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    蒸しパン

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    蒸しパン

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    「ちょっとお兄さま、ちょ、っと。聞いてますか、ねぇっ」
     リビングにはユーリア君の電話の声が響いていた。
     相手は彼の兄、だろうな。よく電話をしているが、俺と話す時とはまた違った接し方をしているのが見ていて新鮮だ。敬語もよく外れる。
     それにしても、何の話をしているのだろう。
    「だ、から、無理ですってば。数時間でもっ、小さい子の面倒なんて見られませんよ」
     どうやら、何か頼み事をされているようだが。子供? 面倒を見る? 数時間? 何だかなかなかな面倒ごとな予感がするな。
    「聞いてますか? お兄さま、お兄さま? ちょ、聞いてるのっ! リアムっ!……あぁ"〜……」
     ユーリア君にしてはやや強い語気を最後に通話は切られたようで、リビングに静寂が訪れる。
     俺はユーリア君をチラリと見やり……見れば申し訳なさそうな、泣きそうな顔をする。
     いやいや、そんな顔されたら何も言えないじゃないか。仕方ない、話を聞いてみるしかないか。まぁ、何も! 言わないけどね!

     ソファに座ったまま気まずそうにこちらを見つめるユーリア君の隣へ腰掛けて、優しく頭を撫でながら問いかけてみる。
    「どうしたの? なんの電話だった?」
     さす、さすと優しく宥めれば、彼は少しずつ落ち着き、俺の手を取って握りしめてくる。どう言葉を繋げるか迷う間をおいて、意を決したように口を開いた。
    「お兄さま、が……拾ってきた子供を……数時間預かってくれないか、って」
    「あ〜……、なるほど」
     やっぱりね。何となく予想していた内容だったけども。それにしても子供、子供か。口ぶりからして自分で自分の面倒が見れる年齢でもないのだろう。これは確かに面倒ごとだ。
     思わず頭を抱えそうになるが、どうにか堪える。しかしそれも察されてしまったらしく、彼が慌てて弁解してきた。
    「あ、ぅ、わかってます。迷惑でしたよねごめんなさい。兄の不始末は俺が責任を取って、連れて散歩にでも行きますので……」
     そう言って立ち上がろうとする彼の腕を掴み、引き止める。
     このまま離したらまた一人で泣くことになるんじゃないかと思うと放っておくわけにもいかないし。第一こんな状態の彼を外になんか出せないし。正直この子に小さい子の面倒を1人で任せるのも不安だった。だって結構抜けてるところがあるから。気が動転すると余計に。
     だからと言って他の人に頼むことも出来ないし、まぁここは引き受けておくしか無いだろう。
    「大丈夫だから、落ち着いて。数時間でしょ、なんとかなるよ」
     できるだけ優しい声音を意識して言うと、彼は驚いた表情を浮かべた後、くしゃりと歪んだ笑顔を見せた。
     きっと今の言葉を信じてくれたの……かや? 俺に負担をかけないようにしてくれているのがよくわかる様子に胸が痛くなって、思わず抱き締めてしまった。

     おずおずと背中に回された手が温かい。そのまましばらく抱きしめ合っていると、なにやら外から車を停める音が聞こえてきた。
     彼のビクリと跳ねた肩を宥め、玄関に向かう。扉を開けるとそこにはさっきの電話の相手が立っていた。運転しながら電話かけていたのか。
     彼とよく似た髪色で、フリルのワイシャツ。体格のそれなりにがっしりした男。その他にはスーツケースと、片方にしっかりと赤ん坊が抱かれている。ユーリア君のお兄さんのリアムさんだ。
    「お兄さま、急にこんなこと、」
    「Oh la la、ごめんごめんmon frère。でもこの辺で暇そうなのは君くらいなものでね」
     ユーリア君は眉根を寄せて抗議しようとするものの、リアムさんは気にした風もなく笑ってみせる。その態度にユーリア君も諦めたようで、口をつぐんで俯いた。
    「Coucou! 久しぶりだねディーディリヒ君!」
     そう言いながらこちらを見てニヤリと笑みを深めた。リアムさんのことは……うん、いやね。嫌いじゃない。いい人だし。得意かと言われたらそう言うわけではないってだけ。とても頼りになる人だとも思う。フランス語を時折混ぜながら、俺相手にも親しみを込めて接してくれる。そう言う点ではありがたい。返事をしていれば済むから。
    「2人いるなら多分大丈夫だよね。この子も元気だしすっごく困るということはないハズ」
    「どこの子ですかこの子、まさかお兄さまあなた、」
    「Non! 僕は事故は起こさない」
     そんなことは心配してないんですけどっ。

