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    蒸しパン

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    蒸しパン

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    愛癇癪
    マイルドになったぞ!

     討伐は1日1回。それは授業中に呼び出されることもあるし、放課後なこともあるし、真夜のことだってある。それが大変であっても簡単なものであっても、とにかく1日に1度は武器を握る。のは、もう慣れた。
     討伐が深夜だと翌日が辛いのだ。帰ってくるのが2時とかで、しかも動きまくって疲れて、汚れているから風呂も入らなくてはいけなくて。それでも7時半には起きなくてはいけない。
     たまたま、そんな生活が続いていた。深夜に帰って深夜に寝て、ちゃんと朝起きて、ちゃんと学校行って、なんて生活続けてたらそりゃ、どこかで体調は崩すだろう。

    「ぐすっ、……」
     子供みたいな鳴き声。鼻を啜る小さな音が狭い一室に反響する。頭が重くて喉が痛かったからだ。学校と今日は夕方だった討伐をなんとか終わらせたんだけど、終わったらもうダメだったみたい。
     落ちている。精神的に。そして物理的に体も。畳にうずくまっているから。
     冷たくて気持ちいいけど硬くて少し痛い。永墓さんはそうしている俺のことを、なんでもないように見ている。と思う。顔は背けているか実際のところはどうかなんてわからないけれど。
     カリカリと爪で削って畳を毟る。その音だけが頭に響く。外では何かの鳥が泣いていた。少し前、担任にあれはなんだと聞いた時にフクロウではないと言われたのは覚えている。けれど結局何の鳴き声なのかは忘れてしまったな、なんて。
     毟った畳のかけらを寄せ集めていたらぐ、と体を引き寄せられた。

    「おやつ食べるかい?」
    「いらないっす。離してほしいっす」
     俺を小脇に抱えるみたいな体勢。うう、と唸ったらぎゅうっとされた。振り払いたいけど体が重くて力が出ない。ぬるま湯に浸かっているみたいだ。
     こういう扱いは、どちらかというと飼い犬にするそれのように思える。別に、それでも構わないけどさ。
    「離して。部屋行って、みずもってきます、あと薬も、」
    「水くらいここにあるよ」
    「こわいから、」
    「水くらい受け取っても大丈夫なのに」
     あったかい、のに冷たい。神なんてものがよくわからない。このヒトから何かを受け取るのは怖い。このヒトから何かを受け取ったら、もし対価を要求されたら、何も持ってない俺は少ない大事なものすら取られてしまいそうだから。
    「水くらいで何も取らないさ」
     ホラ、と。カップを渡される。重い体を持ち上げて受け取った。飲めば喉を通る感じがして、ああ、これお茶かあ、って考える。飲んでたらまた涙が出てきた。
    「今日の愛はよく泣くなぁ」
    「こわいから、ずっと怖いんです」
    「僕が?」
     このヒトのことは怖くてたまらない。得体が知れないのに優しくしてくれるから、怖いのだ。それから、闇雲に明るい場所に手を伸ばす子供のように、優しさを必死で求めている自分が怖いのだ。

