあるメギドラルの習慣だ。バールベリト自身にも覚えがあった。もうずっと遠い過去に。たった一度だけ。
それを異世界出身のヴィータが実行しているとは。少しばかりの驚嘆、だが同時に納得もしていた。なぜなら、軍団長との信頼関係は部下の強さに直結する。あの時の砲撃戦で感じた手強さの一因は、ソロモン王のこうした部分にも宿っているのだろう。報酬を度外視して慕っているヤツらがいるのも頷ける。
金の授受はともかく。バールベリトも召喚を受けた身だ。贅沢な面子が揃った軍団に所属することになった以上、きっちりと仕事はこなすつもりである。
「でもまぁ、できれば軍団とは関わらねぇやり方を教えてくれよ。こっちの世界がどんなもんかも見てみてーし」
「なるほどな。そもそも、バールベリトはなんでお金が欲しいんだ?」
「あー……家、を買おうと思ってんだよ」
「家を⁉ 住む場所だったら、アジトの空き部屋を使ってくれていいんだぞ?」
「だよなぁ。俺も最初はそう言ったんだけどさぁ」
確かにヴィータはあちこちに街を造って定住しているらしいが、自分たちには不向きではないか、と少なくともバールベリトは考えていた。だってここは未知の広がる異世界だ。一所にとどまるつもりなんてない。そんなもったいないことを、俺とあいつがするわけがない。
それに、たとえ休息を取るとしても、旅に出れば先々の街や村での滞在や野宿の方が中心となるだろう。わざわざ家を探さなくとも、ソロモン王の言った通りアジトだってある。だというのに。
「もしかしてだけど、エウリノームとなにか関係あるか?」
「……なんでそう思うんだよ。合ってるけどさ」
「ちょっと前になるかな、エウリノームも似たようなことを聞いてきたんだ。なにか仕事を紹介してくれ、って」
「はぁ⁉ あいつ勝手に……なぁ、他になんか言ってた?」
「いや、特になにも言ってなかったよ」
異世界の地にいようが、相変わらずの行動力の高さだ。相談の一つすらよこさず、独断で、自由気ままに流れ動く。こうなると捕まえるのは一苦労だろう。バールベリトは経験に裏打ちされた溜息をついた。
本当に、なにがそこまであいつの関心を引いたのか。多分、いやほぼ確実に使用する機会は多くないだろう。そんなものを、わざわざ対価を払ってまで手に入れる意味とは。
アジトがあるだろう、という進言に対してエウリノームはこう答えた。「あれは軍団の拠点であって、家ではないだろう」と。あの時の、オマエはなにを言っているんだ、とでも言いたげな表情ときたら。
「それにしても、家って二人で一緒に住むための家って意味だったんだな」
「べっつにー? あいつがどうしてもっていうから……おいテメェ、なに笑ってんだ」
「ふふ。いや、やっぱり仲が良いんだと思ってさ。あの時の戦場でも……」
「仲が良いとか悪いとか、そういうんじゃねぇよ」
家を買うこと、そこに二人で住まうこと。そしてあの時の戦場で聞いた、充実した楽しい暮らし、というやつも。要領を得ない発言には口を挟んだりしたものの、バールベリトは最終的にはいかなる提案にも否定の言葉を吐かなかった。
あいつとの関係は仲の良し悪しで測れるものではない。始まりはただ、共に在るのが悪くないと感じただけ。そう思い続けて、早数百年。フライナイツという組織をやめて、団長と副団長の関係じゃなくなってもそれは変わらない。まあ現在でも、エウリノームの方は事あるごとにバールベリトを副団長扱いしているのだけれど。
「どんな家にするかは、もう決めてるのか? 場所とか大きさとか」
「なーんも。ただ、領地っつーのはメギドラルでもそれなりに価値があるもんだからな。相応の対価が必要なことはちゃーんと理解してるぜ。ったく…こっちでもぶっ倒して手に入んなら楽なのによ」
「一応言っておくけど、そんなことしちゃダメだからな?」
「しねーよ。つか、話がズレたな」
「ああ、お金の稼ぎ方についてだったよな。確かに家を買うってなるとそれなりの額が必要になるし、外で仕事を探した方がいいと思う。あとは物資を売るって手もあるけど……」