     なんとも言えない空気が流れる中、リアムさんは赤ん坊を抱いたまま器用に俺たちを避け家の中に入ってくる。そしてキョロキョロと辺りを見回し、眠った赤ん坊をゆらゆらと揺する。それを見たユーリア君はすぐに駆け寄り、そっと赤ん坊を受け取った。
     そうしてこちらを振り返ると、申し訳なさそうに唇だけで微笑むのだ。

     絵になるな、なんて呑気なことすら思えていた。そしてリアムさんは急務があるのだとかでさっさと車で走り去っていった。
     なんと言うか、本当に掴めない人だ。少し苦手なのは、リアムさんの察しの良すぎるところだ。俺にはもうほんと知られたらまずいことが山ほどあるんだけど、なんだかそれも見透かされるような瞳が。ああ、ユーリア君も初めはそんな雰囲気だったっけ。
     そんなことを考えながらリビングに戻ると、ソファに座っている彼の様子がおかしいことに気がついて慌てて駆け寄った。赤ん坊を抱えているその顔がひどく不安そうで、今にも泣き出してしまいそうだ。
    どうしたの、と聞く前に彼が口を開く。
    「こわい……」
    「俺にも抱っこさせて」
     ぽつりと零された言葉に、反射的に手を伸ばす。しかしユーリア君はそれをゆるりと首を振って拒否して、ぎゅうと強く抱え込んでしまった。
     その行動が少し寂しくて、それでも何か理由があるのかと思って無理強いはしないでおいた。
    「よく寝てる。可愛いよね、赤ちゃんって」
    「……かわいくない、」
     優しく声を掛けると、小さく反応が返ってきた。喋ってはくれる。そんなことに少し安心して、でも憂鬱そうな言葉に心配にもなり。らちが明かないのでソファの隣に腰掛ける。
     不安症な彼のことだ。小さな子供と接する機会なんてほぼないし、まして赤ちゃんなんて。近所の親子がお客として来ることはあるし、触れ合うこともあるけど母親の目がある上でだしね。
     (そもそもこの子の身寄りは一切不明だが)ハイと渡されて、面倒を見ることができるか不安で。
     この子にとっての他人の命は何より重くて、だからこその責任感が、むしろ頼ってくれないのだろう。なんにせよ、こんな状態のまま放置するのは可哀想だ。
     せめて少しでも安心できるようにと、優しく背中を撫でる。すると彼はゆっくりとこちらを見上げてきて、その潤んだ瞳が俺の姿を映し出した。
    「俺も頑張るから大丈夫。意外と子供の相手はしてるからさ、いろんなとこでね」
     目を合わせて言うと、ユーリア君はぐすりと鼻を鳴らして小さくまた声だけで笑う。はい、と消え入りそうな声で返事をした。泣かないで欲しいのに。
     それから、腕に抱く赤ん坊を優しく預かる。意外と重たいんだよなぁ、なんて思いながらも落としてしまわないようにしっかり腕を回す。
     彼が余計な罪悪感を抱かないように、何か頼んでおこう。
    「この子は俺が見てるから、荷物とか確認してくれる?」
     頼むと、ユーリア君はこくりとうなずいて、すぐに立ち上がり玄関へと向かった。その背中を見送り、赤ん坊をソファへとゆっくり下ろした。すると、置いた途端にその子が目を覚ますのだ。
     大きな目がぱちぱちと瞬きをして、じぃっと見つめてくる。子供は嫌いじゃないと思う。仕事で子供の面倒を見たり、立ち寄ったところの子供と遊んでやったりする。ただ、怖がられることもないわけではない。大丈夫、と言った手前……大丈夫かな?
     今だってなるべく怖がらせないように笑顔を作ったつもりなのだけれど、それが逆に不安にさせたらしい。その子が急に火がついたように泣き出し始めて、思わず焦ってしまう。どうしよう、どうすればいいのかな。いや、赤ん坊ってそこまで目が良くなかったっけ?
     とりあえず抱き上げて、背中をさすってみる。でも効果は無いみたいだ。どうして泣いているんだろう。わからない。ああもう、本当にどうしたら良いんだ。