    「でも最初より懐いた」
     べったりと、腕を組むようにくっつけられる。耳に頬擦りされて、俺は必死に顔を逸らした。
    「それは……」
     仕方ないじゃないか。
    「……マシ、だから」
     小さく答えた。俺を抱きしめる腕は動けば動くほど苦しくなる。何故だろう。今日は機嫌がいいらしい。
     このヒトは、いつか俺に対価を要求するだろうか?俺の大事なものを返せと要求するだろうか?それよりはずっと飽きて放っておかれたい。そんな想像が止まらなくて怖かった。
    「今までのことと比べたら永墓さんといることはずっとマシだから、」
     まず、永墓さんは罵らない。食べ方が汚くても、うまくできないことがあっても。馬鹿だ育ちが悪いだの言って来ない。
     タバコを押し付けて来ない、皿もひっくり返さない。機嫌が悪い時の父親みたいなことは、まだされたことがない。
     ぽつりぽつりと呟く泣き言。永墓さんは面白いものが聞けそうだと思ったんだろうか。黙った。口に笑みを浮かべて。
     こういう時愉快そうにされると、ついカッと来てしまうんだ。
    「何度も何度も、犯罪に巻き込まれそうになったんだ。お金あげるって、変なことさせようとして、捨て駒みたいに」
     目を瞑れば思い出してしまう。
    「帰るとこなんてないのに親不孝って。居場所が他にないからそこにいるだけなのにネットとか晒されて、」
     バカにしたような、見下した視線が痛いんだ。
    「知り合いだって2年くらいの間に3人は死んだんだよ。自殺したやつと、ODで死んだやつ、……死ぬ前も死体もゴミ扱いで」
     日本にいるのにスラムに住んでいるみたいだった。現実から見放されたと感じたのは確かで、でも現実を見放していたのは自分で。厄介者としか自分を見ないまともな大人と、自分たちを利用とする大人たちの間にいた。
    「ゲロ吐きすぎて痙攣してるやつを、救急車呼ばないって言う人たちの中にいたんだよ、」
     結局あの女の子はどうなったんだろう。俺はその場を離れてしまったけれど。きちんと治療を受けさせて貰えたのだろうか。あれは薬かアルコールか、そのまま死んでしまったのかな。
    「中学くらいのガキが30のおっさんにガチ恋して心中するんだとか言ってた。そういう話、いくらでも聞いた」
     あの大人は最近逮捕されたらしいけれど。ニュースになっていた。
    「知ってますか、みんな路上で平気で寝るし。露出狂の女もアル中のジジイも腐るほどいるの」
     段々声が大きくなってきてしまう。
     それでも止められない。永墓さんはニヤニヤしている。頭を撫でてくる。
    「絡まれて、逃げて、後から迷惑料とか言って金を取られたこともあるし、」
     段々息が荒くなる。言葉が止まらない。止められない。
    「身分証取られそうになったこともあった、寝られなくなった。良くしてくれた人はいっつもなんかしらの悪い人だ」
     それはきっとあなたもそう、なんだけど。今のところは。
    「永墓さんはあの人たちよりはマシ、なだけ、俺にとっては」
     頭をグリグリと撫でられた。顔に熱が集まるのがわかる。
    「殴らないし罵らないしどっか売ろうとしない、捨て駒にしない、」
     べたべたと触られるのは怖いけれど、痛くないし気持ち悪くない。傷つけようとする意志を感じなかったから。でも離してほしくて身を捩った。
    「それだけ?」
    「……早く死ね、て言わないし、チンコしゃぶらないと殺すぞって言わない、」
    「わぁ、それは酷いね」
     無闇矢鱈と傷つけて来ない。ってそれだけで、どんなにマシなことか。今までの人生は地獄。それでも頑張って、傷つかないようにした。最善の、地獄。汚い感触は頭から離れなくて、全部鮮明に残っている。
    「ビビんながらでもここにいた方がずっとマシだ……」
     ああ、という同意とため息が混ざったような返事がされた。
     気持ちが悪い。精神的にじゃなくて体調的に。目が回っている。嫌なことばっか思い出したからだ。
     このヒトもそのうちは豹変すると思っている。その時に逃げられないと困る。その時が来ても、裏切られたとは思わない、やっぱりこうなるんだなんて思うんだ。きっとね。
     優しくされたいからなんて自分の欲のために他人に何かを求めたくない。
    「誰かの気持ちに振り回されるのはもう嫌だ、」
    「僕の気持ちなんて気にしているの。面白い子だなぁ」
    「離してよぉ」
     さっきよりもずっと冷たい手のひらの温度を感じている。少し鳥肌が立って、熱を奪っていく。
    「ここでできた友達だってみんな死んで、俺はこの先、どうなるんだろう」
    「卒業した後でも付き合いがあること、……うちの子になるのはいつでも歓迎してるからね」
     胃の中がぐるぐるしていた。吐きそうだ。熱が上がっていっているんだろう。

     神様ってなんなんだろう。信仰ってなんだろう。俺が抱いているのはきっと畏れでしかない。でも、神より理不尽で鬼畜な人間なんて腐るほどいる。話の通じない人間は、自分の理解がまるで及ばない思考の人間はいる。人間ができる所業じゃないと、こいつは本当に人間なのかと思った経験は余りある。俺が出会った大人のなかで、このヒトは恐ろしさで言ったらダントツだけど、傷がつくようなトラウマを残すような、酷いことはまだして来ないのだ。
     ……人間と神様の違いって何だろう? 俺はまだ、圧倒的で断絶的な壁を、まだ見つけられていない。
    「、それは、いやだ」
     この否定も、そろそろ口だけなのかもしれない。この苦しみから、本当の意味で早く解放されたくて、幸せになりたいから、思考は止められないのだ。
     畳に投げ出された素足が嫌に冷えている。
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