バールベリトはヴァイガルドに来るにあたって、荷物になるようなものは全て向こうに置いてきた。戻ろうと思えばいつでも戻れるのだし。ほとんど着の身着のままでゲートをくぐって、持ち込んだものなんて精々ペリビットで使用する道具くらいなものだった。
「物資ねぇ……こっちで価値あるもんなんか持ってねーぞ」
「確か、メギドラルにも宝石とかあるんだろ? そっちじゃあんまり価値はないみたいだけど」
「えー、なんかあったっけなぁ……」
宝探しは好きだ。が、宝自体に興味を持っているわけでない。もちろん、時には珍しいものに惹かれ、嬉々と収集することもある。ただ、どちらかといえば宝を探すという過程自体に意味を見出していた。価値のあるものをどれだけ多く、どれだけ早く見つけ出せるか。そんな競争性を楽しむのが、バールベリトは好きだった。
そうして今まで収集してきた物資のなかに、ヴァイガルドで売れるものがあるかどうか。宝石なら、メトゥス代わりに使ってたものがいくつかあった気がするが。うーん、と斜めに傾く頭の動きにつられて紅が宿ったピアスが揺らめき、きらりと光を放つ。
「他だとそうだな……アクセサリーなんかの装飾品も売れると思う」
「あっ、それ! こっちじゃそれだけを売ってる専門の店があんだろ? おもしれーこと考えるよなぁ。はー、俺も早く行ってみてぇ」
「そういうの好きなのか? まぁ確かに、ピアスいっぱいしてるもんな」
「おう、自分のヴィータ体を着飾んのは好きだぜ……あっ、これはダメだからな? 売らねーぞ」
「わかってるよ⁉ ……そういえば、エウリノームもピアスしてるよな。ヴィータ体を気にするようなタイプに見えないから、なんか意外だ」
「実際あいつはそこまで興味ねーよ。あのピアスだって俺が勧めたやつだし」
ちゃり、と耳元の飾りに指先で触れる。ずっと遠い過去。しかし今でも鮮明に思い出せるその情景が目に浮かぶ。「ほら、オマエの分」と手渡した瞬間のあいつの表情は、きっとこの先も忘れることはない。
「まぁ物を売るってやり方も念頭に置いておくとしても、一定の金額以上は稼いでおきてぇ。選択の幅を増やすためにもな。んで、そうなると継続的に報酬が貰える仕事の方が都合が良い……ってことで、俺にも仕事紹介して?」
「うーん……頼ってくれて嬉しいんだけど、俺も外の仕事についてそこまで詳しいわけじゃないんだ」
「なんだそりゃ。オマエ、あいつに仕事紹介してやったんじゃねぇの?」
「ああ、俺自身はな。これはエウリノームにも伝えたんだけど、酒場には働き場所を紹介してくれる人がよくいるらしい」
「酒場に?」
酒などの嗜好品をたしなむ純正メギドは一定数存在している。その証拠にレジェ・クシオには酒場が存在していたし、物好きなメギドが集まっては酒との会話に舌を潤していた。
ヴァイガルドの酒場がそれと同様であるなら、おそらくヴィータたちもそこへ集まるのだろう。なるほど、仕事の斡旋をするには合理的だ。
「バールベリトも行ってみたらどうだ?」
「んー、そうだな。試しに──」
「金を稼ぎてぇならよ」
一段落しかけた相談事。その流れを変えるように、突如として割り込んだ声。しかし第三者の登場に驚くことはない。というのも、バールベリトがソロモン王との対談の場に選んだのはアジトの大広間だったからだ。
元はこの軍団と真っ向から対立する組織に所属していた身。個室などの閉鎖空間で相談などすれば、後からあれこれ問い詰められるのは目に見えていた。ならば最初から衆目のある場で話せば良い。聞かれたところで、別に困る内容なわけでもなし。
おそらく聞き耳を立てていたのだろう。酔いが染み込んだ足取りで歩み寄ってきたメギドに、三つの眼球が向けられる。
「良いとこがあるぜ? それも、とっておきの場所がなぁ」
──こうして、バールベリトは酒と賭け事の香り漂う話に耳を傾けることとなった。