     しばらく辛抱強く背中をとんとんしていると少しずつ落ち着いてきたようで、泣き声が小さくなってきた。その隙に赤ん坊を抱き直して立ち上がると、丁度ユーリア君が荷物をひっくり返し終わって戻ってきたところだった。
     その手には紙袋が握られていて、きっとそこに赤ん坊の必要なものが詰められているのだろうと予想がつく。
    「みるく、とか、その辺の……身の回りの必要品が入ってました」
    「、あ。お腹空いてるのかな」
     渡された紙袋の中には哺乳瓶や粉ミルクなどが入っているらしいし。そういえば何も準備していなかったな、と思い至り。早速キッチンに向かうことにした。
    「ごめん、少しだけ抱っこしててね」
    「……、わかりました」
     一瞬不安げな表情を見せたものの、すぐに力強くうなずいたので安心する。ありがとう、と一言言ってからケトルでお湯を沸かす。
     ユーリア君は、ソファの前に膝立ちになって硬直していた。まるで自分が盾となって何かから小さいのを守るかのように、両腕でしっかりと抱え込んでいる。ほとほと参ったように、泣き止まない子供を抱っこする三つ編みの後ろ姿。なんだか妙な気分になるな。いやしかし、なんで膝立ち……?

     なんとも言えない気持ちになりながらミルクを作って戻ってくると、今度はソファの前の床に尻をついて座ってこちらを見上げてきた。
     ソファに座りなよ、とあえて言うか迷ったけれど、結局言ったら少し迷った後におずおずとソファに腰掛けた。
     用意したミルクはまだ熱くて飲ませられない。ごめんごめんと言葉の通じないぐずぐずの赤ん坊に謝りながら、2人でひたすらあやす。なんだか滑稽だ。

    「そのまま抱っこしてて」
    「はい」
     念入りに消毒した哺乳瓶を口元へ持っていくと、その子は素直に飲み始めた。それをじっと見守りながら、俺も座り直してソファに座り込む。
     良かった、ちゃんと飲んでくれている。
    「……お兄さまが拾ってくる子は、たいてい捨て子なんです、美形の」
    「えっ」
     突然話し始めたユーリア君に驚いて顔を向けると、彼は真剣な眼差しで赤ん坊を見つめていた。
    「この子もそうなのかな。……こんなに小さいのに」
    「……そうだね」
     俺は、どう答えたら良いのかわからなくて、曖昧に相槌を打つことしかできなかった。美形のって、なんだろう。
     そんな俺の反応に気づかなかったのか、彼は言葉を続ける。
    「お兄さまあんなんだけど、悪いようにはしないはず……拾われて良かったね」
     何かを思い出すかのようにふわりと笑った。今度はちゃんと笑顔だった。その笑顔を見て俺はようやく、少しだけほっとする。
     ユーリア君のお兄さんに対する感情は複雑で、まだ俺には理解できないけど、きっと呆れてるように見えても悪い感情ではないのだろう。
    「……さっきね、ユーリア君がすごく不安そうな顔をしていたんだ」
    「うん」
    「だから、俺も頑張るから一緒に頑張ろうって言おうとした」
     ユーリア君は、はっと息を飲むと視線を泳がせて俯いてしまった。
    「や、でも、頑張らないでよ。俺にカッコつけさせて」
    「……はい」
     冗談っぽく言うと、ユーリア君は言葉に笑みを含めて返してくれた。
     それからしばらくして、赤ん坊が満腹になったのか、もういらないと言わんばかりに哺乳瓶から口を離した。なのでそろりと縦に抱き上げる。
     ゲップさせたらいいんだっけ。どうしよう、と悩んでいると、ユーリア君が隣から覗き込んできて、
    「背中、とんとんしてみる?」
     と聞いてきた。すっかり落ち着いた表情だ。
    「やってみる」
    「俺がやるより、多分上手だと思うから」
    「ありがとう」
     言われた通り、優しく背中を叩いてやる。そうだな、多分ユーリア君を寝かしつける時くらい。やがて可愛らしい音が聞こえてきた。
     良かった、ちゃんとできていたようだ。ほっとして胸を撫で下ろす。

     すると、赤ん坊がむずがりだして、また泣き出してしまった。どうしよう、やっぱり上手く出来ないみたいだ。
     焦っていると、ユーリア君が手を伸ばしてきては俺の頭を撫でてくれた。
     大丈夫、大丈夫って言いながら。さっきと立場が逆になってしまったみたいで面白いな。彼の手が温かくて心地よくて、俺でいいのかとは思ったけど。いいか。そうだ、赤ん坊にもこうしてやればいい。


     それから、ひたすら抱っこしてうろうろしたり、オムツを替えたり、子守唄を歌ってみたり、ミルクをあげたり、吐き戻しがあったり、体を拭いたり、服を着せたりした。
     その間ユーリア君は何も言わずに手伝ってくれて、時々赤ん坊の様子を見てアドバイスをしてくれる。
     最初はどうなるかと思っていたけれど、何とかなりそうだ。一通りの作業を終えて、すっかり大人しくなった赤ん坊を抱きかかえている。寝てるのかな。
     起こさないように、全神経を使ってゆっくりとソファに横たえて毛布をかけてあげた。側から見たら相当アホな体勢だったろうが、これでひと段落というところか。

    「お疲れ様です、お茶淹れましたよ」
     ユーリア君は労るように微笑みかけてくれる。その笑顔を見て、なんだかどっと力が抜けたような気がして、彼にもたれかかった。
     何だろう、この達成感と疲労感。今までやったことの無いことを一気にやってしまったからだろうか。
    「ふふ、重いですよ」
     そう言って笑う声がとても優しくて。今朝の不安そうな声色とは真逆だった。俺が風邪引いた時とか、こんな感じだな。
     普段は猫ちゃんというかお姫様扱いをして甘やかして甘えてもらってるから忘れがちだけど、この子も20代半ばの大人なのだ。と、いうか、ユーリア君には元々精神年齢に幅のあるところがある。どっちが本当の、とかではなくね。どっちも本音だろうし。本音で話してくれるのは嬉しい。それが不器用で、全てを伝えきれていなくても。

     しんと静まり返った部屋に、ユーリア君の囁くような声だけが際立つ。
    「俺のママは、19で俺を産んで……身寄りも職も何にもないなかで俺を育てたらしいんです」
    「それ、は……大変、だったろうね」
    「ええ。小さい頃から喘息があったり、5歳ごろまで一言も喋らなかったそうで。ママには苦労をかけました」
     珍しい。というか初めてかもしれない。こんなにはっきり具体的に、生まれた家のことを話すのは。
    「大人になるにつれ、恨めなくなってきてる」
     渋い顔。そうだ、前は生まれた家のことを話す時、かなり暗い顔をしていた。腹の底でふつふつと沸く何かどろついた感情を、発散させるところなく澱ませて。
     今は、苦虫を噛み潰したような顔で、ただ湯気のたつ紅茶を見つめている。
    「許せない、嫌いですよ。……でも、彼女の環境は察するに余りある、おれ、どうしたらいいんでしょう」
    「……どうにかしたいの?」
    「もう少しだけ、何か違ったら。2人きりの家族じゃなかったら、縁を切ることはなかったのかと思うと、かなしいの」
     それは、きっと何事にだって言えることだけど。ユーリア君は堰を切ったように、だから2人きりは怖いんだと泣き出してしまった。
    「俺にも、あなたしかいない、あなたしか……」
    「離れたりしないよ。不安になっちゃったね、大丈夫」
     かつての母親と、自分が重なるのだろう。同族嫌悪に似た怒りと、気持ちがわかる痛さ。過去に感じてた恨みが、母親を許そうとする今の自分の足を掴んでいる。それと、かつて家を出ていった自分のように、俺がいずれいなくなるんじゃないかと。
     そんなこと絶対にないのに。でも、その絶対を無理やり信じさせるのも、なんだか残酷なことのように思える。
     根深いな。一切の不安もなくただのびのび過ごして欲しいんだけど。

     その後、わぁっと泣いたユーリア君の涙をぬぐい続けて。抱きしめて、撫でてやったら時間をかけて落ち着いてきた。だから、ソファに並んで座って紅茶を飲みつつゆっくりしている。
     また無駄に泣かせてしまったことは心が痛いけれど、本音をしまわせておきたくもない。若干の荒治療感はあるし、そもそもまだ俺はなんて話をしたら納得してもらえるのか考え途中で。紅茶の残りを飲みつつ頭を動かしていたら、不意に玄関の扉の勢いよく開く音がした。
     しまった。玄関閉めてなかったんだ。ユーリア君に任せっきりだった自分が悪い。
     すぐに向かおうとしたけれど、よく通る声のフランス語が聞こえてきたから、留まった。
     Coucou. Je suis revenu! ただいま、とか戻ったよ、の意だ。ユーリア君も玄関の音にはびっくりした様子だったが、入ってきたのが誰かわかると体の力を抜いた。

     ソファに座ったまま振り返ると、リビングの入り口に立った彼と目が合う。寝てる赤ん坊と、焦る俺と、泣いた後だろうと察せられるユーリア君を一瞬ずつ見て。ユーリア君が泣いてるのはスルーだ。
    「Bébé d’amour!」
     赤ん坊に声をかけたかと思うと、ものすっごく流暢な、フランス語で、俺に話しかけてきた。内容は当たり障りないけど、通じる前提の話し方だ。通じるけどっ……!
    「お兄さま、この子寝てるからっ。……おかえりなさい」
    「ただいま! 流石に心配だから仕事をさっさと終えてきた! なぁ聞いてよオペラのチケット貰ったよ!」
     彼の言葉を聞いて、ユーリア君は泣き顔を緩ませて駆け寄っていく。まさか泣くだろうなと思ってご機嫌取りを? いやいや、流石にそこまでは……。
     近寄ったユーリア君を、リアムさんはそのままぎゅうと抱きしめて頬に顔を近づけリップ音を鳴らす。フランスっぽい挨拶だ。いや、ヨーロッパの古い挨拶か。特に彼らは家族間でよくそうやって挨拶してる。

     ユーリア君が顔を上げて俺の方を見たので、さすがに挨拶をしなければかと立ち上がった。
    「さっきは足早にすまないね。bébéの面倒を見てくれてありがとう」
    「いえ、俺は何も。困った時はお互い様というか……こんなんじゃ返せないほど世話になってるし」
    「はっは!Ne soyez pas modeste  Si tu as pitié de moi, fais-toi mannequin pour moi 」
    「いやぁ〜それは……。というか自分、イギリス人だから……」
    「まだしらばっくれるか。あ、そうだ。ユーリアちょっと失礼」
     一言断ったかと思うと、彼はいきなりユーリア君の体を手で上から下まで一通り掴み始めた。

     そのあまりの自然な動作に、俺もユーリア君も何も反応することができなかった。最初に肩幅、それから厚さ。それを上から下に。
     ユーリア君は呆然としている、のかと思ったけど。どうやら慣れているみたいだ。またか、って顔で落ち着いている。
    「……。結婚式をやるなら僕にユーリアのドレスを作らせておくれよ!」
     かと思ったが彼がそう叫んだ瞬間、ユーリア君が思いっきり彼を突き飛ばした。ぴくりともしなかったけれど、ユーリア君の顔は真っ赤だ。彼は笑いながら、今度はその手でユーリア君を抱きしめる。
    「Justement! だって婚約したんじゃないか! 早めに予約しておかなくっちゃ、ね」
    「、し、しな、……っうぅ〜」
     ユーリア君は恥ずかしいのか嫌なのか分からないが、腕の中で暴れている。その様子を見て、リアムさんは更に楽しげだ。
    「するんだろう!? ねぇ、ディーディリヒくん!?」
    「え、あ、まだ……」
     急に話を振られたので、思わず遠回しに肯定してしまった。いや、ま、嘘じゃないし。まだ先のこと何にも決めてない、という段階なだけで。むしろ今は俺というか準備というか、ユーリア君の心の受け入れ待ちなのだが。
     ユーリア君の動きが止まった。恐る恐るという様子で俺を見上げてくる。
    そんな目で見ないで欲しいんだけど。こっちまで照れるじゃんか。リアムさんの方は、うんうんと満足げに何度も大きく首肯していた。
     忘れるところだった赤ん坊も、大人しく寝ていたが流石にうるさかったのか泣き出したので、これ幸いと2人して慌てて抱き上げた。
     ユーリア君が慣れた手つきであやすとすぐに泣き止む。最初よりずっと手慣れている。それを見ていたリアムさんも興味津々といった感じで覗き込んでくる。
     それから、赤ん坊をひょいと奪っていった。

     ユーリア君が止めようとしたが、それより先に赤ん坊を高い高いしてみせる。
    「Je t'aime, bébé d’amour〜」
     赤ん坊のほっぺたにキスをする。まるで自分の子供のように慈しんでいるようだ。
    「そろそろこの子と一緒に帰るよ、色々相談しようね。Je t’aime de tout mon coeur!」
     リアムさんは赤ん坊を抱いたままくるりと一回転して、手品のように荷物をまとめ、また今度来ると言って帰って行った。いや本当に毎度毎度嵐のような人だ。

    「……お兄さまはいつもあんな感じですけど、良い人なので」
     ユーリア君が困ったように呟く。毎度これを言うのだ。本当に仲が良いみたいで羨ましい。
    「はぁ、疲れちゃったな。今日はあとはゆっくりしましょう」
     そう言ってソファに座り直した彼は、隣をぽんと叩くので、そこに座ることにした。
    「……あの、さっきのは、」
    「さっきの、ですか?」
     結婚がどうとか、の話である。
    「あー、……うん、……」
     な、なんだこの、緊張感は。とっくにプロポーズもしてOKも貰ってるはずなのに。
     あの時、泣き疲れて夜早くに眠ってしまって、その次の日にはパンケーキで機嫌をとった。そこからうまく話題を切り出せずにいる。撤回なんてするわけじゃないけど、この子はどうかな。喜んではいたけれど。
     もし、少し待って、というなら。もちろん心の準備が出るまで待ってあげたいと思っている。結婚して家を出てって寂しい、なんて身内が俺にはいるわけじゃないしね。そこはわからないから教えて欲しいのだ。

    「……不安?」
    「あっ。なたの、せいでは、」
    「ユーリア君が悪いわけじゃないでしょ。……怒ってないよ」
     むしろ色々考えさせてしまう自分の不甲斐なさというか甲斐性のなさがアレなんだ。
     どうしても苦手な話題だからなぁ。結婚、そういった意味での家族、家庭、……子ども。ユーリア君も、ずっと前から、この話題のどれも顔を俯かせてしまう。
     ずっと一緒にいたいと言ってくれた。けど、結婚することに良いイメージはない。だから怖い。そんなところだと思う。たぶん。
    「楽しい話にしよう。着たいドレスとか、どんなのがいい? 教えてくれるかな」
    「、布、が、たくさんのやつ。動いたら綺麗に揺れるの」
    「いいね。ぜんぶ、ユーリア君が好きなようにしようね」
     せめて楽しいことが待ってるといい。ドレスだろうが料理だろうが、どんなロケーションだろうが。きみが好きなようにしたら、笑ってくれるなら。そのためにいくらだって惜しくはない。
    「、……ふふ。それは、たのしみですね」
     かわいく、着れるかな。
     そっと呟くと、身を預けてくる。すりすりと頭を擦りつけてくるので、撫でる。
     全部とは言わないけど、俺の本音もしっかりと伝わって欲しい。俺から離れることなんて絶対にないし、なんでもしてあげたい。
     俯いた瞳と、ようやく目が合った。どちらからともなく、唇を重ねる。
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